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第4章 旦那様の正体、思っていたのと違いますわ
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◆4-1:王都に響く“偽りの告発”
王宮の茶会から数日後。
アルテッツァは、大公邸の奥にある静かな応接室で、薬草学に関する報告書の整理をしていた。王都の施療院に提供した紫霞草の抽出液は、すでに一定の成果を上げており、その報告を元に、今後は他領への普及を視野に入れていた。
「これで、南方のグランタ領にも……」
小さく呟いた彼女の指が書類の角に触れたときだった。部屋の扉を叩く音と同時に、クレアの息を呑むような声が響いた。
「お、お嬢様……! そ、外でとんでもないことが……!」
その声音には、日頃は冷静な侍女が動揺しているのがはっきりと表れていた。アルテッツァが慌てて扉を開けると、クレアは小さな紙束を差し出してきた。それは、王都中に一晩でばら撒かれたという、匿名の瓦版だった。
【大公妃アルテッツァ、薬草学の名を借りた詐欺か?】
【大公を操る“媚薬”の正体とは】
【偽装された学術論文、そして侯爵家による王都支配の陰謀!?】
「……随分とまあ、悪趣味ですこと」
アルテッツァは眉一つ動かさず、紙面を眺めた。だが、さすがにその内容は目を覆いたくなるような酷さだった。
論文を盗作したという根拠のない主張、調合に使われた薬草が危険物だという歪曲、そして極めつけは“侯爵令嬢が大公を色仕掛けで籠絡した”という、低俗極まりない見出し。
「まるで、何者かが全力で私を引きずり下ろそうとしているかのようですわね……」
アルテッツァはつぶやき、瓦版を丁寧に折り畳んだ。
「すぐに出所を突き止めさせます」
アレクセイはその報告を受けるなり、声を低くして言い放った。
その目には、かつて社交界で噂が渦巻いていた頃には見せなかった怒りの光が宿っていた。
「我が妻を侮辱した者には、必ず報いを受けさせる」
その言葉に、執事長ドレイクも頷いた。
「王都の印刷業者は限られております。瓦版の紙質、文字の書体、版木の彫り……調べれば、どこで刷られたかすぐにわかります」
翌日、さっそく調査が始まった。
だが、それとほぼ同時に王都内ではさらなる噂が広がっていた。
「アルテッツァ様は、薬草を使って人を操る術を知っているらしい」
「偽装論文で国の施療院を騙しているそうだ」
「そもそも、侯爵家の再興は大公の庇護による“不正”だったのでは?」
どれも真実からかけ離れた内容だったが、“噂”というのは火のないところにも煙を立たせるもの。事実よりも“面白い虚構”のほうが速く広まる。
アルテッツァは、静かに怒りを燃やしていた。
「……ふふ。まるで、私がこの国の黒幕であるかのような騒がれ方ですわね」
皮肉を込めてそう笑った彼女の背後で、アレクセイが静かに口を開いた。
「だが、ここで沈黙するのは逆効果だ。我らは反論しなければならない。君の名誉のためにも」
そうして開かれたのが、王宮の第三応接室で行われた“弁明の茶会”だった。
通常、このような場に出るのは臣下の者か、学術関係の使者に限られる。しかし、アレクセイは堂々とアルテッツァを伴って王宮に現れ、王立学会の代表者たちを前に、こう述べた。
「本日は、我が妻アルテッツァの名誉を守るために、この場を借りた」
そして、彼は数冊の文献と、調査報告書を机の上に並べた。
その内容は、アルテッツァが独自に研究した論文の出典、抽出法の詳細、王立施療院との共同実験結果──すべて“真実”そのものだった。
「この一連の研究は、侯爵令嬢アルテッツァの才能と努力によって生み出されたものであり、いかなる盗用、虚偽、扇動の類も一切存在しない。それを証明するために、彼女は一日として手を止めなかった」
堂々と読み上げられる言葉に、場の誰もが静まり返った。
そして、王立学会の老学者が言った。
「我らが彼女の研究成果に期待しているのは、研究者としての“純粋さ”ゆえである。そこに疑いを差し挟む余地など、もはや存在しない」
その一言が、空気を決定づけた。
アルテッツァはゆっくりと立ち上がり、深く一礼した。
「皆様の信頼に、誠心誠意お応えいたしますわ。私にできることはただ、学び、研究し、治療に役立てること。それだけです」
拍手はなかった。だが、場に満ちる静寂こそが、最上級の称賛だった。
その帰路、アレクセイは馬車の中で、ふと穏やかな表情を浮かべて言った。
「君は、何があっても信じられる存在だ。私は誇らしい」
アルテッツァは、頬を染めながら答えた。
「私も……あなたの誇りでいられるよう、これからも努力いたしますわ」
だが、彼らが知らないところで、“瓦版”を撒いた本当の黒幕が、動き始めていた。
陰で糸を引いていたのは、かつて失脚したある貴族家――そして、その家の復讐の矛先は、今度こそアルテッツァ自身を狙っていたのだった。
◆4-2:蠢く復讐者の影
「こんな子娘一人に、社交界の主役を奪われたままで済むものか――」
王都の外れ。貴族街とは対照的な、石畳もまばらな裏路地の一角。
かつて名門と謳われながら、政争に敗れて没落した貴族家“エルメルス家”の末裔、ユリアーナ・エルメルスは、仄暗い室内で報告を聞いていた。瓦版をばらまいた張本人であり、現在王都で密かに貴族の間に流れる“反アルテッツァ陣営”を裏から煽っている存在だ。
彼女の瞳には怒りと執念が宿っていた。
「名家生まれのこの私が……あの地味な薬草娘に笑われるなんて……!」
ユリアーナはかつて、アレクセイ大公との縁談候補に名を連ねた女である。だが、当時の傲慢な振る舞いが仇となり、候補からは真っ先に外された。
その後、政争に敗れて没落。財産は競売にかけられ、今やかつての使用人たちにも見下される日々。だが、それでも彼女は諦めなかった。
「アルテッツァ……あの女さえいなければ、私は……」
指先で、練られた計画書の角をなぞりながら、ユリアーナは唇を吊り上げた。
「次は“王家”を巻き込むのよ」
彼女の新たな一手は、アルテッツァを“王家を騙る詐欺師”に仕立て上げることだった。
---
翌日。
大公邸に、一本の通達が届く。
差出人はなんと、第二王子陣営の筆頭秘書官。内容はこうだった。
【侯爵令嬢アルテッツァが提出した王立施療院への調剤申請書類に虚偽の記載があった可能性がある】
【王族関与の公的予算を動かした以上、調査のため令嬢本人に出頭を求める】
「――なんですって?」
アルテッツァは書面を読んだ瞬間、言葉を失った。
もちろん、虚偽など一切ない。申請書類も、すべて施療院と王立学会が共同で作成し、署名も正規のものである。それを“改ざんされた可能性がある”と一方的に通告するこの文書は、明らかにおかしい。
「これは……どこかで“改ざんされた書類”が作られている可能性があるということですか?」
クレアの問いに、アレクセイが静かに頷いた。
「意図的な捏造だろう。王族の名を盾に、我々に政治的圧力をかけてきたな」
アレクセイの顔には、怒りというより“戦慄”が浮かんでいた。
「ユリアーナ・エルメルス……まだ動けるだけの根回しが残っていたか」
彼女が失脚してもなお、かつて結んだ“恩義”や“弱み”を握っていた貴族たちが裏で動いているのだ。
「だが、王家を騙るとなれば、こちらも黙ってはいられない」
すぐさま大公家は、第二王子側の意図的な“政治関与”の記録と、ユリアーナが裏で使っていた金の流れを調査するため、諜報部門を動かした。
アルテッツァ自身も、真相を明らかにするため、出頭命令を受けて王宮内に設けられた特別審問室に赴くことを決意する。
---
王宮審問室。
高い天井、石造りの壁に囲まれた厳粛な空間。中央には木製の証言席が置かれ、その前に座るのは王族直属の監察官と法務官たち。
アルテッツァは、一歩も退かぬ姿勢で証言台に立った。
「私は一切、虚偽の申請をしたことはありません」
「すべての書類は、王立施療院および学会との合意のもと提出されたものであり、記録はすべて施療院の帳簿に残っています」
監察官たちは厳しい目で彼女を見つめながらも、その発言を記録していく。だが、その中の一人が、机の上に置かれた書類を手に取り、言った。
「これは君の名前で提出された申請書だ。確かに署名は一致しているが、この欄──使用薬草の種類に、学会で認可されていないものが記されている」
アルテッツァの顔色が変わった。
その“改ざんされた欄”に記されていたのは、かつて実験中止になった“禁忌薬草”の名だった。
確かに、彼女の記録には決して記していない種類。しかも、王都では使用が明確に禁じられているものだ。
「ありえません……! それは、私の手から出たものでは……!」
しかし、物的証拠の重みは否応なしに彼女の言葉の信頼を削っていく。室内に、冷たい空気が張りつめた。
――だが、その空気を破るように、扉が開いた。
「失礼する」
アレクセイ・ヴォルティア大公が、審問室に堂々と姿を現したのだ。
彼は手に一通の書簡を持っていた。それは――ユリアーナ・エルメルスと第二王子陣営の秘書官が、裏で密談していたことを示す“書き起こし記録”。
「この件の背後にあるのは、失脚したエルメルス家の残党による偽証と、王家の威信を盾にした内部干渉だ。証拠はここにある」
彼は、王家に報告を上げるべくその記録を提示すると同時に、告げた。
「これ以上、我が妻を傷つける行為は、ヴォルティア大公家に対する正式な敵対と見なす」
室内の空気は一気に変わった。
監察官たちは目を見開き、法務官は書簡を手に取り、審問の即時中止を宣言した。
「令嬢アルテッツァに対する嫌疑は、現時点では完全に撤回される。今後、出所不明の書類に関しては王立学会と施療院の協力により、徹底的に調査する」
そう告げられた瞬間、アルテッツァは張り詰めていた肩の力をわずかに抜き、深く頭を下げた。
その帰り道、馬車の中で彼女はそっとアレクセイの肩に寄り添った。
「ごめんなさい……私、またあなたを巻き込んでしまいましたわ」
「謝る必要はない。私は君を守ると誓った。これは、当然のことだ」
そして、彼は優しく彼女の手を取った。
「私たちは、もう“白い結婚”ではないのだから」
その言葉に、アルテッツァの目から、静かに涙がこぼれた。
それは、かつての不安と孤独を癒やす、優しい証だった。
――だが、陰謀は終わらない。
◆4-3:決着の時、冷笑の果てに
「ユリアーナ・エルメルス……まさか、ここまで無様にしがみつくとは思いませんでしたわ」
その言葉は、深夜の大公邸の執務室で、侯爵令嬢アルテッツァの唇から静かに放たれた。
一通の報告書が机の上に置かれていた。それは、アレクセイ大公が手配した王都諜報部による密告文――ユリアーナ・エルメルスが、第二王子陣営の中でも最も過激な派閥と結託し、さらなる“反王家運動”を煽動しようとしていたという証拠だった。
「皮肉ですわね。私に泥をかけようとした女が、今度は王家を敵に回してしまうなんて」
アルテッツァの口調は、かつてのように柔らかく、けれどその裏に冷え切った静かな怒りが潜んでいた。
ユリアーナは、貴族街の屋敷をすでに離れ、身を潜めるように王都南端の離宮跡に潜伏しているという。そこに、かつてのエルメルス家の使用人たちや、同じように社交界で居場所を失った女たちが集まり、私的な情報ネットワークを築いていた。
「自分が選ばれなかったことを、いつまでも嘆いているのね。まるで、“自分を選ばなかった世界”が間違っていると信じているみたい」
アルテッツァは小さく首を振った。
「なら、私が彼女に“選ばれなかった理由”を教えて差し上げるべきですわね」
アレクセイは隣でその言葉を聞きながら、目を細めた。
「行くのか?」
「ええ。この件、終わらせない限り、王都に平穏は戻りませんもの」
彼女は立ち上がり、灰色の外套を羽織った。
「これは、私の戦いです」
---
王都南部、離宮跡。
その建物はかつて王子の狩りの拠点として使われていたものだが、今や壁はひび割れ、庭は荒れ果て、屋内には盗品と酒の香りが漂っていた。
そこにいた女たちは、かつて“美貌”や“家柄”を武器にして社交界を泳いでいた者ばかりだったが、今は見る影もない。ドレスは皺だらけ、髪は乱れ、爪先にまで虚栄の残骸が滲んでいた。
そんな中、奥の間で酒杯を手に取っていたユリアーナが、入口の扉が開かれる音に振り返った。
「……誰?」
現れたのは、月光に照らされた一人の令嬢――アルテッツァだった。
彼女は迷いなく室内へ歩を進め、黒靴の踵の音を鳴らしながら、ユリアーナと真正面から向かい合った。
「まあ……貴女が来るなんて、予想外だったわ」
ユリアーナは笑った。だがその笑みは、完全に壊れた女のそれだった。
目は充血し、紅潮した頬には微かな涙の跡があった。
「貴女は勝者ですもの。名誉も地位も、夫の愛も手に入れて……そんな貴女が、なぜ私のような落ちぶれた女に会いに来るの? 勝ち誇りにきたの?」
アルテッツァは無言で数歩近づき、彼女の目の前で静かに言った。
「勝ち誇る? そんなこと、する価値もありませんわ」
その言葉に、ユリアーナの目が見開かれる。
「私は貴女を、敵とも思っていません。哀れだとは思いますけれど」
「な、に……?」
「貴女は、選ばれなかった理由を“私のせい”にしている。けれど、違うのです。貴女は、自分の中に何一つ誠実さも努力もなかったから、誰からも選ばれなかった。それだけですわ」
ユリアーナの顔が一気に紅潮し、怒りの声が漏れる。
「貴女に何が分かるって言うのよ!? 貴女は“白い結婚”で気楽に大公妃になっただけじゃないの! 政略で偶然結ばれただけで……!」
「ええ、そうですわ。最初は形式だけの結婚でした。けれど、私はその“形式”の中でできる限り誠実に、与えられた場所で努力を重ねてきました」
アルテッツァは一歩近づく。
「それが私と、貴女の決定的な違いです。貴女は、与えられなかったことを恨んでばかりで、自分から何かを築こうとはしなかった」
「だまれっ……! だまれ……っ!」
「そして今、貴女は自分の人生を他人に壊してもらうことを期待している。誰かに復讐して、引きずり下ろして、満足することでしか、自分の価値を確認できない」
ユリアーナは叫んだ。
「貴女なんてっ……私の立場なら、同じように壊れてたはずよっ!!」
それでも、アルテッツァの声は変わらなかった。あくまで冷静で、真っ直ぐに向けられたものだった。
「そうはならなかったと思いますわ。なぜなら私は、誰のせいにもせず、生きると決めたから」
静寂が訪れた。
しばらくして、ユリアーナは崩れるように床に膝をついた。
「もう……全部、終わりね……」
「ええ、そうです。終わりにしましょう」
その瞬間、扉の外から兵士の足音が響いた。
アレクセイが手配した王都近衛兵たちが、建物を包囲していたのだ。
アルテッツァはユリアーナの隣に膝をつき、囁いた。
「……もし、いつか心からやり直したいと思ったなら、そのときは、貴女自身の足で立ち上がってください。そうでなければ、誰かの人生を奪っても、貴女は永遠に空っぽなままです」
ユリアーナは、涙を流していた。
その背を、静かに兵士たちが囲んでいく。
---
帰路の馬車の中。
アルテッツァは静かに窓の外を眺めていた。
王都の灯りが、まるで星のように街を照らしている。
「終わりましたわ、アレクセイ様」
「……よくやった」
隣で彼が優しく微笑み、彼女の手を取った。
「君は、誰よりも強い。誰よりも優しい」
アルテッツァは、その手を握り返し、そっと肩に身を預けた。
「私の“白い結婚”は、もうとっくに、色づいていたのかもしれませんわね」
そして、彼女の胸にはひとつの誓いが灯っていた。
――私は、この手で未来を守る。
選ばれたからではない。
選ばれなかった誰かのためにも、自分で“選び取る”人生を。
その瞳は、凛として夜空に向けられていた。
◆4-4:色づく未来、そして“共に歩む”道へ
「――これが、アルテッツァ様による次期施療院改革の提案書です」
王宮の議政庁、半円形の議場には、重厚なローブを身にまとった高位貴族や王族関係者がずらりと並んでいた。その中央演壇に、侯爵令嬢アルテッツァが立っていた。彼女の手には、王立施療院と学会が共同で検証を重ねた提案書と、新設される“王都中央施療局”の青写真。
壇上に立つ彼女のドレスは、淡い藤色。かつて“地味”と言われた装いはもうそこにはなく、王都を代表する貴婦人の威厳をたたえていた。
「失礼ながら申し上げます。この王都には、治療において階級差が存在しています」
彼女の声は穏やかで、しかし力強かった。
「貧民街の子どもは、風邪ひとつでも数日寝込むまで放置される。薬を処方するにも、領主家の推薦がなければ施療院にはかかれない。高価な薬草は、上級貴族の専有物……それが今の現実ですわ」
その場にいた老齢の貴族議員のひとりが眉をしかめた。
「しかし、それは仕方のないことではないのかね? 薬草は貴重であり、調合には手間も費用もかかる。それを平民にまで分けるとなれば、どれほどの予算が必要になるか――」
「だからこそ、“改革”が必要なのです」
アルテッツァは、間髪入れずに返した。
議場の一部がざわつく。
「私が提案するのは、薬草そのものを平民に無償提供することではありません。栽培技術の共有と、平民でも学べる薬草基礎教育の導入。そして――施療院への“階級ごとの調剤ランク”という制度そのものを廃止する新指針です」
彼女が手にした文書の中には、以下の提案が詳細に記されていた。
---
● 新規案:「薬草学基礎教育支援法」
・薬草学の初級講座を、王都周辺の小規模教会や村役場で開講
・平民でも、合格すれば“初級調剤師”として登録され、施療院と協働できる
● 新設計画:「中央施療局」案
・各地の施療院をまとめる中立機関として、大公家が出資し王立施療院と共同管理
・全階級の民に等しく診療を行う“共通診療室”の開設
・薬の処方と記録を、王宮学術院の保管管理に一本化することで、不正使用を防ぐ
---
「確かに、これなら薬の乱用を防ぎながら、救える命が増える……」
「王都の予算も大きく食い込まない。大公家の出資で賄えるとなれば、否は言えまいな」
ざわついていた貴族たちが、徐々に頷き始める。
だが、そのとき一人の男が立ち上がった。
「待っていただきたい!」
第二王子の補佐官、かつてユリアーナと結託していた男――ダリオン・フリューゲルである。
彼は声を荒げた。
「そもそも、この改革は、大公家の威光を王都に拡げるための“政治的意図”があるのではないか!? 侯爵令嬢が大公と結婚して以降、学会にも施療院にも“ヴォルティア”の名がつきすぎている!」
議場が一気に騒然となる。
しかし、アルテッツァは動じなかった。
代わりに立ち上がったのは、彼女の隣席にいた――アレクセイ・ヴォルティアその人だった。
「貴君は、大公家の威光と言ったな?」
「だが忘れるな。我が家は、王に忠誠を誓う貴族である。王都を支えることが“我が威光”と呼ばれるのなら、光栄の至りだ」
そして、彼は隣にいるアルテッツァを見つめながら、堂々と続けた。
「我が妻は、決して政治に興味を持ったことはない。ただ、人々を救いたいという真心だけで、この提案書を書き上げた。私はそれを、誰よりもそばで見ていた者として、誇りに思う」
その言葉は、議場全体に染み渡った。
「──真心で動いた者を、疑うのではなく信じよう。さもなければ、国を導く立場にある我々の言葉は、誰の心にも届かぬ」
その静かな言葉に、場は沈黙した。
そして、ついに王族代表が立ち上がり、宣言する。
「ヴォルティア大公とアルテッツァ令嬢の提案、可決とする」
その瞬間、議場には拍手が湧き起こった。
かつて彼女を“飾りの妃”と見下した貴族たちでさえも、今は誰もが――
「彼女は、本物だ」と認めていた。
---
茶会の夜、王宮のバルコニー。
ライトアップされた噴水を背景に、アルテッツァは静かにグラスを傾けていた。
その横で、アレクセイが囁く。
「君は、国を変えた。白い結婚の“仮面”を被っていた頃の君が見たら、どう思うだろうな?」
「きっとこう言いますわ。“やっと、自分らしく生きられましたわね”って」
アルテッツァは笑い、空を見上げた。
「これからは、“ただの妻”じゃない。“共に歩む”者として、あなたの隣に立たせていただきますわ」
アレクセイはその手を取り、そっと唇を寄せた。
「それが、私の望みだった」
やがて王都には春の嵐が訪れ、新たな季節を連れてくる。
そして――アルテッツァの物語も、“守られるだけの花嫁”から、“国と人を動かす女性”へと変わっていく。
白い結婚など、もう過去の話だ。
彼女は今、自分の足で立ち、愛する者と共に未来を歩いているのだから――。
(第4章 完)
王宮の茶会から数日後。
アルテッツァは、大公邸の奥にある静かな応接室で、薬草学に関する報告書の整理をしていた。王都の施療院に提供した紫霞草の抽出液は、すでに一定の成果を上げており、その報告を元に、今後は他領への普及を視野に入れていた。
「これで、南方のグランタ領にも……」
小さく呟いた彼女の指が書類の角に触れたときだった。部屋の扉を叩く音と同時に、クレアの息を呑むような声が響いた。
「お、お嬢様……! そ、外でとんでもないことが……!」
その声音には、日頃は冷静な侍女が動揺しているのがはっきりと表れていた。アルテッツァが慌てて扉を開けると、クレアは小さな紙束を差し出してきた。それは、王都中に一晩でばら撒かれたという、匿名の瓦版だった。
【大公妃アルテッツァ、薬草学の名を借りた詐欺か?】
【大公を操る“媚薬”の正体とは】
【偽装された学術論文、そして侯爵家による王都支配の陰謀!?】
「……随分とまあ、悪趣味ですこと」
アルテッツァは眉一つ動かさず、紙面を眺めた。だが、さすがにその内容は目を覆いたくなるような酷さだった。
論文を盗作したという根拠のない主張、調合に使われた薬草が危険物だという歪曲、そして極めつけは“侯爵令嬢が大公を色仕掛けで籠絡した”という、低俗極まりない見出し。
「まるで、何者かが全力で私を引きずり下ろそうとしているかのようですわね……」
アルテッツァはつぶやき、瓦版を丁寧に折り畳んだ。
「すぐに出所を突き止めさせます」
アレクセイはその報告を受けるなり、声を低くして言い放った。
その目には、かつて社交界で噂が渦巻いていた頃には見せなかった怒りの光が宿っていた。
「我が妻を侮辱した者には、必ず報いを受けさせる」
その言葉に、執事長ドレイクも頷いた。
「王都の印刷業者は限られております。瓦版の紙質、文字の書体、版木の彫り……調べれば、どこで刷られたかすぐにわかります」
翌日、さっそく調査が始まった。
だが、それとほぼ同時に王都内ではさらなる噂が広がっていた。
「アルテッツァ様は、薬草を使って人を操る術を知っているらしい」
「偽装論文で国の施療院を騙しているそうだ」
「そもそも、侯爵家の再興は大公の庇護による“不正”だったのでは?」
どれも真実からかけ離れた内容だったが、“噂”というのは火のないところにも煙を立たせるもの。事実よりも“面白い虚構”のほうが速く広まる。
アルテッツァは、静かに怒りを燃やしていた。
「……ふふ。まるで、私がこの国の黒幕であるかのような騒がれ方ですわね」
皮肉を込めてそう笑った彼女の背後で、アレクセイが静かに口を開いた。
「だが、ここで沈黙するのは逆効果だ。我らは反論しなければならない。君の名誉のためにも」
そうして開かれたのが、王宮の第三応接室で行われた“弁明の茶会”だった。
通常、このような場に出るのは臣下の者か、学術関係の使者に限られる。しかし、アレクセイは堂々とアルテッツァを伴って王宮に現れ、王立学会の代表者たちを前に、こう述べた。
「本日は、我が妻アルテッツァの名誉を守るために、この場を借りた」
そして、彼は数冊の文献と、調査報告書を机の上に並べた。
その内容は、アルテッツァが独自に研究した論文の出典、抽出法の詳細、王立施療院との共同実験結果──すべて“真実”そのものだった。
「この一連の研究は、侯爵令嬢アルテッツァの才能と努力によって生み出されたものであり、いかなる盗用、虚偽、扇動の類も一切存在しない。それを証明するために、彼女は一日として手を止めなかった」
堂々と読み上げられる言葉に、場の誰もが静まり返った。
そして、王立学会の老学者が言った。
「我らが彼女の研究成果に期待しているのは、研究者としての“純粋さ”ゆえである。そこに疑いを差し挟む余地など、もはや存在しない」
その一言が、空気を決定づけた。
アルテッツァはゆっくりと立ち上がり、深く一礼した。
「皆様の信頼に、誠心誠意お応えいたしますわ。私にできることはただ、学び、研究し、治療に役立てること。それだけです」
拍手はなかった。だが、場に満ちる静寂こそが、最上級の称賛だった。
その帰路、アレクセイは馬車の中で、ふと穏やかな表情を浮かべて言った。
「君は、何があっても信じられる存在だ。私は誇らしい」
アルテッツァは、頬を染めながら答えた。
「私も……あなたの誇りでいられるよう、これからも努力いたしますわ」
だが、彼らが知らないところで、“瓦版”を撒いた本当の黒幕が、動き始めていた。
陰で糸を引いていたのは、かつて失脚したある貴族家――そして、その家の復讐の矛先は、今度こそアルテッツァ自身を狙っていたのだった。
◆4-2:蠢く復讐者の影
「こんな子娘一人に、社交界の主役を奪われたままで済むものか――」
王都の外れ。貴族街とは対照的な、石畳もまばらな裏路地の一角。
かつて名門と謳われながら、政争に敗れて没落した貴族家“エルメルス家”の末裔、ユリアーナ・エルメルスは、仄暗い室内で報告を聞いていた。瓦版をばらまいた張本人であり、現在王都で密かに貴族の間に流れる“反アルテッツァ陣営”を裏から煽っている存在だ。
彼女の瞳には怒りと執念が宿っていた。
「名家生まれのこの私が……あの地味な薬草娘に笑われるなんて……!」
ユリアーナはかつて、アレクセイ大公との縁談候補に名を連ねた女である。だが、当時の傲慢な振る舞いが仇となり、候補からは真っ先に外された。
その後、政争に敗れて没落。財産は競売にかけられ、今やかつての使用人たちにも見下される日々。だが、それでも彼女は諦めなかった。
「アルテッツァ……あの女さえいなければ、私は……」
指先で、練られた計画書の角をなぞりながら、ユリアーナは唇を吊り上げた。
「次は“王家”を巻き込むのよ」
彼女の新たな一手は、アルテッツァを“王家を騙る詐欺師”に仕立て上げることだった。
---
翌日。
大公邸に、一本の通達が届く。
差出人はなんと、第二王子陣営の筆頭秘書官。内容はこうだった。
【侯爵令嬢アルテッツァが提出した王立施療院への調剤申請書類に虚偽の記載があった可能性がある】
【王族関与の公的予算を動かした以上、調査のため令嬢本人に出頭を求める】
「――なんですって?」
アルテッツァは書面を読んだ瞬間、言葉を失った。
もちろん、虚偽など一切ない。申請書類も、すべて施療院と王立学会が共同で作成し、署名も正規のものである。それを“改ざんされた可能性がある”と一方的に通告するこの文書は、明らかにおかしい。
「これは……どこかで“改ざんされた書類”が作られている可能性があるということですか?」
クレアの問いに、アレクセイが静かに頷いた。
「意図的な捏造だろう。王族の名を盾に、我々に政治的圧力をかけてきたな」
アレクセイの顔には、怒りというより“戦慄”が浮かんでいた。
「ユリアーナ・エルメルス……まだ動けるだけの根回しが残っていたか」
彼女が失脚してもなお、かつて結んだ“恩義”や“弱み”を握っていた貴族たちが裏で動いているのだ。
「だが、王家を騙るとなれば、こちらも黙ってはいられない」
すぐさま大公家は、第二王子側の意図的な“政治関与”の記録と、ユリアーナが裏で使っていた金の流れを調査するため、諜報部門を動かした。
アルテッツァ自身も、真相を明らかにするため、出頭命令を受けて王宮内に設けられた特別審問室に赴くことを決意する。
---
王宮審問室。
高い天井、石造りの壁に囲まれた厳粛な空間。中央には木製の証言席が置かれ、その前に座るのは王族直属の監察官と法務官たち。
アルテッツァは、一歩も退かぬ姿勢で証言台に立った。
「私は一切、虚偽の申請をしたことはありません」
「すべての書類は、王立施療院および学会との合意のもと提出されたものであり、記録はすべて施療院の帳簿に残っています」
監察官たちは厳しい目で彼女を見つめながらも、その発言を記録していく。だが、その中の一人が、机の上に置かれた書類を手に取り、言った。
「これは君の名前で提出された申請書だ。確かに署名は一致しているが、この欄──使用薬草の種類に、学会で認可されていないものが記されている」
アルテッツァの顔色が変わった。
その“改ざんされた欄”に記されていたのは、かつて実験中止になった“禁忌薬草”の名だった。
確かに、彼女の記録には決して記していない種類。しかも、王都では使用が明確に禁じられているものだ。
「ありえません……! それは、私の手から出たものでは……!」
しかし、物的証拠の重みは否応なしに彼女の言葉の信頼を削っていく。室内に、冷たい空気が張りつめた。
――だが、その空気を破るように、扉が開いた。
「失礼する」
アレクセイ・ヴォルティア大公が、審問室に堂々と姿を現したのだ。
彼は手に一通の書簡を持っていた。それは――ユリアーナ・エルメルスと第二王子陣営の秘書官が、裏で密談していたことを示す“書き起こし記録”。
「この件の背後にあるのは、失脚したエルメルス家の残党による偽証と、王家の威信を盾にした内部干渉だ。証拠はここにある」
彼は、王家に報告を上げるべくその記録を提示すると同時に、告げた。
「これ以上、我が妻を傷つける行為は、ヴォルティア大公家に対する正式な敵対と見なす」
室内の空気は一気に変わった。
監察官たちは目を見開き、法務官は書簡を手に取り、審問の即時中止を宣言した。
「令嬢アルテッツァに対する嫌疑は、現時点では完全に撤回される。今後、出所不明の書類に関しては王立学会と施療院の協力により、徹底的に調査する」
そう告げられた瞬間、アルテッツァは張り詰めていた肩の力をわずかに抜き、深く頭を下げた。
その帰り道、馬車の中で彼女はそっとアレクセイの肩に寄り添った。
「ごめんなさい……私、またあなたを巻き込んでしまいましたわ」
「謝る必要はない。私は君を守ると誓った。これは、当然のことだ」
そして、彼は優しく彼女の手を取った。
「私たちは、もう“白い結婚”ではないのだから」
その言葉に、アルテッツァの目から、静かに涙がこぼれた。
それは、かつての不安と孤独を癒やす、優しい証だった。
――だが、陰謀は終わらない。
◆4-3:決着の時、冷笑の果てに
「ユリアーナ・エルメルス……まさか、ここまで無様にしがみつくとは思いませんでしたわ」
その言葉は、深夜の大公邸の執務室で、侯爵令嬢アルテッツァの唇から静かに放たれた。
一通の報告書が机の上に置かれていた。それは、アレクセイ大公が手配した王都諜報部による密告文――ユリアーナ・エルメルスが、第二王子陣営の中でも最も過激な派閥と結託し、さらなる“反王家運動”を煽動しようとしていたという証拠だった。
「皮肉ですわね。私に泥をかけようとした女が、今度は王家を敵に回してしまうなんて」
アルテッツァの口調は、かつてのように柔らかく、けれどその裏に冷え切った静かな怒りが潜んでいた。
ユリアーナは、貴族街の屋敷をすでに離れ、身を潜めるように王都南端の離宮跡に潜伏しているという。そこに、かつてのエルメルス家の使用人たちや、同じように社交界で居場所を失った女たちが集まり、私的な情報ネットワークを築いていた。
「自分が選ばれなかったことを、いつまでも嘆いているのね。まるで、“自分を選ばなかった世界”が間違っていると信じているみたい」
アルテッツァは小さく首を振った。
「なら、私が彼女に“選ばれなかった理由”を教えて差し上げるべきですわね」
アレクセイは隣でその言葉を聞きながら、目を細めた。
「行くのか?」
「ええ。この件、終わらせない限り、王都に平穏は戻りませんもの」
彼女は立ち上がり、灰色の外套を羽織った。
「これは、私の戦いです」
---
王都南部、離宮跡。
その建物はかつて王子の狩りの拠点として使われていたものだが、今や壁はひび割れ、庭は荒れ果て、屋内には盗品と酒の香りが漂っていた。
そこにいた女たちは、かつて“美貌”や“家柄”を武器にして社交界を泳いでいた者ばかりだったが、今は見る影もない。ドレスは皺だらけ、髪は乱れ、爪先にまで虚栄の残骸が滲んでいた。
そんな中、奥の間で酒杯を手に取っていたユリアーナが、入口の扉が開かれる音に振り返った。
「……誰?」
現れたのは、月光に照らされた一人の令嬢――アルテッツァだった。
彼女は迷いなく室内へ歩を進め、黒靴の踵の音を鳴らしながら、ユリアーナと真正面から向かい合った。
「まあ……貴女が来るなんて、予想外だったわ」
ユリアーナは笑った。だがその笑みは、完全に壊れた女のそれだった。
目は充血し、紅潮した頬には微かな涙の跡があった。
「貴女は勝者ですもの。名誉も地位も、夫の愛も手に入れて……そんな貴女が、なぜ私のような落ちぶれた女に会いに来るの? 勝ち誇りにきたの?」
アルテッツァは無言で数歩近づき、彼女の目の前で静かに言った。
「勝ち誇る? そんなこと、する価値もありませんわ」
その言葉に、ユリアーナの目が見開かれる。
「私は貴女を、敵とも思っていません。哀れだとは思いますけれど」
「な、に……?」
「貴女は、選ばれなかった理由を“私のせい”にしている。けれど、違うのです。貴女は、自分の中に何一つ誠実さも努力もなかったから、誰からも選ばれなかった。それだけですわ」
ユリアーナの顔が一気に紅潮し、怒りの声が漏れる。
「貴女に何が分かるって言うのよ!? 貴女は“白い結婚”で気楽に大公妃になっただけじゃないの! 政略で偶然結ばれただけで……!」
「ええ、そうですわ。最初は形式だけの結婚でした。けれど、私はその“形式”の中でできる限り誠実に、与えられた場所で努力を重ねてきました」
アルテッツァは一歩近づく。
「それが私と、貴女の決定的な違いです。貴女は、与えられなかったことを恨んでばかりで、自分から何かを築こうとはしなかった」
「だまれっ……! だまれ……っ!」
「そして今、貴女は自分の人生を他人に壊してもらうことを期待している。誰かに復讐して、引きずり下ろして、満足することでしか、自分の価値を確認できない」
ユリアーナは叫んだ。
「貴女なんてっ……私の立場なら、同じように壊れてたはずよっ!!」
それでも、アルテッツァの声は変わらなかった。あくまで冷静で、真っ直ぐに向けられたものだった。
「そうはならなかったと思いますわ。なぜなら私は、誰のせいにもせず、生きると決めたから」
静寂が訪れた。
しばらくして、ユリアーナは崩れるように床に膝をついた。
「もう……全部、終わりね……」
「ええ、そうです。終わりにしましょう」
その瞬間、扉の外から兵士の足音が響いた。
アレクセイが手配した王都近衛兵たちが、建物を包囲していたのだ。
アルテッツァはユリアーナの隣に膝をつき、囁いた。
「……もし、いつか心からやり直したいと思ったなら、そのときは、貴女自身の足で立ち上がってください。そうでなければ、誰かの人生を奪っても、貴女は永遠に空っぽなままです」
ユリアーナは、涙を流していた。
その背を、静かに兵士たちが囲んでいく。
---
帰路の馬車の中。
アルテッツァは静かに窓の外を眺めていた。
王都の灯りが、まるで星のように街を照らしている。
「終わりましたわ、アレクセイ様」
「……よくやった」
隣で彼が優しく微笑み、彼女の手を取った。
「君は、誰よりも強い。誰よりも優しい」
アルテッツァは、その手を握り返し、そっと肩に身を預けた。
「私の“白い結婚”は、もうとっくに、色づいていたのかもしれませんわね」
そして、彼女の胸にはひとつの誓いが灯っていた。
――私は、この手で未来を守る。
選ばれたからではない。
選ばれなかった誰かのためにも、自分で“選び取る”人生を。
その瞳は、凛として夜空に向けられていた。
◆4-4:色づく未来、そして“共に歩む”道へ
「――これが、アルテッツァ様による次期施療院改革の提案書です」
王宮の議政庁、半円形の議場には、重厚なローブを身にまとった高位貴族や王族関係者がずらりと並んでいた。その中央演壇に、侯爵令嬢アルテッツァが立っていた。彼女の手には、王立施療院と学会が共同で検証を重ねた提案書と、新設される“王都中央施療局”の青写真。
壇上に立つ彼女のドレスは、淡い藤色。かつて“地味”と言われた装いはもうそこにはなく、王都を代表する貴婦人の威厳をたたえていた。
「失礼ながら申し上げます。この王都には、治療において階級差が存在しています」
彼女の声は穏やかで、しかし力強かった。
「貧民街の子どもは、風邪ひとつでも数日寝込むまで放置される。薬を処方するにも、領主家の推薦がなければ施療院にはかかれない。高価な薬草は、上級貴族の専有物……それが今の現実ですわ」
その場にいた老齢の貴族議員のひとりが眉をしかめた。
「しかし、それは仕方のないことではないのかね? 薬草は貴重であり、調合には手間も費用もかかる。それを平民にまで分けるとなれば、どれほどの予算が必要になるか――」
「だからこそ、“改革”が必要なのです」
アルテッツァは、間髪入れずに返した。
議場の一部がざわつく。
「私が提案するのは、薬草そのものを平民に無償提供することではありません。栽培技術の共有と、平民でも学べる薬草基礎教育の導入。そして――施療院への“階級ごとの調剤ランク”という制度そのものを廃止する新指針です」
彼女が手にした文書の中には、以下の提案が詳細に記されていた。
---
● 新規案:「薬草学基礎教育支援法」
・薬草学の初級講座を、王都周辺の小規模教会や村役場で開講
・平民でも、合格すれば“初級調剤師”として登録され、施療院と協働できる
● 新設計画:「中央施療局」案
・各地の施療院をまとめる中立機関として、大公家が出資し王立施療院と共同管理
・全階級の民に等しく診療を行う“共通診療室”の開設
・薬の処方と記録を、王宮学術院の保管管理に一本化することで、不正使用を防ぐ
---
「確かに、これなら薬の乱用を防ぎながら、救える命が増える……」
「王都の予算も大きく食い込まない。大公家の出資で賄えるとなれば、否は言えまいな」
ざわついていた貴族たちが、徐々に頷き始める。
だが、そのとき一人の男が立ち上がった。
「待っていただきたい!」
第二王子の補佐官、かつてユリアーナと結託していた男――ダリオン・フリューゲルである。
彼は声を荒げた。
「そもそも、この改革は、大公家の威光を王都に拡げるための“政治的意図”があるのではないか!? 侯爵令嬢が大公と結婚して以降、学会にも施療院にも“ヴォルティア”の名がつきすぎている!」
議場が一気に騒然となる。
しかし、アルテッツァは動じなかった。
代わりに立ち上がったのは、彼女の隣席にいた――アレクセイ・ヴォルティアその人だった。
「貴君は、大公家の威光と言ったな?」
「だが忘れるな。我が家は、王に忠誠を誓う貴族である。王都を支えることが“我が威光”と呼ばれるのなら、光栄の至りだ」
そして、彼は隣にいるアルテッツァを見つめながら、堂々と続けた。
「我が妻は、決して政治に興味を持ったことはない。ただ、人々を救いたいという真心だけで、この提案書を書き上げた。私はそれを、誰よりもそばで見ていた者として、誇りに思う」
その言葉は、議場全体に染み渡った。
「──真心で動いた者を、疑うのではなく信じよう。さもなければ、国を導く立場にある我々の言葉は、誰の心にも届かぬ」
その静かな言葉に、場は沈黙した。
そして、ついに王族代表が立ち上がり、宣言する。
「ヴォルティア大公とアルテッツァ令嬢の提案、可決とする」
その瞬間、議場には拍手が湧き起こった。
かつて彼女を“飾りの妃”と見下した貴族たちでさえも、今は誰もが――
「彼女は、本物だ」と認めていた。
---
茶会の夜、王宮のバルコニー。
ライトアップされた噴水を背景に、アルテッツァは静かにグラスを傾けていた。
その横で、アレクセイが囁く。
「君は、国を変えた。白い結婚の“仮面”を被っていた頃の君が見たら、どう思うだろうな?」
「きっとこう言いますわ。“やっと、自分らしく生きられましたわね”って」
アルテッツァは笑い、空を見上げた。
「これからは、“ただの妻”じゃない。“共に歩む”者として、あなたの隣に立たせていただきますわ」
アレクセイはその手を取り、そっと唇を寄せた。
「それが、私の望みだった」
やがて王都には春の嵐が訪れ、新たな季節を連れてくる。
そして――アルテッツァの物語も、“守られるだけの花嫁”から、“国と人を動かす女性”へと変わっていく。
白い結婚など、もう過去の話だ。
彼女は今、自分の足で立ち、愛する者と共に未来を歩いているのだから――。
(第4章 完)
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