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第1話:フラット侯爵家の恥”
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“フラット侯爵家の恥”
――胸の大きさで人生が決まるなんて、そんな理不尽が本当にあるのだろうか。
そんな問いを、シンディ・フラットは今日も胸の内にそっと押し込みながら、侯爵家の長い回廊を歩いていた。
フラット侯爵家は、王都の中でも歴史ある名家だ。けれども、その空気は決して温かくはなかった。
重厚な壁にかけられた祖先の肖像画たちは誇り高く、代々受け継がれた家の格式を物語っている。
だが、その格式の中に、シンディ自身は含まれていない――そんな感覚が、彼女の胸の奥にじわりと広がっていく。
そして、いつも通り、聞き慣れた声が背中を刺した。
「ちょっと、シンディ。そこに突っ立ってどうしたの?」
振り返れば、義母であるフラット侯爵夫人・メリッサが、豊かな胸をこれ見よがしに持ち上げるような姿勢で立っていた。その横には、同じく胸元を強調した義姉アンジェリカが、つまらなさそうに爪を磨いている。
「……申し訳ありません、侯爵夫人。すぐにどきます」
「まったく。あなたは動きがとろいのよ。胸もなければ気品もない。どうしてあなたのような子がこの家の“娘”でいられるのか、本当に不思議だわ」
メリッサの冷たい声は、耳ではなく心を叩いた。
その言葉に反論する気力など、シンディにはとっくに残っていない。
――胸がないだけで、どうしてここまで言われなければならないの?
俯いた視線の先、絞られたウエストと反比例するように、控えめすぎる胸元がわずかに揺れる。
自分でもわかっている。
この国で“胸が豊かなことが女性の美徳”とされている以上、シンディは最下層の評価に甘んじているのだ、と。
「母様、もう放っておけば? どうせ今日の舞踏会にも出られないんだから」
アンジェリカはあからさまに見下した視線を送りつつ、胸元をドレス越しに押し上げた。
昼間だというのに、その胸元は眩しいほど主張が強い。
「そうね。王子殿下は、"胸の美しい女性を未来の妃に" とお考えらしいし。あなたみたいな平らな胸の令嬢が参加すれば、フラット家が笑いものになるだけだわ」
「……はい」
反論しないのは、従順だからではない。
反論すれば、もっとひどい言葉が返ってくると知っているから。
胸元を手でぎゅっと押さえながら、シンディは廊下の端へ身を寄せた。
義母と義姉は満足げに通り過ぎ、その後から香水の匂いだけが残る。
シンディは深く息を吐いた。
吐く息が小さく震えていた。
――胸さえあれば。
――胸さえ母様のように豊かであれば。
亡き母の肖像画が、廊下の先に静かに飾られている。
柔らかいウェーブの金髪。
優しげな青い瞳。
そして、美しいドレスに映える曲線豊かな胸元。
肖像画の中の母は、完璧だった。
フラット侯爵家の誇りであり、社交界の華と呼ばれていた女性。
「どうして……どうして私は母様のように育たなかったの……?」
思わず漏らした声は、誰にも届かないほど小さかった。
この国では、女性の価値の大半が“胸の大きさ”で判断される。
美しい胸は女神の祝福であり、豊かさ、母性、魅力、家の繁栄――すべてを象徴するとされていた。
逆に控えめな胸は“不吉”とされ、結婚や社交にも不利とされる。
だからこそ、シンディの胸は、ただの身体的特徴ではなく──
彼女の人生そのものを縛る“烙印”になっていた。
「シンディ」
思わず背筋が伸びた。
声の主は、フラット侯爵――彼女の父だった。
「……お父様」
優しい表情を見せるでもなく、怒りをにじませるでもなく、ただ淡々とした視線。
娘を見る目ではなく、“家の問題”を見る目。
「今夜の舞踏会には……来るな。いいな」
シンディは言葉を失った。
「しかし、お父様。私は、公爵令嬢として出席すべきで……」
「お前の胸では、フラット家の品位に関わる」
その一言が、心臓を握り潰すように響いた。
「そ、そんな……」
「理解しろ、シンディ。これは家のためだ。メリッサの言うとおり、お前は控えていろ」
父はそれだけ言うと去っていった。
娘の涙に気づくこともなく。
いや、気づいたとしても――見ないふりをしたのだろう。
ぽたり──
一滴、涙が床に落ちた。
「……どうして、私は生まれつき、こんな……」
胸を両手で抱きしめる。
人は心を抱きしめるとき、胸元を抑えるものだと知ったのは、数日前のことだった。
胸が貧しいからと言って心まで貧しいわけではない。
そんな当たり前のことが、この家では通用しない。
胸がすべて。
胸が象徴。
胸が未来を決める。
そんな世界で、シンディは今日も、小さく、小さく生きている。
「……母様、助けて」
誰にも聞こえない声だった。
けれど、それが“奇跡の始まり”になることを、シンディはまだ知らない。
――胸の大きさで人生が決まるなんて、そんな理不尽が本当にあるのだろうか。
そんな問いを、シンディ・フラットは今日も胸の内にそっと押し込みながら、侯爵家の長い回廊を歩いていた。
フラット侯爵家は、王都の中でも歴史ある名家だ。けれども、その空気は決して温かくはなかった。
重厚な壁にかけられた祖先の肖像画たちは誇り高く、代々受け継がれた家の格式を物語っている。
だが、その格式の中に、シンディ自身は含まれていない――そんな感覚が、彼女の胸の奥にじわりと広がっていく。
そして、いつも通り、聞き慣れた声が背中を刺した。
「ちょっと、シンディ。そこに突っ立ってどうしたの?」
振り返れば、義母であるフラット侯爵夫人・メリッサが、豊かな胸をこれ見よがしに持ち上げるような姿勢で立っていた。その横には、同じく胸元を強調した義姉アンジェリカが、つまらなさそうに爪を磨いている。
「……申し訳ありません、侯爵夫人。すぐにどきます」
「まったく。あなたは動きがとろいのよ。胸もなければ気品もない。どうしてあなたのような子がこの家の“娘”でいられるのか、本当に不思議だわ」
メリッサの冷たい声は、耳ではなく心を叩いた。
その言葉に反論する気力など、シンディにはとっくに残っていない。
――胸がないだけで、どうしてここまで言われなければならないの?
俯いた視線の先、絞られたウエストと反比例するように、控えめすぎる胸元がわずかに揺れる。
自分でもわかっている。
この国で“胸が豊かなことが女性の美徳”とされている以上、シンディは最下層の評価に甘んじているのだ、と。
「母様、もう放っておけば? どうせ今日の舞踏会にも出られないんだから」
アンジェリカはあからさまに見下した視線を送りつつ、胸元をドレス越しに押し上げた。
昼間だというのに、その胸元は眩しいほど主張が強い。
「そうね。王子殿下は、"胸の美しい女性を未来の妃に" とお考えらしいし。あなたみたいな平らな胸の令嬢が参加すれば、フラット家が笑いものになるだけだわ」
「……はい」
反論しないのは、従順だからではない。
反論すれば、もっとひどい言葉が返ってくると知っているから。
胸元を手でぎゅっと押さえながら、シンディは廊下の端へ身を寄せた。
義母と義姉は満足げに通り過ぎ、その後から香水の匂いだけが残る。
シンディは深く息を吐いた。
吐く息が小さく震えていた。
――胸さえあれば。
――胸さえ母様のように豊かであれば。
亡き母の肖像画が、廊下の先に静かに飾られている。
柔らかいウェーブの金髪。
優しげな青い瞳。
そして、美しいドレスに映える曲線豊かな胸元。
肖像画の中の母は、完璧だった。
フラット侯爵家の誇りであり、社交界の華と呼ばれていた女性。
「どうして……どうして私は母様のように育たなかったの……?」
思わず漏らした声は、誰にも届かないほど小さかった。
この国では、女性の価値の大半が“胸の大きさ”で判断される。
美しい胸は女神の祝福であり、豊かさ、母性、魅力、家の繁栄――すべてを象徴するとされていた。
逆に控えめな胸は“不吉”とされ、結婚や社交にも不利とされる。
だからこそ、シンディの胸は、ただの身体的特徴ではなく──
彼女の人生そのものを縛る“烙印”になっていた。
「シンディ」
思わず背筋が伸びた。
声の主は、フラット侯爵――彼女の父だった。
「……お父様」
優しい表情を見せるでもなく、怒りをにじませるでもなく、ただ淡々とした視線。
娘を見る目ではなく、“家の問題”を見る目。
「今夜の舞踏会には……来るな。いいな」
シンディは言葉を失った。
「しかし、お父様。私は、公爵令嬢として出席すべきで……」
「お前の胸では、フラット家の品位に関わる」
その一言が、心臓を握り潰すように響いた。
「そ、そんな……」
「理解しろ、シンディ。これは家のためだ。メリッサの言うとおり、お前は控えていろ」
父はそれだけ言うと去っていった。
娘の涙に気づくこともなく。
いや、気づいたとしても――見ないふりをしたのだろう。
ぽたり──
一滴、涙が床に落ちた。
「……どうして、私は生まれつき、こんな……」
胸を両手で抱きしめる。
人は心を抱きしめるとき、胸元を抑えるものだと知ったのは、数日前のことだった。
胸が貧しいからと言って心まで貧しいわけではない。
そんな当たり前のことが、この家では通用しない。
胸がすべて。
胸が象徴。
胸が未来を決める。
そんな世界で、シンディは今日も、小さく、小さく生きている。
「……母様、助けて」
誰にも聞こえない声だった。
けれど、それが“奇跡の始まり”になることを、シンディはまだ知らない。
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