地獄三番街

有山珠音

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1話 灰となりて地獄の門を開く【下】

地獄の番人

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 頬に鋭い痛みが走る。

「痛っ、……いっ、たた」
「痛てーにきまってんだろ。我慢しろって」
 

 あの後、有無を言わさず引きずり込まれた家の中は外見に違わず、一風変わっていた。

 窓辺には1人用の木製デスクが、部屋の中央にはソファとガラス張りの低いテーブルが置かれている。そこだけ見るとオフィスの一室ようだが、ランプや和箪笥などやたらレトロな家具がそこら中にひしめいている。

 和洋折衷……といえば聞こえは良いが、有り体に言うとゴチャゴチャしてまとまりのない、奇妙な場所だ。
「怪しすぎる」「逃げなくては」という思考すら忘れ、遥人は夢と現実の間のような心地でぼうっと周囲を見回した。

 男はソファに遥人を座らせると、手にした布で遥人の顔や身体についた血をゴシゴシと拭い取った。そして、これまたぞんざいな手つきではあるが傷の手当てを始めたのだった。


「悪ぃなあ鎮目しずめ、仕事中に」

 消毒液をガーゼに染み込ませながら、男が部屋の奥に声をかける。

「いや」

 ガタイの良い中年男性がそこから出てきた。顔にいくつかの古傷らしきものがある。鎮目と呼ばれたその男は、いかつい見た目に似合わずきっちりとエプロンを着け、両手で鍋を持っていた。いつの間に入ってきたのか、はたまた最初からいたのか、遥人には分からなかった。
 鎮目はテーブルに鍋を置くと、蓋を開ける。中でぐつぐつと煮えているのは、うどんだった。温かい湯気が遥人の顔にかかる。

「ほれ、こっちも終わったぞ」

 と、頬に貼り終わったばかりのガーゼをぺし、と叩き、嫌味とも取れる口調でサングラスの男が言った。

「骨の一つも折れてねえって、お前見かけによらず頑丈だな」

 腕や腹、顔、至る所にできた赤黒い痣はその大方が包帯やらガーゼで覆われている。身体を動かす度に鈍痛が走るが、我慢できないほどではなかった。
 鎮目から、おもむろに茶碗によそわれたうどんが差し出される。

「一気に掻き込むなよ。火傷するし、胃が驚くからな」

 遥人は鎮目の顔と茶碗を交互に見比べた。眉一つ動かさないまま繰り出された、お節介な言葉のギャップに困惑する。素直に受け取っていいのか分からなかった。

 見知らぬ家で、見知らぬ他人に、訳も分からぬまま施しを受けている。

 どう考えても普通ではない状況だ。「色々あった」どころでは済まないほど、たかだか数時間で目まぐるしく展開していく現実に頭が追いつかない。
 呑気に食事なんかしている場合だろうか。
 しかし、ほかほかと湯気を立てるうどんと鼻に抜ける出汁の香りは、全ての迷いを凌駕するほど蠱惑的な魅力を放っていた。

 意識に逆らい、身体が勝手に動き始める。ぎこちない手つきで茶碗と箸を手に取る。ふぅ、と何度か息を吹きかけ、恐る恐る口に運んだ。
 ――――美味しい。
 ゆっくりと味わうように飲み込むと、じわりとした温もりが胃に広がる。

 気付けば、その温もりを追いかけるように箸が動いていた。もう一口、もう一口。見る見るうちに止まらなくなる。
「お前の忠告一切聞いてないぞコイツ」
「よっぽど腹が減っていたんだろう」
 2人が何やら話しているのにも構わず、遥人は夢中で麺を啜り続けた。


            *

 つゆまで飲み干して茶碗を置くと、遥人は小さく息を吐いた。
 空腹が満たされ、いくらか思考力が戻ってくる。遥人は初めて自分から男たちに話しかけた。

「……ここどこ、ですか」

 サングラスの男が遥人を一瞥し、にべもなく答える。

「俺の自宅兼事務所」
「じゃなくて」
「あーはいはい、千暮新市街ちぐれしんしがいって聞いたことねえか?」

 千暮、新市街。

 男の言葉を脳内で反復する。馴染みのない地名だが、知ってはいる。「千暮方面は危険」「近付かない方がいい」と周りの大人が時々噂していたのを朧気に思い出す。
 確か、遥人の住む羽ノ浦市からは結構な距離があったはずだ。いつの間にそんなところまで来ていたのか。

「千暮は普通の歓楽街じゃなくてな、『地獄の釜』っつう通り名があんだ」
「『地獄の釜』?」
「まあ一言で説明すると、クソの掃き溜めってとこだ」

 男は気怠げにソファから立ち上がり、デスクの方に移動しながら続けた。

「ここはその千暮の端っこ、いわば『地獄の入口』。で、そこで店やってる俺は『地獄の番人』ってワケ」

 男はフフンと得意げに鼻を鳴らした。鎮目が顎で男の方を指し、続ける。

「街のやつらはこいつのことを『ばん』と呼ぶんだ。その『地獄の番人』ってやつから取ってな」
「地獄の……番人……」

 一瞬息を呑んだ遥人だったが、そう間を置かず冷静な感想が口をつく。

「え……ダッサ……」
「コラ!」

 どうだかっこいいだろう、とばかりに胸を張っていた番が憤る。
 厨二病、の3文字が浮かぶ。俊亮なら「すげー、カッケー!」と喜ぶだろうな、と考えたところで胸がズキリと痛んだ。俊亮の家を訪れたのがもう遠い昔のことのようだ。まあまあ、と鎮目が割って入る。

「ともかく、お前みたいな子どもが不用意に立ち入っていい場所じゃないってことだ。……お前、家は」

 問われて、反射的に下を向く。

「友人や親戚は」
「…………」
「じゃあ、どこか帰る場所は」
「…………」

 口を噤んだまま、首を横に振る。
 そうだ、帰れる場所は無い。無くなってしまったのだ、全部。急な実感が押し寄せてくる。

「まーガキっていってもただのガキじゃないよなあ」

 デスクチェアに腰掛け、2人のやり取りに耳を傾けていた番が口を開いた。椅子ごと振り向くと、先程遥人の血を拭った布をヒラヒラと振る。

「お前以外の血もたくさん付いてたな」


 遥人は凍りついた。
 背後から突然刺されたような感覚だった。
 
「訳ありか」

 鎮目が静かに呟いた。
 番は、依然として感情の読めない瞳でこちらをじっと見つめている。
 何か底知れない、畏怖のようなものに襲われ、遥人はただ蛇に睨まれた蛙のように硬直することしかできなかった。




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