悪役令嬢の天然メイドは壺といっしょに婚約者の侯爵家を壊してしまいました

しおしお

文字の大きさ
1 / 31

第一話 安全装置が外れる日

しおりを挟む
第一話 安全装置が外れる日

 アーデルハイド公爵家の廊下は、今日も完璧だった。

 壺は揺れない。
 絨毯は歪まない。
 手すりはびくともしない。

 それは決して偶然ではない。

 踏み台の上で、エルマがはたきをぱたぱたと動かしている。高い棚の縁を、真剣な顔でなぞる。

「ほこりは敵です……」

 その足元で、筆頭侍女カメリアが無言で立っていた。

「右に三歩寄ってください」

「はい?」

「壺が落ちます」

「え?」

 エルマが慌てて体をずらした瞬間、棚の縁にかけていた布がひらりと揺れ、壺がぐらりと傾いた。

 だが、落ちない。

 カメリアが片手で支えていたからだ。

「落ちませんでした」

「ひゃあああ、すみません!」

「問題ありません」

 カメリアは淡々としている。壺を元に戻し、棚の角度を整える。

「エルマ」

「はい!」

「壺には触れないでください」

「はい!」

 少し離れた位置から、そのやり取りを眺めている人物がいた。

 ヴィオレッタ・アーデルハイド。

 公爵家の一人娘にして、社交界では“冷ややかな悪役令嬢”と囁かれる存在だ。

「……今日も完璧ですわね」

 紅茶を口に運びながら、彼女は満足げに呟く。

 この家では、事故は起きない。

 起きかけても、起きない。

 なぜなら、エルマの背後には常にカメリアがいるからだ。

 エルマは天然だ。
 そして、なぜか“何か”が起きやすい。

 だがそれは、ここでは未遂で終わる。

 安全装置が働くから。

 しかし――。

「お嬢様」

 メイド長が静かに近づいてくる。

「王宮より正式な通達が届きました」

「ええ、聞いておりますわ」

 ヴィオレッタはカップを置く。

「政略婚約、ですわね」

 相手は若侯爵レオンハルト。

 名門だが、近年財政が揺らいでいる家だという。

「ご不満は……」

 メイド長が慎重に問う。

 ヴィオレッタは、微笑む。

「ございませんわ。公爵家の娘ですもの」

 その笑みは、あまりに整いすぎていた。

 だが、カップを持つ指先だけが、わずかに強くなる。

「ただ」

 一拍。

「相手が、器を持っているかどうかは、気になりますわね」

「器、でございますか」

「ええ」

 ヴィオレッタは視線をエルマへ向ける。

 今まさに、エルマが踏み台を踏み外しかけ、カメリアが無言で支えたところだった。

「彼女を、連れていきます」

 メイド長の顔が引きつる。

「エルマを……でございますか?」

「ええ」

「お嬢様、正気ですか?」

「正気ですわ」

 ヴィオレッタは涼やかに立ち上がる。

「安全装置のない場所で、何が起きるのか。見てみたいのです」

 メイド長が額を押さえる。

「侯爵家が……危険です」

「そうね」

 ヴィオレッタは楽しげに目を細める。

「だから、連れていくのですわ」

 そのやり取りを聞いていたエルマが、はたきを抱えたまま振り向く。

「お嬢様、わたし、なにかしましたか?」

「いいえ」

「怒られてますか?」

「いいえ」

「では、なぜ連れていくのです?」

 ヴィオレッタは、ゆっくりと歩み寄る。

「ものさしにしてもらうのよ」

「はい?」

「あなたがいても壊れない家なら、健全ということ」

 エルマはきょとんとする。

「わたし、壊しません」

「ええ」

 一瞬、ヴィオレッタの笑みが深まる。

「壊すのは、歪んでいるほうですもの」

 カメリアが、静かに一礼する。

「死者が出ないことを、お祈り申し上げます」

 エルマが青ざめる。

「え、え、え、死者!?」

「あなたの意思に関わらず、事が起きるから厄介なのです」

「わたし何もしてません!」

「存じております」

 カメリアは淡々。

 ヴィオレッタはくすりと笑う。

「大丈夫よ、エルマ」

「本当ですか?」

「私に害が及ばなければ、どこでもいいわ」

「ひどいです!」

「冗談よ」

 一拍。

「半分は」

「半分!?」

 ヴィオレッタは窓の外を見る。

 公爵邸の庭は、今日も静かだ。

 壺は揺れない。

 誰も転ばない。

 だが、もうすぐそれは終わる。

「行きましょう」

 ヴィオレッタは扇子を閉じた。

「安全装置を外すの」

 エルマは不安げに踏み台を降りる。

 カメリアは最後に壺を確認する。

 完璧な廊下。

 完璧な家。

 そして、これから崩れるかもしれないどこかの家。

 ヴィオレッタの瞳が、わずかに愉しげに揺れた。

「さて」

 彼女は微笑む。

「器を、測らせていただきましょうか」

 この日、アーデルハイド公爵家はいつも通り静かだった。

 まだ誰も知らない。

 天然メイドという名の“ものさし”が、侯爵家へ向かうことを。

 壊しているつもりはない。

 ただ、測るだけ。

 それだけのことなのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子様への置き手紙

あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯ 小説家になろうにも掲載しています。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

〈完結〉だってあなたは彼女が好きでしょう?

ごろごろみかん。
恋愛
「だってあなたは彼女が好きでしょう?」 その言葉に、私の婚約者は頷いて答えた。 「うん。僕は彼女を愛している。もちろん、きみのことも」

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

婚約者が私のことをゴリラと言っていたので、距離を置くことにしました

相馬香子
恋愛
ある日、クローネは婚約者であるレアルと彼の友人たちの会話を盗み聞きしてしまう。 ――男らしい? ゴリラ? クローネに対するレアルの言葉にショックを受けた彼女は、レアルに絶交を突きつけるのだった。 デリカシーゼロ男と男装女子の織り成す、勘違い系ラブコメディです。

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

処理中です...