選ばれなかった令嬢は、均衡で世界を削り直す

しおしお

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第三話 王都に走る亀裂

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第三話 王都に走る亀裂

 北の朝は、音が少ない。

 夜のあいだに降り積もった雪が、世界の輪郭をやわらかく覆っている。王都では目覚めと同時に魔導灯が灯り、魔術炉が低く唸り、転移門の起動音が響いていたが、ここにはそれがない。代わりにあるのは、規則正しく交代する兵の足音と、遠くで鳴る鐘の乾いた音だけだ。

 私は窓辺に立ち、白い庭を見下ろしていた。

 昨夜の検査は、夢ではなかった。触れた魔石が沈黙し、水晶が光りかけて消え、魔術陣が途切れた。私が“何もしていない”という事実だけが、かえって現実味を帯びている。

「起きていたか」

 振り向くと、レオンハルトが入ってきた。軍装のまま、雪の匂いをまとっている。

「少し、考え事を」

「王都のことか」

「……ええ」

 彼は窓の外を一瞥する。

「今朝、王都から報告が届いた」

 胸がわずかに強張る。

「北方面の転移門が不安定になった。数分で復旧したが、原因不明だ」

 私は無意識に指先を見下ろした。

「私の……せいでしょうか」

「断定はできない」

 即答ではない。その誠実さに、少し救われる。

「だが、可能性はある」

 彼は淡々と続ける。

「君が触れた魔石は、いずれも魔力を失った。壊れたのではない。消えた。ならば、広域の魔術網にも影響が及ぶことは理論上あり得る」

 理論上。

 私は椅子に腰を下ろした。膝の上で両手を重ねる。

「王都は、魔術に依存しすぎています」

「知っているのか」

「幼いころから見てきました。照明も、水道も、馬車の駆動も。全てが魔石頼り。魔力がなければ、生活は立ち行きません」

 だからこそ、私は恐れられた。

 魔力が“ない”ことではなく、魔力が“通じない”ことを。

 レオンハルトは机上に地図を広げた。

「王都から北へ伸びる魔術網は三本。うち二本が昨夜、微弱だが波形を乱している」

「微弱……」

「王宮魔術団は誤差と判断した。だが誤差が続けば、異常になる」

 彼の赤い瞳が、静かに光る。

「君は何もしていない。ただ存在しているだけだ。それでも揺らぐのなら、揺らぐ側に問題がある」

 その言葉は、私の胸の奥に落ちた。

 王都。

 同じころ、王宮魔術団の会議室では緊張が走っていた。

「転移門の再検査を命じる」

 団長の声に、ざわめきが広がる。

「昨日は北方面だけでしたが、今朝は西側でも一瞬、照明系統が乱れました」

「同時刻か?」

「ほぼ一致します」

 アルフレッドは唇を引き結ぶ。

 北方面。
 昨日、あの女は北へ向かった。

 馬鹿げている、と理性は告げる。魔力がない女に、魔術網を揺るがす力などあるはずがない。

 だが、胸の奥の小さな違和感が消えない。

「原因は必ず突き止める」

 彼は強く言い切った。自分自身に言い聞かせるように。

 北の公爵邸。

 私は検査室へ再び呼ばれた。

「今日は範囲を広げる」

 レオンハルトの指示で、より高位の魔石が運び込まれる。王都でも軍事用途に使われる級のものだ。

「触れてみろ」

 私は息を整え、指先を当てた。

 ――淡い光が揺れる。

 次の瞬間、すっと消えた。

 部屋の空気が一段、静まる。

「記録しろ」

 側近が震える手で魔力計を確認する。

「周囲半径三歩以内、魔力濃度が低下しています」

「時間は」

「接触から五秒以内」

 私は手を離す。

 数拍遅れて、空気の重みが戻る。

「……範囲は限定的か」

 レオンハルトは腕を組む。

「今のところは」

 その言い方に、私は気づく。

「今後、広がる可能性があると」

「否定はできない」

 私は目を閉じた。

 もし、私の力が拡大すれば。

 王都の結界はどうなるのだろう。転移門は。魔術炉は。

 私は、国を止めてしまうのだろうか。

「怯える必要はない」

 レオンハルトの声が、低く響く。

「止まるなら、それは止まるべき構造だ」

「でも」

「魔術に依存しきった社会は脆い。君はそれを露呈させるだけだ」

 彼は近づき、私の手を取った。

「利用はするが、犠牲にはしない」

 その言葉は冷徹だが、誠実だった。

 その夜、王都で二度目の異変が起きる。

 王宮内の一角、補助結界が一瞬消えたのだ。

「また北方面と同時刻です!」

 報告に、会議室が凍りつく。

 アルフレッドは立ち上がる。

「北の公爵に問い合わせろ」

「公爵は『異常なし』と回答しています」

 歯噛みする。

 北。

 そして、リリアーナ。

 自分が切り捨てた名。

 あり得ない。だが、完全には否定できない。

 彼は拳を握り締めた。

「原因を見つけるまで、終われない」

 だが、その焦りこそが、王都の脆さを示していた。

 北では、静かな雪が降り続いている。

 私は窓辺に立ち、遠くを見つめた。

 王都で何が起きているのか、まだ詳しくは知らない。

 けれど、何かが確実に変わり始めている。

 私はただ、そこにいるだけ。

 それだけで、亀裂は走る。

 王都の光は、揺らぎ始めていた。
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