『公爵令嬢には、見えざるものが見える。話せる。殴れる。 話が通じないなら、へなへなぱーんち!』

しおしお

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第34話 新しい生活

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第34話 新しい生活

朝。

屋敷に、
久しぶりに
規則正しい音が戻っていた。

鍋の蓋が閉まる音。
廊下を歩く足音。
窓を開ける気配。

アヴァンシアは、
自室のベッドに腰掛け、
その音を聞いていた。

(……生きている家、ですわね)

『……うん』

『静かすぎない』

それが、
どれほど大切なことか。

かつての屋敷は、
静かだった。

だがそれは――
生きていない静けさだった。

「お嬢様」

控えめなノック。

「朝食の準備が
整いました」

「……ええ、
すぐに参ります」

食堂へ向かう。

テーブルは、
質素だが清潔。

使用人たちが、
必要以上に距離を取らず、
だが馴れ馴れしすぎることもなく
動いている。

(……いい距離感ですわ)

執事が、
静かに告げる。

「本日は、
屋敷の状況整理を
優先いたします」

「修繕が必要な箇所、
危険な部屋の封鎖」

「人手でできる部分と、
様子を見る部分を
分けたいかと」

アヴァンシアは、
頷いた。

「お願いします」

「……ただし」

視線を上げる。

「無理に
“清めよう”とは
しないでください」

使用人たちが、
一瞬、
戸惑う。

「いるものは、
います」

「追い出すべきものと、
共にいてよいものを
区別するだけですわ」

『……主、
慣れてきたね』

「……経験、
積みましたから」

午前中。

屋敷の点検が進む。

床が抜けそうな部屋。
扉が歪んだ倉庫。
使われていない塔の一室。

アヴァンシアは、
同行しなかった。

“見る必要がない”場所まで、
無理に踏み込まない。

それが、
今のやり方。

『……今日は、
殴らないの?』

「……今日は、
必要ありませんわ」

必要な時だけ、
拳は振るう。

それ以外は――
静観。

昼。

簡単な食事を取りながら、
使用人の一人が
恐る恐る口を開く。

「……お嬢様」

「夜、
少し物音が……」

「ええ」

アヴァンシアは、
あっさり答える。

「いますわ」

一瞬、
場が凍る。

だが、
すぐに続けた。

「ですが、
危害はありません」

「むしろ――
見張りです」

使用人は、
目を瞬かせた。

「……見張り?」

「不用意に
悪いものが
入り込まないように」

『……そうそう』

「……仕事熱心ですの」

その言い方が、
あまりに自然で。

使用人たちは、
拍子抜けしたように
肩の力を抜いた。

午後。

庭に出る。

草は、
まだ多い。

だが――
踏み入れた瞬間、
風が通った。

(……戻り始めています)

見えざる者たちが、
あちこちで
忙しそうに動いている。

『……久しぶりだね、
この感じ』

「……ええ」

家は、
人と見えざるものが
共に使ってこそ
成り立つ。

夜。

灯りが、
一つずつ消えていく。

アヴァンシアは、
書斎に残り、
簡単な帳面をつけていた。

修繕予定。
食料。
人員。

――生活の記録。

(……公爵令嬢の
暮らしでは、
ありませんわね)

だが。

それでいい。

『……疲れた?』

「……少し」

微笑む。

「でも」

ペンを置く。

「……安心しています」

誰にも追い出されない。
誰も、
“気味が悪い”と
言わない。

ここでは――
それが、
普通。

アヴァンシアは、
窓の外を見る。

夜の屋敷。

暗いが、
冷たくはない。

「……新しい生活、ですわ」

見えざる者たちが、
静かに同意した。

この日。

屋敷は、
住処に戻った。

完全ではない。

だが――
確実に、
前へ進み始めていた。


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