17 / 32
第17話 境界線を引くのは、恐怖ではなく意思
しおりを挟む
第17話 境界線を引くのは、恐怖ではなく意思
翌朝、目を覚ました瞬間、私は少しだけ混乱した。
(……あれ?)
恐怖で飛び起きたわけでもない。
身構えた記憶もない。
ただ、普通に眠って、普通に朝が来た。
それが、どうしようもなく不思議だった。
カーテンを開けると、朝の光が部屋に流れ込む。穏やかで、昨日までと変わらない景色。
(……変わったのは、私か)
鍋は棚の上。
すりこぎ棒は部屋の隅。
どちらも“ある”。
でも、それを確認して安心する必要がなくなっている。
私は、ゆっくりと身支度を整え、食堂へ向かった。
カインはすでに席に着いていた。いつものように、静かで落ち着いた佇まい。
「おはよう」
「……おはようございます」
席に着き、紅茶を一口飲む。
沈黙。
でも、昨日までとは少し違う。
(……話さなきゃ、って思わない)
沈黙が、重荷ではなく“間”として存在している。
「……よく眠れたか」
「はい」
即答だった。
「怖くて目が覚めることも、ありませんでした」
カインは、少しだけ目を細めた。
「それは、良い兆候だな」
「……でも」
私は、カップを持つ手を見つめた。
「安心しきったわけじゃありません」
「それも、悪くない」
彼は、静かに言った。
「無防備と、安心は違う」
その言葉に、胸が鳴る。
朝食を終えたあと、私は自分から声をかけた。
「……少し、話してもいいですか」
「もちろん」
私たちは、窓際の席へ移動した。陽の光が、ふたりの間に落ちる。
「……境界線、ってあるじゃないですか」
「あるな」
「触れない距離とか、時間とか……心の線」
カインは、黙って頷いた。
「私、ずっとそれを“恐怖”で引いてきました」
嫌だから。
怖いから。
守るため。
「でも……それだと、線が動かないんです」
言葉にしながら、自分でも納得していく。
「怖さが減れば、線が曖昧になる。増えれば、閉じる。自分で決めてない」
カインは、ゆっくりと息を吐いた。
「それは……外側に主導権がある境界だ」
「……やっぱり」
私は、膝の上で手を組んだ。
「だから、決めたいんです」
「何を」
「どこまでなら大丈夫か。どこからは、まだ嫌か」
はっきりと、言葉にする。
「怖いからじゃなくて……私が、そうしたいから」
一瞬、空気が張り詰めた。
でも、それは緊張ではなく、真剣さだった。
カインは、私をまっすぐに見た。
「……それを、私に伝えてくれるのか」
「はい」
逃げずに、頷く。
「一緒にいるなら……伝えないと、意味がないと思って」
彼は、少しだけ目を伏せた。
そして、静かに笑った。
「君は……強いな」
「強くないです」
即座に否定する。
「怖いままですし、迷ってますし……」
「それでも、決めようとしている」
その声は、柔らかかった。
「境界線を引くのは、恐怖ではなく意思だ。君は、今それを持っている」
胸の奥が、じんと熱くなる。
「……じゃあ」
私は、深呼吸をして言った。
「今の境界線は……触れない距離。でも、並ぶのは平気」
「理解した」
「夜は……部屋に入られるのは、まだ嫌です」
「当然だ」
「でも……扉越しに話すのは、大丈夫です」
言い切ると、心が少し軽くなった。
カインは、一つひとつを、否定せずに受け止めた。
「それが、今の君の線だな」
「はい」
「尊重しよう」
その一言で、胸の奥に、しっかりとした支えが生まれた。
境界線は、壁じゃない。
拒絶でも、逃げでもない。
自分で引いた線だからこそ、意味がある。
この日、私は初めて――
守られる側でも、怯える側でもなく。
自分の意思で、ここに立つ人間になれた気がした。
そして、それを尊重される関係が、
どれほど大切なのかを、はっきりと知ったのだった。
翌朝、目を覚ました瞬間、私は少しだけ混乱した。
(……あれ?)
恐怖で飛び起きたわけでもない。
身構えた記憶もない。
ただ、普通に眠って、普通に朝が来た。
それが、どうしようもなく不思議だった。
カーテンを開けると、朝の光が部屋に流れ込む。穏やかで、昨日までと変わらない景色。
(……変わったのは、私か)
鍋は棚の上。
すりこぎ棒は部屋の隅。
どちらも“ある”。
でも、それを確認して安心する必要がなくなっている。
私は、ゆっくりと身支度を整え、食堂へ向かった。
カインはすでに席に着いていた。いつものように、静かで落ち着いた佇まい。
「おはよう」
「……おはようございます」
席に着き、紅茶を一口飲む。
沈黙。
でも、昨日までとは少し違う。
(……話さなきゃ、って思わない)
沈黙が、重荷ではなく“間”として存在している。
「……よく眠れたか」
「はい」
即答だった。
「怖くて目が覚めることも、ありませんでした」
カインは、少しだけ目を細めた。
「それは、良い兆候だな」
「……でも」
私は、カップを持つ手を見つめた。
「安心しきったわけじゃありません」
「それも、悪くない」
彼は、静かに言った。
「無防備と、安心は違う」
その言葉に、胸が鳴る。
朝食を終えたあと、私は自分から声をかけた。
「……少し、話してもいいですか」
「もちろん」
私たちは、窓際の席へ移動した。陽の光が、ふたりの間に落ちる。
「……境界線、ってあるじゃないですか」
「あるな」
「触れない距離とか、時間とか……心の線」
カインは、黙って頷いた。
「私、ずっとそれを“恐怖”で引いてきました」
嫌だから。
怖いから。
守るため。
「でも……それだと、線が動かないんです」
言葉にしながら、自分でも納得していく。
「怖さが減れば、線が曖昧になる。増えれば、閉じる。自分で決めてない」
カインは、ゆっくりと息を吐いた。
「それは……外側に主導権がある境界だ」
「……やっぱり」
私は、膝の上で手を組んだ。
「だから、決めたいんです」
「何を」
「どこまでなら大丈夫か。どこからは、まだ嫌か」
はっきりと、言葉にする。
「怖いからじゃなくて……私が、そうしたいから」
一瞬、空気が張り詰めた。
でも、それは緊張ではなく、真剣さだった。
カインは、私をまっすぐに見た。
「……それを、私に伝えてくれるのか」
「はい」
逃げずに、頷く。
「一緒にいるなら……伝えないと、意味がないと思って」
彼は、少しだけ目を伏せた。
そして、静かに笑った。
「君は……強いな」
「強くないです」
即座に否定する。
「怖いままですし、迷ってますし……」
「それでも、決めようとしている」
その声は、柔らかかった。
「境界線を引くのは、恐怖ではなく意思だ。君は、今それを持っている」
胸の奥が、じんと熱くなる。
「……じゃあ」
私は、深呼吸をして言った。
「今の境界線は……触れない距離。でも、並ぶのは平気」
「理解した」
「夜は……部屋に入られるのは、まだ嫌です」
「当然だ」
「でも……扉越しに話すのは、大丈夫です」
言い切ると、心が少し軽くなった。
カインは、一つひとつを、否定せずに受け止めた。
「それが、今の君の線だな」
「はい」
「尊重しよう」
その一言で、胸の奥に、しっかりとした支えが生まれた。
境界線は、壁じゃない。
拒絶でも、逃げでもない。
自分で引いた線だからこそ、意味がある。
この日、私は初めて――
守られる側でも、怯える側でもなく。
自分の意思で、ここに立つ人間になれた気がした。
そして、それを尊重される関係が、
どれほど大切なのかを、はっきりと知ったのだった。
0
あなたにおすすめの小説
離婚を望む悪女は、冷酷夫の執愛から逃げられない
柴田はつみ
恋愛
目が覚めた瞬間、そこは自分が読み終えたばかりの恋愛小説の世界だった——しかも転生したのは、後に夫カルロスに殺される悪女・アイリス。
バッドエンドを避けるため、アイリスは結婚早々に離婚を申し出る。だが、冷たく突き放すカルロスの真意は読めず、街では彼と寄り添う美貌の令嬢カミラの姿が頻繁に目撃され、噂は瞬く間に広まる。
カミラは男心を弄ぶ意地悪な女。わざと二人の関係を深い仲であるかのように吹聴し、アイリスの心をかき乱す。
そんな中、幼馴染クリスが現れ、アイリスを庇い続ける。だがその優しさは、カルロスの嫉妬と誤解を一層深めていき……。
愛しているのに素直になれない夫と、彼を信じられない妻。三角関係が燃え上がる中、アイリスは自分の運命を書き換えるため、最後の選択を迫られる。
契約妻に「愛さない」と言い放った冷酷騎士、一分後に彼女の健気さが性癖に刺さって理性が崩壊した件
水月
恋愛
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件の旦那様視点短編となります。
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?
由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。
皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。
ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。
「誰が、お前を愛していないと言った」
守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。
これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
告白相手を間違えた令嬢に待っていたのは、暴君皇帝からの寵愛でした。
槙村まき
恋愛
イヴェール伯爵令嬢ラシェルは、婚約前の最後の思い出として、ずっと憧れていた騎士団長に告白をすることにした。
ところが、間違えて暴君と恐れられている皇帝に告白をしてしまった。
怯えるラシェルに、皇帝は口角を上げると、告白を受け入れてくれて――。
告白相手を間違えたことから始まる恋愛ストーリー。
全24話です。
2月5日木曜日の昼頃に完結します。
※小説家になろうに掲載している作品を改題の上、連載しています。
「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」
イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。
ある日、夢をみた。
この国の未来を。
それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。
彼は言う。
愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?
噂の聖女と国王陛下 ―婚約破棄を願った令嬢は、溺愛される
柴田はつみ
恋愛
幼い頃から共に育った国王アランは、私にとって憧れであり、唯一の婚約者だった。
だが、最近になって「陛下は聖女殿と親しいらしい」という噂が宮廷中に広まる。
聖女は誰もが認める美しい女性で、陛下の隣に立つ姿は絵のようにお似合い――私など必要ないのではないか。
胸を締め付ける不安に耐えかねた私は、ついにアランへ婚約破棄を申し出る。
「……私では、陛下の隣に立つ資格がありません」
けれど、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「お前は俺の妻になる。誰が何と言おうと、それは変わらない」
噂の裏に隠された真実、幼馴染が密かに抱き続けていた深い愛情――
一度手放そうとした運命の絆は、より強く絡み合い、私を逃がさなくなる。
【完結】魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――
ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。
魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。
ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。
誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる