9 / 27
第2章「影の騎士との盟約」
2-4 帰還の誘い
しおりを挟む
2-4 帰還の誘い
辺境の村に、冷たい風が吹き抜けた。
冬の終わりを告げるような曇り空。
だが、その風が運んできたのは、春ではなく――陰謀の匂いだった。
「王都よりの使者だ! 開門を!」
見張り台の騎士が叫ぶ。
村人たちがざわめく中、黒い馬車がゆっくりと雪道を進んでくる。
王家の紋章が刻まれた金の紋章旗が、ひらりと揺れた。
ルナリエは、手を止めて外へ出た。
冷たい空気が頬を刺す。
オルヴィンが無言で彼女の隣に立つ。
その姿だけで、心が少しだけ落ち着いた。
馬車の扉が開くと、中から青い外套をまとった男が降りてきた。
「……久しいな、ルナリエ殿下」
「――“殿下”?」
周囲の空気がぴんと張り詰める。
「わたくしはすでに、その名を棄てたはずです」
ルナリエの声は冷たく静かだった。
「恐れながら、王太子殿下のご命令により、正式な伝達をいたします」
男は羊皮紙の巻簡を取り出すと、恭しく広げた。
> “王太子セドリック・エルヴィアは、元婚約者ルナリエ・エルヴィア殿に対し、
改めて婚約の再締結を希望する。王国の安定のため、速やかなる帰還を命ずる。”
沈黙が流れた。
雪の舞う音さえ、やけに耳に残る。
ルナリエは、淡い笑みを浮かべた。
「……再婚約。王国の安定のため、ですのね」
男はうなずく。
「はい。殿下は深く反省なさっておられます。どうか再び、王家の柱としてお戻りください」
――王家の柱。
それは“再び、王太子の飾り物に戻れ”という意味だった。
「ふざけるな」
低い声が割り込む。
オルヴィンだった。
彼は一歩前に出て、男を睨みつけた。
「追放した相手を、今さら呼び戻す? 都合が良すぎるだろう」
「騎士殿、控えよ!」
使者が声を荒げる。
「これは王命である! 拒めば、反逆とみなす!」
オルヴィンの手が、剣の柄に触れた。
しかし、ルナリエがその手を静かに押さえた。
「待って、オルヴィン」
彼女は使者に向き直る。
「……王命とあらば、従うのが王族の義務でしょう。ですが――」
ルナリエは一歩、前へ出る。
その眼差しは、かつて“氷の姫”と呼ばれた頃と同じ鋭さを帯びていた。
「王都に戻る前に、殿下にお伝えください。
“氷は一度割れれば、二度と元には戻らぬ”と」
使者の顔が青ざめた。
「し、しかし……!」
「これ以上の言葉は無用です。お引き取りを」
ルナリエが背を向けると、オルヴィンが小さく息を吐いた。
使者はしばらくその場に立ち尽くしたが、やがて馬車に乗り込み、王都の方角へと消えていった。
――そして、残された二人。
「……行かないのか」
オルヴィンが問う。
ルナリエは静かに首を振った。
「戻れば、また誰かの“飾り”に戻るだけです。
そんな場所に、もうわたくしの居場所はありません」
「だが、あいつらは諦めない。お前を“利用”しにくる」
「ええ、わかっています」
ルナリエは遠くの山を見上げた。雪をかぶった峰が、薄く光を反射している。
「けれど……怖くはありません。わたくしには、もう支えてくれる人がいますから」
その言葉に、オルヴィンの眉がわずかに動いた。
「……俺のことか?」
「他に誰がいますの?」
ルナリエがいたずらっぽく微笑む。
その笑顔は、氷ではなく、炎のようにあたたかかった。
しかし――オルヴィンの表情はすぐに引き締まる。
「ルナリエ。王都からの使者が来たということは……もう動き出している」
「動き出している?」
「お前を呼び戻して、“表向きの婚約者”として殺すつもりだ」
空気が、一瞬にして凍りついた。
「……まさか」
「使者の馬車、護衛が少なすぎた。王命の伝達にしては不自然だ。――“罠”だ」
オルヴィンの目が鋭く光る。
その瞳に宿るのは、騎士の直感。
そして、ただひとりの女を守るという誓いだった。
「……つまり、わたくしは“囮”というわけですのね」
「そうだ」
ルナリエは一瞬だけ目を閉じ、そしてゆっくりと微笑んだ。
「ならば、囮を演じて差し上げましょう」
「なに?」
「逃げるだけでは、何も変わりません。向こうが仕掛けてくるなら――こちらも備えます」
その瞳には、かつての王女の威厳ではなく、戦う女の覚悟が宿っていた。
「……オルヴィン。あなたはわたくしの影なのでしょう?」
「そうだ」
「ならば、わたくしが光を照らす番ですわ」
沈黙のあと、オルヴィンは低く笑った。
「お前にはかなわんな」
「ふふ、ようやく気づきました?」
「……いや。最初から、知っていた」
二人の間に、微かな温もりが流れる。
吹きすさぶ風の中でも、その距離はもう、決して凍ることはなかった。
――そして、この“帰還の誘い”こそ、すべての嵐の始まりとなる。
---
辺境の村に、冷たい風が吹き抜けた。
冬の終わりを告げるような曇り空。
だが、その風が運んできたのは、春ではなく――陰謀の匂いだった。
「王都よりの使者だ! 開門を!」
見張り台の騎士が叫ぶ。
村人たちがざわめく中、黒い馬車がゆっくりと雪道を進んでくる。
王家の紋章が刻まれた金の紋章旗が、ひらりと揺れた。
ルナリエは、手を止めて外へ出た。
冷たい空気が頬を刺す。
オルヴィンが無言で彼女の隣に立つ。
その姿だけで、心が少しだけ落ち着いた。
馬車の扉が開くと、中から青い外套をまとった男が降りてきた。
「……久しいな、ルナリエ殿下」
「――“殿下”?」
周囲の空気がぴんと張り詰める。
「わたくしはすでに、その名を棄てたはずです」
ルナリエの声は冷たく静かだった。
「恐れながら、王太子殿下のご命令により、正式な伝達をいたします」
男は羊皮紙の巻簡を取り出すと、恭しく広げた。
> “王太子セドリック・エルヴィアは、元婚約者ルナリエ・エルヴィア殿に対し、
改めて婚約の再締結を希望する。王国の安定のため、速やかなる帰還を命ずる。”
沈黙が流れた。
雪の舞う音さえ、やけに耳に残る。
ルナリエは、淡い笑みを浮かべた。
「……再婚約。王国の安定のため、ですのね」
男はうなずく。
「はい。殿下は深く反省なさっておられます。どうか再び、王家の柱としてお戻りください」
――王家の柱。
それは“再び、王太子の飾り物に戻れ”という意味だった。
「ふざけるな」
低い声が割り込む。
オルヴィンだった。
彼は一歩前に出て、男を睨みつけた。
「追放した相手を、今さら呼び戻す? 都合が良すぎるだろう」
「騎士殿、控えよ!」
使者が声を荒げる。
「これは王命である! 拒めば、反逆とみなす!」
オルヴィンの手が、剣の柄に触れた。
しかし、ルナリエがその手を静かに押さえた。
「待って、オルヴィン」
彼女は使者に向き直る。
「……王命とあらば、従うのが王族の義務でしょう。ですが――」
ルナリエは一歩、前へ出る。
その眼差しは、かつて“氷の姫”と呼ばれた頃と同じ鋭さを帯びていた。
「王都に戻る前に、殿下にお伝えください。
“氷は一度割れれば、二度と元には戻らぬ”と」
使者の顔が青ざめた。
「し、しかし……!」
「これ以上の言葉は無用です。お引き取りを」
ルナリエが背を向けると、オルヴィンが小さく息を吐いた。
使者はしばらくその場に立ち尽くしたが、やがて馬車に乗り込み、王都の方角へと消えていった。
――そして、残された二人。
「……行かないのか」
オルヴィンが問う。
ルナリエは静かに首を振った。
「戻れば、また誰かの“飾り”に戻るだけです。
そんな場所に、もうわたくしの居場所はありません」
「だが、あいつらは諦めない。お前を“利用”しにくる」
「ええ、わかっています」
ルナリエは遠くの山を見上げた。雪をかぶった峰が、薄く光を反射している。
「けれど……怖くはありません。わたくしには、もう支えてくれる人がいますから」
その言葉に、オルヴィンの眉がわずかに動いた。
「……俺のことか?」
「他に誰がいますの?」
ルナリエがいたずらっぽく微笑む。
その笑顔は、氷ではなく、炎のようにあたたかかった。
しかし――オルヴィンの表情はすぐに引き締まる。
「ルナリエ。王都からの使者が来たということは……もう動き出している」
「動き出している?」
「お前を呼び戻して、“表向きの婚約者”として殺すつもりだ」
空気が、一瞬にして凍りついた。
「……まさか」
「使者の馬車、護衛が少なすぎた。王命の伝達にしては不自然だ。――“罠”だ」
オルヴィンの目が鋭く光る。
その瞳に宿るのは、騎士の直感。
そして、ただひとりの女を守るという誓いだった。
「……つまり、わたくしは“囮”というわけですのね」
「そうだ」
ルナリエは一瞬だけ目を閉じ、そしてゆっくりと微笑んだ。
「ならば、囮を演じて差し上げましょう」
「なに?」
「逃げるだけでは、何も変わりません。向こうが仕掛けてくるなら――こちらも備えます」
その瞳には、かつての王女の威厳ではなく、戦う女の覚悟が宿っていた。
「……オルヴィン。あなたはわたくしの影なのでしょう?」
「そうだ」
「ならば、わたくしが光を照らす番ですわ」
沈黙のあと、オルヴィンは低く笑った。
「お前にはかなわんな」
「ふふ、ようやく気づきました?」
「……いや。最初から、知っていた」
二人の間に、微かな温もりが流れる。
吹きすさぶ風の中でも、その距離はもう、決して凍ることはなかった。
――そして、この“帰還の誘い”こそ、すべての嵐の始まりとなる。
---
0
あなたにおすすめの小説
借りてきたカレ
しじましろ
恋愛
都合の良い存在であるはずのレンタル彼氏に振り回されて……
あらすじ
システムエンジニアの萩野みさをは、仕事中毒でゾンビのような見た目になるほど働いている。
人の良さにつけ込まれ、面倒な仕事を押しつけられたり、必要のない物を買わされたり、損ばかりしているが、本人は好きでやっていることとあまり気にしていない。
人並みに結婚願望はあるものの、三十歳過ぎても男性経験はゼロ。
しかし、レンタル彼氏・キキとの出会いが、そんな色の無いみさをの日常を大きく変えていく。
基本的にはカラッと明るいラブコメですが、生き馬の目を抜くIT企業のお仕事ものでもあるので、癖のあるサブキャラや意外な展開もお楽しみください!
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」
イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。
ある日、夢をみた。
この国の未来を。
それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。
彼は言う。
愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
悪役令嬢まさかの『家出』
にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。
一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。
ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。
帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!
ぽっちゃり侯爵と大食い令嬢の甘い婚約生活
piyo
恋愛
女性秘書官として働きながら、“大食い令嬢”の異名を持つダニエラ。そんな彼女に、上司のガリウスがひとつの縁談を持ってくる。
相手は名門オウネル侯爵家の当主、キーレン・オウネル。
大変ふくよかな体形の彼は、自分と同じように食を楽しんでくれる相手を探していた。
一方のダニエラも、自分と同じくらいの食欲のある伴侶を求めていたため、お茶会を通じて二人は晴れて婚約者となる。
ゆっくりと距離を縮め、穏やかに愛を育んでいく二人だが、
結婚式の半年前、キーレンが交易交渉のため国外へ赴くことになり――
※なろうにも掲載しています
ギルド回収人は勇者をも背負う ~ボロ雑巾のようになった冒険者をおんぶしたら惚れられた~
水無月礼人
恋愛
私は冒険者ギルド職員ロックウィーナ。25歳の女で担当は回収役。冒険者の落し物、遺品、時には冒険者自体をも背負います!
素敵な恋愛に憧れているのに培われるのは筋肉だけ。
しかし無駄に顔が良い先輩と出動した先で、行き倒れた美形剣士を背負ってから私の人生は一変。初のモテ期が到来です!!
……とか思ってウハウハしていたら何やら不穏な空気。ええ!?
私の選択次第で世界がループして崩壊の危機!? そんな結末は認めない!!!!
※【エブリスタ】でも公開しています。
【エブリスタ小説大賞2023 講談社 女性コミック9誌合同マンガ原作賞】で優秀作品に選ばれました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる