Monoculus モノクルス 戦う神父と魔物の男との禁断の愛

TA-gu

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47話 灰色

暗くて温かい水の中にいるような感覚に、ぼんやりと身を任せていた。

自分が何故ここにいるのかわからず、けれど手も足も何も感じず、動かない。
瞳だけがきょろきょろとしている。
不思議な事に、自身を形成する肉体の存在は感じなかった。
ぼんやりと、何かが見えてくる。

家だ。

小さな、粗末な家だ。

石造りで赤い屋根。
中には小さな暖炉。一番奥にベッドがあって、暖炉の側に、やはり小さいテーブルがあった。
「おはよう」
笑った男の顔は・・・見えない。

流れる川の如く情景は掻き消える。

「今日は・・・パンを一つ手に入れたよ」
誰かが言って、そちらに目をやった。
彼が小さなパンをテーブルの上に置いて、はんぶんこ、と言う。彼の髪は蜂蜜色。
パンを持った手首が細すぎて、心配になる。
「どうして?金はあっただろう?」
先日、子供に勉学を教えた時に得た報酬があった。
それを渡して「何か美味いものを買え」と言ってあった。
なのにどうして?
彼は寂しそうに笑い、「兄弟でもない男が一緒に暮らすのは、異端らしい」と言った。

また、情景は掻き消えた。

窓に揺れる白い花を見る。いつも白い花だ。種類が同じかどうか、そこまではわからない。
「今朝、山で摘んできた」
と彼は言う。
「山は危険だぞ」
「大丈夫だよ」
彼は笑って取り合わない。
「好きなんだよ。この花はね、母がよく飾っていた花だ」
そうか。と答えた。

忘れていた。彼が白い花を好きな理由を。
そして、にっこりと笑う彼の顔は。"あの子"に瓜二つであることを、やっと思い出す。
あの子がある日、言った事も。
山で見つけた、白い花の名前。
「天国に咲く花で、そこでは永久に枯れないんだ」
と。母親に教わったのだと。

情景は遠くなる。手を伸ばすが自分の手は見えない。

置いて逝かないでほしかったのは、自分だった。

傍にいて。


一人にしないで。





どうどうと燃え盛る家の周りを囲むのは、農夫たちだ。

「異端者のせいで、街に病気がきた!」
と誰かが叫んだ。
自分は呆然と家の前で膝をつく。中にはここ最近、体調がよくないと伏せっていた彼が寝ていたのだ。
「立て!!!」
誰かが自分を無理矢理に立たせた。
十字になった磔台。
そこにロープで固定される。
あの蜂蜜色の髪から香る芳しい若葉の香りが、今は燃える盛る家から押し寄せる、焦げ臭さに上書きされていく。

どうしてこんな事になったのか。

自分たちは愛し合っただけだった。
相手が男であっても、女であっても、きっと自分はあの蜂蜜色の髪を選んだろう。
誰にも、迷惑などかけていないのに。
男たちは自分を放置して、燃える家を後にした。

なすすべもなく、燃え落ちる自分の家をただ見ていた。火に飛び込もうともがいたが、ロープは固く切れない。

家は焼け落ちた。原型も留めずに、全てが灰になった。
涙は枯れた。声も出ない。悪夢を見ているように、自分はぼんやりと家だったものの残骸を見つめ続けている。
寝室があった場所にかろうじて残ったのは、錫の皿。彼が好きだった皿にはりんごが盛ってあったはずだ。
ベッドがあった場所。

あの灰が、彼なのだろうか。

「ぐっ、ああ、ぐえええ」
胃から込み上げる吐き気にえずく。苦しい。
パンすら売ってくれない村人。疫病を異端のせいにする者たち。
人を平気で殺す、人間。

憎い。にくい、憎い。すべてが。

腹の底にわだかまる怒りと、絶望。
すべてを壊したい衝動が沸き上がった。

その時「お前は良いよりしろだ」と誰かが言った。

「人を憎め」と。
姿のない霧のような存在が、自分の周りに漂っていた。

自分はずっと、人に関心がなかった。
自分の心を占めていたのはあの蜂蜜色だけだった。
あの蜂蜜色の髪に顔を埋めた時に、自分はやっと人の感情を得たのだと思う。

その彼が死んだ。
世界から色がなくなった。
だから殺してほしい。いっそのこと。彼と同じ場所に、いきたい。

「あの男の魂は私が預かっている。お前は私と混じり合い、私を楽しませてくれ。人間の"愛"というものに興味があるのだ。私が満足すれば──」

「満足すれば?」

「お前は永遠に愛しい者と、一緒にいられる」

その言葉の誘惑に、頷いた。
そうして永遠を手に入れ、こころを失くしたのだ。

どうしてだろう。忘れてしまった記憶の断片をなぜ、今になって自分は見ているのか。

そうか。
私は死んだのか。と思った。

あの蜂蜜色の髪。最後に見たあの子の顔。
悲しそうな顔をしていたろうか。可愛い可愛い、私の。


「ブレンダン、ねぇ、ブレン」


彼が、自分を呼んだ事を思い出した。そうだ。ブレンと呼ばれる事は、好きだった。
忘れていた。ずっと。

「ダニエル」

蜂蜜色の髪をした彼は、呼び返すと嬉しそうに笑った。
あなたのものにして。愛してる。そう言ったあの子と、同じ顔。
ダニエルとウィリアムは、同じ顔をしていた。

気ままに助けたみすぼらしい男の子。だが面影があったのだ。
自分がうんと昔、まだ人だった頃に愛した男の。
大きくなるにつれ、ウィリアムはダニーとそっくりになった。
手を出すのに躊躇した。だからなおさら他の人間を利用した。
ウィリアムが泣いてすがった時、ようやく彼を手に入れた。手に入れた途端に怖くなった。だから蓋をした。

ウィリアムを怪物にしたのは、永遠を夢見ていたからだ。
もし?もし彼が自分への愛を貫き、自分の元に戻ったなら?

けれどその反面、怖かった。自分は誰も愛したくない。自分にとって、ウィリアムの存在が恐怖だった。

自分が愛さなければ、ダニーが死ぬことはなかったのだ。


あぁ羨ましい。なんの躊躇もなくウィリアムに寄り添った男が、よりにもよって自分と瓜二つだなどと。

体の感覚がない。闇の中だ。
いいだろう。自分はとうに、死んでいる。
だからこのまま、消えてしまってもかまわない。

『生きたいか?』

と、誰かに聞かれたような気がした。

「いいや、もういい」

『そのまま死ぬか?』

「そうだな、お前だって十分に楽しんだはずだ」

『まだ足りないな』

「我儘を言うな・・・俺はもう、疲れたんだ」

せめて、ダニエルにもう一度会えれば良かったが。

ダニエルに似たウィリアム。あの子はまだ生き続けるのだろうか。
ギルバートとウィリアムの姿に、過去の自分たちを重ねる。

ダニエルは誰も恨まないだろう。彼は心の優しい男だったから。
なら、自分も。

『ブレンダン』

意識が遠い。呼びかけに答えたくない。










ブレン


ブレンダンが最後に思い浮かべたのは、愛しい男の顔だった。
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