『有能すぎる王太子秘書官、馬鹿がいいと言われ婚約破棄されましたが、国を賢者にして去ります』

しおしお

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第17話 逃げる決断

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第17話 逃げる決断

 夜更けのローウェン侯爵家は、静まり返っていた。

 燭台の灯りの下、
 アヴェンタドールは一通の手紙を書いている。

 宛名は――隣国、ヒュンダイ・ダイナスティ帝国。

 かつて、王宮の業務を通じてやり取りした書記官。
 表向きは事務的な交流。
 だが、その実力は、彼女が最もよく理解している。

(……回りくどい挨拶は、不要ですわね)

 ペンを走らせる。

> ローゼリア王国にて、
政策立案および行政調整を担当しておりました。
現在、王宮を離れ、次の進路を検討しております。

もし、帝国にて私の能力が必要とされるのであれば、
一度、お話の機会を頂けますでしょうか。



 簡潔で、虚飾のない文章。

 それは、
 自分の価値を正確に理解している者の書き方だった。

 手紙を封じた瞬間、
 胸の奥に、微かな痛みが走る。

(……逃げているわけではありません)

 自分に言い聞かせる。

(生き残るための、選択です)

 翌日。

 王都の空気は、さらに重くなっていた。

「王太子殿下が、再婚約を申し入れたそうだ」 「断られたとか……」

 噂は、すぐに広がる。

 アヴェンタドールは、それを聞いても表情を変えなかった。

(当然ですわ)

 あの申し出に、応じる理由は一つもない。

 だが――。

「……第2王子殿下も、動いているらしい」

 その一言に、足が止まる。

(やはり)

 拒絶された人間ほど、危険なものはない。

 その夜。

 屋敷の応接室で、
 アヴェンタドールは父、ローウェン侯爵と向き合っていた。

「……隣国へ、行きたいと?」

「ええ」

 即答だった。

「このまま王都に留まれば、
 政治闘争に巻き込まれます」

 侯爵は、しばらく黙って娘を見つめていた。

「王太子からの再婚約も、
 第2王子からの接触も、断ったのだな」

「はい」

「……賢明だ」

 重い溜息。

「この国は、今、危険だ」

 父は、静かに言った。

「お前は、有能すぎる」

 その言葉に、アヴェンタドールはわずかに苦笑する。

「それは、褒め言葉として受け取ってよろしいですか?」

「もちろんだ」

 侯爵は、はっきりと頷いた。

「だが、その有能さを、
 正しく扱える者が、この国にはいない」

 沈黙。

「……行け」

 父は、決断した。

「お前の人生は、お前のものだ」

 その言葉に、胸が熱くなる。

「ありがとうございます、父上」

 数日後。

 一通の返書が、帝国から届いた。

 封を切った瞬間、
 アヴェンタドールの目が、わずかに見開かれる。

> 貴女の経歴と実績に、強い関心を抱いております。
ぜひ一度、帝都へお越しください。

ヒュンダイ・ダイナスティ皇帝陛下も、
直接お話ししたいと申しております。



(……皇帝陛下、直々に?)

 予想以上の反応だった。

 同時に、理解する。

(戻れないわね、これは)

 その夜。

 アヴェンタドールは、最低限の荷物をまとめていた。

 派手な装飾品は持たない。
 必要なのは、知識と経験だけ。

(……本当に、行くのですね)

 馬車の手配は、静かに進められた。

 誰にも告げず、
 だが、確実に。

 出発の朝。

 屋敷の門を出る前、
 彼女は一度だけ、王都の方角を振り返る。

(さようなら、ローゼリア王国)

(私は――)

 あなたたちの“切り札”には、なりませんわ

 馬車が、動き出す。

 その頃。

 王宮では、
 二人の王子が、それぞれ別の思惑で動いていた。

 一人は、
 「取り戻す」ために。

 もう一人は、
 「排除する」ために。

 だが、そのどちらも、
 アヴェンタドールを、すでに失っていることに――
 まだ、気づいていなかった。


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