恋心

華南

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恋の躊躇い

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図書館に借りていた本を返しに行こうとバッグの中を確認すると、入ってない事に気づく。

(昨日、あのカフェで読んでた本がない……。
もしかして忘れてしまった?)

返却日が今日であり、あと少しで最後までと言うところまで進んでいた。
楽しみにしていた結果。

恋に理想なんか求めないくせに、なぜか恋愛話の本を無意識に借りてしまう。
結末はいつもハッピーエンド。

結果を見て心の中で囁く。

現実は物語の様な結末なんて迎えない、って。

「準備をして立ち寄ってみよう」

そう思い出かける準備に取り掛かる。

一瞬、昨日の出来事が頭に過ぎる。
あのカフェで見ず知らずの男性に声をかけられ、話をしたいと熱望されて。
真摯な目で見詰められて怖くなって、思わずその場を去ってしまった。

そっと掴まれた手に触れる。

未だにあの男性に掴まれた感触が手に残っていて……。
思い出す度にドキドキと心臓の音が騒がしい。

(私は……)

ふと思い出し苦笑を漏らした。
私と話したいなんて、きっと気の迷いだわ。
絶対に、有り得ない事だから……。

***

カラン。

ゆっくりとカフェのドアを開ける。

薫り高い珈琲の香りが店に入った途端、鼻腔を擽る。

(いい香り……)とうっとりしながら店員に声をかける。

「あのう、昨日、本の忘れ物がありませんでした?
赤い花柄を刺繍したカバーを掛けた」

私の言葉ににっこりと微笑み一枚のメモを渡される。

「昨日お見えになったお客様が、もし本の忘れ物の問い合わせがあればここに連絡するようにと言付けを預かっています」

躊躇いつつ差し出されたメモを見つめる。

連絡先が書かれたメモ。
多分、昨日の男性の……。

(ど、どうしよう……。
こんなメモを渡して連絡しろって言うの?
どうしてそのまま預けてくれなかったの?)

店を出てスマホに番号を滑らせ連絡する。
何コール目かに、あの耳障りの良い低音な声が鼓膜を掠める。

「あ、あのう、昨日、本を忘れた者ですが本を返していただきたいと思って連絡しました。」

「ああ、君からの連絡、待っていた」

かけられる言葉に、どきりと胸が鳴る。

「……あ、預かって戴き有難うございます。
きょ、今日返却なので、返していただきたいのですが、何処に伺えば良いでしょうか?」

躊躇いつつ指定場所を聞く。
私の言葉にふっと笑みを零すのが窺える。

「……今、何処にいる?」

「昨日のカフェにいます」

「では今から行くから、そこで待っていてくれないか。
何時もの君の指定席で」

一瞬、言われた言葉に思考が停止する。

(い、何時もの指定席って、この男性は何時から私の事を知っているの?)

「……、解りました。
席が空いていたので、そこでお持ちしています」

そう言葉を伝え、会話を終えた……。

30分後、昨日と違う私服姿で私の前に彼は現れた。
オフホワイトのセーターにネイビーブルーのジーンズ。

年齢より若く見える私服姿にまた目が捕らわれる。

「お待たせして済まない。
何か頼んだ?」

「いえ、まだです」

「まだ、モーニングをしているのでそれでいいかな?
ここのフレンチトーストはなかなか絶品だよ。
モーニングを取った事はある?」

聞かれる言葉に、いいえ、と頚を振る。

「……、昨日、忘れた本。
綺麗な刺繍が施されているね。
君が縫ったのかい?」

「ええ、まあ」

「緊張している?
こうして僕が君と話したいからと思って、わざと本を持ち帰った事に気を悪くした?」

問われる言葉に一瞬、返答に詰まる。
確かに昨日の出来事は私にとって躊躇う事だった。
見ず知らずの男性に手を掴まれ話をしたいって、まるでナンパの様な軽い扱いに気が動転したことも事実だった。

「……、余りにも突然な事だったので驚きました。
何故、私に声を掛けられたのですか?」

理由を問いただす私に、じっと彼が私を見つめる。
真摯な熱い瞳で……。

「三ヶ月前から君がここで土曜日の夜、手作りのカバーをかけた本を読んでいる姿が目に付いていた。
君がこの場所を指定席にする前までは僕がここで過ごしていたから」

言われた言葉に頬に朱が走る。
私は無意識にこの男性の場所を奪っていた。

「ご、御免なさい!
私の所為で、貴方がお気に入りの場所で過ごす事が出来なくなって。
も、もう、土曜日の夜はこの場所で過ごしませんから!
ほ、本当に御免なさい。

……。

わ、私、帰ります。
本を返して戴けませんか?
お、お願いします」

言葉を詰まらせながら彼に本の返却を願う私に、彼は微笑みながらこう言った。

「僕に今日、一日、付き合ってくれたら返すよ」

「え?」

「いや、今日だけではないな。
今後も僕と会って欲しい」

「な、何を急に言われるのですか……?」

「君に心惹かれた。
君の周りに漂う、穏やかでゆったりとした優しい空気が好きだ。
僕と付き合ってくれないか?」

突然の告白に言葉が出ない。

私をすきって、この穏やかで優しいモデルの様に整った顔をした男性が……?

「……、そんな、ありえない。
貴方は私をからかっているのですか?
何を知って私に交際を持ちかけるのですか?」

訝しげに問う私に、彼が一言、こう言う。

「僕はこれでも人を見る目は持ち合わせていると自負している。
君は、控えめでありながら自分の意見をしっかりと持った女性だと思っている。

それに君はとても物を大切に取り扱う。

この本のカバーを見ていてもそうだ。
一目一目、綺麗に縫い上げている刺繍。
借りた本を大切に扱い、本に対する敬意を感じる。

それだけで君に心惹かれたと言うのは可笑しいかな?」

初めて言われる言葉に心が震える。
前の彼はそんな事を一言も言ってくれなかった。

借りた本に対して敬意を払っている。
大切に取り扱っているとこの人は思ってくれる……。

心の中が暖かくなる。
じんわりと心の中に暖かさが広がっていく。

ほんのり目を赤く染め私を見つめる優しい彼。

一歩、踏み出したら私はどうなるの……?

また傷つき悲しい想いに捕らわれるかもしれない。
結末がお話のようにハッピーエンドを迎えるとは限らない。

だけど、でも……。

差し伸べる手を取ったら、もしかしたら今、考えいる結末を迎えないかもしれない……。

未知なる想いが私の中に存在するようになるかも知れない。

恋に傷つきながらも無意識に取ってしまう恋愛本。

私は本当はもう一度、恋をしたいと思っている。

あの、優しさと、ときめきと、そして苦しいまでの心の葛藤を何処かで望んでいるのかも知れない……。

「…私、貴方の事、何も知りません。
昨日、出会っただけで貴方がどんな方か。
年齢も職業も、そして趣味も……。

正直、何も知らない貴方と付き合うのはとても恐いです……」

私の言葉に彼がくすり、と笑う。

「率直な意見だ。
それが当たり前だと僕も思う。

僕だって君の事はこの場所での君しか知らない。

でも、ここの君だけで僕の心を捉えるのは充分だと思った。
それ程、僕は君に心を奪われた……」

恋の訪れは本当に突然。

「僕と付き合って欲しい」

そっと触れられる手が熱い。
その手のように熱いまなざしで私を捉える。

自然と私はこくりと、頷いていた。

私の返答に彼の目が細くなる。

私の中で、また新たな恋が始まった。

どんな結末が訪れるかはまだ、解らない。

だけど、この人となら……。

解らない結末に心をときめかせ、心を焦がすのもいいか、とそう私は思った。
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