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第五話 塩と砂糖と、毒見役
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第五話 塩と砂糖と、毒見役
侯爵家のお茶会は、形式ばっている。
庭に面した応接間。大きな窓。磨き上げられた銀器。無駄に豪華な三段スタンド。
「まあ、公爵令嬢様。本日はお天気もよろしゅうございますわね」
侯爵夫人が、いかにも“わたくしが主役”という笑みを浮かべる。
「ええ、とても穏やかで」
ヴィオレッタは優雅に応じる。
向かいに若侯爵レオンハルト。その隣に侯爵夫人。少し離れた位置に執事。
そして、トレイを持つエルマ。
「本日は、エルマが作ったプリンでございます」
ヴィオレッタが言う。
「……手作り?」
侯爵夫人の声がわずかに硬くなる。
「ええ。可愛らしいでしょう?」
エルマが一皿ずつ配る。
ぷるん、と震えるプリン。
艶は良い。
見た目は完璧。
ヴィオレッタの前にも置かれる。
だが――。
彼女は、スプーンを手に取らない。
レオンハルトが言う。
「どうぞ」
「ええ」
侯爵夫人が先に口へ運ぶ。
一拍。
そして。
「……っ!」
表情が固まる。
レオンハルトも続く。
口に入れた瞬間、眉がぴくりと動く。
沈黙。
ヴィオレッタは微笑んだまま。
「いかがです?」
侯爵夫人が無理に飲み込む。
「……塩味、ですのね」
「まあ」
ヴィオレッタは目を丸くする。
「塩?」
エルマが青ざめる。
「お砂糖、入れました!」
「味見は?」
「しました!」
「どうやって?」
「お砂糖を入れたスプーンを、ぺろっと」
ヴィオレッタはにっこり。
「あなた、それでは味見になりませんことよ」
「……え?」
「お砂糖だけ舐めても、全体の味はわからないでしょう?」
侯爵夫人の顔色が変わる。
レオンハルトが水を飲む。
ヴィオレッタは、まだ口をつけない。
「まあまあ」
穏やかな声。
「毒が入っているわけではありませんもの」
「……毒など」
侯爵夫人が震える。
「塩と砂糖を間違えるなんて、可愛い失敗ですわ」
一拍。
「目くじらを立てるほどのことではございませんわよね?」
レオンハルトは答えない。
塩の後味が残っている。
ヴィオレッタはようやくスプーンを手に取る。
しかし、口には運ばない。
くるりと回すだけ。
(あの子の作るものを、毒味なしで口にするのは危険ですもの)
内心で冷静に判断する。
エルマが震えている。
「申し訳ありません……!」
「大丈夫よ」
ヴィオレッタは微笑む。
「あなたは、正直なだけ」
「正直……?」
「ええ。間違えたら、間違えた味がするの」
侯爵夫人が堪えきれず言う。
「普通、味見くらい徹底させるものではなくて?」
「そうかしら」
ヴィオレッタは首をかしげる。
「わたくしは、失敗を笑って許せる度量を持つ殿方が好みですの」
視線が、レオンハルトへ。
「侯爵たるもの、その程度でお怒りになるものではありませんわよね?」
静かな圧。
レオンハルトは、冷静を装う。
「……無論だ」
頭の片隅で、壺と本棚がよぎる。
「可愛い失敗だ」
塩の余韻が舌に残る。
ヴィオレッタはゆっくりと立ち上がる。
「エルマ」
「はい!」
「次は、砂糖を入れた後に全体を混ぜてから味見なさい」
「はい!」
「そして、私の分は最後に」
「はい?」
「最後に」
にこり。
侯爵夫人は、わずかに悟る。
(……毒見役にされた?)
レオンハルトも気づき始める。
この公爵令嬢は、決して自分からは口にしない。
確かめるまでは。
エルマがトレイを下げる。
去り際、足元の敷物に引っかかる。
しかし、今回は何も落ちない。
静か。
だが、空気は微妙にひび割れている。
お茶会はそのまま続く。
会話は上辺だけ。
笑顔は形だけ。
やがて解散。
自室へ戻ったヴィオレッタは、扉を閉めた瞬間。
「……っ、ふ、ふふ……」
肩が震える。
「塩……!」
抑えきれない。
「あははははは!」
椅子に崩れ落ちる。
「顔……あの顔……!」
涙がにじむ。
「怒れないのですもの……度量が問われますもの……!」
ノック。
「お嬢様……」
エルマの弱々しい声。
「わたし、やらかしましたか?」
「最高よ」
「褒められてるの嬉しくありません」
「あなたは、必要なものを揃えるの」
「……お給金、上がりますか?」
「失敗による損失分は引きますけど」
「えええ!?」
ヴィオレッタは笑い続ける。
「大丈夫」
一瞬、目が冷える。
「塩と砂糖を間違える家は、もっと別のものも間違えているはずですもの」
測定は進む。
壺。
本棚。
そして、塩。
壊しているつもりはない。
ただ、味が正直なだけ。
次は何が揺れるのか。
ヴィオレッタは楽しげに紅茶を飲んだ。
――自分で確かめた、安全な一口を。
侯爵家のお茶会は、形式ばっている。
庭に面した応接間。大きな窓。磨き上げられた銀器。無駄に豪華な三段スタンド。
「まあ、公爵令嬢様。本日はお天気もよろしゅうございますわね」
侯爵夫人が、いかにも“わたくしが主役”という笑みを浮かべる。
「ええ、とても穏やかで」
ヴィオレッタは優雅に応じる。
向かいに若侯爵レオンハルト。その隣に侯爵夫人。少し離れた位置に執事。
そして、トレイを持つエルマ。
「本日は、エルマが作ったプリンでございます」
ヴィオレッタが言う。
「……手作り?」
侯爵夫人の声がわずかに硬くなる。
「ええ。可愛らしいでしょう?」
エルマが一皿ずつ配る。
ぷるん、と震えるプリン。
艶は良い。
見た目は完璧。
ヴィオレッタの前にも置かれる。
だが――。
彼女は、スプーンを手に取らない。
レオンハルトが言う。
「どうぞ」
「ええ」
侯爵夫人が先に口へ運ぶ。
一拍。
そして。
「……っ!」
表情が固まる。
レオンハルトも続く。
口に入れた瞬間、眉がぴくりと動く。
沈黙。
ヴィオレッタは微笑んだまま。
「いかがです?」
侯爵夫人が無理に飲み込む。
「……塩味、ですのね」
「まあ」
ヴィオレッタは目を丸くする。
「塩?」
エルマが青ざめる。
「お砂糖、入れました!」
「味見は?」
「しました!」
「どうやって?」
「お砂糖を入れたスプーンを、ぺろっと」
ヴィオレッタはにっこり。
「あなた、それでは味見になりませんことよ」
「……え?」
「お砂糖だけ舐めても、全体の味はわからないでしょう?」
侯爵夫人の顔色が変わる。
レオンハルトが水を飲む。
ヴィオレッタは、まだ口をつけない。
「まあまあ」
穏やかな声。
「毒が入っているわけではありませんもの」
「……毒など」
侯爵夫人が震える。
「塩と砂糖を間違えるなんて、可愛い失敗ですわ」
一拍。
「目くじらを立てるほどのことではございませんわよね?」
レオンハルトは答えない。
塩の後味が残っている。
ヴィオレッタはようやくスプーンを手に取る。
しかし、口には運ばない。
くるりと回すだけ。
(あの子の作るものを、毒味なしで口にするのは危険ですもの)
内心で冷静に判断する。
エルマが震えている。
「申し訳ありません……!」
「大丈夫よ」
ヴィオレッタは微笑む。
「あなたは、正直なだけ」
「正直……?」
「ええ。間違えたら、間違えた味がするの」
侯爵夫人が堪えきれず言う。
「普通、味見くらい徹底させるものではなくて?」
「そうかしら」
ヴィオレッタは首をかしげる。
「わたくしは、失敗を笑って許せる度量を持つ殿方が好みですの」
視線が、レオンハルトへ。
「侯爵たるもの、その程度でお怒りになるものではありませんわよね?」
静かな圧。
レオンハルトは、冷静を装う。
「……無論だ」
頭の片隅で、壺と本棚がよぎる。
「可愛い失敗だ」
塩の余韻が舌に残る。
ヴィオレッタはゆっくりと立ち上がる。
「エルマ」
「はい!」
「次は、砂糖を入れた後に全体を混ぜてから味見なさい」
「はい!」
「そして、私の分は最後に」
「はい?」
「最後に」
にこり。
侯爵夫人は、わずかに悟る。
(……毒見役にされた?)
レオンハルトも気づき始める。
この公爵令嬢は、決して自分からは口にしない。
確かめるまでは。
エルマがトレイを下げる。
去り際、足元の敷物に引っかかる。
しかし、今回は何も落ちない。
静か。
だが、空気は微妙にひび割れている。
お茶会はそのまま続く。
会話は上辺だけ。
笑顔は形だけ。
やがて解散。
自室へ戻ったヴィオレッタは、扉を閉めた瞬間。
「……っ、ふ、ふふ……」
肩が震える。
「塩……!」
抑えきれない。
「あははははは!」
椅子に崩れ落ちる。
「顔……あの顔……!」
涙がにじむ。
「怒れないのですもの……度量が問われますもの……!」
ノック。
「お嬢様……」
エルマの弱々しい声。
「わたし、やらかしましたか?」
「最高よ」
「褒められてるの嬉しくありません」
「あなたは、必要なものを揃えるの」
「……お給金、上がりますか?」
「失敗による損失分は引きますけど」
「えええ!?」
ヴィオレッタは笑い続ける。
「大丈夫」
一瞬、目が冷える。
「塩と砂糖を間違える家は、もっと別のものも間違えているはずですもの」
測定は進む。
壺。
本棚。
そして、塩。
壊しているつもりはない。
ただ、味が正直なだけ。
次は何が揺れるのか。
ヴィオレッタは楽しげに紅茶を飲んだ。
――自分で確かめた、安全な一口を。
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