3 / 31
第三話 勝者の仮面
しおりを挟む
第三話 勝者の仮面
資金凍結の知らせが王都を駆け巡った翌日。
それでも、グラディウス家の正面玄関は、いつも通りに磨き上げられていた。
まるで何も起きていないかのように。
――外見だけは。
「本日もご機嫌よう、皆様」
甲高く澄んだ声が、昼下がりのサロンに響く。
義妹リリアは、淡い桃色のドレスに身を包み、にこやかに扇を広げていた。
周囲には若い令嬢たち。
彼女たちは困惑したような笑顔を浮かべながらも、席を立つことはできない。
なぜなら――まだ「公爵家令嬢」の肩書きは消えていないから。
「ええ、少し騒ぎはありましたけれど」
リリアは紅茶を持ち上げる。
「誤解ですわ。姉は昔から、少し計算高いところがあって」
くすり、と小さく笑う。
「でも、レオン様は私を信じてくださっていますもの」
その言葉に、隣の令嬢が曖昧に頷く。
「……そうですのね」
だが、その視線は微妙に泳いでいる。
屋敷の外では、王宮の監査官が出入りしている。
倉庫には封印。
会計室には立ち入り制限。
それでもリリアは笑う。
笑い続ける。
笑っていなければ、崩れてしまうから。
同じ頃。
私は自室の執務机に向かっていた。
「王立商会より正式通知。グラディウス家への与信停止」
カレンが報告する。
「早いわね」
「商会は敏感ですから」
私は書類に目を落とした。
資金が凍れば、信用が落ちる。
信用が落ちれば、商会は距離を取る。
それが商人の本能。
「南部鉱山の労働者代表が面会を求めております」
「通して」
入ってきたのは、日焼けした壮年の男。
帽子を胸に抱き、深く頭を下げた。
「お嬢様……賃金が止まりました」
「ええ、承知しているわ」
「若旦那様は“すぐ戻る”と仰いましたが、資金が……」
私は机から別の書類を取り出す。
「鉱山は、違約条項により私の管理下に入ります。賃金は今月分、全額保証する」
男の目が見開かれる。
「本当ですか」
「ええ。ただし、帳簿はすべてこちらへ提出していただきます」
「もちろんです!」
男は何度も頭を下げた。
彼が去ると、カレンが小さく言う。
「労働者の支持は、これで固まりましたね」
「支払いは当然の義務よ」
私は淡々と返す。
だが、これで鉱山は完全に私のものになる。
午後。
王都の噂はさらに膨らんだ。
『鉱山、アウレリア管理下』
『グラディウス家、支払い不能』
『王立商会、与信停止』
その噂は、当然サロンにも届く。
「リリア様、あの……」
一人の令嬢が、恐る恐る口を開く。
「鉱山は……」
「姉の一時的な嫌がらせですわ」
リリアは即座に笑顔を作る。
「すぐに元通りになります」
その時。
執事が青ざめた顔で駆け込んできた。
「お嬢様、王宮より正式通知が……」
リリアの笑顔が一瞬だけ固まる。
「なにかしら?」
「グラディウス家の主要口座、全面凍結となりました」
空気が凍る。
「……え?」
「王家監査により、不正支出の疑い。調査終了まで、全資産が保留扱いとなります」
リリアの手から、カップが滑り落ちた。
高価な磁器が、床で砕ける。
令嬢たちが小さく悲鳴を上げる。
「そんな……聞いていない……」
「レオン様は、現在王宮に呼び出されております」
執事の声は震えていた。
リリアは周囲を見回す。
誰も、助けようとはしない。
令嬢たちは視線を逸らし、静かに席を立ち始める。
「失礼いたしますわ」
「急用を思い出しましたの」
扉が次々と閉まる。
数分後。
広いサロンに残ったのは、リリアと砕けたカップの破片だけ。
その頃。
王宮の一室。
レオンは机を叩いていた。
「ふざけるな! 私は何もしていない!」
向かいに座る監査官は、冷ややかに書類をめくる。
「こちらはあなたの署名ですね」
「だから何だ!」
「軍需契約の前払い金が、別用途に流用されています」
「それは父が――」
「署名はあなたです」
レオンの喉が詰まる。
「これは一時停止ではなく、正式調査です」
監査官は淡々と告げた。
「爵位停止審査も同時進行となります」
「……は?」
「王家の名を背負う家として、信頼に重大な疑義が生じました」
レオンは椅子に崩れ落ちる。
頭の中で、昨夜の光景が蘇る。
アウレリアの微笑。
“契約通りに処理いたします”。
あれは――脅しではなかった。
現実だ。
夕刻。
私は報告書を閉じた。
「爵位停止審査、正式開始」
「ええ」
私は窓の外を見つめる。
王都の空は、曇り始めていた。
「リリア様は、まだ“誤解”と仰っているようです」
「誤解ではないわ」
私は静かに答える。
「現実よ」
ノックが響く。
「お嬢様、グラディウス家より再度面会の申し出が」
「お断りして」
即答。
「理由は?」
「契約は進行中です、とだけ」
カレンが微かに微笑む。
「容赦ございませんね」
「まだよ」
私は紅茶を口に含む。
「これは序盤」
舞踏会での勝者の宣言。
涙の演技。
愛の誓い。
すべては、二日前の出来事。
けれど今。
勝者の仮面は、ひび割れ始めている。
私は静かに呟いた。
「奪ったのなら、守ってみせなさい」
守れないなら――
崩れるだけだ。
王都の空に、重い雲が広がっていった。
資金凍結の知らせが王都を駆け巡った翌日。
それでも、グラディウス家の正面玄関は、いつも通りに磨き上げられていた。
まるで何も起きていないかのように。
――外見だけは。
「本日もご機嫌よう、皆様」
甲高く澄んだ声が、昼下がりのサロンに響く。
義妹リリアは、淡い桃色のドレスに身を包み、にこやかに扇を広げていた。
周囲には若い令嬢たち。
彼女たちは困惑したような笑顔を浮かべながらも、席を立つことはできない。
なぜなら――まだ「公爵家令嬢」の肩書きは消えていないから。
「ええ、少し騒ぎはありましたけれど」
リリアは紅茶を持ち上げる。
「誤解ですわ。姉は昔から、少し計算高いところがあって」
くすり、と小さく笑う。
「でも、レオン様は私を信じてくださっていますもの」
その言葉に、隣の令嬢が曖昧に頷く。
「……そうですのね」
だが、その視線は微妙に泳いでいる。
屋敷の外では、王宮の監査官が出入りしている。
倉庫には封印。
会計室には立ち入り制限。
それでもリリアは笑う。
笑い続ける。
笑っていなければ、崩れてしまうから。
同じ頃。
私は自室の執務机に向かっていた。
「王立商会より正式通知。グラディウス家への与信停止」
カレンが報告する。
「早いわね」
「商会は敏感ですから」
私は書類に目を落とした。
資金が凍れば、信用が落ちる。
信用が落ちれば、商会は距離を取る。
それが商人の本能。
「南部鉱山の労働者代表が面会を求めております」
「通して」
入ってきたのは、日焼けした壮年の男。
帽子を胸に抱き、深く頭を下げた。
「お嬢様……賃金が止まりました」
「ええ、承知しているわ」
「若旦那様は“すぐ戻る”と仰いましたが、資金が……」
私は机から別の書類を取り出す。
「鉱山は、違約条項により私の管理下に入ります。賃金は今月分、全額保証する」
男の目が見開かれる。
「本当ですか」
「ええ。ただし、帳簿はすべてこちらへ提出していただきます」
「もちろんです!」
男は何度も頭を下げた。
彼が去ると、カレンが小さく言う。
「労働者の支持は、これで固まりましたね」
「支払いは当然の義務よ」
私は淡々と返す。
だが、これで鉱山は完全に私のものになる。
午後。
王都の噂はさらに膨らんだ。
『鉱山、アウレリア管理下』
『グラディウス家、支払い不能』
『王立商会、与信停止』
その噂は、当然サロンにも届く。
「リリア様、あの……」
一人の令嬢が、恐る恐る口を開く。
「鉱山は……」
「姉の一時的な嫌がらせですわ」
リリアは即座に笑顔を作る。
「すぐに元通りになります」
その時。
執事が青ざめた顔で駆け込んできた。
「お嬢様、王宮より正式通知が……」
リリアの笑顔が一瞬だけ固まる。
「なにかしら?」
「グラディウス家の主要口座、全面凍結となりました」
空気が凍る。
「……え?」
「王家監査により、不正支出の疑い。調査終了まで、全資産が保留扱いとなります」
リリアの手から、カップが滑り落ちた。
高価な磁器が、床で砕ける。
令嬢たちが小さく悲鳴を上げる。
「そんな……聞いていない……」
「レオン様は、現在王宮に呼び出されております」
執事の声は震えていた。
リリアは周囲を見回す。
誰も、助けようとはしない。
令嬢たちは視線を逸らし、静かに席を立ち始める。
「失礼いたしますわ」
「急用を思い出しましたの」
扉が次々と閉まる。
数分後。
広いサロンに残ったのは、リリアと砕けたカップの破片だけ。
その頃。
王宮の一室。
レオンは机を叩いていた。
「ふざけるな! 私は何もしていない!」
向かいに座る監査官は、冷ややかに書類をめくる。
「こちらはあなたの署名ですね」
「だから何だ!」
「軍需契約の前払い金が、別用途に流用されています」
「それは父が――」
「署名はあなたです」
レオンの喉が詰まる。
「これは一時停止ではなく、正式調査です」
監査官は淡々と告げた。
「爵位停止審査も同時進行となります」
「……は?」
「王家の名を背負う家として、信頼に重大な疑義が生じました」
レオンは椅子に崩れ落ちる。
頭の中で、昨夜の光景が蘇る。
アウレリアの微笑。
“契約通りに処理いたします”。
あれは――脅しではなかった。
現実だ。
夕刻。
私は報告書を閉じた。
「爵位停止審査、正式開始」
「ええ」
私は窓の外を見つめる。
王都の空は、曇り始めていた。
「リリア様は、まだ“誤解”と仰っているようです」
「誤解ではないわ」
私は静かに答える。
「現実よ」
ノックが響く。
「お嬢様、グラディウス家より再度面会の申し出が」
「お断りして」
即答。
「理由は?」
「契約は進行中です、とだけ」
カレンが微かに微笑む。
「容赦ございませんね」
「まだよ」
私は紅茶を口に含む。
「これは序盤」
舞踏会での勝者の宣言。
涙の演技。
愛の誓い。
すべては、二日前の出来事。
けれど今。
勝者の仮面は、ひび割れ始めている。
私は静かに呟いた。
「奪ったのなら、守ってみせなさい」
守れないなら――
崩れるだけだ。
王都の空に、重い雲が広がっていった。
9
あなたにおすすめの小説
女神様、もっと早く祝福が欲しかった。
しゃーりん
ファンタジー
アルーサル王国には、女神様からの祝福を授かる者がいる。…ごくたまに。
今回、授かったのは6歳の王女であり、血縁の判定ができる魔力だった。
女神様は国に役立つ魔力を授けてくれる。ということは、血縁が乱れてるってことか?
一人の倫理観が異常な男によって、国中の貴族が混乱するお話です。ご注意下さい。
おかしくなったのは、彼女が我が家にやってきてからでした。
ましゅぺちーの
恋愛
公爵家の令嬢であるリリスは家族と婚約者に愛されて幸せの中にいた。
そんな時、リリスの父の弟夫婦が不慮の事故で亡くなり、その娘を我が家で引き取ることになった。
娘の名前はシルビア。天使のように可愛らしく愛嬌のある彼女はすぐに一家に馴染んでいった。
それに対してリリスは次第に家で孤立していき、シルビアに嫌がらせをしているとの噂までたち始めた。
婚約者もシルビアに奪われ、父からは勘当を言い渡される。
リリスは平民として第二の人生を歩み始める。
全8話。完結まで執筆済みです。
この作品は小説家になろう様にも掲載しています。
婚約破棄したので、元の自分に戻ります
しあ
恋愛
この国の王子の誕生日パーティで、私の婚約者であるショーン=ブリガルドは見知らぬ女の子をパートナーにしていた。
そして、ショーンはこう言った。
「可愛げのないお前が悪いんだから!お前みたいな地味で不細工なやつと結婚なんて悪夢だ!今すぐ婚約を破棄してくれ!」
王子の誕生日パーティで何してるんだ…。と呆れるけど、こんな大勢の前で婚約破棄を要求してくれてありがとうございます。
今すぐ婚約破棄して本来の自分の姿に戻ります!
「エリアーナ? ああ、あの穀潰しか」と蔑んだ元婚約者へ。今、私は氷帝陛下の隣で大陸一の幸せを掴んでいます。
椎名シナ
恋愛
「エリアーナ? ああ、あの穀潰しか」
ーーかつて私、エリアーナ・フォン・クライネルは、婚約者であったクラウヴェルト王国第一王子アルフォンスにそう蔑まれ、偽りの聖女マリアベルの奸計によって全てを奪われ、追放されましたわ。ええ、ええ、あの時の絶望と屈辱、今でも鮮明に覚えていますとも。
ですが、ご心配なく。そんな私を拾い上げ、その凍てつくような瞳の奥に熱い情熱を秘めた隣国ヴァルエンデ帝国の若き皇帝、カイザー陛下が「お前こそが、我が探し求めた唯一無二の宝だ」と、それはもう、息もできないほどの熱烈な求愛と、とろけるような溺愛で私を包み込んでくださっているのですもの。
今ではヴァルエンデ帝国の皇后として、かつて「無能」と罵られた私の知識と才能は大陸全土を驚かせ、帝国にかつてない繁栄をもたらしていますのよ。あら、風の噂では、私を捨てたクラウヴェルト王国は、偽聖女の力が消え失せ、今や滅亡寸前だとか? 「エリアーナさえいれば」ですって?
これは、どん底に突き落とされた令嬢が、絶対的な権力と愛を手に入れ、かつて自分を見下した愚か者たちに華麗なる鉄槌を下し、大陸一の幸せを掴み取る、痛快極まりない逆転ざまぁ&極甘溺愛ストーリー。
さあ、元婚約者のアルフォンス様? 私の「穀潰し」ぶりが、どれほどのものだったか、その目でとくとご覧にいれますわ。もっとも、今のあなたに、その資格があるのかしら?
――え? ヴァルエンデ帝国からの公式声明? 「エリアーナ皇女殿下のご生誕を祝福し、クラウヴェルト王国には『適切な対応』を求める」ですって……?
『公爵家を乗っ取った男爵一家は、家系図から消えました』 ―偽令嬢は王太子妃を夢見て国外追放、私は公爵として責務を果たします―
ふわふわ
恋愛
両親を亡くし、幼くして公爵家の当主となったエレノア。
後見人を名乗って入り込んできたのは、男爵である叔父一家だった。
「公爵家は私たちが守ってあげる」
――そう言いながら、彼らはいつしか公爵を名乗り、財産を使い込み、娘を“公爵令嬢”と偽って社交界へ。
やがて王太子との婚約話まで進み、公爵家は完全に乗っ取られたかに見えた。
だが――
「その公爵令嬢、偽物ですわ」
静かに微笑んだ瞬間、全ては覆る。
血統の証、一族会議での断罪、王家への正式告発。
爵位僭称、王家欺瞞、財産横領。
男爵一家は次々と罪を暴かれ、家系図から名を消されていく。
救済はない。
情もない。
あるのは責務のみ。
「公爵は、情より責務です」
本物の公爵令嬢エレノアが、奪われた家と誇りを取り戻し、王家と対等に並び立つまでの徹底ざまぁ恋愛譚。
偽物は消え、本物だけが残る。
これは、乗っ取られた公爵家を完全に取り返す物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる