悪役令嬢の天然メイドは壺といっしょに婚約者の侯爵家を壊してしまいました

しおしお

文字の大きさ
17 / 31

第十八話 落下

しおりを挟む
第十八話 落下

 午後の階段。

 吹き抜けの空間に、やわらかな光が落ちている。

 エルマは手すりを拭いていた。

 一段上がり、また一段。

「高いです」

 慎重に、だが少し無防備に。

 下では、レオンハルトが執事と話をしている。

「帳簿は処理済みだな」

「ええ、侯爵様」

 そのとき。

 布が、足の下で滑った。

 ほんのわずか。

 だが十分だった。

「……あ」

 小さな声。

 次の瞬間。

 体が前に傾く。

 止まらない。

 一段。

 二段。

 三段。

 転げ落ちる。

「エルマ!」

 ヴィオレッタの声が響く。

 階段の上から見ていた。

 血の気が引く。

 頭を打つ。

 そう思った瞬間。

 レオンハルトが振り向く。

 咄嗟に前へ出る。

 どん、と重い衝撃。

 エルマが、そのままレオンハルトの上に落ちた。

 二人は階段下に倒れ込む。

 静寂。

 誰も動けない。

 ヴィオレッタは駆け下りる。

「エルマ!」

 声が、わずかに震えている。

 エルマは目を開ける。

 痛みを探すように、手足を動かす。

「……います」

 小さな声。

「どこか痛い?」

「……少し、びっくりしました」

 頭は打っていない。

 血もない。

 だがほんの少し、呼吸が乱れている。

 その下で、レオンハルトが息を詰めている。

 背中に強い衝撃。

 だが彼も大きな怪我はない。

「大丈夫か」

 低い声。

 本気で焦った声だった。

 エルマはゆっくり起き上がる。

「侯爵様、下でした」

「……見れば分かる」

 だが怒気はない。

 むしろ、安堵がにじむ。

 使用人たちが駆け寄る。

 階段を確認する。

 布が滑っている。

 水はない。

 細い糸のようなほこりが残っている。

 事故。

 だが。

 一歩間違えば。

 頭から落ちていた。

 ヴィオレッタはエルマの頬に触れる。

 冷たい。

「もう上らなくていいわ」

 静かに言う。

「はい」

 エルマは素直に頷く。

 レオンハルトはゆっくり立ち上がる。

 視線が、エルマへ向く。

 そこにあるのは怒りではない。

 恐怖でもない。

 理解。

 これは偶然ではない。

 いや、偶然なのだろう。

 だが。

 エルマが視界に入ると、

 必ず何かが起きる。

 そしてそれは、

 軽い冗談では済まない場所に近づいている。

「階段は点検させる」

 低く言う。

 ヴィオレッタは頷く。

「そうしてください」

 もう笑っていない。

 部屋に戻る。

 扉が閉まる。

 しばらく沈黙。

 そして、小さく息を吐く。

「……危なかった」

 本心だった。

 婚約を壊すため。

 侯爵家を測るため。

 だが。

 エルマが傷つくのは違う。

 窓の外を見る。

「ここからですわね」

 軽い事故ではない。

 本気で危ない。

 だからこそ。

 侯爵の中に、決定的な感情が生まれた。

 エルマを恐れるのではない。

 “エルマがいると何かが起きる”という確信。

 そして。

 自分が受け止めなければならない可能性。

 階段は修理される。

 だが。

 侯爵はその日以来、

 エルマを見ると、ほんの一瞬だけ、

 足元と――

 上を確認するようになった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子様への置き手紙

あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯ 小説家になろうにも掲載しています。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

〈完結〉だってあなたは彼女が好きでしょう?

ごろごろみかん。
恋愛
「だってあなたは彼女が好きでしょう?」 その言葉に、私の婚約者は頷いて答えた。 「うん。僕は彼女を愛している。もちろん、きみのことも」

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

婚約者が私のことをゴリラと言っていたので、距離を置くことにしました

相馬香子
恋愛
ある日、クローネは婚約者であるレアルと彼の友人たちの会話を盗み聞きしてしまう。 ――男らしい? ゴリラ? クローネに対するレアルの言葉にショックを受けた彼女は、レアルに絶交を突きつけるのだった。 デリカシーゼロ男と男装女子の織り成す、勘違い系ラブコメディです。

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

処理中です...