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第27話 封じられた逃げ道
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第27話 封じられた逃げ道
侯爵家の空気が、目に見えないほどゆっくりと、しかし確実に変わり始めていた。
朝の廊下は静かだ。
静かすぎる。
使用人たちは、声を潜め、視線を合わせない。
笑い声が消えた。
代わりに、囁きが増えた。
「王宮から人が来るらしい」 「監査が入るとか……」 「商会も呼ばれたって」
噂は、階段より速く落ちていく。
---
大広間。
レオンハルト侯爵は机を叩いた。
「馬鹿な話だ。帳簿に問題はない」
執事が静かに返す。
「ですが、商会側が照会を受けていると……」
「照会は照会だ! 不正の証明にはならん!」
声が強い。
強いが、少し震えている。
侯爵は歩き出す。
歩きながら、ふと視界の端にエルマが映る。
床を磨いている。
何も知らない顔。
何も考えていない顔。
それなのに。
背筋に、ぞわりとした感覚。
侯爵は反射的に進路を変えた。
エルマを避けるように。
そして――
方向を変えた先で、置かれた書類箱に足をぶつける。
ぐらり。
体勢を崩す。
壁に手をついて踏みとどまる。
周囲を確認。
誰も見ていない。
――はずだった。
二階の回廊。
ヴィオレッタが立っている。
カーテン越し。
視線が合う。
一瞬。
彼女の唇が、ほんのわずかに上がる。
侯爵は目を逸らした。
逃げるように部屋へ戻る。
---
自室。
レオンハルトは扉を閉め、机に手をついた。
「どこからだ……」
どこから漏れた。
帳簿は壺の中。
封書は額の裏。
受領証は西棟。
完璧だった。
はずだった。
呼吸が浅くなる。
「壺……?」
頭の奥で、ひとつの記憶がよぎる。
割れた音。
あの日の騒ぎ。
あの、天然のメイド。
侯爵は首を振る。
「偶然だ」
偶然に違いない。
だが、偶然が多すぎる。
---
その頃。
西棟の一室。
ヴィオレッタは机の上に、書類の控えを並べていた。
封書の写し。
受領証の写し。
帳簿の差額計算。
整然。
無駄がない。
エルマが近づく。
「お嬢様、なんか皆さん怖い顔してます」
「そうでしょうね」
「わたし、何かしました?」
ヴィオレッタは視線を上げる。
「ええ」
エルマが固まる。
「え?」
「とても良い仕事を」
「えええ?」
ヴィオレッタは微笑む。
「逃げ道を塞いでくれましたわ」
「逃げ道?」
「壺、額、袋。順番が完璧でしたもの」
エルマは本気で考え込む。
「順番……?」
「あなたは気にしなくてよろしいの」
そのとき、廊下の奥で重い足音。
王宮の監査官が、侯爵家の門をくぐった。
静かに。
大仰な告知もなく。
だが確実に。
執事が青ざめた顔で走る。
「侯爵様、王宮より監査官が――」
言い終わる前に、扉が叩かれる。
三度。
規則的に。
「王宮監査局である。帳簿の確認に来た」
逃げ道はない。
侯爵の顔から血の気が引く。
封書は押収される。
帳簿は照合される。
商会の証言は既に取られている。
完璧な包囲。
侯爵は椅子に座り込む。
その姿を、二階からヴィオレッタが見下ろしている。
静かに。
冷ややかに。
「お嬢様……」
エルマが袖を引く。
「なんかいっぱい持っていかれてます」
「ええ」
「大丈夫ですか?」
ヴィオレッタはゆっくりと答えた。
「もう、大丈夫ですわ」
侯爵は初めて理解する。
壊れたのは壺ではない。
屋敷でもない。
逃げ道だ。
そしてそのきっかけは――
床を磨いている、あの天然のメイド。
レオンハルトは、エルマを見た。
エルマはにこっと会釈する。
「お掃除、続けますね」
侯爵は、言葉を失った。
静かな包囲は、完全な包囲へ。
侯爵家はもう、外へ出られない。
ヴィオレッタは窓を閉める。
「片付けの時間ですわ」
風が止まる。
だが、終わりはもう止まらない。
侯爵家の空気が、目に見えないほどゆっくりと、しかし確実に変わり始めていた。
朝の廊下は静かだ。
静かすぎる。
使用人たちは、声を潜め、視線を合わせない。
笑い声が消えた。
代わりに、囁きが増えた。
「王宮から人が来るらしい」 「監査が入るとか……」 「商会も呼ばれたって」
噂は、階段より速く落ちていく。
---
大広間。
レオンハルト侯爵は机を叩いた。
「馬鹿な話だ。帳簿に問題はない」
執事が静かに返す。
「ですが、商会側が照会を受けていると……」
「照会は照会だ! 不正の証明にはならん!」
声が強い。
強いが、少し震えている。
侯爵は歩き出す。
歩きながら、ふと視界の端にエルマが映る。
床を磨いている。
何も知らない顔。
何も考えていない顔。
それなのに。
背筋に、ぞわりとした感覚。
侯爵は反射的に進路を変えた。
エルマを避けるように。
そして――
方向を変えた先で、置かれた書類箱に足をぶつける。
ぐらり。
体勢を崩す。
壁に手をついて踏みとどまる。
周囲を確認。
誰も見ていない。
――はずだった。
二階の回廊。
ヴィオレッタが立っている。
カーテン越し。
視線が合う。
一瞬。
彼女の唇が、ほんのわずかに上がる。
侯爵は目を逸らした。
逃げるように部屋へ戻る。
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自室。
レオンハルトは扉を閉め、机に手をついた。
「どこからだ……」
どこから漏れた。
帳簿は壺の中。
封書は額の裏。
受領証は西棟。
完璧だった。
はずだった。
呼吸が浅くなる。
「壺……?」
頭の奥で、ひとつの記憶がよぎる。
割れた音。
あの日の騒ぎ。
あの、天然のメイド。
侯爵は首を振る。
「偶然だ」
偶然に違いない。
だが、偶然が多すぎる。
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その頃。
西棟の一室。
ヴィオレッタは机の上に、書類の控えを並べていた。
封書の写し。
受領証の写し。
帳簿の差額計算。
整然。
無駄がない。
エルマが近づく。
「お嬢様、なんか皆さん怖い顔してます」
「そうでしょうね」
「わたし、何かしました?」
ヴィオレッタは視線を上げる。
「ええ」
エルマが固まる。
「え?」
「とても良い仕事を」
「えええ?」
ヴィオレッタは微笑む。
「逃げ道を塞いでくれましたわ」
「逃げ道?」
「壺、額、袋。順番が完璧でしたもの」
エルマは本気で考え込む。
「順番……?」
「あなたは気にしなくてよろしいの」
そのとき、廊下の奥で重い足音。
王宮の監査官が、侯爵家の門をくぐった。
静かに。
大仰な告知もなく。
だが確実に。
執事が青ざめた顔で走る。
「侯爵様、王宮より監査官が――」
言い終わる前に、扉が叩かれる。
三度。
規則的に。
「王宮監査局である。帳簿の確認に来た」
逃げ道はない。
侯爵の顔から血の気が引く。
封書は押収される。
帳簿は照合される。
商会の証言は既に取られている。
完璧な包囲。
侯爵は椅子に座り込む。
その姿を、二階からヴィオレッタが見下ろしている。
静かに。
冷ややかに。
「お嬢様……」
エルマが袖を引く。
「なんかいっぱい持っていかれてます」
「ええ」
「大丈夫ですか?」
ヴィオレッタはゆっくりと答えた。
「もう、大丈夫ですわ」
侯爵は初めて理解する。
壊れたのは壺ではない。
屋敷でもない。
逃げ道だ。
そしてそのきっかけは――
床を磨いている、あの天然のメイド。
レオンハルトは、エルマを見た。
エルマはにこっと会釈する。
「お掃除、続けますね」
侯爵は、言葉を失った。
静かな包囲は、完全な包囲へ。
侯爵家はもう、外へ出られない。
ヴィオレッタは窓を閉める。
「片付けの時間ですわ」
風が止まる。
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