君と地獄におちたい

埴輪

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新婚

4.嵐の前の

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 ロゼとエアハルトの新婚生活は穏やかなものだった。

 初夜のあまりの激しさに体調を崩したロゼだったが、その夜はエアハルトの逞しい腕の中で穏やかな眠りにつくことができた。
 警戒心も露な侍女達の心配とは裏腹にエアハルトはその晩ロゼの体温と癖になりかけている甘い体臭を嗅ぎながら眠った。
 厭らしいことはしていない。
 何かしてほしいことはないかと問えば、手を握ってほしいと恥ずかしそうに願うロゼの可愛らしさに悶絶しながら鋼の精神でその晩は自身の欲望を抑え込んだ。
 さすがはエアハルト様だと執事長はその成長ぶりに涙した。

 その次の朝からロゼはなかなかの回復力で元気に動き回れるようになっていた。
 目覚めると共に寝ていたはずの夫の姿がなかったことに慌てて寝台を飛び出したほどである。
 初夜のときとは違う裾の長い全身を隠すような寝間着姿で扉を開けようとしたロゼに焦ったのは警備に務める兵士達だ。
 屋敷の主夫婦の寝室の警備に従事していたその二人は扉からひょっこり現れた可憐な奥方のあられもない姿に仰天した。
 初夜のときは不寝番を務めたその内の一人は甘く悲痛な声を扉越しに聞いていたため、一瞬にして茹蛸状態で固まった。
 閨目的に来ていた薄絹のネグリジェとは違い、野暮ったいと称していいほどの厚着の寝間着姿だったが、寝乱れた黒髪や足首と裸足の白さについ目が奪われてしまう。

「ごめんなさい。こんなはしたない姿で…… 旦那様がどちらに行かれた分かる?」
「だ、旦那様なら、あっ朝の鍛錬で……」
「東の庭の鍛錬所にいると思います!」

 動揺しながらもなんとか声を振り絞って答える警備兵ににっこりと感謝の笑みを浮かべたロゼは急いで朝の支度をしてエアハルトを迎えに行こうと侍女を呼ぼうとした。
 そこへちょうどタイミング良くエアハルトが戻ってきた。

「ロゼ!」

 鋭い声に思わず反射的にびくつく警備兵。
 軍隊で鍛えた低く、伸びのある声の中には言いようのない険が含まれていた。
 眼光鋭く睨まれた二人はガタガタと足が震えそうになるのを耐えた。
 これでも元傭兵としてそれなりの基準をクリアしてミュラー家に雇われたのだが、それでも素手で狂暴な野生の獅子と戦う勇気はなかった。
 むしろそれは勇気ではなく無謀という。

 軍靴特有の足音が廊下に激しく響く。
 足早に近づいて来たエアハルトの姿にロゼは嬉しそうに微笑み、近づいた。
 冷たい氷のような眼を細め、エアハルトは近づいてくるロゼの全身を鋭く観察して思わず舌打ちが出そうになった。
 フリルやリボンのあしらわれた寝間着姿に繊細な足首。
 形の良い足の爪や踵の優美な流線。
 夫である自分しか見ることができない妻の姿が今、他の男の目前に晒されている。

 なんと無防備な姿をしているのだと、お仕置きが必要かと怒りで一瞬思考が危ない方に傾きそうになった。

「旦那様!」
「……ロゼ、これは一体どういうことだ」
「……? あっ。も、申し訳ございません…… このような不作法な姿をお見せして……」

 乱れたままの髪や化粧も何も、まだ顔すら洗っていない自身の姿を思い出し、しゅんと反省してうなだれるロゼの姿にエアハルトはため息を押し殺した。
 違うのだ。
 怒りたいのはそこではない。
 普段の礼儀正しい姿を知っている分、何かあったのかととりあえず怒りをどうにか鎮めるエアハルト。

「どうしても、旦那様に一番に朝のご挨拶をしたくて…… つい慌ててしまいました」
「…………そうだったのか」

 一番に挨拶したい。
 一瞬で熱かった頭の中に冷たい風が吹いたような気分だ。
 自分の感情の変わりように疑問を抱きながらもエアハルトはなんとか返事をした。
 ぶっきら棒な返事にロゼは落ち込んだ。

「……昨日からご迷惑ばかりで、ロゼは旦那様の妻としてまだまだ未熟ですね」

 夜の務めも満足にできず、せめて朝の務めだけでも立派にやろうと張り切っていたのが完全に裏目に出たのだ。
 初めて経験する新妻の務めというのは想像する以上に難しい。

「旦那様に、ふさわしくない妻でごめんなさい」
「いや、そんなことはない! お前はまだ幼いのだ。 初めてのことばかりで少し戸惑っているだけだ。 お前のその気持ちだけでも、俺は……嬉しい」

 うなだれるロゼの姿にちくちくとまた謎の罪悪感に襲われたエアハルトは鬼気迫る表情で否定した。
 実際にロゼに不満に思うことはほとんどないのだ。
 ただ少し体力をつけてほしいのと、もっと夜の務めに積極的になってほしいのと、無暗に自分以外の男と接さないでほしい……と、それだけなのである。

「旦那様……」

 ロゼは自分の夫の優しさに感動した。
 婚約期間中も不器用ながら優しくしてくれていたが、結婚して今まで以上に近くで長い時間を共に過ごしたためか、より一層その優しさが胸にしみた。

 それと同時に今まで経験したことのない謎の違和感を感じたが、それはすぐに喜びに塗り替えられた。

 夫の優しい言葉に感激したロゼは行動でそれを示した。
 鍛錬を終えたばかりで湯浴みもまだのため、汗臭いだろうと少し距離を置いていたエアハルトにロゼは思わず抱き着くようにして縋りついた。
 同年代の貴族令嬢達と比べて少し背の高いロゼだが、そのしなやかな肢体のせいかあまり大柄には見えない。
 鍛えられた鋼の肉体を持つエアハルトと並ぶとやはり体格差が目立っていた。
 大人と子供、捕食者と被捕食者のような光景はある意味倒錯的である。
 胸元に抱き着くロゼを恐る恐る抱きしめ返すエアハルトは軍隊内で半ば伝説化している狂戦士である。

「嬉しいです…… 旦那様」
「ロゼ…… 俺は今汚れている、離れた方がいい」

 そう言いながらすりすりと目下にちょうどある妻の髪に頬を擦りつけるエアハルト。
 目の前で突然始まった砂を吐きそうな光景に置き去りにされたままの警備兵二人。

 ……とりあえず助かったのか?
 ……たぶん。

 主人の激しい八つ当たりを免れたはずなのに何故かすっきりしない二人である。

 と、周囲を様々な感情の渦に突き落としながら二人の新婚生活は穏やかに続いた。

 台風の目の中は穏やかである。
 その原理と一緒でほのぼのと幸せそうに毎日懸命に妻の務めを果たそうと奮闘するロゼとは裏腹にエアハルトは悶々としていた。
 嵐のような激しい感情が容赦なく襲ってくる。
 ロゼの何気ない仕草や言動に過剰に振り回される自分がいるのだ。
 これは一体なんなのだろうかとエアハルトは苦悩した。
 婚約していた頃以上に感情が暴れるのだ。

 三日目の晩にしてロゼ本人の強い希望で初夜のリベンジを果たした翌朝のことだ。
 飢えた獣のようにまた求めてしまった自分を情けなく思いながらも、今度は自分で責任を持って全身の汚れを落としてやろうと浴室に連れて行こうとしたときだ。
 二回目にして少し身体が慣れたのか。
 横抱きにされて目が覚めたロゼは寝ぼけたままで穏やかな笑みをエアハルトに向けた。

「おはよう、ございます…… だんなさま……」

 擦れた声のままで囁いたロゼはそのままか弱い力でエアハルトの頭を引き寄せようとする。
 されるがままに顔をロゼに近づけば、見たことがないような悪戯っぽい表情でちゅっと頬にキスをされたエアハルト。

「ふふふ…… 朝の挨拶、今度こそちゃんと出来ましたか?」

 赤い唇から覗く舌が艶めかしい。

 悪魔がここにいるとエアハルトは思った。

 このときのエアハルトの胸の中で渦巻く感情の激しさ、重さ、狂暴具合は大したものだ。
 何よりもそのまま自制して侍女を呼びつけてロゼを託したエアハルトは勲章を授与されてもいいのではないだろうか。
 ロゼが浴室に籠る間にエアハルトは空しく自身を慰めた。
 初日から大した成長具合である。

 そんな感じのロゼの何気ない行動に振り回されているエアハルトは久しぶりに軍服に着替えて仕事場に向かった。
 ロゼのいってらっしゃいませの笑顔とやわらかい唇の感触を思い出しながら。

「……惚気ですか? 旦那」
「屑が。 お前は一体何を聞いていたんだ?」
「いやいやいやっ どう聞いても惚気っすよね!? つーか、俺への当てつけ!?」

 そう言って金髪の髪を乱暴に掻きむしるのはエアハルトの部下である。
 名をライナスという。
 実力主義なエアハルトに見いだされた男で、エアハルトに比べると随分と線が細く繊細な顔立ちをしている。
 また金髪を長くのばして後ろに一纏めにした髪型は軍隊内で浮いていた。
 髪型も含めて色々悪い噂も囁かれているためか、優秀な割にあまり評価されない頭脳派の副官である。
 エアハルトからすれば規律が乱れない程度であればそういった人間関係には無関心であった。
 いざ戦場や任務で支障が出るようであれば厳しく懲罰するため、ライナスも嫌がらせや無視、暴力の類に晒されたことはなかった。
 ライナスは上官に対しては軽すぎる口調とは裏腹にエアハルトに並外れた忠誠心を誓っている。
 歳が近いことも影響してか、二人の距離は他に比べて近かった。
 エアハルトがこうして相談めいた話を持ち出すほどにである。

「俺は真剣だぞ」
「……まとめるとアレですか。例のお嬢様と結婚してから胸がドキドキ暴れてきゅんきゅん締め付けられて爆発しそうになって苦しい、原因不明で辛いと」
「それは前からだ。結婚してからは筆舌尽くしがたいほどの感情に支配されるし、より悪化はしているな。制御するのが最近は難しいのだが、ロゼの…… 妻の傍を少しでも離れると今度は無性にイライラする」
「なんで『妻』って言いなおしたんですか。やっぱ俺への当てつけっすか!?」

 人の心の機微について、特に恋愛事の類について時々驚くほど無関心な男であることは長い付き合いで知っていたが。
 とにかく鈍いのだ。
 他人から向けられる好意も嫌悪も憎悪も、愛欲も。
 分かっていながら無視できるその神経の図太さ、鈍感さといったら。
 その歳ではもう矯正は無理だと諦めていたライナスを嘲うように、エアハルトはロゼという妻の存在で生まれ変わろうとしている。
 自分の今の感情の意味がわからない。
 暴走する自分を恐ろしいと思い、その熱を妻に向けないように努力しようとしている。
 か弱い妻を傷つけないよう、嫌われないように。
 ライナスの目から見れば、いやライナスでなくても少しでも敏い人間なら今のエアハルトの状態はわかりやすいぐらいわかりやすかった。

(恋、してるんすよ)

 妻の話をしているときのエアハルトがどういう表情なのか鏡で本人に見せてやりたい。
 どれだけ甘い声で語っているのかも、聞かせてやりたいぐらいだ。

(……ぜってー 教えてやんない)

 エアハルト・ミュラーが妻に恋し、心底愛していることを。

 そんなライナスの苦々しい内心などどうでもいいらしいエアハルトは真剣な顔で話を続けた。
 事態は彼にとって深刻なのだ。

「とにかくこのままでは暴発しそうだ。精神的にも肉体的にも、な」
「…………」

 真剣な顔で自分の股間を示すエアハルトにライナスは天を仰いだ。
 股間が暴発するとでも言いたいのか。
 軍の執務室でこんな会話がされているとは誰も思わないだろう。
 エアハルトに憧れて軍隊に入った者達が知ったら泣くかもしれない。

 それでも話に付き合うライナスは情の深い男である。

「……結局、上手くいったんですか? 処女なんでしょう。あのお嬢様は」

 なんだかんだ言ってライナスもエアハルトの新婚初夜に興味津々だった。
 エアハルトの立派な股間や旺盛な性欲はよく知っている。
 披露宴で初めて紹介された若い美貌の令嬢は誰が見ても処女であると分かるほど清廉な空気を纏っていた。
 純白があんなに似合う乙女もそうそういないだろう。
 副官としてエアハルトの体調管理も自分の重要な仕事の一つであるとライナスは思っているし、自分ほどエアハルトを理解している者はいないとも自負している。
 気にならないはずがなかった。

「ライナス。ロゼはもう俺の正式な妻だ。これからはそういった無礼な口は慎め。あと、ロゼのことは『奥様』と呼べ」
「……へいへーい」

 どうやら奥様に対する独占欲は想像以上であるらしい。
 不埒な姿を想像するだけで叩きのめすとその目が言っていた。
 自分から下ネタを振ったのに。

 だがどれだけ怒られようと話は進めなければならない。
 なんせ、エアハルトとロゼだけの問題ではないからだ。
 どこか面倒そうにしていたライナスだったが、今度は少し意味深な流し目をエアハルトに向けた。

「……結局、練習は役に立ったんですか? それによっては、あの子の今後についても決めないといけないっすよ?」
「ああ…… 『ルナ』のことか」

 すっかり忘れていたとばかりに眉間に皺を寄せる姿にライナスは笑った。

「随分薄情っすね」
「お前の案が珍しく役に立たなかったからな」
「ちょっ…… あんだけ入れ込んでたのに? 失敗したんっすか!?」
「……まるで役に立たなかった」

 どうやら想像以上に奥様は魔性の女らしい。
 これには頭脳派と自負していた自分もびっくりである。

「役に立たないって……」
「まあ、少しぐらいは役に立ったさ。だが、ロゼ…… は特別すぎた。これ以上、妻の負担を増やすわけにはいかない。 ……俺の妻は繊細でか弱いんだ」

 妻、妻、妻と。
 どれだけ妻と連呼したら気がすむのだろうかとライナスはげんなりした。

「……本当に、あんたってサイテーっすね」

 なんて当てつけだとライナスは思わず不敬なことを口走ってしまう。
 自分に対しても、例の少女に対しても。
 残酷な人だ。

「とりあえず妻が挨拶のたびに口づけしてくるのだが、返すタイミングがわからん」
「……無視すりゃいいんじゃないっすか?」
「ろ…… 俺の妻がそれで俺を嫌ったらどうするんだ」
「…………」

 本当に、残酷な人だ。






 そんな下ネタ交じりの危ない会話を夫とその部下がしている一方で妻であるロゼは屋敷の華やかな庭園でとある懐かしい人物との再会を喜んでいた。

「久しぶりね ロゼ」
「母上!」

 母親である公爵夫人との久しぶりの逢瀬にロゼは声を弾ませた。

 新居の屋敷に初めて母親を招いたが、想像以上に豪華なお茶会を用意された。
 父や兄も招待したかったが、今は忙しいとのことと、夫の留守中に親族を大勢屋敷に招くことに対しての申し訳なさもあった。
 いずれ、挨拶のために公爵と侯爵の両家に挨拶に行くのだからとロゼは自重した。

「お久しぶりです 母上。なかなかご挨拶に行けなくてごめんなさい」
「いいのよ。貴方が元気そうで安心したわ」

 白魚のような手で愛娘の頬を撫でながら、公爵夫人はロゼの身体を注意深く観察した。
 元々ロゼは同年代の貴族令嬢達に比べて少し背が高い。
 殿方の隣に並んでもあまり身長差がなく、長くバランスの良い肢体をしている。
 まだまだこれから成長期の娘だ。
 これ以上身長が伸びないでようにと祈る夫人であったが、最後に見た披露宴のときよりも心なしかまた目線が上になった気がする。
 背の高い女性は男性に嫌がられるというのが貴族女性達の共通認識であり、ロゼの唯一の欠点と言われていた。
 当のロゼはもっと大きくてもいいのではないかと思っていたが。
 何故なら同性の受けが良いのだ。

「しばらく見ないうちに、また少し背が伸びたかしら?」
「そうかしら? 自分ではまったく気づかないので」

 顔を曇らす母親とは裏腹にロゼはのんびり答えた。
 そして何か悪戯を思いついたような顔で裾の長い黄色いドレスのスカートをその場で持ち上げた。
 既婚者や社交界に呼ばれるぐらいの年齢の貴族女性は足首を見せてはいけないという規律があるのだが、身内しかいないその場でロゼは羽目を外したい気分だったのだ。
 その場でスカートを持ち上げてロゼはくるくると踊った。
 黄色いドレスのスカートがふわっと舞い、辺りに花の香りを撒き散らしていた。
 くるっと軽やかにターンを披露したロゼの様子は母親との再会に無邪気に喜ぶ少女そのものであり、周りに控えていた侍女を含めた使用人達に恍惚のため息を吐かせるほど可憐だ。
 くすくすと小鳥が戯れるような笑い声を零しながらくるくると母親の周りを回ってみせる娘のあまりの愛らしさに公爵夫人も苦笑するしかない。
 本来ならもう嫁いだ身であり、淫らに足首を見せたことや、お行儀の悪い行動を諫めなければならないのだが。

「ふふふ…… 貴方がまだまだお子ちゃまだということがよく分かったわ。でも旦那様の前ではその様に振る舞っては駄目よ?」
「もちろんですわ。ロゼがこうして甘えるのは母上や父上、兄上様の前だけですもの」

 甘美な艶が含まれた笑みを零す娘の姿を満足気に公爵夫人は見つめた。
 我が娘ながらため息が出るほど美しいが、しばらく見ない内にまた一段と美しくなっている。
 はっきり言って、色っぽくなっているのだ。
 毎晩夫に愛されているのか、白い絵の具に一滴の朱色が混ざったような控えめな色気を醸し出している。
 その気になれば目を合わせた男全てを虜にできそうなぐらいに。
 母親の自分ですら倒錯的な気持ちにさせてしまうほどの美しさだ。

「エアハルト様とはどう?」
「大変お優しいです。私はまだまだ妻として未熟で、至らぬところが多くて申し訳ないぐらいです…… 私にはもったいないぐらいに素敵な旦那様ですわ」
「あらあら…… それはお惚気かしら?」

 実はゲーアハルト家の侍女達にこっそり新婚生活について手紙で報告させていた。
 別に疚しい行為ではないため、ミュラー家の執事長もそのことは黙認している。
 初日の騒動を知ったときは娘の今後を危ぶんだが、その後のエアハルトの献身ぶりを知って大いに安堵した。
 万が一、夫である公爵当主やその息子に知られたら勝手に離縁させようとするかもしれないので閨に関するあれこれは絶対に二人に知らせるなと侍女達には釘をさしている。
 当のロゼがエアハルトに対して好意的であるため、侍女達と公爵夫人はなるべく二人が穏やかな結婚生活を送れるように陰ながら支えることを決意していた。

 そんな涙ぐましい女たちの厚意を知らず、ロゼは楽しそうに久しぶりの親しい者達との会話を楽しんでいた。
 懐かしのゲーアハルト家の使用人達にも一人一人に声をかけ、その近況を知りたがった。

 楽しそうに使用人達と会話する娘の姿を堪能する公爵夫人。
 ちらりとさりげなく用意されたお茶会や娘が今着ている服装、使用人や護衛の兵士達の様子を観察する。
 用意された茶葉は最高級品で、茶器なども一流の工房のものである。
 庭に咲き誇る花々も全てロゼが好んでいたものばかり。
 今ロゼが着ているドレスも人気のデザイナーのものであり、つけている宝石の類も控えめながら高価なもの。
 毛色の変わったミュラー家の侍女達のロゼに対する態度も非常に宜しく、いかに屋敷内での地位が高いのかを物語っている。

「……ロゼは相当愛されているみたいね」

 給仕に徹していたこの屋敷の執事長にだけ聞こえる音量で公爵夫人は呟いた。
 執事長は無言で笑みを浮かべただけであったが、それが全ての答えであった。

 娘には自分と同じ苦労を背負ってほしくないという公爵夫人の願いはどうやら叶えられたみたいだ。

(よかったわ。この子には余計な気苦労がないみたいで)

 ロゼには貴族の妻の心構えについて伝授したが、どうやらそれは無駄になりそうである。
 実に素晴らしいことだ。

(あの坊やはロゼに骨抜きになっているわ。これなら浮気や愛人の心配がなさそうね)

 新婚早々浮気をした、どこかの公爵家当主とは違い。

 ふふふっと意味深に笑う母親にロゼはきょとんと首を傾げた。
 人妻とは思えぬその幼さがとても愛おしいと公爵夫人は思った。

 
 ロゼとエアハルトの新居に予想もしない嵐が来たのはそのお茶会から数日後のことである。

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