愛のない政略結婚のはずが、許嫁に本気で迫られています

水城のあ

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1巻

1-3

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 家族以外で自分がいないと寂しいと思ってくれる人がいるのは幸せだ。その人の一部になれたような気がする。

「六年も待ったんだから、俺は焦るつもりはないよ。まあなるべく早くモモにも結婚のことを考えてほしいけど、モモはまだ若いしやりたいこともあるだろ」

 理解のある婚約者を演じようとしているわけではないだろうが、こんなふうに女性の仕事に理解がある男性は珍しい気がする。いくら男女平等とか今は共働きが当たり前だと言われていても、実際に結婚したら女性の方が男性の仕事に合わせることの方が多いし、転勤など相手の仕事の都合に振り回されるのも、まだまだ女性の方が圧倒的に多いと聞く。
 もしかしたらその言葉だけでも、世の女性が飛びついてしまいそうな好条件の相手なのではないだろうか。
 透の理解ある言葉に一瞬喜んでしまったが、すぐにそれよりももうひとつの言葉の方が気になって口を開いた。

「あの……六年って……婚約した頃から、ってこと?」

 当時の自分は高校生だ。もう社会人だった透がそんな子ども相手に本気で結婚を考えていたなんて信じられなかったが、透はあっさりとうなずいた。

「そう。本当は将来的にモモと結婚できるなら理由なんて何でも良かったんだけど、俺も周りがうるさくなってたからね。それに気持ち悪いと思わないでほしいんだけど、俺にとっては小さいときからずっとモモが一番可愛かったし、モモより大事な女の子なんていなかったんだ。だから自然と結婚のことも考えるようになってた」

 この六年間、そんな素振りなど一切見せなかった透の言葉に驚きすぎて嬉しいというより呆然としてしまう。
 しかもいつもスマートで社会的にも地位があり女性にもモテる透が、こんなにも一途なタイプだなんて信じられない。
 今まで何も考えず無邪気に透と過ごしてきたのに、そんな目で見られていたのかと思うと恥ずかしくてどうしていいのかわからなくなる。
 わがままもたくさん言ったし、もっと子どもの頃は兄にするように透に子どもっぽい八つ当たりだって何度もしたことがある。そんな自分のどこを見て好きになってくれたのだろうか。
 ふと透の年齢と子どもの頃の記憶を思い出し、百花はわずかに眉をしかめた。

「でも……透くんって、付き合ってた女の子とかいたよ……ね?」

 百花が小さい頃、つまり透が高校生や大学生の頃は付き合っている彼女のことを耳にしたことがある。九歳も離れているのだから当然というか、むしろそんな小さい頃からと言われたら怖いが、何にしろ透には女性との交際経験があるはずだ。
 責めるのではなく確認のつもりで口にしたのだが、透はなぜかばつの悪そうな顔をした。

「あー……んー……でも、モモと婚約をしてからは誰とも付き合ってない。モモ一筋だって誓う!」
「べ、別に誓ってくれなくても」
「いや、絶対モモだけだから。モモは信用してないみたいだけど、俺一途だからモモのことめちゃくちゃ可愛がるし大事にする。疑うなら証明してみせようか」

 透はそう言うと、繋いで手を引っぱってもう一方の手で百花の腰を引き寄せてしまう。

「な、何!? いきなり」
「そんなに驚かないでよ。仕事もそうだけど、百花にはもう少し婚約者っぽいことも体験してもらわないとね。俺にこうされるのは嫌?」
「い、嫌じゃないけど……なんかドキドキする……」

 ここできっぱり嫌と言えないのが百花で、そのまま近くのベンチに座らされてしまった。

「今日は指輪つけてきてくれたんだな」

 透は百花の手を握り、指先で薬指の指輪をなぞる。触れられているのは指なのに背筋がゾクリとして小さく身体を震わせてしまう。とっさに手を引き抜こうとしたけれど、逆に指を絡ませられ恋人繋ぎにされてしまった。
 夜の公園は外灯の明かりがあると言っても薄暗く、何となく後ろめたくなるような空気だ。

「すごく似合ってる」
「……ありがとう。オ、オフィスではできないから……今日ぐらいと思って」

 やはりもらったものをしまっておくのも失礼だし、昨日一瞬でも透のがっかりした顔を見てしまったから、二人で食事をするときぐらいならかまわないだろうと思ったのだ。でも、これでは結婚を受け入れたことになってしまうのではと急に心配になる。

「そういえば、指輪のこと誰かに話した?」
「え? 友達にってこと?」
「違うよ。おじさんやおばさんに俺から指輪をもらったって話したのかなって」
「……まだだけど」

 自分でも状況がよく飲み込めていないのに、誰かに話してしまったら、誤解を生んでしまいそうだ。でも家同士の付き合いを考えたらいずれは両親に話さなければいけない。透もそのことを心配しているのだろう。

「……言った方がよかった?」
「別にいいよ。焦るつもりはないって言っただろ。モモが報告したいタイミングまで待ってる」
「う、うん」

 透が百花の気持ちが固まるのを待ってくれているのは嬉しいが、やはりこうして透と指を絡ませ合うのはムズムズとして落ち着かない。

「少しずつ恋人らしいことも試していこう」
「恋人らしいこと?」
「そう。こうやって二人で食事に行ったり散歩するなんて、今までとあまり変わらないだろ。だからもう少し恋人らしいことを試してみたくない?」
「も、もぉ……手、繋いでるし」

 相変わらず恋人繋ぎでギュッと握られたままの手を見下ろすと、透が小さく笑う気配がした。

「じゃあ俺に抱きしめられたりするのは? 嫌?」

 さっきと同じ質問の仕方だ。百花が嫌だとは言えないような言い方をするなんてずるい。

「そ、そんなことはないけど……」

 そう返すしかないが、透に抱きしめられる自分なんて想像できない。

「じゃあちょっとだけ試してみようか」

 ――ちょっとだけって、どういうこと? 思わずそう聞き返してしまいそうになった百花の前で、透は繋いでいた手をほどき、百花の方に身体を向け両腕を開いた。

「モモ、おいで」
「は……? い、今!?」
「うん、今。こういうのは思い立ったときに試さないと」

 思い立ったのは透であって百花ではない。それなのに百花から抱きしめられに行かないといけないのはおかしい。しかし目の前で腕を広げられていたらかされているようで、そうしなければいけないような気持ちになってしまう。

「し、失礼します……」

 ボソボソとつぶやき、うつむいたまま透の胸の中にもたれかかった。どんなに頑張っても透のように腕を広げて抱きつくことはできなかった。
 ふわり。腕の中に抱きしめられたとたん、透の腕の中で目覚めたときと同じ香水の香りを胸いっぱい吸い込んでしまう。
 隣に並んでいたときは気づかないぐらいの香りだったのに、この特別な距離のときだけわかるようなわずかなものだった。
 強い香りではないはずなのに、頭がクラクラして、百花はかすかに背筋を震わせる。すると透が気遣うように言った。

「モモ、大丈夫? 怖くない?」
「へ、へーき……」

 そう答えたけれど、実際は心臓が派手に暴れ回り呼吸が浅くなって、うまく息ができない。はぁはぁという自分の呼吸が妙に大きく聞こえて、これではまるで一人で興奮しているみたいだ。

「モモ、顔上げて」

 言われるがままに視線を上げると、思っていたよりも近くに透の顔がある。街頭の灯りの加減で影ができてしまい、表情がよく見えないのが不安な気持ちに拍車をかけた。

「あ、の……」

 もう離れた方がいい。この雰囲気でこの体勢なのだから、いくら男性との交際経験のない百花だって、次に何が来るのかは本能的にわかっていた。
 透はそんな百花の葛藤に気づいているはずなのに、たっぷりと時間をかけて百花を見下ろしたあと、ゆっくりと端正な顔を傾ける。

「……っ」

 顔をそむけなければダメだ。そう頭ではわかっているはずなのに、透とキスをしてみたいという好奇心がうずく。躊躇ちゅうちょしている間に、百花の小さな唇に透のそれが重なっていた。

「……ん」

 触れた瞬間、驚きからわずかに声が漏れる。透の唇は想像していたよりも柔らかくて、それに少しひんやりとしていた。
 透は何度か角度を変えて、ゆっくりと唇や口の端にキスをする。唇と唇を重ねるだけの優しいキスは、まるで子どもに教え込むように一つひとつの仕草が丁寧なのに、甘ったるい。くすぐったいような、もどかしいような、気持ちがいいのに満たされないような切ない気持ちになるキスだった。

「どう?」

 どれぐらいの時間そうしていたのだろう。透の声に意識が現実に戻ってくる。

「……」
「大丈夫?」

 もう一度問いかけられ、百花は子どものようにこっくりと頷いた。
 頭がジンジンとして熱を持っていて、考えがまとまらない。たった今夢から覚めたみたいに頭がぼんやりしていて、終わってみるとよく覚えていなくて、唇の熱さだけが妙に生々しい。
 透は呆けたままの百花に苦笑して、手のひらで優しく頬を撫でた。

「今夜ベッドに入ったら俺とキスしたことを思い出してみて」

 まるで暗示のような言葉に、百花はもう一度うなずくしかなかった。
 実際にこのキスは暗示だったのではないかと、百花は後になってから思ったことがある。
 このとき、百花は透のことをさらに意識する魔法をかけられてしまったのだ。



   2


 透の本気発言から一月ほどが過ぎた。恋人らしいことを試してみようという透の提案で、何度か仕事終わりや休日に食事や買い物に出かけたけれど、特に大きな進展はない。
 最初の提案の時のように手を繋ぐようなことはあっても、あの夜のようにキスをすることやそれ以上のことを求められなかったので、百花はすっかりこの状況に慣れてきてしまった。というか本当にキスをしたのかも疑いたくなってくるぐらい、これまで通りだった。
 そもそも、透が百花を急かしてまで結婚を焦っているとは思えない。
 年齢的には三十二歳で結婚していてもおかしくない年だが、地位もお金もあり容姿端麗でもあるから、その気になればいつでも結婚できると、本人も焦っていないのだろう。
 百花はウエディングフェアの受付カウンターに座りながら、幸せそうなカップルのやりとりを見てそんなことを考えた。
 今日も日曜出勤でウエディングフェアの手伝いに来ているのだが、式場見学に訪れるカップルはみんな幸せそうで、始終ニコニコしながら見つめ合っている。まさに幸せの絶頂という感じだ。
 プランナーさんに言わせると、ここから本格的な式の準備になるとお互いの考えの違いや家の希望などがぶつかり合い、この幸せそうな笑顔が消えてしまうこともあるという。
 ふと受付用紙に記入をしている女性の薬指に光る指輪に目がまる。
 考えてみれば、透と自分も一般的な順番では婚約者としてすでにこのラブラブ状態に達していなければおかしいが、相変わらず兄と妹という空気からは脱していない。
 透に見つめられるとドキドキするが、よく少女漫画に出てくるような恋のときめきというよりは、物理的に近づかれることへのドキドキに似ている気がするのだ。
 恋愛経験がないので判断材料が少女漫画というのも情けないが、透とは漫画のように恋に落ちた気がしない。運命的な出会いとか、忘れられない出来事があればわかりやすいのにと思ってしまう。
 そもそも自分は――透と本当に結婚したいのだろうか。

「うーん」

 考えに入り込みすぎていたせいで、仕事中なのに思わず声が漏れてしまう。ハッとして顔を上げるとお客様が不思議そうな顔で百花を見つめていた。

「あのぅ……記入できました」
「し、失礼いたしました。ご記入ありがとうございます」

 慌てて用紙を受け取り、記入漏れがないか確認する。館内の案内やタイムテーブル、来場の記念品などが入った紙袋を手渡し案内のスタッフに引き継ぐと、その後ろ姿を見つめながらホッと息を漏らした。
 最近は仕事中でもすぐに透のことを考えてしまうが、仕事中はやめようと自分に言い聞かせる。これが正解という答えがないからいつまでも考え続けてしまい、このままでは仕事がおろそかになってしまいそうだ。

「よしっ!」

 百花がカウンターで気合いを入れ直したところで、まるでタイミングを見計らったかのように式場のスタッフが近づいてきた。百花とそう年の変わらない、若手のスタッフだ。

「榊原さん、お疲れさまです。受付変わります」
「え? まだ交代の時間じゃないですよね?」
「いえ、大場さんがすぐに来て欲しいっておっしゃってます。模擬披露宴の花嫁さんが当日キャンセルの連絡をしてきたみたいで」
「ええっ!?」

 思わず大きな声を上げて立ち上がってしまい、近くにいたお客様の注目を集めてしまう。

「し、失礼いたしました……」

 慌てて頭を下げたが、かなりの緊急事態だ。
 今回はウエディング専門誌とのコラボ企画で、花嫁体験として模擬披露宴を一般の方に体験していただくという、広報室主導で進めていたイベントなのだ。
 以前から式場として結婚を控えた一般の方に募集をかけてウエディングドレスやカラードレスで模擬結婚式に参加してもらうというイベントを行っているが、今回は取材も入っている。翠はさぞ慌てていることだろう。

「じゃあとりあえず私行きますね。受付お願いします」

 百花はスタッフに頭を下げて、早足で控え室に向かった。

「翠さん! キャンセルってどういうことですか!」

 部屋に入るなり叫んだ百花に、翠は苦笑いを浮かべる。

「さっき連絡が来たんだけど、モデルさん、おめでたらしいのよ。つわりがひどくてどうしても動けないって」
「そんな……」

 時計を見上げると、模擬披露宴が始まるまではあと二時間ほどだ。代わりを探そうにも、一般公募だからモデルクラブの手配のように代役を探すのは難しいだろう。

「困るのよね~……おめでたはかまわないんだけど、体調不良ならあらかじめ言っておいてもらわないと。素人モデルさんは、たまにこういうことがあるのよ」

 そう言いながら、翠はさして慌てた様子には見えない。百花は模擬披露宴がどうなるのか気が気でないのに、やはり慣れなのだろうか。

「どうするんですか?」

 そう尋ねてから、披露宴とは別のバンケットホールでウエディングドレスのファッションショーが開催されることを思い出す。
 そちらはショーなのでプロのモデルを呼んでいるから、そちらのモデルさんに代役を頼めないだろうか。
 しかし翠は百花の提案に首を横に振った。

「ショーは二回で模擬結婚式はその間の時間だから物理的には可能だけど、契約上それは難しいわ。休憩時間にこちらの都合で働けとは言えないし、モデルクラブの契約って結構うるさいのよ。そもそもお金が発生するから上の許可を取らないとだし」
「じゃあ、今日の模擬披露宴は中止ですか?」
「まさか。スタッフが代理をするしかないわね。私も新人の頃着たことがあるわ。まさか自分の結婚式より先にウエディングドレスを着ることになるとは思わなかったけど。因果な商売よね」

 翠が何かを思い出すように溜息を吐いた。
 確かに、仕事でウエディングドレスを着るのはあまり嬉しくない。もちろん試着のためとか、今回の一般募集のモデルさんのようにすでに婚約していて、自分から希望しての体験なら別だが。

「今日は誰にお願いするんですか?」

 百花の問いに、翠はあっさりと言った。

「そんなの百花ちゃんに決まってるじゃない」
「は……?」
「式場スタッフはみんな役目があって忙しいし、こういうのは若手がやるものなの。まさか三十代子持ちの私に着ろなんて言わないでしょ?」
「そ、そんな……」

 まさか自分に白羽の矢が立つとは思っていなかったから、翠の言葉に一瞬頭が真っ白になる。人前に出るのが特に苦手なわけではないが、未経験の素人がモデルとして多くの人の前に立つ緊張感は、仕事のプレゼンや営業とは訳が違うだろう。

「ほら、時間ないからすぐに控え室行って着付けしてもらいないさい。誰か百花ちゃん連れて行ってあげて」
「で、でも」
「仕事よ、し・ご・と!」

 翠にそう言い切られて、それ以上抵抗することもできず、式場スタッフの案内で着付けのために衣装室に向かうしかなかった。

「じゃあメイクから始めるので、先にメイク落としてくださいね」
「榊原さん、靴のサイズ教えてください。あ、身長も!」
「サンプルの下着を用意したので、こっちに着替えてくださいね~」

 待ち構えていた衣装スタッフに囲まれ、あちこちから声をかけられて初めてのウエディングドレスの感慨にひたる暇もなく支度を進められる。
 すでに模擬披露宴で着るウエディングドレスのデザインは決まっていて、百花の好みではないけれど式場一押しのゴージャスなドレスが運ばれてくる。レースやスワロフスキーが縫い付けられ、丁寧な刺繍も施されていてずっしりとした重みがある。それにトレーンが引きずるほどの長さで、後ろ姿が写真映えしそうなデザインだ。

「あら、似合うじゃない」

 支度を覗きにきた翠が褒めてくれて、百花も思わず笑顔になる。
 花嫁役に指名されたときは正直気が進まなかったが、こうしてドレスを着た自分を見ると何だか気分がウキウキしてしまうから不思議だ。
 写真を撮っておいて、後で透に見せたらどんな顔をするだろう――そう考えて、ドレス姿を両親や兄ではなく、まず透に見せたいと思った自分に気づいて恥ずかしくなった。
 透の発言に戸惑っている顔をしながら、いつの間にか自分だって透にドレス姿を見せて褒めてもらいたいと思っているのだ。
 ――透はどんなドレスが好みだろう。
 今まではそんなことを考えたこともなかったが、もう少し彼の好みにも興味を持った方がいいのかもしれない。いきなり結婚とまではいかなくても、徹が百花の好きなものを把握していて楽しませてくれるのと同じように、百花にも彼に喜んでほしいという気持ちはあるのだ。

「あ、そうだ。新郎は馬淵まぶちくんに頼んだよ」

 すっかり仕事中なのを忘れて透のことを考えていた百花は、翠の言葉にギョッとした。
 考えて見れば模擬披露宴なのだから相手役がいて当然だ。今回キャンセルになったモデルさんは婚約中のカップルだったから、花嫁役が欠席なら当然新郎役も欠席だろう。
 となるとこちらも代理が立つのは当然なのだが、まさか相手が馬淵だとは思わなかった。
 馬淵は百花の二年先輩で、現在は営業部に所属しているからウエディングフェアの手伝いに来ていたのだろう。百花の好みではないが、整った顔立ちと爽やかな笑顔はいかにも営業という感じで、社内の女性たちの間ではちょっとした人気者だ。

「取材も入ってるし、イケメン営業は上手に使わないとね。馬淵くんが応援に来てくれててよかったわ~」

 翠の言葉に噴き出してしまう。転んでもただでは起きないとはこのことで、イケメンはこういうところで使ってやろうという翠の戦略は素晴らしい。
 ただ模擬とはいえ馬淵とカップルの役となると、後で女子社員に羨ましがられそうで、その辺は少し面倒くさそうだ。
 仕事だから仕方がないのだが、広報室の別の男性社員や式場スタッフとか、もう少し当たり障りない人の方が気楽だったのにと思ってしまった。
 やがて模擬披露宴の時間が近づき、ドレスの丈に合わせるために厚底でヒールの高い靴を履かされ、百花はスタッフに介添かいぞえされて控え室を出た。

「歩くときは前に足を蹴り出す感じで歩いてくださいね」

 靴を履いたときそうアドバイスされたが、実際歩き出してみてなるほどとうなずいた。
 ウエディングドレスはとにかく重いから、普通に歩くと生地がもたついて足元にスカートが絡みついてしまうのだ。ゆっくり歩かないと足がもつれてしまいそうで、一歩一歩確かめながら介添えの人たちを従えて歩くのは、さながら花魁おいらん道中みたいだ。

「先輩、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど……」
「何言ってるの! うちで一番良いドレスなんだからちゃんとアピールして!」
「……はーい」

 バンケットホールに向かう途中、写真映えしそうなレプリカの暖炉の前や庭園の入口で立ち止まらされて、来場者向けにアピールさせられた。
 あちこちからスマホのシャッター音が聞こえてきて、百花はぎこちないながらも笑みを浮かべてそれに応じる。階段の途中にドレスの長いトレーンを広げて振り返るように立たされたときは、階段下にたくさんの人が集まってきて、これはさすがに顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。
 たっぷり時間をかけてやっとバンケットホールの入口までたどり着くと、そこには真っ白なタキシード姿の男性の背中が見えた。
 最近のタキシードはシルバー、グレー、ゴールドなど白や黒以外にも様々なバリエーションがあり選べるようになっているが、今日はスタンダードな白らしい。きっと馬淵も百花と同じで衣装のスタッフが出してきたものを着せられたのだろう。
 これから彼と腕を組んで、さらに注目を浴びると考えただけですでにドッと疲れが押し寄せてくる。ドレスを着るのはいいけれど、自分が結婚式をするときはもっと地味に、身内や本当に親しい友人だけを招いたこぢんまりとしたものにしようと心に誓う。
 とりあえず仕事だと割り切って頑張るしかない。百花がそう自分に言い聞かせたときだった。振り返ったタキシード姿の男性の顔を見て息が止まりそうになった。

「と、透くん……!?」

 白いタキシードを身に着けて立っていたのは営業の馬淵ではなく透で、驚きすぎて固まっている百花を見て満足げに微笑んだ。

「どう? 似合う?」
「何で……?」

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