愛を知らない君に捧げる純愛

華南

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前編

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幼い頃に猫を拾った。
痩せ細った薄汚れた猫。
息も絶え絶えな小さな猫を……。

***

寒い寒い真冬の日だった、猫のレオンを保護したのは。
1ヶ月前、私は母を喪った。
元々身体が弱く、私を出産してからはベッドで過ごす時間が多くなっていた。
美しくて優しくて儚い少女の様な母。
私は母であるレティシアが大好きであった。
母を喪った時の哀しみ。
泣き噦る私の側で父は何の感情を示さない眼で母の顔を見詰めている。
涙が枯れる迄泣いていた私とは大違いだ。
何故、父が感情の無い目で母を見下ろしていたのか。
その事を私は後日、知る事になる。
既に母方の祖父母は鬼籍に入っていて私には父しか親族がいなかった。
入婿として母と婚姻を結んだ父は貧乏男爵家の三男で美貌と商才の手腕を亡き祖父に見込まれ伯爵家の当主となった。
父には母と結ばれる前から婚姻を約束した女性がいた。
母との婚姻によって、その女性とは引き裂かれる様に別れたと言うが真相は定かでは無い。

現に今、後妻として幼い娘と息子を連れて父と再婚し、この屋敷の女主人として立ち回っている。
ミリアとヨシュアは父と同じ髪と瞳の色をしている。
そして顔立ちも父によく似ている。
明らかに父の子供だと思える位に。
母に似た私とは全然違う。

「まあ、何てお前は地味でみすぼらしい容姿をしているの。
つくづくこの伯爵家に相応しく無い娘だこと。
ふふふ、愛らしくて可愛いミリアとは大違い」

と、声高々に言い放つ義母に、オリヴィアは心の中で吐き捨てた。

(何をこの女は言っているのだろう?
そもそもミリアは伯爵家の正統たる血筋では無い。
何を根拠に私に言い放つのだろう)

伯爵家に相応しく無いのはお前達だと言えば、また容赦無く鞭を振るう。
腕に残る体罰の痕。
長袖を着ている所為でバレないと思って、何度も義母であるアデリーンは私に鞭をを振おうとするが、執事であるセバスチャンに止められ私は難を逃れる。
何時迄もセバスチャンが私の味方でいる事が難しくなっている。
高齢の為、父から解雇を何度も言い渡させるが私の身を案じ、首を縦に振らない。
今、私の味方でいる使用人は乳母のマーサと執事のセバスチャン、そして侍女のメアリだけだ。
後は皆、義母の容赦ない振る舞いに、そして横柄な態度に嫌気がさしてこの屋敷から去ってしまった。

(マーサもセバスチャンもこれ以上ここに停まれば、いつ、命の危機に晒されるか分からない。
私の事を想い慈しんでくれる2人をこれ以上、危険な目に遭わせたくは無い……)

涙がボロボロ流れて止まらない。
大切な人をまた私は喪ってしまう。
どうして神様は私に意地悪なんだろう。
お母様だけでは無くマーサもセバスチャンも私から奪おうとする。

「にゃああ……」

哀しみの涙を流す私を気遣いレオンが私の頬をチロチロと舐める。
泣かないで、と私を励ます様に何度も何度も。

「ありがとう、レオン。
私を慰めてくれるのね」

薄汚れてボロボロだったレオンを保護し、怪我の手当てをして看病する私に、最初、威嚇していたレオンが段々と私に気を許す様になってきた。
傷が癒えた頃にはレオンは私の手を舐め身体を擦り寄せてくる様になった。
汚れを落とし綺麗になったレオンは毛並みが真っ白で、光に当たると淡い銀色な真っ青な瞳を持つ美猫である事を知った。

「まああ、何て綺麗な毛並みなの!
それに海の様に深い瞳に……。
こんな綺麗な猫を私、初めて見たわ」

と、うっとりとした声でレオンを褒めるとゴロゴロと喉を鳴らして尻尾を私の腕に絡ます。
レオンなりの親愛の情を示しているんだろうと思うと気持ちが暖かくなる。

「うふふ、レオン、あなたが大好きよ。
ずっと私の側にいてね……」

「にゃあ」と元気よくレオンが鳴く。

レオンがちょこんと私の膝に乗り身体を丸めて目を閉じる。
暖かい感触に思わず涙が滲む。

最後の言葉が涙混りの声音で言ってしまった。
みんな私から離れていく。
母も、乳母であるマーサも執事のセバスチャンも、そして侍女のメアリ、も……。

(私の側にいたら皆、不幸になる。
私を庇うとお義母様の執拗な嫌がらせで傷つく様になる……)

何年か経ち、マーサもセバスチャンも、そしてメアリを屋敷から去ってしまった。
無慈悲な父親の解雇に誰一人反論する事など許される筈が無く、なけなしのお金を渡され屋敷から追い出される様な形で去っていった。

(ああ、とうとう私は1人になってしまった……)

涙を流す私に慰める様にレオンが私の足に身体を寄せる。

「ごめんなさい、レオン。
あなたがいてくれるわね」

涙を流しながら微笑む私にレオンが「ミャア」と一声あげる。

16歳の頃迄、白猫のレオンだけが、私の側にいてくれた。

でも、いつの間にかレオンもいなくなっていた……。

***

「ねえ、お母様。
何時迄、あの役立たずを家を置いておく気なの?」

白魚の様な細い指先でお菓子を摘みながら、ミリアはアデリーンに問う。
隣のソファに深々と座っているヨシュアはミリアの言葉にふんと、鼻を鳴らす。

「既に伯爵家の実権も父上が握っているんだろう?
今更、伯爵家の後継者としてオリヴィアが継ぐ事もなかろう、母様」

ヨシュアの言葉にアデリーンが忌々しく言い放つ。

「お父様が中々追い出そうとしないのよ。
まだ使い道があるからと言って」

アデリーンの言葉にミリアが顔を歪めて嘲笑う。

「ええ!
あんなみすぼらしい女に利用価値があるとは到底思えないけど。
私の様に美しく洗練された美貌なら分かるけど、地味で陰気臭い女に、何、慈悲を与えるの?
お父様らしくも無い」

ミリアの言葉にヨシュアの柳眉が軽く上がる。

「……、磨けば案外使い道はあると思うが」

ぽそりと言うヨシュアに奇異な目でミリアは見詰める。

「何、トチ狂った事を言ってる訳、ヨシュア。
あ、あんた、まさかあの女の事を!」

「ば、馬鹿な事を言うなよ、ミリア!
俺は利用価値として、言ってるだけだ。
それに、あの女の母親の肖像画を見て想像しただけであって……」

言い淀むヨシュアにミリアがふーん、と怪訝な表情で言う。

それに半分は血は繋がっているんだ、と言うヨシュアにアデリーンが目を細める。

「確かにあの女に似ていたら、利用価値はあるわね。
あの手の顔を好きそうな男を知っているから……」

くつくつと笑い出すアデリーンにミリアが興味津々に母親の元に駆けつけ聞き出そうとする。

「誰よ、お母様。
その物好きの名前、知りたいから教えて」と猫撫で声でアデリーンに絡むミリアに、苦笑混りに嗜める。

「まあ、ミリアったらはしたない。
伯爵家の令嬢らしく無い振る舞いはおやめなさい。
貴女はこの伯爵家に相応しい、見目麗しい令嬢でしょう?ミリア」

コロコロと笑うアデリーンにミリアは不満げに言う。

「知りたいのにお母様のケチ」

「ミリア」

「……、はーい」と言いながら立ち上がり部屋から出て行く。

「僕も用事があるから」とそそくさと去って行くヨシュアにアデリーンがため息を吐く。

(早くあの疫病神を追い出さないとこの家の平穏が乱される)

アデリーンは己の手を見てうっとりと微笑む。
シミのない美しい手に過去の生活を思い出す。
あかぎれで荒れた手で仕事に明け暮れていた、微々たる金を稼いでいた生活が嘘みたいだとアデリーンはうっそりと嗤う。

(そうよ。
やっと掴んだ贅沢な生活を脅かすオリヴィアを厄介払いするには、あの男に嫁がせるのが一番の得策だわ。
後はアレックスの承諾を得るだけ。
ふふふ、きっとアレックスだって了承するわ。
だって事業が芳しくないとぼやいていたもの、あの男との縁談を結べば、援助だって得る事が出来る)

だからオリヴィアは私達の生活の為に役立たせねばならないのよ、と尤もらしい言葉で締め括ろうとしている。

オリヴィア身に危険が迫ろうとしている。
そんな不穏な動きがある事を知らないオリヴィアはレオンを必死になって探していた。

「ああ、レオン何処にいるの?
何故、姿が見えないの!」

レオンが姿を見せなくなって既に2週間が経過した。
レオンを保護してから10年の歳月が経つがこんなにも長く姿を見せない事は無かった。

(何があったの、レオン。
も、もしかしてレオンの身に何か、あったのでは……)

不安がオリヴィアの心に押し寄せてくる。
大切な存在がオリヴィアの元から去って行った。
その恐怖が一気にオリヴィアの心を占める。

「レオンが居なくなったら、私にはもう、誰もいない……」

ポロポロと涙が溢れて止まらない。
嗚咽が自然と口元から漏れる。

「ああ、レオン……」

かさっと、草を踏む音が聞こえる。
誰かが近づいてくる足音にオリヴィアは泣き腫らした顔で見詰めて。

「何故、泣いている……」

急に近づいてくる存在にオリヴィアは一瞬に目を奪われてしまう。

「君の泣き顔を私は見たくない」

淡い銀髪に深い蒼玉の瞳。
吸い込まれそうな位に綺麗なブルーサファイアの。

「あ、貴方は……」

誰、と問う前に私は彼に腕を取られ、「私の、オリヴィア」と囁き私を腕に閉じ込める。

一瞬、何が起こったのか分からなかった。
ただ、夜を照らす淡い月の如く美しいその人が、強く私を抱き締めている。

その現実だけが、私の知る唯一の出来事だった。
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