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第九章〈正義の目覚め〉編

130 不名誉よりも死を(4)リッシュモンとフランス宮廷

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 1404年、アルテュール・ド・リッシュモンが11歳のときに養父・ブルゴーニュ豪胆公は死去した。

 後継者の新ブルゴーニュ公ジャン・ド・ブルゴーニュは、亡き父の称号と財産を継承するやいなや、派手な軍勢を従えて意気揚々と王都パリへ入城した。
 まもなく、王妃イザボー・ド・バヴィエールに寵愛されるようになった。
 恋敵で政敵でもあった王弟オルレアン公を殺害するも、狂人王シャルル六世から赦免状を得て栄華を極めた。のちに無怖公と呼ばれるようになる。

 華やかだが醜聞にまみれた宮廷の裏側で、ブルゴーニュ豪胆公の葬儀の準備が進められていた。
 主人のいない城内では、侍従・家令が多忙をきわめ、リッシュモンも小間使いのように働いた。仕事の合間に時間があると、豪胆公の棺のかたわらに付き添い、養父に追悼の祈りを捧げる姿を目撃されている。

 このころのリッシュモンは、豪胆公の嫡孫フィリップとともに育てられていた。
 幼なじみで主従でもある。これは私とデュノワ伯ジャンの関係に似ているかもしれない。
 気のおけない友情と、厳格な主従関係。どちらに重きを置くかはそれぞれに個人差がある。

 なんにせよ、リッシュモンはブルゴーニュ公一家に養われている小姓だった。

 豪胆公は、リッシュモンの気丈さとまじめな性格を愛していたが、無怖公とは合わなかったようだ。ほどなくしてブルゴーニュ公一家から遠ざけられ、12歳で戦場に駆り出された。

 豪胆公が引き取った子供は、幼い日の望みを叶えて従騎士となり、みごとに初陣を飾った。

 デュノワ伯ジャンは騎士道物語に憧れて騎士を目指し、ルネ・ダンジューは物語好きが高じてみずから執筆し始めるが、リッシュモンの「願望」は彼らの「夢」とは少し違った。
 より現実的かつ切実な願いから、騎士になろうとした。

 もともとの資質もあったのだろうが、リッシュモンはまじめで一途だ。
 ひと並外れた努力で才能を開花させ、またたく間に成長した。

 ただ強いのではなく、当時は勝者の権利だった「略奪」を嫌った。
 部下を持つようになると彼らにも略奪行為を禁じ、必要な金銭を惜しまず与えた。
 部下のひとりが手癖で略奪を働いたときは、盗品を取り上げると、リッシュモンみずから持ち主に返しにいき、部下の横暴を詫びた。

 上官や同僚の中には、まじめすぎる性格をからかう者もいただろう。
 だが、大抵の人はリッシュモンのアルテュールという名から「アーサー王」を連想した。
 偉大な先祖の再来だと称賛され、ときにはやっかみも受けた。
 当時は騎士道物語ブームの全盛期で、アーサー王と円卓の騎士の物語は特に人気があった。
 リッシュモンは先祖の威光にすがる性格ではないが、ブルターニュの印象が高まるならばとあえて否定もしなかった。リッシュモンの名声は、事実と虚構が入り混じりながら広まっていった。

「貴様がブルターニュ公の弟アルテュールか。ふん、大げさな名だな」
「恐れ入ります」

 評判を聞きつけたのだろう。
 リッシュモンは久しぶりにブルゴーニュ無怖公のもとに呼ばれた。

「我が娘マルグリットが王太子妃になることが決まった。輿入れに同行して王城へ行き、そのまま王太子の配下に就け」

 ここでいう王太子とは、私の兄ルイ・ド・ギュイエンヌ公を指す。
 母妃は愛人ブルゴーニュ公の言いなりだが、兄は王弟殺しのブルゴーニュ公を警戒していた。
 無怖公は権力を掌握するために王太子を監視下に置き、可能ならば懐柔するために、さまざまな人材を送り込もうとしていた。

「不幸な王太子を慰めて差し上げろ。そうして信頼を勝ち得るのだ」
「お言葉ですが、閣下に送り込まれた私を王太子殿下が信用するでしょうか」

 無怖公はくくっと笑った。

「うわさ通りの無遠慮な堅物だな。『略奪はいやだ』などと抜かしているそうじゃないか」
「騎士道精神に反しますゆえ」
「くっくっく、貴様も騎士道物語にかぶれた理想主義者というわけか。まぁ、いい。その生真面目な性格は王太子に気に入られるだろうからな」

 こうしてリッシュモンは、若きブルゴーニュ派のひとりとしてパリの宮廷へ送り込まれた。
 無怖公の想定通り、王太子はリッシュモンを気に入って正騎士に叙任した。
 想定外だったのは、リッシュモンにとってまことの主人は兄のブルターニュ公ただひとりで、無怖公の言いなりにならなかったことだろう。

 パリで暴動が起き、無怖公とブルゴーニュ派の工作がばれて失脚するとアルマニャック派が優勢になったが、リッシュモンは宮廷に残った。

 兄のブルターニュ公はフランス王に臣従している。
 弟であるリッシュモンが次期国王たる王太子に仕えるのは自然ななりゆきだった。

 ブルターニュ公兄弟にとって何より大事なのは、故郷と自分たちの「名誉」を守ることである。
 本音は、ブルゴーニュ派でもアルマニャック派でもどちらでもいいのだろう。



***



 無怖公が失脚し、王太子がリッシュモンを正騎士に叙任した同じ年。
 私とマリー・ダンジューの婚約が決まり、アンジュー公夫妻のもとへ預けられた。
 アンジェ城到着に合わせて、王太子から祝いの贈り物が届いた。私はアンジュー公妃ヨランド・ダラゴンに連れられて使者アルテュール・ド・リッシュモンと初めて対面した。

「公妃もお人が悪い」
「あら、何のことかしら」
「王子がすでにご滞在されているとは聞いてませんでした」

 私は王家の末弟だから、王位を継承するとは見なされていなかった。
 フランス王家と関わりの深いサン・ドニの聖職者の記録によると、父王は末王子に関心がなく、母妃は権力と縁のなさそうな子を冷遇していた。王太子はそのことを嘆き、ときどき両親と衝突していたらしい。

「申し遅れました。私はブルターニュ公の弟、アルテュール・ド・リッシュモン伯と申します」

 私とリッシュモンの浅からぬ関係を思うと、この時点で出会っていたことは奇跡である。
 無怖公がリッシュモンを宮廷へ送り込み、王太子がリッシュモンを気に入って正騎士に叙任し、無怖公が失脚し、私とマリーが婚約すると贈り物が届いた。王太子に仕える者はごまんといるだろうに、よりによってこの男が使者に選ばれたのだから。

「王太子殿下から王子へ手紙を預かってまいりました」
「兄上から?!」
「どうぞお受け取りください」

 10歳の私は、礼拝堂の長椅子に腰掛けるとわくわくしながら手紙を開封した。
 兄の手紙は子供には少し難しかったが、私は自分が忘れられていなかったことが嬉しかった。
 確かに嬉しかったはずなのに、ふいに切ない感情がこみ上げてきて、気がつくと涙が流れていた。

「王子、どうされましたか」

 私が泣いていると気づくと、ヨランドとリッシュモンは会話を中断して寄り添ってくれた。

「リッシュモン伯、王太子殿下からの書簡には何が書かれていたのですか」
「内容は把握してません。プライベートな話でしょうから立ち入ったことまでは……」

 私は鼻をすすりながら、ふるふると首を横に振った。

「何でもない。兄上からの手紙が嬉しかったから」

 本心だったが、ふたりは私の心に巣食う孤独を感じ取ったのだろう。
 ヨランドはリッシュモンを引き止め、リッシュモンは帰還を先延ばしにすると、「シャルル王子の兄・王太子の名代」という口実で婚約披露宴まで付き合ってくれた。

「すばらしい祝宴でした。王太子殿下に『王子は健やかにご成長している』とお伝えします」
「もちろん兄上にも感謝しているけれど、あなたにも御礼を言わせてほしい」

 別れの挨拶を交わしながら、私は礼を伝え、遠征先での武運を祈った。
 今にして思えば、峻厳な性格のリッシュモンが優しい気遣いを見せた貴重な一幕だった。
 あの男にも、兄の手紙を心待ちにしてひそかに涙を流した日があったのだろうか。

 初対面では10歳と20歳だったが、次に会うのは11年後である。

 きっとこの時のリッシュモンは、私を通じて幼いころの自分の面影を見たのだろう。
 私もまたリッシュモンに兄の面影を重ねていたのかもしれない。


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