君と地獄におちたい

埴輪

文字の大きさ
上 下
23 / 37
真相

3.リリー

しおりを挟む
 
「ってことで、ルナを孕ませたのが名前も知らない影の薄い下男だったってことが判明したっす。閣下にそのこと報告したら、ルナとその下男が結婚するなら祝い金ぐらい出した方がいいのかって聞いてくるし…… あの時の閣下、ご自分の結婚に相当浮かれてたっすからね。だからあんな色ぼけた台詞が出るんすよ」 
「……どうでもいいが、それならば小娘が閣下の子を孕んだというのは狂言ということか」
「いや。違うっす」
「……何?」
「ルナは、本気で閣下の子供を妊娠してるって思ってるっすから、嘘をついているわけじゃないっすよ。ルナにとっては」
 
 ライナスは自分の嫌がらせ計画の唯一にして最大の誤算について語る。
 
「ルナは、今も閣下の子を妊娠してるって本気で信じてるっす。子供のつくり方とか、もちろんあいつも知ってるっすよ? ……その後娼婦達に、複数の男とヤると、自分が一番好きな男の赤ん坊を妊娠できるって教えられたそうっす。いやいや、お前妊娠の仕組み全然分かってないじゃないかって俺がいくら言い聞かせても、娼婦達に誤解を解くように説得させても、あいつ全然信じないんすよ。お前の腹にはあの下男の餓鬼がいるんだって言っても、当の下男が責任をとって娶るって言っても、あいつ、皆嘘つきだってただ泣くだけ。ぴーぴー泣いて、最後に閣下が手切れ金渡してきたときに、閣下の子供ができたって、これでずっと一緒だねって抱き着いて…… まぁ、そこで閣下に拒否られて呆然としていたのにはスッキリしたっすけど」
「……病気なのか、あの小娘は」
 
 リリーは蔑みでもなく、純粋にそう思った。
 自分の都合の良い真実だけを信じ込む。
 そして自分のついた嘘を真実だと思い込む。
 そういう病気の者はいる。
 尋問部にいたリリーは何度かそういう輩を見て来たが、意図して嘘をつく嘘つきよりもそういう輩のがずっと厄介だと知っている。
 
「どうなんすかね。最初に会ったときはただただ怯えてた餓鬼って印象で、まったくの無害に見えたっすよ。……閣下が与えた生活で変わったのか、それとも誰かの上に立てる生活で本当の自分が目覚めたのか。そこら辺を追及しても仕方ないっすから。一番可哀相なのは腹の父親かもしれないっすよ? ルナに命令されて、半ば脅されて抱いたようなもんなのに支配人に鞭打ちされて…… もう力仕事なんてできない身体で責任はとるってルナに結婚を申し込んだんすよ? で、ルナがなんて言って断ったと思う?」
 
 知るかというのがリリーの本音だ。
 
「閣下から貰った手切れ金を投げつけて、お前のせいで閣下に誤解された、あんたみたいな男をあたしが好きになるわけないだろ、身の程知らず、さっさと消えて! だってさ」
「……わざわざ声真似をするな。頭が痛い」
「正直、あのルナの性格は俺も予想外だったす。今日だって、嵐のせいでクソ忙しい中、俺は支配人にルナがいなくなったって聞かされて、仕方なく捜索してたんすよ?万が一、あいつが閣下の子を妊娠したってそこら中に噂広めたら、困るっす。いや、俺としてはそれで嫌がらせ達成できるんすけど、その後の火消しの労力とか親父様に迷惑かかることを考えたら、さすがにそれは…… 閣下がルナを抱いていたのは本当だし、店でそれを知っている奴も多い。真実と嘘が混ざった噂ほど厄介なもんはないっす。で、見つけたときはあの裸同然の姿で震えてたっすよ」
「……」
「ルナを見つけたとこがちょうどこのお屋敷への通り道だったす。ここにミュラー家の御曹司の新居があるのは有名だし、俺も、ルナが行くとしたら閣下のところだと当たりをつけて捜索して無事見つけたってわけっすよ。……そのとき、ご自宅に帰る予定の閣下の馬車が通ったときは本当にルナのタイミングの良さというか、悪運の強さを感じたっす。閣下も濡れたルナを見つけて無視するわけないすから、とりあえず娼館に戻れって命じたんすけど……」
「そのまま、貴様が店に連れて帰れば良かっただろう」
 
 厄介なものを持って来やがってというリリーの無言の責めを受けながら、ライナスは静かに答えた。
 
「……この屋敷への通り道に橋があるの、知ってるすよね」
「ああ。王都の川ほどではないが、あそこも嵐でだいぶ氾濫していると聞いた。橋も新しく、補強もしっかりしているから問題はないと…… まさか」
「ご想像の通りっすよ。あいつ、俺らの前で橋から飛び降りたんす」
 
 心底不本意そうにライナスは語る。
 
「……まぁ。その後屋敷に入れたからってことで計画通りにルナに奥方様のもとへ行かせた俺が言うのもアレっすけど。あいつはヤバいっすよ。てか、本気で一回医者に診せた方がいいす。頭もそうっすけど、腹の子が大丈夫なのか…… あんな冷たい川の中に身を投げて、俺と閣下や護衛の兵達が救助しなかったら母親も子供も死んでたっすよ。まぁ、誰にも望まれないその餓鬼が生まれても、一体誰が育てるんだって話になるし…… あのまま母子とも死んでた方が幸せだったかもしれないっす…… 当のルナは自殺をしたくて飛び込んだわけじゃないんすよ。ただ、無関心な閣下が自分に注目するように飛び込んだんっす。こわいこわい」
 
 そう言って笑うライナスの目には確かな羨望という名の狂気があった。
 ルナは無謀で身勝手な行いをしたが、結果的にライナスが一度も招待されなかったエアハルトの愛する妻との屋敷に招き入れられたのだ。
 それは、エアハルトの敗北でもあり、ルナが賭けに勝ったということでもある。
 そのままルナが川に流され死んでいれば、こんな騒動は起きず、屋敷は平和だったろう。
 エアハルトが恐れていたロゼとの穏やかな時間の崩壊。
 ルナはその身を使って、エアハルトとロゼの関係に皹を入れたのだ。
 ライナスには決してできないことをした。
 
 そんなルナを羨ましがるライナスをリリーは心底理解できない。
 二人はこの一年で大きく変わった。
 
 
 
* 
 
 
「今回の騒動は…… まぁ、真相は一応、こんな感じっすよ」 
「……あとで裏付けはとる。とりあえず、今は信じよう」
 
 リリーは疲れた肩の力を抜くように一度ため息を吐く。
 そうすると、リリーから発せられた威圧感は消え、彼女が普段通りの侍女に戻ったのがライナスにも侍女長にもわかった。 
 リリーを労わるように侍女長は声をかける。
 
「リリー、ご苦労様。あなたには無理をさせてしまったわね」
「侍女長…… いいえ、全ては奥様と旦那様の安寧のため。このリリーでできることがあれば全身全霊で尽くすのは当たり前のことです!」
 
 頬を紅潮させて、拳を握りしめるリリーの姿に冷徹な軍人の姿は見当たらない。
 その変わり身の早さにライナスがなんとも言えない視線を向ける中、侍女長はライナスの言葉通りに記録した私文書を丁寧に畳んだ。
 
「あとでこの文章を整理する前に、私は奥様の容態を確認してくるわ。……旦那様がここに来られるまではその男を見張ってもらえるかしら? 貴方を連れ出した責任は私がとるから」
「いいえ。私がことの真相を確かめたく、半ば無理やり着いて来たようなものです。責任は私にもあります。二人で、あとで叱られましょう」
 
 侍女長はリリーの真っ直ぐな眼差しを受け止める。
 これが軍隊であれば上官の命令を無視し、勝手な行動をしたとして軍法会議にかけられるだろう。
 エアハルトの命に逆らい、侍女長は謹慎中のリリーを連れ出して勝手にライナスを尋問した。
 それがどれだけの大罪になるかは今の二人にはまだ分からない。
 ライナスが語った内容は衝撃であれ、なんとかロゼの耳に入れても大丈夫だと思えた。
 しかし二人はまだロゼがどれだけの覚悟を持っているか知らない。
 本当にありのままの真相を語っていいのか。
 ライナスの悪意やルナの底知れぬ闇をロゼに見せていいのか。
 そして、ロゼに語ることを拒否していたエアハルトの命に逆らっていいのか。
 まだ二人には判断できない。
 
 全てはロゼが目覚めてから。
 彼女が本当に真実を望む、そのときまで。
 
「後は頼むわね」
「はい。お任せください」
 
 侍女長は恭しく自分を見送るリリーの姿を頼もしく思いながら地下牢を出て行った。
 残されたのは、二人だけ。
 
 
 
* * 
 
 
「はははっ…… なんだ、てっきり閣下の命令だと思ってたんすけど。……上司の命令無視していいんすか?」
 
 ライナスを固定している縄を外そうとするリリーに向かって、ライナスは皮肉気に笑う。
 興奮していたため、あまり疑問に思わなかったが、先ほどの侍女長とリリーの会話を冷静に振り返り気づいたのだ。
 まったく、よくも騙してくれたもんだとライナスは苦々しく思いながらも、全てを吐き出した心地よさを確かに感じていた。
 
「旦那様の命令を無視したことを後悔はしていない。あのまま何も奥様に話さなければ、奥様がどれだけ哀しんで、胸を痛めるかと考えた結果の行動だから」
「……閣下の命令を無視するほどの価値が、奥方様にあるとは思えないっす」
 
 ライナスの物言い、リリーは何も返さない。
 無言で縄を外すリリー。
 二人の距離は互いの息が触れるほどであった。
 
「ライナス。今の私を怒らせようとしても駄目よ。私、今吃驚するほどアンタに同情してんの」
「……俺のこと、散々貶してた、あのリリーがっすか? 閣下に告白した後、軍に俺が男好きだって噂流した張本人が?」
 
 皮肉でもなんでもなく、ライナスは本気でリリーの発言に驚いた。
 ライナスがエアハルトに告白し、拒絶され、半殺しにあった後。
 いつの間にか軍ではライナスは生粋の同性愛者であり、エアハルトや上官達にそれで取り入ろうとしている色魔だという噂が流れた。
 それがリリーの仕業だと、ライナスは本人から告げられたのだ。
 これ以上エアハルトの隣にいるのはエアハルトの出世の妨げになる。
 何よりもその悪魔のような性癖を持つ者が軍にいていいはずがない。
 本来なら軍法会議にかけられても可笑しくないことであり、ライナスはリリーを恨むことはなかったが、自分に明確な敵意を持つ彼女に何度副官への道を邪魔されたことか。
 
 そのリリーが、自分に同情するという。
 驚かないはずがない。
 
「アンタのせいで奥様が傷ついたことには変わりはない。私は一生それを許すつもりはないし、アンタみたいに好きな人と一緒になれなかっただけでその相手ごと不幸に陥れるような卑怯な真似には永遠に共感しないけど」
「……正義感の強いリリーには分かんないすよ」
「ええ。分からないわ。……でも、ひとつだけ、共感はできる」
 
 リリーはライナスを縛っていた縄を全てほどいた。
 充血し、傷ついた手首をゆっくり動かして確かめるライナスの姿を無言で見つめる。
 ライナスもまた、無言で見返した。
 リリーが何を言おうとしているのか、ライナスは分からず、その目には戸惑いが浮かんでいる。
 
「……恋してしまった人が、異性ではなく、同性だったときの苦悩が」
 
 リリーはライナスを蔑むときと同様に、真っ直ぐな目でライナスを見つめる。
 今、その目に蔑みはない。
 彼女が何を言いたいのか、ライナスは分からなかった。
 
「今なら…… 今の、私なら、それが分かるわ」
 
 リリーの乾いた唇から紡がれる言葉に返事する者はいない。
 リリーは陶然とした心地で、それがこの世の真理とばかりにライナスに解く。
 頬を恥ずかし気に染め、遠く夢想する先には可憐な彼女の女主人がいる。
 声には熱と、
 
「閣下の命令を無視するほどの魅力があるのだよ。奥様には」
 
 確かな欲が秘められていた。
 
 
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

能力1のテイマー、加護を三つも授かっていました。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:10,289pt お気に入り:2,216

仲良しな天然双子は、王族に転生しても仲良しで最強です♪

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:248pt お気に入り:302

あなたとは離婚させて頂きます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:965pt お気に入り:348

婚約破棄させてください!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:3,011

甘い婚約~王子様は婚約者を甘やかしたい~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:92pt お気に入り:385

【完結】嫌われているはずの婚約者が妻になった日から可愛くて仕方ない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:38,791pt お気に入り:2,458

ゼンタイシンドロームな人々!

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:7

アメイジングな恋をあなたと

恋愛 / 完結 24h.ポイント:5,177pt お気に入り:1,264

処理中です...