婚約破棄破棄されたので流行らない喫茶店をはじめました

しおしお

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第5章

26話 新たな依頼と終わらない波乱

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26話 新たな依頼と終わらない波乱

晩餐会が終わり、王宮の喧騒が遠ざかった頃。

雪乃は、ようやく解放されたような気分で王宮の回廊を歩いていた。
背筋を伸ばし、優雅な歩調を保ちながらも、内心では全力でため息をついている。

(……終わった……。やっと終わった……)

足の裏から、どっと疲労が湧き上がってくる。
笑顔を貼り付け、視線を受け止め、失敗を許されない空間に立ち続ける――
それは、雪乃にとって最も苦手な種類の“労働”だった。

(これで、あとは帰るだけ……)

そう思った、そのとき。

「――少し、よろしいかな」

背後から、落ち着いた声がかけられた。

雪乃の肩が、わずかに跳ねる。

(……いやな予感)

振り返ると、そこに立っていたのは、王族の一人だった。
年齢は壮年、威厳と柔和さを併せ持つ人物で、周囲の侍従たちも一歩距離を取っている。

「は、はい……」

雪乃は即座に頭を下げ、店主としての仮面を貼り直した。

「本日のスイーツ、大変見事だった」

「恐れ入ります」

「味もさることながら、場の空気を乱さぬ配慮……あれは容易ではない」

(見られてた……)

雪乃は内心で呻いた。

「そこでだ」

王族は、穏やかに、しかし逃げ場のない声で続ける。

「王宮専属のパティシエとして、迎えたいと考えている」

「……え?」

一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

「せ、専属……?」

(せ・ん・ぞ・く……?)

頭の中で、その言葉を反芻した瞬間、雪乃の脳内に警報が鳴り響く。

(毎日王宮!?
決まった時間に出勤!?
気まぐれ休業、不可!?)

(――絶対無理!!)

だが、表情には出せない。

雪乃は、あくまで優雅に微笑んだ。

「恐れ入りますが……」

言葉を選び、慎重に口を開く。

「私は、自身の店を気ままに営むことを何より大切にしております」

「決まった場所に縛られる生き方は、私の本意ではございません」

王族は一瞬驚いたように目を瞬かせ、やがて静かに笑った。

「なるほど……自由を尊ぶ、と」

「はい」

(本音は“働きたくない”だけだけど)

もちろん、そんなことは口にしない。

「残念だが……その覚悟、嫌いではない」

王族は深く追及することなく、あっさりと引き下がった。

「機会があれば、また力を借りたい」

「……光栄です」

そうして、ようやく本当に解放された。

◆ ◆ ◆

夜も更け、雪乃は王宮を後にした。

馬車の中で、どっと力が抜ける。

「……つ、疲れた……」

ドレスの裾を気にも留めず、座席にもたれかかった。

(でも……)

(断れた……!)

専属パティシエという、最悪の未来は回避した。
それだけでも、今日は勝利だ。

(これで、次はない……はず)

喫茶店「雪の庭」に戻ると、忍と弥生が待っていた。

「おかえりなさいませ。ご無事でなによりです」

「お嬢様、王女らしさ……漏れてませんでしたか?」

「も、漏れてないわよ!
……たぶん!」

雪乃はドレスを脱ぐように椅子に腰を下ろし、
カウンターに用意されていた紅茶を一気に口に運んだ。

「……ああ……生き返る……」

店内の静けさが、心に染み渡る。

(やっぱり、ここが一番……)

そう思った、その瞬間だった。

――コンコン。

扉を叩く音。

三人の動きが、同時に止まる。

「……この時間に?」

忍が警戒しつつ扉を開ける。

そこに立っていたのは、見覚えのある人物だった。

「失礼いたします。
本日、晩餐会にお仕えしておりました侍従です」

雪乃の背中に、冷たい汗が流れる。

(……まさか)

「雪乃店主様」

侍従は深々と頭を下げた。

「本日のスイーツが王宮で大変好評でして」

「……はい」

「次回の催しでも、ぜひご提供をお願いしたいとのことです」

「……へ?」

頭の中が、真っ白になった。

「お、お断り……できないのですか……?」

雪乃の声は、かすれていた。

「王宮からの“要請”ですので……」

侍従は申し訳なさそうに言い、再び頭を下げて去っていく。

扉が閉まり、静寂が戻る。

雪乃は、その場でカウンターに突っ伏した。

「やだぁぁ……」

「また……働かされる……」

忍と弥生は、顔を見合わせる。

「お嬢様、次回はさらに華やかなスイーツが必要ですね」

「マカロンを改良した新作も、考えておきましょうか」

「ちょっと!?
まだ受けるなんて言ってないわよ!?」

だが、二人は静かに微笑むだけだった。

「お嬢様は、断れませんから」

「……それは、そうだけど!!」

雪乃は涙目で紅茶をすすりながら、天井を仰いだ。

「どうして私の“ひっそり喫茶店ライフ”は、
こんなに波乱万丈なのかしら……」

忍が、ぽつりと呟く。

「お嬢様の魅力が、強すぎるせいでしょう」

「どこがよ!?」

弥生は穏やかに笑いながら、静かに言った。

「でも、お嬢様。
どんな波乱が来ても、私たちが支えますから」

その言葉に、雪乃は少しだけ、肩の力を抜いた。

「……ありがとう」

とはいえ――
次の王宮依頼を思い出した瞬間、胃がきゅっと痛む。

喫茶店「雪の庭」の平穏は、
今日もまた、遠のいていった。

だが、紅茶の香りだけは、変わらずそこにあった。
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