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第四話 本棚は崩れ、悪意は埋もれる
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第四話 本棚は崩れ、悪意は埋もれる
侯爵家の書庫は、やけに立派だった。
天井まで届く本棚。重厚な机。分厚い帳簿。
「立派ですわね」
ヴィオレッタは扇子を閉じ、ゆっくりと室内を見渡す。
「蔵書の量は、知性の量を示すと申します」
執事が誇らしげに言う。
「中身も伴っているとよろしいのですけれど」
ヴィオレッタは穏やかに微笑む。
エルマはというと、入口近くで踏み台を広げていた。
「ほこりが多いです」
「やめなさい」
「え?」
「……いえ、丁寧に、ね」
ヴィオレッタは言い直す。
安全装置はいない。
ここにはカメリアもいない。
エルマは一人。
踏み台に乗り、上段の本に手を伸ばす。
その背後で、侯爵家の若いメイドが、にやりと笑った。
昨日の壺騒ぎ。
屋敷中の笑い話になっている。
その原因がエルマだと、勝手に決めつけられている。
「少し揺らせば……」
小声。
踏み台の脚を、つま先でそっと押す。
がくん。
「あ」
エルマの体が傾く。
踏み台が横へずれる。
「きゃっ」
バランスを崩す。
落ちる――
その瞬間。
エルマは反射的に本棚の縁を掴んだ。
ぎし。
嫌な音。
重心が、前へ。
「……え?」
若いメイドの顔が引きつる。
本棚が、ゆっくりと傾く。
最上段から、分厚い本が滑る。
一冊。
二冊。
三冊。
どさっ。
ばさばさばさっ。
次の瞬間、雪崩。
本が一斉に崩れ落ちた。
「きゃああああ!」
悲鳴。
踏み台を蹴ったメイドの上に、分厚い本が容赦なく降り注ぐ。
どすどすどすどす。
埃が舞う。
沈黙。
エルマは、まだ本棚にぶら下がっている。
「……落ちませんでした」
震える声。
ヴィオレッタはゆっくりと近づく。
「エルマ」
「はい!」
「手を離しなさい」
「離したら落ちます」
「本棚は止まっているわ」
確かに、倒れきってはいない。
中途半端な角度で止まっている。
エルマがそっと降りる。
足元には、本の山。
その下から、か細い声。
「……た、助けて……」
若いメイドが埋もれている。
ヴィオレッタは扇子で口元を隠す。
「まあ」
「お嬢様、わたし、何もしてません」
「ええ」
即答。
「何もしていないわ」
執事が慌てて駆け込む。
「何事です!」
状況を見て、固まる。
「……どうしてこうなった」
エルマが真面目に答える。
「踏み台が、動きました」
「誰が動かしたのだ!」
若いメイドが本の下で呻く。
「わ、わたしは……」
言いかけて、咳き込む。
ヴィオレッタは静かに言う。
「悪意は、重たいのですわ」
執事が眉をひそめる。
「何のことです」
「本棚も、重さのかかる方向へ倒れますもの」
ゆっくりと、本の山を見下ろす。
「たまたま、そこにいらしただけでしょう?」
若いメイドが顔を上げる。
言い返せない。
エルマはおろおろしている。
「わたし、軽いです」
「ええ」
ヴィオレッタは頷く。
「あなたは、軽いの」
「軽い?」
「ええ」
一拍。
「悪意がないから」
若いメイドが震える。
「わ、わたしは……!」
ヴィオレッタはにこりと微笑む。
「大丈夫よ。死んではいませんわ」
執事が慌てて人を呼ぶ。
本をどける。
若いメイドは腕を押さえている。
骨は折れていない。
だが、誇りは粉々だ。
エルマが本を拾い上げる。
「ほこりが多いです」
「今日はやめなさい」
ヴィオレッタは即座に止める。
これ以上揺らしてはならない。
十分だ。
執事が低く言う。
「公爵家のメイドは、随分と騒がしい」
「ええ」
ヴィオレッタは穏やかに答える。
「でも、壊したのは本棚ではなくて?」
執事が言葉を失う。
若いメイドが連れていかれる。
書庫には、傾いた本棚と散乱した本。
そして、静かな空気。
「エルマ」
「はい?」
「よく見ておきなさい」
「何をです?」
「倒れる方向」
「……本棚ですか?」
「ええ」
ヴィオレッタは視線を巡らせる。
「家も同じですわ」
エルマは難しそうな顔をする。
「本棚みたいに、倒れるのですか?」
「ええ」
一瞬、目が細くなる。
「支える力より、押す力が強ければ」
書庫を出る。
廊下に出た途端、ヴィオレッタは早足になる。
自室の扉を閉める。
そして。
「……っ、ふ、ふふふ……」
震える肩。
「自分で蹴って、自分で埋まるなんて……」
耐えきれない。
「あはははははは!」
椅子に倒れ込む。
「踏み台を蹴るなんて、短絡的すぎますわ……!」
涙を拭う。
「エルマは、掴んだだけ……!」
ノック。
「お嬢様……?」
エルマの不安そうな声。
「わたし、怒られてませんか?」
「怒っていないわ」
「本棚、わたしが倒しましたか?」
「いいえ」
ヴィオレッタは深呼吸をする。
「倒れたのは、悪意よ」
「……悪意って、重いんですね」
「ええ」
笑みを浮かべる。
「とても」
書庫ではまだ片付けが続いている。
壊しているつもりはない。
ただ、触れただけ。
支えただけ。
測定は、確実に進んでいる。
重いものから、順に。
侯爵家の書庫は、やけに立派だった。
天井まで届く本棚。重厚な机。分厚い帳簿。
「立派ですわね」
ヴィオレッタは扇子を閉じ、ゆっくりと室内を見渡す。
「蔵書の量は、知性の量を示すと申します」
執事が誇らしげに言う。
「中身も伴っているとよろしいのですけれど」
ヴィオレッタは穏やかに微笑む。
エルマはというと、入口近くで踏み台を広げていた。
「ほこりが多いです」
「やめなさい」
「え?」
「……いえ、丁寧に、ね」
ヴィオレッタは言い直す。
安全装置はいない。
ここにはカメリアもいない。
エルマは一人。
踏み台に乗り、上段の本に手を伸ばす。
その背後で、侯爵家の若いメイドが、にやりと笑った。
昨日の壺騒ぎ。
屋敷中の笑い話になっている。
その原因がエルマだと、勝手に決めつけられている。
「少し揺らせば……」
小声。
踏み台の脚を、つま先でそっと押す。
がくん。
「あ」
エルマの体が傾く。
踏み台が横へずれる。
「きゃっ」
バランスを崩す。
落ちる――
その瞬間。
エルマは反射的に本棚の縁を掴んだ。
ぎし。
嫌な音。
重心が、前へ。
「……え?」
若いメイドの顔が引きつる。
本棚が、ゆっくりと傾く。
最上段から、分厚い本が滑る。
一冊。
二冊。
三冊。
どさっ。
ばさばさばさっ。
次の瞬間、雪崩。
本が一斉に崩れ落ちた。
「きゃああああ!」
悲鳴。
踏み台を蹴ったメイドの上に、分厚い本が容赦なく降り注ぐ。
どすどすどすどす。
埃が舞う。
沈黙。
エルマは、まだ本棚にぶら下がっている。
「……落ちませんでした」
震える声。
ヴィオレッタはゆっくりと近づく。
「エルマ」
「はい!」
「手を離しなさい」
「離したら落ちます」
「本棚は止まっているわ」
確かに、倒れきってはいない。
中途半端な角度で止まっている。
エルマがそっと降りる。
足元には、本の山。
その下から、か細い声。
「……た、助けて……」
若いメイドが埋もれている。
ヴィオレッタは扇子で口元を隠す。
「まあ」
「お嬢様、わたし、何もしてません」
「ええ」
即答。
「何もしていないわ」
執事が慌てて駆け込む。
「何事です!」
状況を見て、固まる。
「……どうしてこうなった」
エルマが真面目に答える。
「踏み台が、動きました」
「誰が動かしたのだ!」
若いメイドが本の下で呻く。
「わ、わたしは……」
言いかけて、咳き込む。
ヴィオレッタは静かに言う。
「悪意は、重たいのですわ」
執事が眉をひそめる。
「何のことです」
「本棚も、重さのかかる方向へ倒れますもの」
ゆっくりと、本の山を見下ろす。
「たまたま、そこにいらしただけでしょう?」
若いメイドが顔を上げる。
言い返せない。
エルマはおろおろしている。
「わたし、軽いです」
「ええ」
ヴィオレッタは頷く。
「あなたは、軽いの」
「軽い?」
「ええ」
一拍。
「悪意がないから」
若いメイドが震える。
「わ、わたしは……!」
ヴィオレッタはにこりと微笑む。
「大丈夫よ。死んではいませんわ」
執事が慌てて人を呼ぶ。
本をどける。
若いメイドは腕を押さえている。
骨は折れていない。
だが、誇りは粉々だ。
エルマが本を拾い上げる。
「ほこりが多いです」
「今日はやめなさい」
ヴィオレッタは即座に止める。
これ以上揺らしてはならない。
十分だ。
執事が低く言う。
「公爵家のメイドは、随分と騒がしい」
「ええ」
ヴィオレッタは穏やかに答える。
「でも、壊したのは本棚ではなくて?」
執事が言葉を失う。
若いメイドが連れていかれる。
書庫には、傾いた本棚と散乱した本。
そして、静かな空気。
「エルマ」
「はい?」
「よく見ておきなさい」
「何をです?」
「倒れる方向」
「……本棚ですか?」
「ええ」
ヴィオレッタは視線を巡らせる。
「家も同じですわ」
エルマは難しそうな顔をする。
「本棚みたいに、倒れるのですか?」
「ええ」
一瞬、目が細くなる。
「支える力より、押す力が強ければ」
書庫を出る。
廊下に出た途端、ヴィオレッタは早足になる。
自室の扉を閉める。
そして。
「……っ、ふ、ふふふ……」
震える肩。
「自分で蹴って、自分で埋まるなんて……」
耐えきれない。
「あはははははは!」
椅子に倒れ込む。
「踏み台を蹴るなんて、短絡的すぎますわ……!」
涙を拭う。
「エルマは、掴んだだけ……!」
ノック。
「お嬢様……?」
エルマの不安そうな声。
「わたし、怒られてませんか?」
「怒っていないわ」
「本棚、わたしが倒しましたか?」
「いいえ」
ヴィオレッタは深呼吸をする。
「倒れたのは、悪意よ」
「……悪意って、重いんですね」
「ええ」
笑みを浮かべる。
「とても」
書庫ではまだ片付けが続いている。
壊しているつもりはない。
ただ、触れただけ。
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測定は、確実に進んでいる。
重いものから、順に。
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