悪役令嬢の天然メイドは壺といっしょに婚約者の侯爵家を壊してしまいました

しおしお

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第28話 崩れはじめた威厳

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第28話 崩れはじめた威厳

王宮監査官の立ち入りから三日。

侯爵邸は、まるで病を患ったかのように静まり返っていた。

廊下に響く足音は硬い。
笑い声は消え、視線は泳ぐ。

侯爵レオンハルトは、書斎にこもったままだった。

机の上には、監査官が突きつけた書類の控え。

差額の帳簿。
封書の指示文。
商会の受領証。
そして還流記録。

すべてが、ひとつの線で繋がっている。

「……改ざんなどしていない」

声に出してみる。

だが、自分の声が薄い。

「徴収額の計上ミスだ。誤記だ」

だが、日付も金額も、数年分一致している。

偶然で片付けられる量ではない。

ノック。

「入れ」

執事が入室する。

顔色が悪い。

「侯爵様……王宮より、追加の照会が届きました」

「何のだ」

「商会口座の詳細と、私的口座の入出金記録の提出を」

レオンハルトの指先が強く机を掴む。

「私的口座は関係ない!」

「しかし、商会側がすでに提出済みとのことで……」

言い逃れは崩れ始めている。

侯爵は立ち上がり、窓へ向かう。

庭に目をやる。

そこに、エルマがいる。

ほうきを持ち、落ち葉を集めている。

無防備な後ろ姿。

侯爵は無意識に眉をひそめる。

あのメイド。

あの日、壺が割れた。

あの日、額が落ちた。

あの日、西棟で袋が破れた。

偶然。

偶然。

偶然。

だが、偶然が重なりすぎている。

侯爵は苛立ちを振り払うように踵を返す。

「帳簿の原本はどこだ」

「すでに押収されました」

「……」

言葉が出ない。

威厳が、目に見えない形で削れていく。


---

その頃。

二階の回廊。

ヴィオレッタは下を見下ろしていた。

庭でほうきを振るエルマ。

背後から近づく侯爵。

レオンハルトはエルマに気づき、ぴたりと止まる。

一瞬、進路を考える。

そして、回れ右。

別方向へ歩き出す。

三歩。

絨毯の端に足を引っかける。

ぐらり。

今度は持ち直せない。

尻餅。

鈍い音。

誰もいないことを確認しようとする視線。

だが、上から視線が降ってくる。

ヴィオレッタ。

肩が震えている。

彼女は慌てて踵を返し、自室へ戻る。

扉を閉める。

沈黙。

そして。

「……無理ですわ」

小さな声。

次の瞬間。

爆笑。

「自滅……自滅してらっしゃる……!」

椅子に崩れ落ちる。

「エルマは何もしておりませんのに……!」

笑いながら、目に涙が滲む。

やがて落ち着き、深呼吸。

鏡で表情を整える。

外に出るときは、何事もなかった顔。


---

一方、庭。

エルマは気づいていない。

「葉っぱ、多いですね」

ほうきを動かしながら、鼻歌。

侯爵は立ち上がり、尻をさすりながら歩き去る。

背中が、どこか小さい。

威厳は、怒号で保てるものではない。

崩れるときは、こうして音もなく削れていく。


---

夕刻。

監査官が再び屋敷を出る。

押収箱が増えている。

封をされた箱が、馬車に積まれる。

侯爵は遠くからそれを見る。

止められない。

叫べない。

抗議できない。

手の中から、砂のように零れ落ちていく。

ヴィオレッタは静かにカーテンを閉じる。

「進んでおりますわね」

エルマが近づく。

「何がです?」

「片付けが」

「大掃除ですか?」

「ええ。とても大きな」

エルマは真顔で言う。

「わたし、掃除は得意です」

ヴィオレッタは微笑む。

「ええ。知っておりますわ」

庭に風が吹く。

侯爵邸の空気が、重く沈む。

崩れはじめた威厳は、もう戻らない。

壺が割れた日から始まった連鎖は、

いま、完全に形になろうとしていた。
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