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25 弟の侯爵家
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25 弟の侯爵家
カトリーヌの告発と、ロシュフォール公爵による道連れの暴露が王都を駆け巡ってから、ランベール侯爵家の空気は目に見えて変わった。
それまでこの家には、まだどこかに「時間が経てば何とかなるかもしれない」という曖昧な希望が残っていた。ロシュフォール家の中での扱いが落ちても、義父に狙われても、どこかで事態が収まる余地があるのではないか。そんな、根拠のない期待だ。
だが、もうそれは消えた。
公になってしまったのだ。
カトリーヌは義父を訴えた。
義父はその報復として、ギルベルトによる拘束を公にした。
そうなった以上、カトリーヌは単なる“哀れな未亡人”ではいられない。
ロシュフォール家の恥を知り、家の名を汚し、しかも自分自身もまた汚れた話題の中心になってしまった女。
社交界はそういう存在を、哀れみながら切り捨てる。
そして侯爵家の中でも、その現実を直視せざるを得なくなっていた。
その日の夕方、父は珍しく家族全員を小応接間へ集めた。
義母は明らかに疲れ果てており、目元の化粧もいつもほど整っていない。レナールは無言で席に着き、フィオレッタもまた、何を言われるのかおおよそ察したうえで椅子へ腰を下ろした。
父は最初、しばらく何も言わなかった。
ただ机の上に置かれた数通の書簡を指先で揃え、それからようやく口を開く。
「今日、いくつかの家から問い合わせが来た」
義母の肩がびくりと揺れる。
「問い合わせ……?」
「そうだ」
父の声は低く、乾いていた。
「レナールの婚約話に関してだ」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気がぴたりと止まる。
レナールは一瞬だけ目を伏せた。
フィオレッタは静かに息をつく。
やはり、そこへ来たのだ。
父は続ける。
「表向きは、近況の確認だ。だが実際には、“ランベール侯爵家が今後どう動くつもりか”を見ている」
「どう動く、って……」
義母の声は掠れていた。
「カトリーヌを引き取るのか、引き取らないのか。ロシュフォール家との関係をどう扱うのか。侯爵家の次代へ、この件をどこまで引きずるつもりなのか」
つまり、そういうことだ。
レナールの代はこれから始まる。
婚約も、社交も、次の当主としての立場も、まさに整えようとしている最中だ。そこへ、義妹の醜聞と未亡人問題がまとわりつけば、侯爵家そのものが“火種を抱えた家”として見られる。
家々が気にするのは、情ではない。
火の粉が自分たちへ飛ぶかどうかだ。
義母が、泣きそうな顔のまま言う。
「でも、あの子は娘なのよ」
「わかっている」
父は即座に返した。
「だが侯爵家もまた家だ。レナールの代を壊してまで、一人を抱え込める立場ではない」
その一言は、あまりにも重かった。
義母は目を見開き、それからゆっくり首を振る。
「そんな……そんな言い方……」
「言い方ではない。現実だ」
父の声には容赦がない。
いや、容赦がないのではなく、容赦を挟む余地がもうないのだろう。
「いまこの家がカトリーヌを正式に受け入れれば、レナールの婚約は揺らぐ。侯爵家へ嫁がせたいと考える家々は、誰も好き好んであの醜聞の中心人物を身内に抱える家へ娘を出したがらん」
レナールは何も言わなかった。
だが、その沈黙がかえって重かった。
自分の将来と、姉の救済が天秤にかけられている。
そういう場に座らされているのだから。
義母はようやく、震える声で言った。
「では……カトリーヌを、見捨てると仰るのですか」
父はしばらく答えなかった。
やがて、ひどく疲れた顔で言う。
「見捨てるとは言わん」
「同じでしょう!」
義母が声を荒げた。
「ここへ戻れないなら、あの子にはもう、どこにも行き場がないではありませんか!」
「だからといって、ここへ戻せばすべてが解決するのか」
父の声も一段低くなる。
「違うだろう。今のカトリーヌを迎え入れれば、侯爵家そのものが次の火種になる。お前は母だからそれでも抱えたいのだろうが、私は当主だ」
その言葉に、義母は言い返せなくなった。
言い返したところで、父が言っていることが“家の論理として正しい”とわかってしまうからだ。
フィオレッタは、その光景を静かに見ていた。
弟の侯爵家。
そうなのだ。もうこの家は“父の侯爵家”であるだけではなく、“レナールの侯爵家”になろうとしている。いま決めることは、次代に直結する。
だからこそ、カトリーヌの居場所はますますなくなる。
母にとっては娘でも、家にとっては厄介な醜聞の中心なのだ。
父が、今度はレナールへ視線を向けた。
「お前はどう思う」
その問いは酷だった。
けれど、当主となるなら避けられない問いでもある。
レナールはしばらく黙っていた。
拳を膝の上で握り、視線を落とし、それでも逃げずに言う。
「個人としては、姉上を放り出したくありません」
義母の顔が少しだけ上がる。
だがレナールは続けた。
「でも、侯爵家の後継として答えるなら……今ここへ戻すのは危険だと思います」
義母が息を呑む。
その言葉は、若い弟から出るにはあまりにも重かった。
けれどそれが、彼なりに考えた末の答えなのだろう。
「レナール……」
義母の声は、責めるようでもあり、泣くようでもあった。
だがレナールは視線を逸らさなかった。
「母上、僕だって平気ではありません。でも、ここで姉上を無理に受け入れたら、今度はこの家の女たち全員が同じ目で見られます。婚約者候補も、使用人も、侯爵家へ出入りする家々も」
そこまで言って、彼は一度だけ強く息を吐いた。
「そしてたぶん、カトリーヌ姉上ご本人も、ここで守られて終わるとは思えません」
フィオレッタはそこで初めて、レナールをまっすぐ見た。
この弟は、本当にちゃんと考えているのだ。
感情だけでなく、家だけでもなく、その両方を見て、苦しいほうを選ぼうとしている。
義母はもう泣いていた。
「でも、どうしたらいいの……」
その問いに、誰もすぐには答えられなかった。
答えがないからだ。
侯爵家に戻せない。
ロシュフォール家には戻れない。
社交界で居場所を作るなど論外。
修道院へ入るにしても、今の段階ではまだ早すぎるし、カトリーヌ本人が受け入れられるとも思えない。
つまり、どこにも収まらない。
それが現実だった。
長い沈黙のあと、フィオレッタが口を開いた。
「……お父様」
「何だ」
「カトリーヌが、ここへ直接来たらどうなさいますか」
義母がはっと顔を上げる。
父の目が細くなる。
「来る、だと?」
「ええ」
フィオレッタは静かに言った。
「告発のあと、義父に道連れにされて、ロシュフォール家にも戻れず、司法官の保護も永遠ではない。そうなれば、最後に頼ろうとするのは実家でしょう」
その可能性は、皆どこかで考えていたはずだ。
だがこうして言葉にされると、急に現実味を帯びる。
義母が泣きながら言う。
「来たら、入れるに決まっているでしょう!」
父はすぐに答えなかった。
その沈黙だけで、義母の顔がさらに青ざめる。
「あなた……」
「表門からは入れられん」
父の声は低かった。
あまりにもはっきりしていて、部屋の空気が凍る。
「何ですって」
「今のカトリーヌを、侯爵家の娘として堂々と迎え入れれば、それで終わる。レナールの婚約も、この家の評判も」
義母は信じられないものを見るような目で夫を見た。
だが父は続ける。
「ただし、完全に見捨てるとも言っておらん。裏から支える道は考える」
裏から。
その言葉が、どれほど冷たいか。
堂々と娘として迎えることはできない。だが、餓死しない程度には隠れて面倒を見ることは考える。
それが父のいう“支え”なのだ。
義母は唇を震わせ、とうとう顔を覆った。
レナールも目を伏せる。
フィオレッタは、胸の奥が静かに冷えていくのを感じていた。
これが家なのだ。
誰か一人を真正面から救うために、家全体を危うくすることはしない。
そして今、その判断が父だけでなく、次代のレナールによっても確認された。
つまりもう、侯爵家としての答えは出たのだ。
カトリーヌは、ここへは戻れない。
その晩、フィオレッタは一人で長く窓辺に立っていた。
夜風は少しぬるく、夏が近いことを感じさせる。庭の影は濃く、白薔薇だけがぼんやりと浮かんで見えた。
弟の侯爵家。
その言葉が頭に残る。
この家はもう、レナールの代へ動き出している。
そしてその家にとって、カトリーヌは“戻ってきてはならない女”になった。
可哀想だと思う。
もちろん思う。
けれど同時に、それはあまりにも自然な帰結でもあった。
義妹は、姉の婚約を奪い、家の都合でそれを通し、望んだ結婚に飛びついた。そこまでは“侯爵家の娘”として守られていたのだ。
だが今や、その侯爵家が守れないほど大きな火種を抱えて戻ろうとしている。
ならば家は門を閉ざす。
残酷だが、そういうものだ。
その時、机の上の封書が目に入った。
アルディシア公国から届いたものだ。
今日、開く気力がなかったが、今になって自然と手が伸びる。
封を切る。
フェリクスの筆跡が、いつも通り整っていた。
――到着の日の夕食は、私とごく少数だけにします。
――大勢に囲まれるより先に、この家の中で息をつける場所を知っていただきたいので。
――“帰る部屋”だと思えるまで、急がなくて結構です。
フィオレッタは、その最後の一文にしばらく目を止めた。
帰る部屋。
その言葉がひどく静かに胸へ落ちる。
いまこの侯爵家では、一人の娘に対して“ここはもう帰る場所ではない”という答えが出たばかりだ。
なのに遠い他国では、まだ来てもいない婚約者へ“帰る部屋と思えるまで急がなくていい”と言っている。
その対比が、あまりにも鮮やかだった。
フィオレッタは便箋をそっと閉じる。
カトリーヌがもし本当にこの家へ来たら、門は開かれない。
少なくとも、昔のようには。
それは義妹にとって終わりに等しいだろう。
だが同時に、フィオレッタは思う。
自分もまた、もうこの家の長女として生きる時間を終えつつあるのだと。
侯爵家は弟のものになる。
そして自分は、帰る部屋を別の場所に持つ女になる。
その現実が、痛みと同時に、どこか奇妙な解放をもたらしていた。
カトリーヌの告発と、ロシュフォール公爵による道連れの暴露が王都を駆け巡ってから、ランベール侯爵家の空気は目に見えて変わった。
それまでこの家には、まだどこかに「時間が経てば何とかなるかもしれない」という曖昧な希望が残っていた。ロシュフォール家の中での扱いが落ちても、義父に狙われても、どこかで事態が収まる余地があるのではないか。そんな、根拠のない期待だ。
だが、もうそれは消えた。
公になってしまったのだ。
カトリーヌは義父を訴えた。
義父はその報復として、ギルベルトによる拘束を公にした。
そうなった以上、カトリーヌは単なる“哀れな未亡人”ではいられない。
ロシュフォール家の恥を知り、家の名を汚し、しかも自分自身もまた汚れた話題の中心になってしまった女。
社交界はそういう存在を、哀れみながら切り捨てる。
そして侯爵家の中でも、その現実を直視せざるを得なくなっていた。
その日の夕方、父は珍しく家族全員を小応接間へ集めた。
義母は明らかに疲れ果てており、目元の化粧もいつもほど整っていない。レナールは無言で席に着き、フィオレッタもまた、何を言われるのかおおよそ察したうえで椅子へ腰を下ろした。
父は最初、しばらく何も言わなかった。
ただ机の上に置かれた数通の書簡を指先で揃え、それからようやく口を開く。
「今日、いくつかの家から問い合わせが来た」
義母の肩がびくりと揺れる。
「問い合わせ……?」
「そうだ」
父の声は低く、乾いていた。
「レナールの婚約話に関してだ」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気がぴたりと止まる。
レナールは一瞬だけ目を伏せた。
フィオレッタは静かに息をつく。
やはり、そこへ来たのだ。
父は続ける。
「表向きは、近況の確認だ。だが実際には、“ランベール侯爵家が今後どう動くつもりか”を見ている」
「どう動く、って……」
義母の声は掠れていた。
「カトリーヌを引き取るのか、引き取らないのか。ロシュフォール家との関係をどう扱うのか。侯爵家の次代へ、この件をどこまで引きずるつもりなのか」
つまり、そういうことだ。
レナールの代はこれから始まる。
婚約も、社交も、次の当主としての立場も、まさに整えようとしている最中だ。そこへ、義妹の醜聞と未亡人問題がまとわりつけば、侯爵家そのものが“火種を抱えた家”として見られる。
家々が気にするのは、情ではない。
火の粉が自分たちへ飛ぶかどうかだ。
義母が、泣きそうな顔のまま言う。
「でも、あの子は娘なのよ」
「わかっている」
父は即座に返した。
「だが侯爵家もまた家だ。レナールの代を壊してまで、一人を抱え込める立場ではない」
その一言は、あまりにも重かった。
義母は目を見開き、それからゆっくり首を振る。
「そんな……そんな言い方……」
「言い方ではない。現実だ」
父の声には容赦がない。
いや、容赦がないのではなく、容赦を挟む余地がもうないのだろう。
「いまこの家がカトリーヌを正式に受け入れれば、レナールの婚約は揺らぐ。侯爵家へ嫁がせたいと考える家々は、誰も好き好んであの醜聞の中心人物を身内に抱える家へ娘を出したがらん」
レナールは何も言わなかった。
だが、その沈黙がかえって重かった。
自分の将来と、姉の救済が天秤にかけられている。
そういう場に座らされているのだから。
義母はようやく、震える声で言った。
「では……カトリーヌを、見捨てると仰るのですか」
父はしばらく答えなかった。
やがて、ひどく疲れた顔で言う。
「見捨てるとは言わん」
「同じでしょう!」
義母が声を荒げた。
「ここへ戻れないなら、あの子にはもう、どこにも行き場がないではありませんか!」
「だからといって、ここへ戻せばすべてが解決するのか」
父の声も一段低くなる。
「違うだろう。今のカトリーヌを迎え入れれば、侯爵家そのものが次の火種になる。お前は母だからそれでも抱えたいのだろうが、私は当主だ」
その言葉に、義母は言い返せなくなった。
言い返したところで、父が言っていることが“家の論理として正しい”とわかってしまうからだ。
フィオレッタは、その光景を静かに見ていた。
弟の侯爵家。
そうなのだ。もうこの家は“父の侯爵家”であるだけではなく、“レナールの侯爵家”になろうとしている。いま決めることは、次代に直結する。
だからこそ、カトリーヌの居場所はますますなくなる。
母にとっては娘でも、家にとっては厄介な醜聞の中心なのだ。
父が、今度はレナールへ視線を向けた。
「お前はどう思う」
その問いは酷だった。
けれど、当主となるなら避けられない問いでもある。
レナールはしばらく黙っていた。
拳を膝の上で握り、視線を落とし、それでも逃げずに言う。
「個人としては、姉上を放り出したくありません」
義母の顔が少しだけ上がる。
だがレナールは続けた。
「でも、侯爵家の後継として答えるなら……今ここへ戻すのは危険だと思います」
義母が息を呑む。
その言葉は、若い弟から出るにはあまりにも重かった。
けれどそれが、彼なりに考えた末の答えなのだろう。
「レナール……」
義母の声は、責めるようでもあり、泣くようでもあった。
だがレナールは視線を逸らさなかった。
「母上、僕だって平気ではありません。でも、ここで姉上を無理に受け入れたら、今度はこの家の女たち全員が同じ目で見られます。婚約者候補も、使用人も、侯爵家へ出入りする家々も」
そこまで言って、彼は一度だけ強く息を吐いた。
「そしてたぶん、カトリーヌ姉上ご本人も、ここで守られて終わるとは思えません」
フィオレッタはそこで初めて、レナールをまっすぐ見た。
この弟は、本当にちゃんと考えているのだ。
感情だけでなく、家だけでもなく、その両方を見て、苦しいほうを選ぼうとしている。
義母はもう泣いていた。
「でも、どうしたらいいの……」
その問いに、誰もすぐには答えられなかった。
答えがないからだ。
侯爵家に戻せない。
ロシュフォール家には戻れない。
社交界で居場所を作るなど論外。
修道院へ入るにしても、今の段階ではまだ早すぎるし、カトリーヌ本人が受け入れられるとも思えない。
つまり、どこにも収まらない。
それが現実だった。
長い沈黙のあと、フィオレッタが口を開いた。
「……お父様」
「何だ」
「カトリーヌが、ここへ直接来たらどうなさいますか」
義母がはっと顔を上げる。
父の目が細くなる。
「来る、だと?」
「ええ」
フィオレッタは静かに言った。
「告発のあと、義父に道連れにされて、ロシュフォール家にも戻れず、司法官の保護も永遠ではない。そうなれば、最後に頼ろうとするのは実家でしょう」
その可能性は、皆どこかで考えていたはずだ。
だがこうして言葉にされると、急に現実味を帯びる。
義母が泣きながら言う。
「来たら、入れるに決まっているでしょう!」
父はすぐに答えなかった。
その沈黙だけで、義母の顔がさらに青ざめる。
「あなた……」
「表門からは入れられん」
父の声は低かった。
あまりにもはっきりしていて、部屋の空気が凍る。
「何ですって」
「今のカトリーヌを、侯爵家の娘として堂々と迎え入れれば、それで終わる。レナールの婚約も、この家の評判も」
義母は信じられないものを見るような目で夫を見た。
だが父は続ける。
「ただし、完全に見捨てるとも言っておらん。裏から支える道は考える」
裏から。
その言葉が、どれほど冷たいか。
堂々と娘として迎えることはできない。だが、餓死しない程度には隠れて面倒を見ることは考える。
それが父のいう“支え”なのだ。
義母は唇を震わせ、とうとう顔を覆った。
レナールも目を伏せる。
フィオレッタは、胸の奥が静かに冷えていくのを感じていた。
これが家なのだ。
誰か一人を真正面から救うために、家全体を危うくすることはしない。
そして今、その判断が父だけでなく、次代のレナールによっても確認された。
つまりもう、侯爵家としての答えは出たのだ。
カトリーヌは、ここへは戻れない。
その晩、フィオレッタは一人で長く窓辺に立っていた。
夜風は少しぬるく、夏が近いことを感じさせる。庭の影は濃く、白薔薇だけがぼんやりと浮かんで見えた。
弟の侯爵家。
その言葉が頭に残る。
この家はもう、レナールの代へ動き出している。
そしてその家にとって、カトリーヌは“戻ってきてはならない女”になった。
可哀想だと思う。
もちろん思う。
けれど同時に、それはあまりにも自然な帰結でもあった。
義妹は、姉の婚約を奪い、家の都合でそれを通し、望んだ結婚に飛びついた。そこまでは“侯爵家の娘”として守られていたのだ。
だが今や、その侯爵家が守れないほど大きな火種を抱えて戻ろうとしている。
ならば家は門を閉ざす。
残酷だが、そういうものだ。
その時、机の上の封書が目に入った。
アルディシア公国から届いたものだ。
今日、開く気力がなかったが、今になって自然と手が伸びる。
封を切る。
フェリクスの筆跡が、いつも通り整っていた。
――到着の日の夕食は、私とごく少数だけにします。
――大勢に囲まれるより先に、この家の中で息をつける場所を知っていただきたいので。
――“帰る部屋”だと思えるまで、急がなくて結構です。
フィオレッタは、その最後の一文にしばらく目を止めた。
帰る部屋。
その言葉がひどく静かに胸へ落ちる。
いまこの侯爵家では、一人の娘に対して“ここはもう帰る場所ではない”という答えが出たばかりだ。
なのに遠い他国では、まだ来てもいない婚約者へ“帰る部屋と思えるまで急がなくていい”と言っている。
その対比が、あまりにも鮮やかだった。
フィオレッタは便箋をそっと閉じる。
カトリーヌがもし本当にこの家へ来たら、門は開かれない。
少なくとも、昔のようには。
それは義妹にとって終わりに等しいだろう。
だが同時に、フィオレッタは思う。
自分もまた、もうこの家の長女として生きる時間を終えつつあるのだと。
侯爵家は弟のものになる。
そして自分は、帰る部屋を別の場所に持つ女になる。
その現実が、痛みと同時に、どこか奇妙な解放をもたらしていた。
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