私の婚約者を奪った義妹は、幸せになるはずでした

しおしお

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24 道連れの暴露

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24 道連れの暴露

 カトリーヌが司法官詰所へ駆け込んだその日のうちに、王都の空気は目に見えて変わった。

 もちろん、正式な発表があったわけではない。

 だが高位貴族の未亡人が、しかもロシュフォール公爵家の若い夫人が、泥にまみれた姿で公の機関へ駆け込み、義父を訴えた――その事実だけで十分だった。

 噂というものは、隠そうとするほど速く広がる。

 いや、今回ばかりは噂ではない。

 あまりにも大きすぎて、あまりにも見過ごせない出来事だった。

 ランベール侯爵家でも、その報せが入った瞬間、屋敷中が凍りついた。

 父は即座に外部とのやり取りを制限し、義母は取り乱しかけながらも、娘を迎えに出るべきか、静観すべきかで何度も迷っていた。レナールはもう露骨に顔色を変え、フィオレッタはひどく静かな気持ちでその場に座っていた。

 告発したのだ。

 義妹は、本当に。

 逃げて、隠れて終わるのではなく、告げたのだ。

 その覚悟の重さを思えば、そこに至るまでの恐怖もまた相当だったはずだ。

「どこまで話したの……」

 義母が掠れた声で呟く。

 それに答えられる者はいない。

 だが夕方には、おおよその輪郭が見えてきた。

 カトリーヌは司法官へ、自分が義父であるロシュフォール公爵から関係を迫られていたことを訴えたらしい。

 理由はひどく明確だった。

 嫡男ギルベルトが死に、子がなかったため、義父が“家を絶やさぬため”に自分との間に子を作り、それを亡き息子の子と偽ろうとしている――そう。

 あまりにも醜悪で、あまりにも貴族的な理屈だった。

 家を守る。

 血を繋ぐ。

 外から見れば立派な言葉だ。

 だが、その内側では一人の女の身体が、家の都合のためだけに使われようとしていた。

 義母はその話を聞いた時、とうとう声もなく泣いた。

「そんな……そんなことを、あの子に……」

 父は険しい顔のまま言う。

「これで公にはなった」

「公になったって、何が!」

「ロシュフォール公爵の行いが、だ」

 その声音には怒りもあったが、それ以上に、“これで後戻りはできぬ”という冷たい認識が混じっていた。

 フィオレッタも同じことを思っていた。

 もう引き返せない。

 カトリーヌは一度、司法官へ行き、義父を訴えた。その時点で、たとえ後から口をつぐんでも、“ロシュフォール公爵家の内側で何かが起きていた”という事実は消えない。

 しかも相手は大貴族だ。

 単なる家庭内の不和では済まされない。

 家と家の問題になり、王都中の耳目を集め、社交界の好奇も政治の思惑も絡んでくる。

 その中で、誰が得をし、誰が沈むか。

 もう誰にも読み切れない。

 その日の夜のうちに、ロシュフォール家はもちろん反応した。

 表向きの声明はごく短いものだった。

 未亡人であるカトリーヌ夫人は、夫の急死により心身ともに不安定な状態にある。
 錯乱の末に不適切な訴えを行ったことは残念だが、公爵家としても本人の心労を考慮し、慎重に対応する。
 当主への中傷については事実無根である。

 それは予想された反応だった。

 女を狂人扱いする。

 心労のせいにする。

 それはもっとも安く、もっとも古い手だ。

 だが今回は、それで終わらなかった。

 カトリーヌの側にも、医師や女官、そしていくつかの物証があったのだ。

 ギルベルトによる拘束の痕跡。

 その後に公爵が不自然に接触を増やしていたこと。

 女官の証言。

 医師の診立て。

 何もかもが十分ではなくとも、“まったくの虚言”として切り捨てるには重すぎた。

 だからこそ、ロシュフォール公爵は追い込まれた。

 そして追い込まれた男が最後に選んだのは、ひどく醜い道連れだった。

 数日後、王都でひとつの文書が出回り始めた。

 最初は写しが一枚、二枚。だが高位貴族の屋敷を巡るうちに、たちまち広がる。

 内容は、ロシュフォール公爵家からの“弁明”とされるものだった。

 そこには、公爵が自らの無実を主張する文章とともに、あまりにも悪辣な一節が添えられていた。

 ――そもそも若夫人は、亡きギルベルト・ド・ロシュフォールが特別な拘束を必要とするほど、軽率で奔放な性質を疑われていた。
 ――その管理の異常さを公爵家へ持ち込んだのは若夫人自身の素行に原因がある。
 ――亡き嫡男の死後、その事実が外へ漏れるのを恐れ、心労の末に混乱したのではないか。

 読んだ瞬間、フィオレッタは紙を握る手に力が入るのを感じた。

 これが公爵の切った札なのだ。

 自分が義理の娘へ関係を迫ったことを否定するために、今度はその娘が“夫からすら異常な拘束を受けるに足る女だった”と公にしてしまう。

 つまり、義父は道連れにしたのだ。

 家の恥を暴かれたのなら、義妹の恥も一緒に暴く。

 お前だけが被害者面をするな、と言わんばかりに。

 それはあまりにも醜かった。

 だが同時に、これこそがロシュフォール家という家の本音でもあったのだろう。

 家を守るためなら、嫁いできた若い女一人の尊厳などいくらでも切り捨てる。

 それが、今ようやく誰の目にもわかる形で表へ出てきただけだ。

 ランベール侯爵家でその文書を見た義母は、顔面から血の気を失った。

「そんな……そんなこと、世間へ出したの……?」

 声が震える。

 父も、さすがに眉間を押さえた。

「ここまで下劣とはな」

 レナールは文書を机へ叩きつけるように置いた。

「もう公爵家として終わっています」

 その言葉に、父は厳しい視線を向けたが、今回は否定しなかった。

 終わっている。

 少なくとも社交界の上流では、そう受け取られても仕方がない。

 もちろん、表向きには皆もっと婉曲に言うだろう。大貴族の家にはまだ権力があり、付き合いもあり、いきなり露骨な断絶は起こらない。

 だが、“あの家は、都合が悪くなれば義娘の恥を平気で公にする”という印象は、もう消えない。

 それは名誉ある公爵家にとって、じわじわと効いてくる毒だった。

 同時に、カトリーヌにとってもまた致命的だった。

 拘束されていたことが、噂ではなく“事実として広まった”のだ。

 しかも被害としてではなく、“そうされるだけの女だったのではないか”という悪意の形で。

 どれほど理不尽でも、一度そういう形で流れた話は消えない。

 社交界は、被害者に同情する一方で、同時にその汚れを面白がる。

 哀れね、と言いながら、絶対に自分の娘には近づけたくないと思う。

 それが現実だった。

 義母はしばらく泣いていたが、やがて何かを決意したように顔を上げた。

「カトリーヌを、ここへ戻さなくては」

 その言葉に、父もレナールも、そしてフィオレッタも一瞬黙った。

 たしかに、感情としては当然だ。

 ロシュフォール家にこのまま置いておけば、義父に食い物にされるだけかもしれない。公に恥をさらされた以上、実家で匿うしかない。母親ならそう言うだろう。

 だが――

「難しいわ」

 最初に口を開いたのは、フィオレッタだった。

 義母がはっとしたように振り向く。

「何ですって?」

「お義母様のお気持ちはわかります。でも、いまこの家へ戻せば、それはそれで“ロシュフォール家から追われた汚れた未亡人を、ランベール侯爵家が抱え込んだ”という話になる」

 義母の顔が歪む。

「だから見捨てろというの?」

「そうではありません」

 フィオレッタは静かに言った。

「でも、侯爵家はもうレナールが継ぐ家です。これから婚約も整う。その中へ、あの噂の渦中にある若い未亡人を戻せば、家そのものが傷つく」

 レナールが苦しそうに目を伏せる。

 父は無言のままだった。

 図星なのだろう。

 義母だけが、感情だけで動こうとしている。

「家が傷つくから、娘を見捨てるの!?」

「違います」

 フィオレッタはきっぱりと言った。

「でも、現実を見なければ、助けることすらできません。感情だけで引き取れば、今度はこの家全体がカトリーヌと一緒に沈みます」

 部屋の空気が張る。

 義母は泣きながら首を振る。

 だが父は低く言った。

「フィオレッタの言うことは間違っておらん」

 義母が息を呑む。

「現実にはそうだ。ここでカトリーヌを正式に戻せば、侯爵家の次代にまで響く」

「でも……!」

「だからといって、何もしないとも言っておらん」

 父は厳しい声で続けた。

「司法官のもとへいる以上、いまはまだ公の保護の形がある。軽々しく実家が引き取るより、まずはそちらで処理を進めるべきだ」

 その判断は冷静だった。

 そして冷静だからこそ、残酷でもあった。

 カトリーヌは義父を訴え、ロシュフォール家の恥を暴き、さらに義父によって自分の恥も暴かれた。その結果、実家ですら簡単には引き取れない女になってしまったのだ。

 義妹は義父を破滅させようとしている。

 だがその代償として、自分もまた社会的に死につつある。

 それはあまりにもひどい道連れだった。

 夜遅く、フィオレッタは一人で長く考えていた。

 窓の外には夏へ向かう重たい空気が満ちている。庭の薔薇は盛りを過ぎ始め、花びらが少しずつ落ちていた。

 道連れの暴露。

 まさにそうだと思う。

 公爵は、自分が沈むなら義娘も一緒に泥へ引きずり込むと決めたのだ。

 そしてカトリーヌは、告発によって義父へ一矢報いた代わりに、もう“ただの被害者”としては立てなくなった。

 それでも、あの子は告発した。

 そこだけは認めざるを得なかった。

 どれほど愚かで、どれほど自業自得の道を歩んでいたとしても、最後の最後で逃げずに義父を訴えたことだけは、たしかに一つの抵抗だった。

 ただ、その抵抗が自分自身をも焼いた。

 だからこそ、救いがない。

 机の上には、今日届いたアルディシア公国からの封書がある。

 開けば、フェリクスの整った筆跡が目に入る。

 ――出立まで、あとわずかとなりました。
 ――こちらでは、あなたが落ち着くまで来客も必要最小限に抑えるよう手配しています。
 ――“人の目にどう映るか”より先に、“あなたがどう息をつけるか”を整えるつもりです。

 フィオレッタは、その一文にしばらく見入っていた。

 人の目にどう映るかより先に。

 その言葉は、いまの侯爵家やロシュフォール家の空気と、あまりにもかけ離れている。

 こちらでは、人の目がすべてだった。

 家の体面。

 社交界の評価。

 噂の広がり方。

 それらのために婚約は入れ替えられ、結婚は檻となり、告発は道連れの暴露へ変わった。

 その中で、“あなたがどう息をつけるか”を先に考える男がいる。

 その事実だけが、まるで別の世界から差し込む光のように思えた。

 フィオレッタは便箋を閉じる。

 ロシュフォール公爵は、たぶんもう終わる。

 社交界の上層での信用も、家中の威光も、少しずつ崩れるだろう。

 だがその崩れの中で、いちばん深く傷つくのはたぶん義父ではない。

 その道連れにされた義妹のほうだ。

 だからこそ、この話はまだ終わらない。

 むしろここから、義妹の本当の転落が始まるのだと、フィオレッタは静かに理解していた。
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