12 / 30
12 最初の夜の違和感
しおりを挟む
12 最初の夜の違和感
カトリーヌがロシュフォール公爵家へ正式に迎えられたのは、初夏の気配が濃くなり始めた頃だった。
婚約が整ってからは早かった。
ロシュフォール家は家格の高さに見合う華やかな手順で話を進め、ランベール侯爵家もまた、それに見劣りせぬよう必死に体裁を整えた。社交界では「公開婚約破棄のあとに、妹が正式な婚約者となった」という刺激的な話題性もあって、当初のざわつきは次第に“新しい恋の成就”という形へ塗り替えられつつあった。
もちろん、そう見たがる者たちの中でだけ、だが。
フィオレッタは、その一連の流れを少し離れた場所から見ていた。
義妹は望んだものを手に入れた。
近くにいられる公爵令息。
見知った社交界。
異国へ渡らずに済む未来。
甘く守ってくれそうな男。
少なくとも表向きには、すべて望み通りだった。
ロシュフォール家へ輿入れする朝、カトリーヌはひどく美しかった。
淡い象牙色のドレスに身を包み、白い花を編み込んだ髪はやわらかく肩に落ち、頬は緊張と高揚でほんのり紅潮している。いかにも幸福な花嫁という姿だ。
義母は何度も目元を押さえ、父は父で、侯爵家の娘として恥のないようにと厳粛な顔を作っていた。
フィオレッタは玄関広間で、その様子を静かに見ていた。
「お姉様」
出立直前、カトリーヌが振り返る。
瞳は潤み、しかし口元は幸福にほどけていた。
「今まで……ありがとうございました」
その言葉が本心かどうかは、もはや重要ではなかった。
フィオレッタはただ穏やかに答える。
「お幸せに」
カトリーヌは一瞬だけ目を見開いた。
たぶん、もっと棘のある返事を予想していたのだろう。
だがフィオレッタには、いまさらここで何かを刺し返す気はなかった。刺したところで過去は戻らないし、義妹が望んだものを手にした事実も消えない。
ならばもう、あとはその先を見ればいいだけだ。
馬車が門を出ていく。
義母は小さくすすり泣き、父は「大げさにするな」と言いながらも、どこか安堵したような顔をしていた。
ひとつ片づいたのだ、この家にとって。
フィオレッタはその様子を見ながら、胸の内で静かに思う。
片づいた、ね。
家にとってはそうなのだろう。だが人の人生は、片づいたからといって綺麗に収まるものではない。
その日の夜、ロシュフォール公爵家では小規模ながら華やかな祝宴が開かれたらしい。
フィオレッタがその様子を直接見ることはない。けれど翌日には、使用人を通じて、社交界を通じて、断片的な話がいくつも流れ込んできた。
ギルベルトは終始機嫌が良かったこと。
花嫁姿のカトリーヌを「自分の選んだ娘」として誇らしげに扱っていたこと。
若い貴族たちは、真実の愛の勝利だなどと軽口を叩いていたこと。
義母はその話を聞いて大いに満足した様子だった。
「やっぱり、あの子にはあちらが合っていたのだわ」
昼食の席でそう言った義母に、父も否定はしなかった。
フィオレッタは黙って茶器を置いただけだ。
本当にそうかしら、と胸の中でだけ思う。
合っていたのか。
それとも、気分よく酔っているだけなのか。
その答えが出るには、まだ早い。
だが、思ったより早く最初の違和感は届いた。
三日後の午後だった。
義母付きの侍女が、やや青ざめた顔で屋敷内を急いでいるのをエマが見つけ、その後すぐ、義母が慌てて私室へ引きこもったという話が広がった。
何事かと屋敷の空気がざわつく中、夕刻になって、カトリーヌ付きだった元侍女の一人がこっそりエマを訪ねてきた。
その侍女は、ロシュフォール家へ同行はしていない。婚約後の身の回りは向こうで整えるという話になり、侯爵家からの侍女は最低限しか連れていかなかったからだ。だが元主人のことが気になっていたのだろう。
「どうしたの?」
フィオレッタが直接尋ねると、侍女はひどく言いづらそうに視線を伏せた。
「ロシュフォール公爵家の使用人筋から……少し妙なお話が」
妙。
その一言で、フィオレッタの胸の内に小さな警戒が走る。
「どんな話」
「それが……はっきりしたことではないのです。ただ、カトリーヌ様が初日の夜から少しお加減を崩されたと」
エマが眉をひそめる。
「加減を?」
「はい。お部屋から出てこられず、朝のお支度にも遅れがちで、食事もあまり召し上がっていないと……」
フィオレッタはしばらく黙っていた。
花嫁が環境の変化で疲れることはある。緊張もするだろう。慣れぬ屋敷、慣れぬ人間関係、婚儀の後の気疲れ。どれを取ってもおかしくはない。
だが、なぜそんな話で義母が青ざめるのか。
なぜ使用人たちがわざわざ“妙だ”と囁くのか。
「他には?」
侍女はますます困った顔になる。
「……ギルベルト様が、花嫁様をとても大事になさっている、とも」
「それは普通のことではなくて?」
「いえ、普通なら……」
言い淀む。
フィオレッタはその先を察した。
「外へ出さないのね」
侍女がはっと顔を上げた。
「お嬢様……」
「違うの?」
「……ロシュフォール家の奥向きで、“花嫁様はしばらく静養が必要だから人前へあまり出さぬように”というお達しがあったそうです」
エマがきゅっと唇を引き結ぶ。
フィオレッタはゆっくり息を吐いた。
それだけではまだ断定できない。だが、嫌な輪郭は見え始めている。
ギルベルト・ド・ロシュフォールは、守るという言葉が好きな男だ。
だが彼の言う“守る”は、相手を尊重することではなく、自分の手の中に置くことに近い。
婚約中、フィオレッタがそれを露骨に感じることは少なかった。彼女には隙がなく、必要以上に甘えも頼りもしなかったからだ。彼にとっては、少し物足りなくても支配欲を刺激される相手ではなかったのだろう。
だが、カトリーヌは違う。
可憐で、頼ってきて、守ってほしい顔をする。
そういう相手を手に入れたギルベルトが、そこで止まる男だろうか。
「お義母様は、その話をご存じなのね」
フィオレッタが侍女に問うと、相手はこくりとうなずいた。
「先ほど……それとなく伝わったようで」
「そう」
義母は今ごろ混乱しているに違いない。娘は望み通りの結婚をしたはず。皆に羨まれる婚約者を手に入れ、華やかな公爵家へ嫁いだ。なのに、初日から“静養が必要”だの“外へ出さぬように”だのという話が聞こえてくる。
それが単なる疲れならいい。
だが、そうでなかったら。
「お嬢様」
エマが小さく言う。
「まさか……」
「まだ何もわからないわ」
フィオレッタはそう答えた。
だが本当は、何もわからないわけではなかった。
わからないのは程度だけだ。
方向は、ひどく嫌なほうへ向かっている気がした。
その夜、義母は夕食の席にも現れなかった。父は苛立った様子で「また体調か」と言ったが、使用人の間に流れる空気はそれだけではないと告げていた。
カトリーヌからの正式な便りは、まだ届かない。
普通なら、嫁いで数日もすれば実家へ形式的な無事の報せくらい送るものだ。とくに義母があれほど娘離れできていないのだから、なおさら早いはずだった。
なのに何もない。
その沈黙が、かえって不気味だった。
フィオレッタは自室へ戻ると、窓辺に立って夜の庭を見た。
風はなく、木々の影だけが静かに揺れている。
幸福を手にしたはずの妹。
愛されることの幸福を知るのだと、自分に言い聞かせるように言っていた妹。
その最初の夜に、すでに違和感が生まれている。
それは同情ではなかった。
まして喜びでもない。
ただ、避けようのない予感だった。
欲しがって奪ったものほど、実際に手にした瞬間から形を変えることがある。しかも相手がギルベルトのような男なら、なおさらだ。
数日後、ようやくカトリーヌから短い便りが届いた。
義母宛のもので、文面は驚くほど整っていた。
ロシュフォール家の皆様はお優しく、屋敷は立派で、少し疲れただけですぐに回復したこと。ギルベルト様は自分をとても気にかけてくださっていること。心配はいらないこと。
どこにも非の打ち所のない、花嫁の手紙だった。
だが、義母はそれを読み終えたあとも顔色を戻さなかった。
「どうして?」
夕暮れ時、廊下の角でそう呟いた義母の声を、フィオレッタはたまたま聞いてしまった。
「どうしてこんなに、きちんとしすぎているの……」
その違和感は、フィオレッタにもわかった。
カトリーヌはもともと、こういう“きちんとした安心”を書く娘ではない。もっと甘く、もっと感情的で、自分がどれだけ幸せかを飾りたがるはずだ。
なのに届いた手紙は、まるで人に読まれることを前提に整えられた報告書のようだった。
つまり――
誰かの目を気にして書いたのだ。
あるいは、誰かの前で書かされたのか。
フィオレッタはその場を静かに通り過ぎ、自室へ戻った。
机の上には、アルディシア公国から届いた新しい冊子と、フェリクスからの短い書簡が置かれている。
こちらの文字はいつも通り簡潔だった。
――こちらはようやく雨の季節を抜けました。
――あなたが来る頃には庭の葡萄棚も落ち着くでしょう。
――慌ただしい時期でしょうが、どうか睡眠だけは削らないでください。
最後の一文に、フィオレッタはふっと目を細めた。
睡眠だけは削らないでください。
そんなことまで気にする人なのだ、この男は。
そしてその対比が、いやでも浮かび上がる。
片や、まだ屋敷に入ってもいない婚約者へ、眠る時間まで気遣う男。
片や、手に入れた花嫁を早々に自分の檻へ閉じ込め始める気配のある男。
もちろん、まだ確かなことはわからない。
でも、最初の夜の違和感は、たしかにもう始まっていた。
カトリーヌがロシュフォール公爵家へ正式に迎えられたのは、初夏の気配が濃くなり始めた頃だった。
婚約が整ってからは早かった。
ロシュフォール家は家格の高さに見合う華やかな手順で話を進め、ランベール侯爵家もまた、それに見劣りせぬよう必死に体裁を整えた。社交界では「公開婚約破棄のあとに、妹が正式な婚約者となった」という刺激的な話題性もあって、当初のざわつきは次第に“新しい恋の成就”という形へ塗り替えられつつあった。
もちろん、そう見たがる者たちの中でだけ、だが。
フィオレッタは、その一連の流れを少し離れた場所から見ていた。
義妹は望んだものを手に入れた。
近くにいられる公爵令息。
見知った社交界。
異国へ渡らずに済む未来。
甘く守ってくれそうな男。
少なくとも表向きには、すべて望み通りだった。
ロシュフォール家へ輿入れする朝、カトリーヌはひどく美しかった。
淡い象牙色のドレスに身を包み、白い花を編み込んだ髪はやわらかく肩に落ち、頬は緊張と高揚でほんのり紅潮している。いかにも幸福な花嫁という姿だ。
義母は何度も目元を押さえ、父は父で、侯爵家の娘として恥のないようにと厳粛な顔を作っていた。
フィオレッタは玄関広間で、その様子を静かに見ていた。
「お姉様」
出立直前、カトリーヌが振り返る。
瞳は潤み、しかし口元は幸福にほどけていた。
「今まで……ありがとうございました」
その言葉が本心かどうかは、もはや重要ではなかった。
フィオレッタはただ穏やかに答える。
「お幸せに」
カトリーヌは一瞬だけ目を見開いた。
たぶん、もっと棘のある返事を予想していたのだろう。
だがフィオレッタには、いまさらここで何かを刺し返す気はなかった。刺したところで過去は戻らないし、義妹が望んだものを手にした事実も消えない。
ならばもう、あとはその先を見ればいいだけだ。
馬車が門を出ていく。
義母は小さくすすり泣き、父は「大げさにするな」と言いながらも、どこか安堵したような顔をしていた。
ひとつ片づいたのだ、この家にとって。
フィオレッタはその様子を見ながら、胸の内で静かに思う。
片づいた、ね。
家にとってはそうなのだろう。だが人の人生は、片づいたからといって綺麗に収まるものではない。
その日の夜、ロシュフォール公爵家では小規模ながら華やかな祝宴が開かれたらしい。
フィオレッタがその様子を直接見ることはない。けれど翌日には、使用人を通じて、社交界を通じて、断片的な話がいくつも流れ込んできた。
ギルベルトは終始機嫌が良かったこと。
花嫁姿のカトリーヌを「自分の選んだ娘」として誇らしげに扱っていたこと。
若い貴族たちは、真実の愛の勝利だなどと軽口を叩いていたこと。
義母はその話を聞いて大いに満足した様子だった。
「やっぱり、あの子にはあちらが合っていたのだわ」
昼食の席でそう言った義母に、父も否定はしなかった。
フィオレッタは黙って茶器を置いただけだ。
本当にそうかしら、と胸の中でだけ思う。
合っていたのか。
それとも、気分よく酔っているだけなのか。
その答えが出るには、まだ早い。
だが、思ったより早く最初の違和感は届いた。
三日後の午後だった。
義母付きの侍女が、やや青ざめた顔で屋敷内を急いでいるのをエマが見つけ、その後すぐ、義母が慌てて私室へ引きこもったという話が広がった。
何事かと屋敷の空気がざわつく中、夕刻になって、カトリーヌ付きだった元侍女の一人がこっそりエマを訪ねてきた。
その侍女は、ロシュフォール家へ同行はしていない。婚約後の身の回りは向こうで整えるという話になり、侯爵家からの侍女は最低限しか連れていかなかったからだ。だが元主人のことが気になっていたのだろう。
「どうしたの?」
フィオレッタが直接尋ねると、侍女はひどく言いづらそうに視線を伏せた。
「ロシュフォール公爵家の使用人筋から……少し妙なお話が」
妙。
その一言で、フィオレッタの胸の内に小さな警戒が走る。
「どんな話」
「それが……はっきりしたことではないのです。ただ、カトリーヌ様が初日の夜から少しお加減を崩されたと」
エマが眉をひそめる。
「加減を?」
「はい。お部屋から出てこられず、朝のお支度にも遅れがちで、食事もあまり召し上がっていないと……」
フィオレッタはしばらく黙っていた。
花嫁が環境の変化で疲れることはある。緊張もするだろう。慣れぬ屋敷、慣れぬ人間関係、婚儀の後の気疲れ。どれを取ってもおかしくはない。
だが、なぜそんな話で義母が青ざめるのか。
なぜ使用人たちがわざわざ“妙だ”と囁くのか。
「他には?」
侍女はますます困った顔になる。
「……ギルベルト様が、花嫁様をとても大事になさっている、とも」
「それは普通のことではなくて?」
「いえ、普通なら……」
言い淀む。
フィオレッタはその先を察した。
「外へ出さないのね」
侍女がはっと顔を上げた。
「お嬢様……」
「違うの?」
「……ロシュフォール家の奥向きで、“花嫁様はしばらく静養が必要だから人前へあまり出さぬように”というお達しがあったそうです」
エマがきゅっと唇を引き結ぶ。
フィオレッタはゆっくり息を吐いた。
それだけではまだ断定できない。だが、嫌な輪郭は見え始めている。
ギルベルト・ド・ロシュフォールは、守るという言葉が好きな男だ。
だが彼の言う“守る”は、相手を尊重することではなく、自分の手の中に置くことに近い。
婚約中、フィオレッタがそれを露骨に感じることは少なかった。彼女には隙がなく、必要以上に甘えも頼りもしなかったからだ。彼にとっては、少し物足りなくても支配欲を刺激される相手ではなかったのだろう。
だが、カトリーヌは違う。
可憐で、頼ってきて、守ってほしい顔をする。
そういう相手を手に入れたギルベルトが、そこで止まる男だろうか。
「お義母様は、その話をご存じなのね」
フィオレッタが侍女に問うと、相手はこくりとうなずいた。
「先ほど……それとなく伝わったようで」
「そう」
義母は今ごろ混乱しているに違いない。娘は望み通りの結婚をしたはず。皆に羨まれる婚約者を手に入れ、華やかな公爵家へ嫁いだ。なのに、初日から“静養が必要”だの“外へ出さぬように”だのという話が聞こえてくる。
それが単なる疲れならいい。
だが、そうでなかったら。
「お嬢様」
エマが小さく言う。
「まさか……」
「まだ何もわからないわ」
フィオレッタはそう答えた。
だが本当は、何もわからないわけではなかった。
わからないのは程度だけだ。
方向は、ひどく嫌なほうへ向かっている気がした。
その夜、義母は夕食の席にも現れなかった。父は苛立った様子で「また体調か」と言ったが、使用人の間に流れる空気はそれだけではないと告げていた。
カトリーヌからの正式な便りは、まだ届かない。
普通なら、嫁いで数日もすれば実家へ形式的な無事の報せくらい送るものだ。とくに義母があれほど娘離れできていないのだから、なおさら早いはずだった。
なのに何もない。
その沈黙が、かえって不気味だった。
フィオレッタは自室へ戻ると、窓辺に立って夜の庭を見た。
風はなく、木々の影だけが静かに揺れている。
幸福を手にしたはずの妹。
愛されることの幸福を知るのだと、自分に言い聞かせるように言っていた妹。
その最初の夜に、すでに違和感が生まれている。
それは同情ではなかった。
まして喜びでもない。
ただ、避けようのない予感だった。
欲しがって奪ったものほど、実際に手にした瞬間から形を変えることがある。しかも相手がギルベルトのような男なら、なおさらだ。
数日後、ようやくカトリーヌから短い便りが届いた。
義母宛のもので、文面は驚くほど整っていた。
ロシュフォール家の皆様はお優しく、屋敷は立派で、少し疲れただけですぐに回復したこと。ギルベルト様は自分をとても気にかけてくださっていること。心配はいらないこと。
どこにも非の打ち所のない、花嫁の手紙だった。
だが、義母はそれを読み終えたあとも顔色を戻さなかった。
「どうして?」
夕暮れ時、廊下の角でそう呟いた義母の声を、フィオレッタはたまたま聞いてしまった。
「どうしてこんなに、きちんとしすぎているの……」
その違和感は、フィオレッタにもわかった。
カトリーヌはもともと、こういう“きちんとした安心”を書く娘ではない。もっと甘く、もっと感情的で、自分がどれだけ幸せかを飾りたがるはずだ。
なのに届いた手紙は、まるで人に読まれることを前提に整えられた報告書のようだった。
つまり――
誰かの目を気にして書いたのだ。
あるいは、誰かの前で書かされたのか。
フィオレッタはその場を静かに通り過ぎ、自室へ戻った。
机の上には、アルディシア公国から届いた新しい冊子と、フェリクスからの短い書簡が置かれている。
こちらの文字はいつも通り簡潔だった。
――こちらはようやく雨の季節を抜けました。
――あなたが来る頃には庭の葡萄棚も落ち着くでしょう。
――慌ただしい時期でしょうが、どうか睡眠だけは削らないでください。
最後の一文に、フィオレッタはふっと目を細めた。
睡眠だけは削らないでください。
そんなことまで気にする人なのだ、この男は。
そしてその対比が、いやでも浮かび上がる。
片や、まだ屋敷に入ってもいない婚約者へ、眠る時間まで気遣う男。
片や、手に入れた花嫁を早々に自分の檻へ閉じ込め始める気配のある男。
もちろん、まだ確かなことはわからない。
でも、最初の夜の違和感は、たしかにもう始まっていた。
59
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
旦那様、彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです
ましゅぺちーの
恋愛
伯爵夫人フルールは、夫である伯爵と愛人の秘書に長年頭を悩ませていた。
何度夫に苦言を呈しても「彼女は仕事において必要不可欠なパートナーだから」と一切聞く耳を持たない。
困り果てていたそのとき、彼女は突然前世の記憶を取り戻した。
このままだと夫と愛人の真実の愛の犠牲になってしまう。
それだけは御免だ。
結婚五年目にして、彼女はようやく夫を見限り、新たな事業を立ち上げた。
そして事業を成功させたフルールの隣には、いつも同じ男が立っていた。
その男は誰なのかと問い詰める夫に、フルールはニッコリ笑って言った。
「彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです」と。
【完結】婚約破棄はしたいけれど傍にいてほしいなんて言われましても、私は貴方の母親ではありません
すだもみぢ
恋愛
「彼女は私のことを好きなんだって。だから君とは婚約解消しようと思う」
他の女性に言い寄られて舞い上がり、10年続いた婚約を一方的に解消してきた王太子。
今まで婚約者だと思うからこそ、彼のフォローもアドバイスもしていたけれど、まだそれを当たり前のように求めてくる彼に驚けば。
「君とは結婚しないけれど、ずっと私の側にいて助けてくれるんだろう?」
貴方は私を母親だとでも思っているのでしょうか。正直気持ち悪いんですけれど。
王妃様も「あの子のためを思って我慢して」としか言わないし。
あんな男となんてもう結婚したくないから我慢するのも嫌だし、非難されるのもイヤ。なんとかうまいこと立ち回って幸せになるんだから!
あなたの思い通りにはならない
木蓮
恋愛
自分を憎む婚約者との婚約解消を望んでいるシンシアは、婚約者が彼が理想とする女性像を形にしたような男爵令嬢と惹かれあっていることを知り2人の仲を応援する。
しかし、男爵令嬢を愛しながらもシンシアに執着する身勝手な婚約者に我慢の限界をむかえ、彼を切り捨てることにした。
*後半のざまあ部分に匂わせ程度に薬物を使って人を陥れる描写があります。苦手な方はご注意ください。
〈完結〉だってあなたは彼女が好きでしょう?
ごろごろみかん。
恋愛
「だってあなたは彼女が好きでしょう?」
その言葉に、私の婚約者は頷いて答えた。
「うん。僕は彼女を愛している。もちろん、きみのことも」
三年分の涙を飲み込んで離婚を決めた私に、今さら愛してると言わないでください
まさき
恋愛
「別れてください」
笑顔で、声を震わせずに、澄花はそう言った。
三年間、夫の隣に立ち続けた。残業続きの夫を待ち、不満を飲み込み、完璧な妻を演じた。幼なじみの麗奈が現れるまでは、それが愛だと信じていた。
嫉妬も、怒りも、とうに泣き尽くしていた。残ったのは、静かな決意だけだった。
離婚届を差し出した翌朝、夫・誠は初めて泣いた。
――遅すぎる。三年分、遅すぎる。
幼なじみに夫を奪われかけた妻が、すべてを手放す覚悟をしたとき、夫はようやく目を覚ます。泣き終わった女の強さと、取り戻せないものの重さを描く、夫婦の崩壊と再生の物語。
【完結】私の事は気にせずに、そのままイチャイチャお続け下さいませ ~私も婚約解消を目指して頑張りますから~
山葵
恋愛
ガルス侯爵家の令嬢である わたくしミモルザには、婚約者がいる。
この国の宰相である父を持つ、リブルート侯爵家嫡男レイライン様。
父同様、優秀…と期待されたが、顔は良いが頭はイマイチだった。
顔が良いから、女性にモテる。
わたくしはと言えば、頭は、まぁ優秀な方になるけれど、顔は中の上位!?
自分に釣り合わないと思っているレイラインは、ミモルザの見ているのを知っていて今日も美しい顔の令嬢とイチャイチャする。
*沢山の方に読んで頂き、ありがとうございます。m(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる