悪役令嬢の天然メイドは壺といっしょに婚約者の侯爵家を壊してしまいました

しおしお

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第25話 王宮が動く日

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第25話 王宮が動く日

王宮監査局は、静かな場所にある。

華やかな舞踏会場でも、豪奢な謁見の間でもない。
分厚い帳簿と、淡々と紙をめくる音だけが響く、乾いた部屋だ。

その机の上に、ひとまとめにされた書類が置かれていた。

壺から出た帳簿。
額縁の裏の封書。
商会の受領証。
そして、口座の還流記録。

監査官は、無言でそれらを並べる。

差額。

銀貨八千と、銀貨一万二千。

四千のずれ。

指先で、帳簿の数字をなぞる。

「……偶然ではないな」

隣の若い書記官が息を呑む。

「徴収額の改ざん。差額の商会送金。さらに個人口座への還流……」

監査官は淡々と言った。

「構造が出来上がっている」

つまり、思いつきの横領ではない。
継続的な不正。

机の端に置かれた封書の署名に、彼は視線を落とす。

レオンハルト・フォン・——侯爵。

「提出者は?」

「アーデルハイド公爵家ご令嬢。確認依頼という形式です」

告発ではない。

糾弾でもない。

ただ、“照会”。

その冷静さが、かえって重い。

監査官は椅子にもたれた。

「感情的な書状なら無視もできた。だがこれは違う」

机上の書類は、あまりにも整いすぎていた。

差額。
日付一致。
署名。
送金経路。

一つでも欠けていれば、言い逃れの余地はあった。

だが、欠けていない。

「極秘で調査を開始する。まずは商会側の確認だ」

「はい」

書記官が立ち上がる。

静かに、しかし確実に。

侯爵家を包囲する歯車が回り始めた。


---

その頃。

侯爵邸の西棟では、エルマが壺の破片を布で包んでいた。

「……これ、もったいなかったですね」

破片を光にかざす。

「綺麗でしたのに」

ヴィオレッタは紅茶を口に運ぶ。

「壺は壊れるためにありますのよ」

「えええ?」

「中身を出すために」

エルマはきょとんとする。

「中身……?」

ヴィオレッタは答えない。

窓の外を眺める。

庭では、侯爵レオンハルトが珍しく落ち着きなく歩いている。

何かが、うまくいっていない。

まだ知らないはずだ。

だが、人は本能で感じる。

足元が崩れ始めた気配を。

「お嬢様」

エルマが布を抱えたまま近づく。

「なんか、今日は静かですね」

「ええ」

ヴィオレッタは微笑む。

「嵐の前は、いつもそうですわ」

エルマは、嵐と聞いて窓を見た。

空は青い。

雲ひとつない。

「晴れてますよ?」

「そうですわね」

ヴィオレッタは紅茶を置く。

指先でカップの縁をなぞる。

王宮の監査官の机の上を、彼女は見ていない。

だが、想像はできる。

書類が並べられ、
数字が揃えられ、
線が引かれる。

静かな場所で、静かに、決定が積み重なる。

「お嬢様、わたし……」

「何ですの?」

「壺、割っちゃいましたけど……怒ってません?」

ヴィオレッタはゆっくりと振り返る。

「怒る理由がありませんわ」

「でも、高そうでした」

「ええ。高かったでしょうね」

エルマがしゅんとする。

「お給金、減りますか?」

ヴィオレッタは、ふっと笑った。

「心配いりませんわ」

「ほんとですか?」

「ええ」

そして、静かに続ける。

「ここでの損失は、やがて計算の外になりますから」

「……計算の外?」

「払う相手がいなくなる、という意味ですわ」

エルマはしばらく考え、そして首を傾げた。

「すごいですね、数字って」

「ええ。壺より硬いのです」

その時、廊下を足早に歩く音がした。

侯爵の執事だ。

顔色が、わずかに悪い。

ヴィオレッタはその背を見送りながら、静かに呟いた。

「動きましたわね」

「何がです?」

「風向きが」

エルマは窓を開ける。

本当に風が入ってきた。

柔らかな、春の風。

だがその風は、遠く王宮から吹き始めている。

侯爵家は、まだ知らない。

帳簿の差額が、
封書の一文が、
壺の破片が、

すでに自分たちを囲んでいることを。

ヴィオレッタは立ち上がる。

「エルマ」

「はい?」

「片付けは終わりました?」

「はい、壊れたの全部まとめました」

「結構ですわ」

そして、微笑む。

「次は、壊れる番ですもの」

「え?」

エルマは、また何かを落としそうになりながら、慌てて抱え直した。

晴れた空の下。

誰もまだ気づかない。

だが確実に、

侯爵家の終わりは、静かに、静かに始まっていた。
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