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2章
4話 トシヤさんが着ている浴衣越しに聞き慣れた心臓の音がして私はそっと胸に耳を当てた
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ちいちゃんが私の話をうん、うんって頷きながら聞いてくれたから、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
「葵ちゃん……今私に話してくれた事、全部俊哉さんにぶつけたらいいよ」
「でも……」
うじうじ悩んだりして呆れられないだろうか?
「引かれない?」
「俊哉さんなら大丈夫。頭の中にあることぜーんぶ、ぶちまけて楽になっちゃえ! ね、葵ちゃんそうしてみよう」
「う、うん……」
「別れる、別れないっていうのはそのあとで考えたらいいじゃない? ね、まずは話し合わないと」
「……そうだね……私、トシヤさんとちゃんと話してみる……」
今日のちいちゃんはとっても頼りになる。
半年ぶりに会ったちいちゃんは凄く大人になったみたいだ。
控えめなノックの音がした。トシヤさんが部屋に戻って来たんだ。
心臓がバクバクしてくる。
「じゃあ、葵ちゃん、頑張って」
ちいちゃんは立ち上がると、さっとドアに向かった。
「え? ちいちゃん一緒にいてくれないの?」
「だって、もうすぐ蓮が起きる時間だもん、私、部屋に戻らないと。じゃあね、葵ちゃん、また後でね」
そ、そんなー、つれないよ、ちいちゃん。
助けてよー!
そう、言いたかったけど我慢したよ。
私だっていい歳した大人だからね……。
ちいちゃんが部屋のドアを開けるとお風呂上がりでさっぱりしたトシヤさんが気まずそうな顔をして立っていた。浴衣姿がとてもかっこいい。
こんな時なのに少し見とれてしまう。
ちいちゃんは、すれ違いざまトシヤさんを軽く睨みつけて、
「大体俊哉さんが焦り過ぎなんだって」
と言って去っていった。
「え? ちょっと、ちいちゃん!」
トシヤさんが声をかけても振り向きもせずに行ってしまった。
かわいい顔に似合わず、ちいちゃんは、塩対応の達人の様だ……。
トシヤさんは私の隣に座るとおずおずと切り出した。
「あ、あのさ、葵ちゃん……落ち着いた?」
「さっきは…‥急に泣いたりして、すみませんでした……」
「いや……それはいいんだけど……」
「トシヤさん、わたしっ」
「うん……」
私……。
「うん」
トシヤさんはせかすことなく隣に座っていてくれる。
あー、いやだなぁ。
この人にはかなわない。
私、全然余裕ないもん。
「私……少し限界を感じてます……」
「限界……? え? それって僕との事?」
トシヤさんは不安げな表情で私を見つめた。
こんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「いえ……そうじゃなくて……教師の仕事に……」
「そっか……良かった、じゃなくて、ゴメン。良くない、全然良くないんだけど……仕事の事で悩んでたの?」
「はい……まあ、それだけじゃないけど」
「って葵ちゃん!?」
「主に……仕事です」
トシヤさんはふーっと大きく息を吐くとほっとした様子でほほ笑んだ。
「そっか……仕事か……気が付いてあげられなくてゴメン」
「十二月の中旬、五日間かけて児童の保護者と個人面談をしたじゃないですか。その時に、自分の力不足を痛感しちゃって……」
「何か言われたの……?」
ううん、何も。
私は首を横に振った。
世間ではモンスターだのなんだのって言われてるけどお母さんたちって基本優しいんだ。面と向かって責められるようなことはそうそうない。面談では学習面や家庭での過ごし方の相談をしてくる保護者も多い。でも、私、圧倒的に経験が不足しているから上手く答えることが出来なかった。
皆、必死に子供の事を思っている。私も必死だけどお母さんたちには叶わない。
ああ、叶わないなぁ、って思ったんだ。
もっと気合い入れて頑張らないとって。
でも……ちょっぴり疲れてしまった。
去年はとにかく初めての事ばかりで、日々の業務を夢中でこなしているうちに一年が過ぎた。
でも、今年は周りが見えるようになった分、自分の至らなさが目に付くんだ。
ああ、私、まだまだだなって、悲しくなる。
児童からも、保護者からも絶対的な信頼を得られるほどの経験がないからどうしていいのか分からなくなる。
そう。経験を積むしかないんだけど、こればかりは簡単にできる事じゃなくて……。
こんな事をぐるぐるぐるぐる考えてしまってた。
「葵ちゃん、それはね『二年目の孤独』ってやつだね。」
「二年目の孤独……?」
「そ、初任の時と違って放っておかれる事が多くなるし、研修も減るからね。一人で児童や保護者と対応することが増えるよね。でも、急には上手くいかない。自分の事を冷静に分析できるようにもなって来るし……。今、葵ちゃんはそういう状態。……でもさ、こんな時こそ僕を頼って欲しいな……あれ? 僕じゃ頼りにならない?」
「ううん、違うんです。トシヤさんは、立派な先生だから……ダメなところを知られたくないというか……恥ずかしくて……」
ダメな自分をさらけ出して嫌われたらどうしようって臆病になっていた。
それどころか。
「私達、別れた方がいいんじゃないかって思うようになっちゃって……」
「は? な、なんでそんなことを言うの? 僕は君と別れる気なんてないよ」
だって……。
「だって、トシヤさんは早く子供が欲しいでしょ? 私もそう思っていました。でも、子育ての大変さや難しさを知れば知るほど、無責任なことはできないって思うようになって。私、今は……余裕ないです。自分の事で精一杯。妻やましてや母親になんて到底なれない。……今日だって家族連れを笑顔で眺めているトシヤさんを見ていたら、ああ、この人はいいお父さんになるんだろうなーって自然と思えたんです。でも、今、私と付き合っていたらトシヤさんはお父さんにはなれない。……私、そんなに器用じゃないから、今は教師の仕事に集中したい、結婚も出産も今はまだ考えられない。だから……トシヤさんのために、別れた方がって」
私は一息ににまくし立てた。
想いのすべてをぶつけよう。
トシヤさんは私の両肩をつかむと真剣な目つきで私の顔をのぞき込んだ。
「ち、ちょっと待って葵ちゃん! ゴメン、少し整理しよう。落ち着こう。……そうだよね、葵ちゃんはまだ二十四歳だもんね。そう考えるのは当然だよ。たしかに、ちいちゃんの言う通りだ。僕が焦り過ぎた。でも、言い訳をさせてもらうと、これまで、付き合っていた女性を大切に出来なくて悲しい思いをさせてしまっていたから、葵ちゃんには僕が真剣だってことを伝えたかっただけなんだ。決して急がせたかったわけじゃない。それは、分かって欲しい。焦らなくていいんだ」
トシヤさんは、そう言って私をギュッと抱きしめた。
「トシヤさん……」
抱きしめられて腕の中に閉じ込められる。
「葵ちゃんはそう言うけど、じゃあ、僕が君と別れて誰か別の人と結婚してもいいの? それで葵ちゃんは平気なの?」
……それは、イヤだ。
「イヤだけどっ。」
「ごめんね……意地悪言ったね。……でもこれぐらいは許してよ。ひどいよ、葵ちゃん。……僕が好きなのは君なんだよ。そりゃ、子供は好きだし、いつかは父親になりたいと思っているけど……誰の子供でもいいワケじゃない。……君との子供しか欲しくない。ううん、たとえ僕たちの間に子供が出来なかったとしても……僕は君しか、いらない」
トシヤさんが着ている浴衣越しに聞き慣れた心臓の音がして私はそっと胸に耳を当てた。
ドクンドクンと早鐘を打っているのが分かる。
「ねえ、葵ちゃん」
トシヤさんの声が私の胸に響く。
「あれだけ、毎日囁いているのに、僕の愛は伝わっていなかったんだね。……葵ちゃん、僕は君を支えたいし、いつまでだって待つよ」
トシヤさんは抱きしめる腕を緩めると私をじっと見おろして囁いた。
「分かる? いい加減、気が付いてよ。君が僕に溺愛されているって事」
「葵ちゃん……今私に話してくれた事、全部俊哉さんにぶつけたらいいよ」
「でも……」
うじうじ悩んだりして呆れられないだろうか?
「引かれない?」
「俊哉さんなら大丈夫。頭の中にあることぜーんぶ、ぶちまけて楽になっちゃえ! ね、葵ちゃんそうしてみよう」
「う、うん……」
「別れる、別れないっていうのはそのあとで考えたらいいじゃない? ね、まずは話し合わないと」
「……そうだね……私、トシヤさんとちゃんと話してみる……」
今日のちいちゃんはとっても頼りになる。
半年ぶりに会ったちいちゃんは凄く大人になったみたいだ。
控えめなノックの音がした。トシヤさんが部屋に戻って来たんだ。
心臓がバクバクしてくる。
「じゃあ、葵ちゃん、頑張って」
ちいちゃんは立ち上がると、さっとドアに向かった。
「え? ちいちゃん一緒にいてくれないの?」
「だって、もうすぐ蓮が起きる時間だもん、私、部屋に戻らないと。じゃあね、葵ちゃん、また後でね」
そ、そんなー、つれないよ、ちいちゃん。
助けてよー!
そう、言いたかったけど我慢したよ。
私だっていい歳した大人だからね……。
ちいちゃんが部屋のドアを開けるとお風呂上がりでさっぱりしたトシヤさんが気まずそうな顔をして立っていた。浴衣姿がとてもかっこいい。
こんな時なのに少し見とれてしまう。
ちいちゃんは、すれ違いざまトシヤさんを軽く睨みつけて、
「大体俊哉さんが焦り過ぎなんだって」
と言って去っていった。
「え? ちょっと、ちいちゃん!」
トシヤさんが声をかけても振り向きもせずに行ってしまった。
かわいい顔に似合わず、ちいちゃんは、塩対応の達人の様だ……。
トシヤさんは私の隣に座るとおずおずと切り出した。
「あ、あのさ、葵ちゃん……落ち着いた?」
「さっきは…‥急に泣いたりして、すみませんでした……」
「いや……それはいいんだけど……」
「トシヤさん、わたしっ」
「うん……」
私……。
「うん」
トシヤさんはせかすことなく隣に座っていてくれる。
あー、いやだなぁ。
この人にはかなわない。
私、全然余裕ないもん。
「私……少し限界を感じてます……」
「限界……? え? それって僕との事?」
トシヤさんは不安げな表情で私を見つめた。
こんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「いえ……そうじゃなくて……教師の仕事に……」
「そっか……良かった、じゃなくて、ゴメン。良くない、全然良くないんだけど……仕事の事で悩んでたの?」
「はい……まあ、それだけじゃないけど」
「って葵ちゃん!?」
「主に……仕事です」
トシヤさんはふーっと大きく息を吐くとほっとした様子でほほ笑んだ。
「そっか……仕事か……気が付いてあげられなくてゴメン」
「十二月の中旬、五日間かけて児童の保護者と個人面談をしたじゃないですか。その時に、自分の力不足を痛感しちゃって……」
「何か言われたの……?」
ううん、何も。
私は首を横に振った。
世間ではモンスターだのなんだのって言われてるけどお母さんたちって基本優しいんだ。面と向かって責められるようなことはそうそうない。面談では学習面や家庭での過ごし方の相談をしてくる保護者も多い。でも、私、圧倒的に経験が不足しているから上手く答えることが出来なかった。
皆、必死に子供の事を思っている。私も必死だけどお母さんたちには叶わない。
ああ、叶わないなぁ、って思ったんだ。
もっと気合い入れて頑張らないとって。
でも……ちょっぴり疲れてしまった。
去年はとにかく初めての事ばかりで、日々の業務を夢中でこなしているうちに一年が過ぎた。
でも、今年は周りが見えるようになった分、自分の至らなさが目に付くんだ。
ああ、私、まだまだだなって、悲しくなる。
児童からも、保護者からも絶対的な信頼を得られるほどの経験がないからどうしていいのか分からなくなる。
そう。経験を積むしかないんだけど、こればかりは簡単にできる事じゃなくて……。
こんな事をぐるぐるぐるぐる考えてしまってた。
「葵ちゃん、それはね『二年目の孤独』ってやつだね。」
「二年目の孤独……?」
「そ、初任の時と違って放っておかれる事が多くなるし、研修も減るからね。一人で児童や保護者と対応することが増えるよね。でも、急には上手くいかない。自分の事を冷静に分析できるようにもなって来るし……。今、葵ちゃんはそういう状態。……でもさ、こんな時こそ僕を頼って欲しいな……あれ? 僕じゃ頼りにならない?」
「ううん、違うんです。トシヤさんは、立派な先生だから……ダメなところを知られたくないというか……恥ずかしくて……」
ダメな自分をさらけ出して嫌われたらどうしようって臆病になっていた。
それどころか。
「私達、別れた方がいいんじゃないかって思うようになっちゃって……」
「は? な、なんでそんなことを言うの? 僕は君と別れる気なんてないよ」
だって……。
「だって、トシヤさんは早く子供が欲しいでしょ? 私もそう思っていました。でも、子育ての大変さや難しさを知れば知るほど、無責任なことはできないって思うようになって。私、今は……余裕ないです。自分の事で精一杯。妻やましてや母親になんて到底なれない。……今日だって家族連れを笑顔で眺めているトシヤさんを見ていたら、ああ、この人はいいお父さんになるんだろうなーって自然と思えたんです。でも、今、私と付き合っていたらトシヤさんはお父さんにはなれない。……私、そんなに器用じゃないから、今は教師の仕事に集中したい、結婚も出産も今はまだ考えられない。だから……トシヤさんのために、別れた方がって」
私は一息ににまくし立てた。
想いのすべてをぶつけよう。
トシヤさんは私の両肩をつかむと真剣な目つきで私の顔をのぞき込んだ。
「ち、ちょっと待って葵ちゃん! ゴメン、少し整理しよう。落ち着こう。……そうだよね、葵ちゃんはまだ二十四歳だもんね。そう考えるのは当然だよ。たしかに、ちいちゃんの言う通りだ。僕が焦り過ぎた。でも、言い訳をさせてもらうと、これまで、付き合っていた女性を大切に出来なくて悲しい思いをさせてしまっていたから、葵ちゃんには僕が真剣だってことを伝えたかっただけなんだ。決して急がせたかったわけじゃない。それは、分かって欲しい。焦らなくていいんだ」
トシヤさんは、そう言って私をギュッと抱きしめた。
「トシヤさん……」
抱きしめられて腕の中に閉じ込められる。
「葵ちゃんはそう言うけど、じゃあ、僕が君と別れて誰か別の人と結婚してもいいの? それで葵ちゃんは平気なの?」
……それは、イヤだ。
「イヤだけどっ。」
「ごめんね……意地悪言ったね。……でもこれぐらいは許してよ。ひどいよ、葵ちゃん。……僕が好きなのは君なんだよ。そりゃ、子供は好きだし、いつかは父親になりたいと思っているけど……誰の子供でもいいワケじゃない。……君との子供しか欲しくない。ううん、たとえ僕たちの間に子供が出来なかったとしても……僕は君しか、いらない」
トシヤさんが着ている浴衣越しに聞き慣れた心臓の音がして私はそっと胸に耳を当てた。
ドクンドクンと早鐘を打っているのが分かる。
「ねえ、葵ちゃん」
トシヤさんの声が私の胸に響く。
「あれだけ、毎日囁いているのに、僕の愛は伝わっていなかったんだね。……葵ちゃん、僕は君を支えたいし、いつまでだって待つよ」
トシヤさんは抱きしめる腕を緩めると私をじっと見おろして囁いた。
「分かる? いい加減、気が付いてよ。君が僕に溺愛されているって事」
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