白い結婚だと思っていたのに、旦那様が溺愛してきて困りますわ!

しおしお

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第3章 嫉妬と陰口、そしてざまぁの幕開け

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◆3-1:社交界の噂が囁かれ始める

王都では毎年春先に、世継ぎ皇太子の名代として地方の領主を招く“大同盟晩餐会”が開催される。その華麗な食卓を前にしたとき、侯爵令嬢アルテッツァは初めて社交界の厳しさを肌で感じた。舞踏会場は百を超えるシャンデリアが天井から吊るされ、金銀の装飾で彩られた柱が林立している。絹織物のカーテンは深紅と紫が交錯し、フロアには王家の紋章をあしらった豪奢な絨毯が敷かれていた。

アルテッツァは淡いクリーム色のツーピースドレスに身を包み、首には透明感のある水晶のネックレスをあしらっていた。薬草の香りをほのかに残す香水――それは彼女が開発に協力した大公府御用達の調合品で、ほとんどの参加者は芳しい香りの名を知らない。だがその違いは、招待客の中にも敏感な者が何人かいた。

「はじめまして、ヴォルティア大公妃陛下――ではなく、侯爵令嬢アルテッツァ様でしたわね」
伯爵家令嬢ソフィアが白い手袋の指先を揃え、にこやかに微笑みかける。赤銅色の巻き髪に紫の宝石があしらわれたティアラを乗せたソフィアは、社交界の花形ともいうべき存在で、彼女に近づくことはすなわちステータスの証だった。

「お招きいただき、ありがとうございます」
アルテッツァは冷静に挨拶を返すが、心中では緊張が走る。大公の名声を背負う立場として、ここで失礼な振る舞いをすれば、即座に噂が飛び交うことは間違いなかった。

しかしソフィアの視線はどこか鋭く、「本当に大公妃には見えないほど控えめですこと」と、皮肉ともとれる言葉を添える。アルテッツァは顔をわずかに上げ、その言葉の裏に潜む不穏さを感じ取った。

「控えめであることは、失礼にはあたりませんでしょう?」
静かな声で返すと、ソフィアは優雅に眉を上げた。

「確かに。そのお気遣いは見事ですわ。ただ、社交界では“存在感”も大切ですのよ、アルテッツァ様」

ソフィアがそのまま去り際に含み笑いを浮かべると、アルテッツァの背筋には冷たい汗がにじんだ。彼女の耳にはすでに、式典の余興で踊る貴族令嬢たちのささやきが届いていた。

――「あの侯爵令嬢、夫に好かれている割に目立たないわね」
――「大公様のことを知らないのではないかしら?」
――「ただの飾り物ってところかしら」

その言葉はまるで毒のようにアルテッツァの心に染み込みかけたが、彼女は深呼吸をして再び視線を前へ向けた。胸元にある水晶が微かに揺れ、舞踏会場の照明を反射して小さな虹色の輝きを放つ。

広間の中央で優雅に踊るペアたちを横目に、彼女は小声で侍女クレアに問いかけた。

「クレア、あの令嬢たちは、私に何を望んでいるのかしら」
クレアはおろおろと微笑むと、

「お嬢様、社交界では“噂”が常に渦巻いております。特に大公家に嫁いだ令嬢には嫉妬や陰口が付き物です」

と囁いた。アルテッツァはその言葉を胸に留め、周囲を俯瞰する。食卓には豪奢な料理が並び、吟遊詩人の演奏が場を彩る。一見平穏な光景だが、その裏で交わされる噂はやがて、思いも寄らぬ展開へと彼女を導く起点となるのだった。

アルテッツァは足元の絨毯に刻まれた王家の紋章を見つめながら、静かに思いを巡らせた。――冷静でいること、毅然と振る舞うこと。これが社交界を生き抜く令嬢の務め。だが同時に、ただ黙っていればいいというわけではない。必要なときには自分の存在を示し、“悪意”に対して強く立ち向かわねばならないのだ。

そのとき、大公アレクセイが私を探すように頭を持ち上げ、隣の貴族と語らいながらも、静かにこちらに視線を戻した。彼の黒曜石の瞳は他の誰よりも私を見つめている。アルテッツァはその視線にほんの一瞬、救われる思いを感じた。同時に、彼が放つ威厳と保護の意志を感じ取り、自らの覚悟を新たにした。

――“ただの飾り物”で終わらせはしない。

侯爵令嬢アルテッツァは、噂の渦中で微笑を絶やさず、社交界の荒波に立ち向かう決意を固めるのだった。次章では、この噂に呼応して具体的な嫌がらせが始まり、アルテッツァとアレクセイの“ざまぁ”劇が幕を開ける。

◆3-2:嫉妬にまみれた貴族令嬢たちの嫌がらせ

大同盟晩餐会の余韻が冷めやらぬ翌朝、アルテッツァのもとに一通の招待状が届いた。切手も封蝋もなく、まるで誰かが急ごしらえで差し替えたような粗末な紙片――本来出席権のないはずの執事や侍女の名前が無遠慮に書き連ねられている。中身を確認しようとした瞬間、扉の外から侍女クレアの悲鳴が響いた。

「お嬢様、ご覧ください!」
クレアが差し出した手には、昨夜用意されたばかりのドレスがあった。淡いクリーム色に銀の刺繍をあしらった特注のドレスだったはず──しかし、裾や袖口には濃い赤いシミが不自然に広がり、まるでワインを大量にかけられたかのように染み込んでいた。

「これは……!」
アルテッツァは息を呑んだ。幸い当日まだ着用する前の保管室に戻されていたからよかったものの、大公邸の格式を重んじる舞踏会や晩餐の場でこれを着ていれば、あっと言う間に「私は粗野な令嬢」という噂が立つのは確実だった。

執事ドレイクが眉間に皺を寄せ、すぐに状況を確認し始める。ドレスを取り扱ったメイドのシフト表、洗濯契約業者の伝票、保管場所の鍵の管理台帳──すべてを調べた末、責任の所在がわからないことが判明した。つまり、内通者が意図的にドレスに嫌がらせを仕掛けたのだ。

「大公様にご報告を」
ドレイクが声を震わせる中、アルテッツァは静かに首を振った。

「いいえ、私は自分で対処しますわ。まずはこれを放置せず、同じことが再び起こらないようにしなければ」

彼女は深い息をつくと、傍らのテーブルから白手袋を取り出し、慎重にシミを指先で撫でるように調べた。すると、シミの輪郭にはわずかな酵素反応が残っており、単なるワインではなく、発酵中のワインを使ったことがわかった。――つまり、仕掛けはプロの仕業ではなく、“醸造知識”を持つ者の犯行だったのだ。

アルテッツァはふと、先日の晩餐会で薬草学関連の発表を一目見ようとした貴族令嬢の一人、ロザリンドの顔を思い出した。彼女は公然と「ロイヤルブルーの葡萄酒にしか興味がない」と豪語していたが、酒造技術を学ぶために薬草学の講義へ足を運んでいたことも耳にしている。

「ロザリンド、あなたかしら?」
アルテッツァは小声で呟き、シミの分析結果をドレイクに示した。

「まさか……ただの酔っ払いではなく、明確に狙いを定めてきています」

ドレイクは深刻な面持ちで頷く。しかしアルテッツァは動じず、すぐに対策を考え始めた。


---

その夜、再び使うことになっていた同じドレスは厳重に隔離され、代わりのシンプルな礼装が用意された。執事たちは万全の警備体制を敷き、保管場所には大公自身が案内状の原本と照合しながら立ち会うという異例の措置を取った。

舞踏会会場に再び現れたロザリンドは、遠くからアルテッツァをにらみつけるように視線を送った。しかし大公の隣に立つアルテッツァは、一切動じず、むしろ落ち着いた微笑を浮かべている。まるで「私はあなたの策略など霞むほど価値ある存在です」と宣言しているかのごとくだ。

その夜、アルテッツァはほんのりと装いを変えたドレスで会場を歩み、華やかな舞踏や談笑にも参加した。誰も彼女のかつてのドレスを思い出す者はいない。耳に届くのは、逆にロザリンドへの心ない囁きだった。

――「あの令嬢、自分のドレスさえメンテできないのに、私たちより品格があるって?」
――「きっと大公に庇われているだけよ。実力は伴わない」

しかし、その瞬間、会場の扉が豪奢に開かれ、アレクセイ大公が厳かな足取りで入場する。彼はソファに腰掛けたまま、ロザリンドをじっと見据え、その顔を紅潮させたままの令嬢はたちまち顔面蒼白になる。

「ロザリンド殿。貴君のワイン造りの腕前を拝見したかったが、我が府のドレスを汚すほどとは予想外だったな」

その声は低く、凛としていた。ロザリンドは瞬時に言葉を失い、周囲の貴族たちの視線を一身に浴びる。まさに“ざまぁ”の瞬間だった。

アルテッツァは静かに立ち上がり、大公に向かって一礼する。

「大公様のご配慮に感謝いたしますわ。私からも一言申し上げます。貴族として品位を保つことは大切ですが、他者を貶めることで得られるのは一時の満足にすぎませんわ」

会場は凍りついたように静まり返り、その後、深い拍手が湧き起こった。嫉妬と陰口を跳ね返し、真の品格と才覚を示したアルテッツァは、この夜、社交界の女王としての地位を確かなものにしたのだった。

◆3-4:公式の場で、大公の“妻”として

春の訪れを告げる王都祭の当日。街には祝祭の鐘が鳴り響き、人々は笑顔で通りを行き交っていた。各家の門には花輪が飾られ、広場では音楽隊の演奏と舞踏会が繰り広げられていた。

その中心地――王立広場にほど近い王宮別館では、王家主催の公的茶会が開かれていた。これは名家の者に限られた特別な場であり、格式を重んじる貴族たちにとって、まさに“存在価値”を示す機会でもあった。

「本日は、ヴォルティア大公ご夫妻もお見えになります」
その報せが広間に響いた瞬間、場の空気はぴんと張りつめた。

ヴォルティア大公――冷酷無比、政治の切り札。誰よりも近寄りがたく、誰よりも美しく、誰よりも“危険”な男。そして、そんな彼の“白い結婚”の相手として名を連ねるのが、侯爵令嬢アルテッツァである。

一部の者たちは未だに信じられなかった。
「何の実績もない、影の薄い令嬢が、どうして彼の伴侶なのか」
「きっと形だけの結婚で、すぐに破綻する」
「いまだに愛されていないに違いない」

──そう思っていた矢先だった。

紅い絨毯の先に現れたのは、柔らかな桜色のドレスに身を包んだアルテッツァ。光沢のあるサテンの生地が、陽光を受けてやわらかく輝いている。背筋を伸ばし、堂々と歩くその姿は、かつて“目立たぬ同居人”と揶揄された彼女とはまるで別人だった。

その隣に並ぶのは、もちろんアレクセイ・ヴォルティア大公。彼はいつものように漆黒の礼服に身を包み、変わらぬ冷徹さを漂わせているが――その手は、しっかりとアルテッツァの腰に添えられていた。

まるで“これは私の妻だ”と、宣言するかのように。

それだけで、場の空気は一変した。

「あの大公が……」
「……自ら、夫婦の距離を取らない?」
「まさか、噂はすべて……嘘だったの?」

目を見張る者、口を押さえて驚く者、うわさを流していた貴族令嬢たちは、まるで凍りついたように動きを止めていた。

それを知ってか知らずか、アレクセイは冷静な表情で立ち止まり、王族の一人である第三王子に挨拶を交わす。

「殿下。本日は貴き場に招いていただき、感謝いたします。我が妻アルテッツァを紹介いたします」

その一言に、ざわつきが起こった。

“我が妻”。

そう言って紹介された女性が、はっきりと“大公妃”として扱われた瞬間だった。

第三王子もまたにっこりと微笑み、アルテッツァに軽く頭を下げた。

「お噂はかねがね。薬草学の成果、素晴らしいものでしたね。あれほどの研究成果を出せる方が、大公の奥方とは……実に心強い」

そう讃えられたとき、場にいた全員の表情が一斉に変わった。
もはや、誰も彼女を「ただの飾り物」だなどとは思わない。

王宮主催の場で、王族に名指しで功績を認められ、夫からは「我が妻」と公に紹介される――それが、貴族社会において“公式に認められた存在”という意味を持つのだから。

 

「アルテッツァ様、あれは……」
会場の片隅で、見慣れた顔が震える声を漏らしていた。

ロザリンドとエリサだ。

かつて彼女たちが投げつけた数々の陰口、嫌がらせ、嘲笑……それらすべてが、今ここで“意味のなかった行為”として塗り替えられていく。

しかもそれは、アルテッツァが“やり返した”のではなく、ただ“誠実に、自分の価値を証明した”がゆえに起こった“ざまぁ”である。

立ち尽くす彼女たちに、アレクセイが一瞬だけ目を向けた。冷たい視線。まるで“すべて分かっている”という無言の告げ口のようだった。

「ふたりには、しかるべき処置を取る予定だ」
アレクセイは低く、アルテッツァにだけ聞こえる声で呟いた。

「いえ、大公様。もう十分ですわ」
彼女はゆっくりと首を振り、微笑みながら答える。

「私たちが、こうして一緒に立っていること。それだけで、私には十分“勝っている”のですもの」

アレクセイはその言葉を聞くと、初めて表情を和らげた。そして彼女の手を、そっと取り――その場で、静かに指にキスを落とした。

場内はしんと静まり返り、だが次の瞬間、どっと拍手が湧き起こった。

それは、噂と陰口に勝ち、真実の愛と信頼を勝ち取った、ひとりの令嬢への賞賛。
そして、大公妃アルテッツァが、名実ともに社交界の“正妃”として認められた瞬間だった。

――こうして、白い結婚と呼ばれた二人の関係は、静かに、しかし確実に“赤く燃える愛の形”へと姿を変えていく。

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