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第二話 北の契約と、ひび割れた魔石
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第二話 北の契約と、ひび割れた魔石
北へ向かう馬車の中は、思いのほか静かだった。車輪が石畳を離れ、やがて凍りついた街道へと入ると、振動も音も吸い込まれるように弱まっていく。窓の外に広がるのは、白。王都の煌びやかな灯りとは正反対の、果てしない雪原だった。
「寒いか」
向かいに座るレオンハルトが、淡々と問う。
「いえ、大丈夫です」
正確には、少し寒い。けれど、それを理由に弱く見られたくはなかった。王都では“魔力なし”というだけで十分に弱者だったのだから。
彼は小さく頷き、書類を差し出す。
「契約だ」
厚手の羊皮紙に整然と並ぶ条文。
三年間の形式上の婚姻。
公爵夫人としての公的義務の遂行。
北の統治に関わる情報の秘匿。
互いの私生活には干渉しない。
「三年後、双方の合意があれば解消可能とする」
冷静な内容だった。
「迷いはないのか」
「ございません」
王都に残る理由は、もうどこにもなかった。
「君は感情よりも状況を見るタイプか」
「泣いても水晶は光りませんから」
そう答えると、彼の赤い瞳がわずかに細まった。
「……なるほど」
それ以上は何も言わず、馬車は雪原を進み続けた。
北の公爵邸は、王都の宮殿とは趣が違った。無駄な装飾はない。厚い石壁と高い塔、実用性を重視した構造。寒冷地特有の合理性がそこにはあった。
「奥様、お帰りなさいませ」
整然と並んだ使用人たちが、一斉に頭を下げる。
奥様。
その言葉は、まだ現実味がない。私はつい数日前まで、婚約破棄された令嬢だったのだから。
案内された私室は、広くはあるが華美ではなかった。大きな暖炉、厚手の絨毯、質素だが上質な家具。
「お着替えの準備を」
侍女が控えめに声をかける。
私は手袋を外した。
その瞬間。
ぱきり、と小さな音がした。
「……?」
机の上に置かれていた魔石に、細い亀裂が走っている。
次の瞬間、暖炉の炎がふっと消えた。
「な、なぜ……?」
侍女が青ざめる。
「魔石が停止しております!」
暖炉だけではない。部屋の隅に置かれていた照明用の小型魔石も、淡い光を失っていた。
私は、ただ手袋を外しただけだ。
扉が開く。
「どうした」
レオンハルトが現れる。
「奥様が触れた途端、魔石が……」
彼は静かに近づき、ひび割れた魔石を拾い上げる。赤い瞳が、真剣な光を帯びる。
「触れたな」
「……はい」
「意図してか」
「いいえ。ただ、外しただけです」
彼はしばらく沈黙し、低く呟いた。
「魔力が抜けている」
抜けている?
「破壊ではない。流出でもない。……消えている」
その言葉は、奇妙に重かった。
「検査をする」
拒む理由はない。私は頷いた。
夜更け、邸内の検査室へ通される。高位魔石、測定水晶、魔術陣。王都でも見慣れた道具たちだ。
「まずは水晶だ」
私は水晶に指先を触れさせる。
一瞬、光が生まれかける。だが、次の瞬間には霧散した。
室内がざわめく。
「もう一度」
触れる。やはり同じだ。光は芽吹き、消える。
次は高位魔石。
触れた瞬間、淡い光がすうっと弱まり、完全に沈黙した。
「……あり得ない」
側近の一人が呟く。
「魔力吸収か?」
「違う」
レオンハルトが即座に否定する。
「吸収なら、彼女に反応が出る。だが――」
私は何も感じていない。体内が熱を持つわけでもない。満ちる感覚もない。
「無効化だ」
彼の声は静かだった。
「君は、魔力を打ち消している」
無効化。
その単語が、胸に落ちる。
「王都の水晶が光らなかったのは、魔力がなかったからではない。作動そのものを止めていた」
私は自分の手を見る。
白く、何の変哲もない手。
「……では私は、魔術を壊す存在ですか」
そう問うと、彼は少しだけ考えた。
「壊すのではない。均すのだ」
「均す?」
「過剰な魔力を、平らに戻す」
北は王都ほど魔術に依存していない。防衛も物流も、物理的な仕組みが主軸だ。
「王都は魔術に頼りすぎている。結界、転移門、魔術炉……全てが魔力依存だ」
彼の赤い瞳が、私を見据える。
「君は、その構造に風穴を開ける」
その言葉に、奇妙な既視感を覚えた。王都で“無能”と切り捨てられた私が、北では“切り札”と呼ばれる。
同じ存在なのに、意味が違う。
その頃、王都では小さな異変が起きていた。
北と繋がる転移門の魔術陣が、一瞬だけ不安定になったのだ。すぐに復旧したが、報告は上がった。
「北方面の魔力波動が微減?」
王宮魔術団の会議室で、アルフレッドは眉をひそめる。
「誤差の範囲だろう」
だが、胸騒ぎが消えない。
まさか、あの女が。
そんな考えを、彼は即座に打ち消した。魔力がないのだから、関係があるはずがない。
北の検査室。
私は再び魔石に触れる。
光は静かに消える。
「……面白い」
レオンハルトが低く笑った。
「安心しろ。君を恐れて処分するような真似はしない」
「信じてよろしいのですか」
「私は有用なものを捨てない」
その言い方は冷徹だが、裏切りの響きはなかった。
彼は手を差し出す。
「ようこそ、北へ。リリアーナ」
私はその手を取る。
冷たいはずの指先が、なぜか確かな温度を持っていた。
王都では、私は空だった。
だが北では、何かが動き始めている。
まだ小さな揺らぎ。
けれど、それは確実に広がる予兆だった。
私自身さえ知らないまま、王都の魔術社会は、ゆっくりと均され始めていた。
北へ向かう馬車の中は、思いのほか静かだった。車輪が石畳を離れ、やがて凍りついた街道へと入ると、振動も音も吸い込まれるように弱まっていく。窓の外に広がるのは、白。王都の煌びやかな灯りとは正反対の、果てしない雪原だった。
「寒いか」
向かいに座るレオンハルトが、淡々と問う。
「いえ、大丈夫です」
正確には、少し寒い。けれど、それを理由に弱く見られたくはなかった。王都では“魔力なし”というだけで十分に弱者だったのだから。
彼は小さく頷き、書類を差し出す。
「契約だ」
厚手の羊皮紙に整然と並ぶ条文。
三年間の形式上の婚姻。
公爵夫人としての公的義務の遂行。
北の統治に関わる情報の秘匿。
互いの私生活には干渉しない。
「三年後、双方の合意があれば解消可能とする」
冷静な内容だった。
「迷いはないのか」
「ございません」
王都に残る理由は、もうどこにもなかった。
「君は感情よりも状況を見るタイプか」
「泣いても水晶は光りませんから」
そう答えると、彼の赤い瞳がわずかに細まった。
「……なるほど」
それ以上は何も言わず、馬車は雪原を進み続けた。
北の公爵邸は、王都の宮殿とは趣が違った。無駄な装飾はない。厚い石壁と高い塔、実用性を重視した構造。寒冷地特有の合理性がそこにはあった。
「奥様、お帰りなさいませ」
整然と並んだ使用人たちが、一斉に頭を下げる。
奥様。
その言葉は、まだ現実味がない。私はつい数日前まで、婚約破棄された令嬢だったのだから。
案内された私室は、広くはあるが華美ではなかった。大きな暖炉、厚手の絨毯、質素だが上質な家具。
「お着替えの準備を」
侍女が控えめに声をかける。
私は手袋を外した。
その瞬間。
ぱきり、と小さな音がした。
「……?」
机の上に置かれていた魔石に、細い亀裂が走っている。
次の瞬間、暖炉の炎がふっと消えた。
「な、なぜ……?」
侍女が青ざめる。
「魔石が停止しております!」
暖炉だけではない。部屋の隅に置かれていた照明用の小型魔石も、淡い光を失っていた。
私は、ただ手袋を外しただけだ。
扉が開く。
「どうした」
レオンハルトが現れる。
「奥様が触れた途端、魔石が……」
彼は静かに近づき、ひび割れた魔石を拾い上げる。赤い瞳が、真剣な光を帯びる。
「触れたな」
「……はい」
「意図してか」
「いいえ。ただ、外しただけです」
彼はしばらく沈黙し、低く呟いた。
「魔力が抜けている」
抜けている?
「破壊ではない。流出でもない。……消えている」
その言葉は、奇妙に重かった。
「検査をする」
拒む理由はない。私は頷いた。
夜更け、邸内の検査室へ通される。高位魔石、測定水晶、魔術陣。王都でも見慣れた道具たちだ。
「まずは水晶だ」
私は水晶に指先を触れさせる。
一瞬、光が生まれかける。だが、次の瞬間には霧散した。
室内がざわめく。
「もう一度」
触れる。やはり同じだ。光は芽吹き、消える。
次は高位魔石。
触れた瞬間、淡い光がすうっと弱まり、完全に沈黙した。
「……あり得ない」
側近の一人が呟く。
「魔力吸収か?」
「違う」
レオンハルトが即座に否定する。
「吸収なら、彼女に反応が出る。だが――」
私は何も感じていない。体内が熱を持つわけでもない。満ちる感覚もない。
「無効化だ」
彼の声は静かだった。
「君は、魔力を打ち消している」
無効化。
その単語が、胸に落ちる。
「王都の水晶が光らなかったのは、魔力がなかったからではない。作動そのものを止めていた」
私は自分の手を見る。
白く、何の変哲もない手。
「……では私は、魔術を壊す存在ですか」
そう問うと、彼は少しだけ考えた。
「壊すのではない。均すのだ」
「均す?」
「過剰な魔力を、平らに戻す」
北は王都ほど魔術に依存していない。防衛も物流も、物理的な仕組みが主軸だ。
「王都は魔術に頼りすぎている。結界、転移門、魔術炉……全てが魔力依存だ」
彼の赤い瞳が、私を見据える。
「君は、その構造に風穴を開ける」
その言葉に、奇妙な既視感を覚えた。王都で“無能”と切り捨てられた私が、北では“切り札”と呼ばれる。
同じ存在なのに、意味が違う。
その頃、王都では小さな異変が起きていた。
北と繋がる転移門の魔術陣が、一瞬だけ不安定になったのだ。すぐに復旧したが、報告は上がった。
「北方面の魔力波動が微減?」
王宮魔術団の会議室で、アルフレッドは眉をひそめる。
「誤差の範囲だろう」
だが、胸騒ぎが消えない。
まさか、あの女が。
そんな考えを、彼は即座に打ち消した。魔力がないのだから、関係があるはずがない。
北の検査室。
私は再び魔石に触れる。
光は静かに消える。
「……面白い」
レオンハルトが低く笑った。
「安心しろ。君を恐れて処分するような真似はしない」
「信じてよろしいのですか」
「私は有用なものを捨てない」
その言い方は冷徹だが、裏切りの響きはなかった。
彼は手を差し出す。
「ようこそ、北へ。リリアーナ」
私はその手を取る。
冷たいはずの指先が、なぜか確かな温度を持っていた。
王都では、私は空だった。
だが北では、何かが動き始めている。
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