氷の王女と影の騎士 ――誓いの逆転婚姻

しおしお

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第2章「影の騎士との盟約」

2-4 帰還の誘い

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2-4 帰還の誘い

辺境の村に、冷たい風が吹き抜けた。
冬の終わりを告げるような曇り空。
だが、その風が運んできたのは、春ではなく――陰謀の匂いだった。

「王都よりの使者だ! 開門を!」
見張り台の騎士が叫ぶ。
村人たちがざわめく中、黒い馬車がゆっくりと雪道を進んでくる。
王家の紋章が刻まれた金の紋章旗が、ひらりと揺れた。

ルナリエは、手を止めて外へ出た。
冷たい空気が頬を刺す。
オルヴィンが無言で彼女の隣に立つ。
その姿だけで、心が少しだけ落ち着いた。

馬車の扉が開くと、中から青い外套をまとった男が降りてきた。
「……久しいな、ルナリエ殿下」

「――“殿下”?」
周囲の空気がぴんと張り詰める。

「わたくしはすでに、その名を棄てたはずです」
ルナリエの声は冷たく静かだった。

「恐れながら、王太子殿下のご命令により、正式な伝達をいたします」
男は羊皮紙の巻簡を取り出すと、恭しく広げた。

> “王太子セドリック・エルヴィアは、元婚約者ルナリエ・エルヴィア殿に対し、
改めて婚約の再締結を希望する。王国の安定のため、速やかなる帰還を命ずる。”



沈黙が流れた。
雪の舞う音さえ、やけに耳に残る。

ルナリエは、淡い笑みを浮かべた。
「……再婚約。王国の安定のため、ですのね」

男はうなずく。
「はい。殿下は深く反省なさっておられます。どうか再び、王家の柱としてお戻りください」

――王家の柱。
それは“再び、王太子の飾り物に戻れ”という意味だった。

「ふざけるな」
低い声が割り込む。
オルヴィンだった。
彼は一歩前に出て、男を睨みつけた。

「追放した相手を、今さら呼び戻す? 都合が良すぎるだろう」

「騎士殿、控えよ!」
使者が声を荒げる。
「これは王命である! 拒めば、反逆とみなす!」

オルヴィンの手が、剣の柄に触れた。
しかし、ルナリエがその手を静かに押さえた。
「待って、オルヴィン」

彼女は使者に向き直る。
「……王命とあらば、従うのが王族の義務でしょう。ですが――」
ルナリエは一歩、前へ出る。
その眼差しは、かつて“氷の姫”と呼ばれた頃と同じ鋭さを帯びていた。
「王都に戻る前に、殿下にお伝えください。
“氷は一度割れれば、二度と元には戻らぬ”と」

使者の顔が青ざめた。
「し、しかし……!」
「これ以上の言葉は無用です。お引き取りを」

ルナリエが背を向けると、オルヴィンが小さく息を吐いた。
使者はしばらくその場に立ち尽くしたが、やがて馬車に乗り込み、王都の方角へと消えていった。

――そして、残された二人。

「……行かないのか」
オルヴィンが問う。
ルナリエは静かに首を振った。

「戻れば、また誰かの“飾り”に戻るだけです。
そんな場所に、もうわたくしの居場所はありません」

「だが、あいつらは諦めない。お前を“利用”しにくる」

「ええ、わかっています」
ルナリエは遠くの山を見上げた。雪をかぶった峰が、薄く光を反射している。

「けれど……怖くはありません。わたくしには、もう支えてくれる人がいますから」

その言葉に、オルヴィンの眉がわずかに動いた。
「……俺のことか?」
「他に誰がいますの?」
ルナリエがいたずらっぽく微笑む。

その笑顔は、氷ではなく、炎のようにあたたかかった。

しかし――オルヴィンの表情はすぐに引き締まる。
「ルナリエ。王都からの使者が来たということは……もう動き出している」
「動き出している?」
「お前を呼び戻して、“表向きの婚約者”として殺すつもりだ」

空気が、一瞬にして凍りついた。

「……まさか」
「使者の馬車、護衛が少なすぎた。王命の伝達にしては不自然だ。――“罠”だ」

オルヴィンの目が鋭く光る。
その瞳に宿るのは、騎士の直感。
そして、ただひとりの女を守るという誓いだった。

「……つまり、わたくしは“囮”というわけですのね」
「そうだ」

ルナリエは一瞬だけ目を閉じ、そしてゆっくりと微笑んだ。
「ならば、囮を演じて差し上げましょう」

「なに?」
「逃げるだけでは、何も変わりません。向こうが仕掛けてくるなら――こちらも備えます」

その瞳には、かつての王女の威厳ではなく、戦う女の覚悟が宿っていた。

「……オルヴィン。あなたはわたくしの影なのでしょう?」
「そうだ」
「ならば、わたくしが光を照らす番ですわ」

沈黙のあと、オルヴィンは低く笑った。
「お前にはかなわんな」

「ふふ、ようやく気づきました?」
「……いや。最初から、知っていた」

二人の間に、微かな温もりが流れる。
吹きすさぶ風の中でも、その距離はもう、決して凍ることはなかった。

――そして、この“帰還の誘い”こそ、すべての嵐の始まりとなる。


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