悪役令嬢の天然メイドは壺といっしょに婚約者の侯爵家を壊してしまいました

しおしお

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第十六話 測られる侯爵家

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第十六話 測られる侯爵家

 午後の応接間。

 侯爵家の紋章が掲げられ、重厚な家具が整然と並ぶ。

 レオンハルトは椅子に腰掛け、書類に目を通していた。

 その向かいにはヴィオレッタ。

 優雅に微笑んでいる。

 表面上は、穏やかな婚約者同士の対話。

 だが空気は、どこか硬い。

「先日の件だが」

 レオンハルトが口を開く。

「厨房の壺の件、廊下の水の件、落ちていた書状の件……」

「ええ」

 ヴィオレッタは静かに頷く。

「管理が甘い、と」

「……偶然が続きすぎている」

 声は抑えられているが、苛立ちは隠せない。

「偶然は、重なると癖になりますの」

 やわらかな言葉。

「癖?」

「ええ。直さなければ、繰り返しますわ」

 レオンハルトは視線を逸らす。

 そのとき。

 廊下の向こうから、ぱたぱたと足音。

「お嬢様!」

 エルマが顔を出す。

「どうしましたの?」

「階段の踊り場の壺、少し傾いていました」

 部屋の空気がわずかに固まる。

 レオンハルトの肩が、ほんの少し強張る。

「触ったのか?」

「触ってません」

 真顔で言う。

「怖いので」

 沈黙。

 ヴィオレッタは微笑む。

「触らなくて正解ですわ」

「はい」

 エルマは満足そうに頷く。

 そのまま去る。

 扉が閉まる。

 レオンハルトが深く息を吐く。

「……彼女は、何かを狙っているのか?」

「狙う?」

 ヴィオレッタは首をかしげる。

「エルマは、数字も読めませんわ」

「だが、毎回――」

「毎回、落ちているものを拾うだけ」

 言葉がかぶる。

 レオンハルトは黙る。

 ヴィオレッタは続ける。

「侯爵家は、落とし物が多いのです」

 一拍。

「壊れかけた壺。管理されていない帳簿。廊下の書状」

 視線がまっすぐ向けられる。

「それを拾う者が悪いのでしょうか」

 沈黙。

 レオンハルトの拳がわずかに握られる。

「……君は、何が言いたい」

「何も」

 微笑む。

「私は、測っているだけですわ」

「測る?」

「この家が、どれほど安定しているか」

 柔らかな声。

 だが刃のように鋭い。

「婚約は、家と家の結びつきですもの。傾いた床に立つのは、怖いでしょう?」

 レオンハルトは言葉を失う。

 応接間の外で、使用人たちがひそひそ話している。

「また壺が傾いていたらしい」

「触ってないって」

「触らなくても起きるのが怖い」

 噂は、もうエルマ個人ではなく、侯爵家全体に向き始めていた。

 ヴィオレッタは立ち上がる。

「安心なさって」

「何をだ」

「私は、正義の味方ではありませんもの」

 一瞬の沈黙。

「ただ、安心して立てる床を探しているだけですわ」

 扉へ向かう。

 背後でレオンハルトが低く言う。

「婚約を……壊す気か?」

 足が止まる。

 振り向かない。

「壊れるなら、それは最初からひびが入っていたのです」

 そのまま部屋を出る。

 廊下でエルマが待っている。

「壺、直しますか?」

「いいえ」

 ヴィオレッタは微笑む。

「触らなくていいの」

「触らない?」

「ええ。触らなくても、傾くものは傾きますもの」

 エルマはよくわからないまま頷く。

 侯爵家の重心は、まだ崩れてはいない。

 だが確実に揺れている。

 エルマは何もしていない。

 ただ、拾うだけ。

 そしてヴィオレッタは、静かに測り続ける。

 この婚約が、どれほどの重さに耐えられるのかを。
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