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第十九話 尊い犠牲
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第十九話 尊い犠牲
階段は修繕済みだった。
点検も済ませ、問題なしと報告されている。
そういうことになっていた。
午後の光が吹き抜けを照らす。
執事クラウスは、階段をゆっくり下りていた。
背筋は伸び、表情は硬い。
秩序そのもののような男。
階下では、エルマが花瓶の向きを直している。
触れてはいない。
階段にも、手すりにも。
ただ、そこにいる。
クラウスが手すりに手をかける。
ぎし。
小さな音。
次の瞬間。
金具が抜ける。
手すりが、根元から外れた。
「――っ」
支えを失った体が前へ傾く。
どさり。
手すりごと、階段の途中に崩れ落ちた。
木材が床を打つ音。
金具が転がる音。
静寂。
使用人たちの顔が一斉に青ざめる。
エルマは振り向く。
「……触ってません」
小さな声。
誰も彼女を見ていない。
だが全員が分かっている。
触れていない。
なのに起きた。
ヴィオレッタが階段の上に現れる。
壊れた手すり。
倒れている執事。
その様子を見下ろす。
そして、淡々と言った。
「彼の尊い犠牲で危険箇所が明確になりました」
階下から、くぐもった声。
「死んでおりません」
一瞬の間。
「お嬢様、生きてらっしゃるようです」
使用人が震えながら付け加える。
ヴィオレッタは小さく息をつく。
声を落とす。
「ちっ、こうるさいのが消えたかと思いましたのに」
その呟きは、エルマにしか届かない。
エルマは真顔で答える。
「消えてません」
「そう」
ヴィオレッタは再び執事を見下ろす。
「まあ、不幸中の幸いですわね」
冷静な声。
「早急に修繕の手配を」
まだ床にいる執事へ向けて。
クラウスは歯を食いしばり、ゆっくり起き上がる。
肩を押さえている。
打ちどころが悪ければ。
頭でも打っていれば。
一歩間違えば、大怪我だった。
笑えない。
本当に危なかった。
使用人の一人が、震える声で言う。
「昨日、点検したはずでは……」
誰も答えられない。
修繕は“されたことになっていた”。
だが現実は違った。
エルマは階段を見上げる。
「危ないです」
「ええ」
ヴィオレッタは頷く。
「危険は、上から落ちてくるものだけではありませんのね」
その言葉が、重く落ちる。
壺。
帳簿。
水。
階段。
そして手すり。
触れていない。
だが壊れた。
使用人たちの中に、確信が生まれる。
エルマが壊しているのではない。
この家の“緩み”が、彼女の前で露わになる。
クラウスは立ち上がる。
威厳は保とうとしている。
だが、確実に揺らいでいる。
ヴィオレッタは背を向ける。
笑わない。
これは冗談ではない。
「測れましたわね」
小さく呟く。
この家は、見えない部分が甘い。
報告も、修繕も、体裁だけ。
そして。
エルマがいると、それが壊れる。
階段は封鎖される。
修理が始まる。
だが。
壊れたのは手すりだけではない。
使用人たちの心に、
はっきりとした恐れが刻まれた。
エルマがいると、何かが起きる。
そしてそれは――
隠していたものが壊れる音だ。
階段は修繕済みだった。
点検も済ませ、問題なしと報告されている。
そういうことになっていた。
午後の光が吹き抜けを照らす。
執事クラウスは、階段をゆっくり下りていた。
背筋は伸び、表情は硬い。
秩序そのもののような男。
階下では、エルマが花瓶の向きを直している。
触れてはいない。
階段にも、手すりにも。
ただ、そこにいる。
クラウスが手すりに手をかける。
ぎし。
小さな音。
次の瞬間。
金具が抜ける。
手すりが、根元から外れた。
「――っ」
支えを失った体が前へ傾く。
どさり。
手すりごと、階段の途中に崩れ落ちた。
木材が床を打つ音。
金具が転がる音。
静寂。
使用人たちの顔が一斉に青ざめる。
エルマは振り向く。
「……触ってません」
小さな声。
誰も彼女を見ていない。
だが全員が分かっている。
触れていない。
なのに起きた。
ヴィオレッタが階段の上に現れる。
壊れた手すり。
倒れている執事。
その様子を見下ろす。
そして、淡々と言った。
「彼の尊い犠牲で危険箇所が明確になりました」
階下から、くぐもった声。
「死んでおりません」
一瞬の間。
「お嬢様、生きてらっしゃるようです」
使用人が震えながら付け加える。
ヴィオレッタは小さく息をつく。
声を落とす。
「ちっ、こうるさいのが消えたかと思いましたのに」
その呟きは、エルマにしか届かない。
エルマは真顔で答える。
「消えてません」
「そう」
ヴィオレッタは再び執事を見下ろす。
「まあ、不幸中の幸いですわね」
冷静な声。
「早急に修繕の手配を」
まだ床にいる執事へ向けて。
クラウスは歯を食いしばり、ゆっくり起き上がる。
肩を押さえている。
打ちどころが悪ければ。
頭でも打っていれば。
一歩間違えば、大怪我だった。
笑えない。
本当に危なかった。
使用人の一人が、震える声で言う。
「昨日、点検したはずでは……」
誰も答えられない。
修繕は“されたことになっていた”。
だが現実は違った。
エルマは階段を見上げる。
「危ないです」
「ええ」
ヴィオレッタは頷く。
「危険は、上から落ちてくるものだけではありませんのね」
その言葉が、重く落ちる。
壺。
帳簿。
水。
階段。
そして手すり。
触れていない。
だが壊れた。
使用人たちの中に、確信が生まれる。
エルマが壊しているのではない。
この家の“緩み”が、彼女の前で露わになる。
クラウスは立ち上がる。
威厳は保とうとしている。
だが、確実に揺らいでいる。
ヴィオレッタは背を向ける。
笑わない。
これは冗談ではない。
「測れましたわね」
小さく呟く。
この家は、見えない部分が甘い。
報告も、修繕も、体裁だけ。
そして。
エルマがいると、それが壊れる。
階段は封鎖される。
修理が始まる。
だが。
壊れたのは手すりだけではない。
使用人たちの心に、
はっきりとした恐れが刻まれた。
エルマがいると、何かが起きる。
そしてそれは――
隠していたものが壊れる音だ。
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