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第十七話 花瓶の水と威厳の洗濯
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第十七話 花瓶の水と威厳の洗濯
回廊には、背の高い花瓶が等間隔に並んでいる。
季節の花が生けられ、水はたっぷりと満たされていた。
「今日は水を替えます」
エルマは両手で花瓶を抱え、慎重に歩く。
「重いです」
「慎重にね」
ヴィオレッタは離れた場所で見守っている。
その背後、柱の陰。
侯爵家のメイド、リゼ。
(今度こそ)
滑らせるのではなく、驚かせるだけ。
花瓶を落とさせればいい。
事故に見せられる。
エルマが花瓶を持ち上げる。
その瞬間、リゼが背後から大きな音を立てる。
がしゃん。
「きゃっ」
エルマが驚く。
花瓶が大きく傾く。
水が、前方へ豪快に飛ぶ。
ちょうどそのとき。
回廊の角から現れたのは――
レオンハルト。
真正面。
避ける間もなく。
ばしゃあああっ。
花瓶一杯分の水が、頭からかかる。
完璧に。
髪も、肩も、上着も。
びしょ濡れ。
回廊が静まり返る。
エルマは花瓶を必死に抱えている。
「割れてません」
真顔。
レオンハルトは、ゆっくりと瞬きをする。
水滴が頬を伝う。
滴る。
床に落ちる。
沈黙。
使用人たちが凍る。
リゼの顔色が一瞬で変わる。
ヴィオレッタが一歩前へ出る。
「まあ」
一拍。
「涼しそうですわね」
静かな声。
レオンハルトは、ゆっくりと袖で顔を拭う。
「……事故だな」
低い声。
怒鳴らない。
客人はいない。
だが使用人は見ている。
怒れば、自分が小さい。
「申し訳ありません!」
エルマが深く頭を下げる。
「水が、前に行きました」
「そうだな」
淡々とした返答。
ヴィオレッタは花瓶を見る。
「花は無事ですわ」
「はい」
エルマは安心する。
リゼは一歩下がる。
目が泳ぐ。
誰も言わない。
だが。
水は前方に飛ぶ。
音を立てた位置は、エルマの背後。
理解は、広がる。
レオンハルトは濡れたまま立ち尽くす。
威厳が、水と一緒に滴っている。
「着替える」
短く言い、その場を去る。
背中からも、水が落ちる。
回廊に残る、水たまり。
使用人たちが静かに拭き始める。
誰も笑わない。
だが空気は変わった。
エルマが小声で言う。
「わたし、かけました」
「ええ」
ヴィオレッタは穏やかに答える。
「でも落としていません」
「はい」
「守るべきものは守りましたわ」
エルマはうなずく。
その夜。
自室の扉が閉まる。
一秒。
二秒。
「……っ」
肩が震える。
「ずぶ濡れ……!」
堪えきれない。
「あはははは!」
椅子に倒れ込む。
「真正面で受け止めていらっしゃいましたわ……!」
涙がにじむ。
「怒れない……怒れませんもの……!」
ノック。
「お嬢様?」
「どうぞ」
扉が開く。
「わたし、水の向き、間違えました」
「いいえ」
ヴィオレッタはまだ笑いながら言う。
「向きは正確でしたわ」
「正確?」
「ええ」
一拍。
「この家の中心に、きちんとかかりましたもの」
エルマは意味がわからない。
だが頷く。
壺は割れない。
花は守られる。
だが侯爵は、頭からずぶ濡れ。
まだ崩壊ではない。
だが。
威厳は、確実に洗われ始めていた。
回廊には、背の高い花瓶が等間隔に並んでいる。
季節の花が生けられ、水はたっぷりと満たされていた。
「今日は水を替えます」
エルマは両手で花瓶を抱え、慎重に歩く。
「重いです」
「慎重にね」
ヴィオレッタは離れた場所で見守っている。
その背後、柱の陰。
侯爵家のメイド、リゼ。
(今度こそ)
滑らせるのではなく、驚かせるだけ。
花瓶を落とさせればいい。
事故に見せられる。
エルマが花瓶を持ち上げる。
その瞬間、リゼが背後から大きな音を立てる。
がしゃん。
「きゃっ」
エルマが驚く。
花瓶が大きく傾く。
水が、前方へ豪快に飛ぶ。
ちょうどそのとき。
回廊の角から現れたのは――
レオンハルト。
真正面。
避ける間もなく。
ばしゃあああっ。
花瓶一杯分の水が、頭からかかる。
完璧に。
髪も、肩も、上着も。
びしょ濡れ。
回廊が静まり返る。
エルマは花瓶を必死に抱えている。
「割れてません」
真顔。
レオンハルトは、ゆっくりと瞬きをする。
水滴が頬を伝う。
滴る。
床に落ちる。
沈黙。
使用人たちが凍る。
リゼの顔色が一瞬で変わる。
ヴィオレッタが一歩前へ出る。
「まあ」
一拍。
「涼しそうですわね」
静かな声。
レオンハルトは、ゆっくりと袖で顔を拭う。
「……事故だな」
低い声。
怒鳴らない。
客人はいない。
だが使用人は見ている。
怒れば、自分が小さい。
「申し訳ありません!」
エルマが深く頭を下げる。
「水が、前に行きました」
「そうだな」
淡々とした返答。
ヴィオレッタは花瓶を見る。
「花は無事ですわ」
「はい」
エルマは安心する。
リゼは一歩下がる。
目が泳ぐ。
誰も言わない。
だが。
水は前方に飛ぶ。
音を立てた位置は、エルマの背後。
理解は、広がる。
レオンハルトは濡れたまま立ち尽くす。
威厳が、水と一緒に滴っている。
「着替える」
短く言い、その場を去る。
背中からも、水が落ちる。
回廊に残る、水たまり。
使用人たちが静かに拭き始める。
誰も笑わない。
だが空気は変わった。
エルマが小声で言う。
「わたし、かけました」
「ええ」
ヴィオレッタは穏やかに答える。
「でも落としていません」
「はい」
「守るべきものは守りましたわ」
エルマはうなずく。
その夜。
自室の扉が閉まる。
一秒。
二秒。
「……っ」
肩が震える。
「ずぶ濡れ……!」
堪えきれない。
「あはははは!」
椅子に倒れ込む。
「真正面で受け止めていらっしゃいましたわ……!」
涙がにじむ。
「怒れない……怒れませんもの……!」
ノック。
「お嬢様?」
「どうぞ」
扉が開く。
「わたし、水の向き、間違えました」
「いいえ」
ヴィオレッタはまだ笑いながら言う。
「向きは正確でしたわ」
「正確?」
「ええ」
一拍。
「この家の中心に、きちんとかかりましたもの」
エルマは意味がわからない。
だが頷く。
壺は割れない。
花は守られる。
だが侯爵は、頭からずぶ濡れ。
まだ崩壊ではない。
だが。
威厳は、確実に洗われ始めていた。
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