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しおん

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28 差し伸べられる、手

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 ユジュンとナユタのやりとりは、全て聞いてた。金縛りにあったように動けず、声も出なかったが、
「聞くな、ユジュン! そいつの言葉を聞くな!」
 と叫びたかった。
 『アマルガム』の背の上で、ユーリからナユタの生い立ちについて聞かされた。
 同情はする。特に似たような境遇で育ったイリヤは共鳴もした。だが、共感はしない。それとこれとは話が別だ。ユジュンの尊厳を著しく損なった今回、ナユタがしたことは許されるべきではない。
 ふと、イリヤは懐に仕舞った逆十字のペンダントがうっすらと発光していることに気が付いた。取り出して見ると、声が聞こえて来た。
『あの子に、あの子に会わせてほしいの。あなたになら、できるでしょう?』
 イリヤは目を閉じた。
 そして、再び目を開くと、そこは凪いだ空間で、風を切る音のうるさい、飛竜の背の上ではなかった。
 目の前に、二十代半ばのガーリーな衣装を着た女性が立っていた。
「誰だ」
『私はセシリア。セシリア・クラウ。ナユタの母よ』
「あんたが、火あぶりにされた魔女、か」
『そう。この呪いのアイテムに残された、残留思念』
 まだ少女といっても通じるような、幼い顔つきの女性だったが、キッと意思を固めたようにイリヤに口を開いた。
『あの子は、あの日、老人から「」と名付けなさいと、託された、大事な大事な宝物。でも、私の異能力のせいで、あの子を一人にしてしまった。
悔いても悔やみきれない』
「あいつのことは、俺に任せろ。あんたを、あいつのもとに、戻してみせる」
『ほんとうに……?』
 はらはらと涙を流して、セシリアの姿は消えた。
 同時に、イリヤはもう一度、目を開けた。
 夜明けが近い。空が白んでいる。
 飛竜は宵闇から日付をまたいで、一晩飛び続けたことになる。休息も挟まずに、一体どれだけの距離を越えたのだろう。
「あそこだ!」
 ユーリが身を乗り出して、前方を指さした。
 山の裾野が真っ赤に燃えている。
 夜明けの光ではない、炎が燃えているのだ。
 まるで冥府の王の口角が弧を描いているかのようだ。
 焔にまかれ、灼熱に燃え盛る村の中心に、『アマルガム』は降り立った。
 ナユタが生まれ育った、母との思い出の地だ。そこを、焼き払うとは、正気の沙汰ではない。
 イリヤはユジュンを抱いたまま、大地に降りた。テン、ヒース、ユーリも続く。
「ひでぇな……」
 ヒースは煙を吸わないように、衣服の袖で鼻と口を覆っている。
 よく見ると、そこかしこに炭化した人間の死体が転がっていた。それもこれもナユタの仕業なのだろう。
「うわ、これ、人やったんかなぁ」
 テンが、炭化した人間だったらしきものを、蹴らないように気を遣って歩いている。
「ナユタ、ナユタ!」
 イリヤは叫びながら、炎の中を歩いた。
 やがて、広場で目にした、若き日のルキフェン・リンドウの姿をとり、魔人アザゼルを吸収したナユタの後ろ姿が目に入った。
「ナユタ!」
「なぁに? 今から最後の一人を殺すところだよ。来るのがずいぶん遅かったね」
 言うが早いか、ナユタは漆黒の炎で、首を鷲掴みにした村人を焼き殺した。もとよりアザゼルは炎を司る魔人だ。黒炎はその証。全てを焼き尽くす黒い炎は、通常の炎の数十倍の火力がある。
 炭化した死体を、放り投げて、ナユタがこちらへ歩んでくる。
 イリヤは、ユジュンをヒースとテンに預けると、ナユタと対峙した。
「これで、気は晴れたか」
 二十五歳当時のルキの姿をしたナユタは、イリヤよりずっと背が高い。
「うーん。すっきりしたけど、なんか物足りないかな」
 およそ、殺人を重ねた者の喋る言葉とは思えないほど、ナユタの口調は軽やかだった。
「おまえの母親は、これを、望んでいたのか」
「さあ。でも、火あぶりにしたんだから、炎に巻かれて死ぬのも因果じゃない?」
 ナユタは遊び飽きたオモチャを捨てる子供のような口ぶりだった。
「ユーリから、おまえの生い立ちについて、聞いた」
「へぇ…同情でもしてくれた?」
「分かる。分かるんだ。おまえの心が。俺も同じ、だったから。腹が減ったら、惨めだよな。心ない言葉をかけられたら、侘しいよな。殴られたり、蹴られたりしたら、やるせないよな……」
「なにが言いたいの」
 ナユタの顔から笑顔が消えた。
「でも、手を、差し伸べてくれる、人間はいただろう? 恨み、つらみや怒りを、他人に向けたら、いけないんだ。全部、自分に返ってくる。だから、俺は呪うことをやめて、祈ることにした」
 ナユタは目を逡巡させたあと、伏せた。
「僕は陰の存在だ。どこまでいっても、影なんだ」
 ぎゅっと両の拳を握りしめる。
「俺たちは、社会に組み込まれた、一つの歯車だ。皆、その歯車を回して生きてる。誰かが、誰かの仕事で、毎日を生きている。そういう人間に、おまえも、なれ」
「僕も、歯車になれるの。生きていく場所があるの」
 ナユタは復讐がすんで、己の存在意義を失っている。懐柔するなら、今だ。イリヤが導き出した答えは。
「ナユタ、もう、こんなことはやめろ。こちら側に、戻って来い」
 ナユタに手を差し伸べることだった。かつてユジュンが自分にそうしてくれたように。
 ナユタは一歩踏み出そうとして、やめた。
「どうせ、ユジュンを返して欲しいだけなんでしょ」
「………」
 イリヤは最終手段を使うことにした。

 ユジュンは真っ暗闇の中にぽつねんと一人で立っていた。
 ここはどこだろうと、辺りを見回していると、シクシクと子供の泣き声が聞こえてきた。
 ふと、前方を見れば、もう一人の自分、ナユタが膝を抱えて泣いていた。
「どうして泣いてるの?」
 ナユタは答えたない。ただ、涙を流しているばかりだ。
「こんなところにいてもしょうがないよ。みんなのところに帰ろう」
 ユジュンが膝を折って、ナユタに触れれば、
「僕は陰だ。光の世界には行けない」
 などと、陰湿な答えが返ってくる。
「そんなことないよ。あっちに光が見える。一緒に行こう」
 ユジュンは遙か遠くに見える、一点の光を指さした。
「僕は、人を殺したよ。嘘をついたよ。悪いことをいっぱいしたよ。それでも許せるの?」
 ナユタは涙で濡れた顔を上げて、ユジュンを見た。
「許せるよ。おれたち、ふたりでひとつじゃないか。だから、一緒に行こう」
 ユジュンはもう一人の自分を、魂を分けた兄弟を、心からかわいそうに思った。
 ナユタは目を見開くと、顔を歪めた。
「行っても、いいの? 一緒に。君のいる場所まで」
「うん、いいよ」
 包み込むような優しさで笑み、ユジュンは手を差し伸べた。すると、迷いながらも、ナユタはその手を掴み、立ち上がった。
「行こう」
 ユジュンはナユタの手を引いて、光を目指して歩み出した。

 イリヤは懐から、逆十字のペンダントを取り出した。
「それは、お母さんの……!」
 ナユタが目を瞠った。更に、大きく目が開かれる。
 何故なら、セシリアが形をとって目の前に現れたからだ。
「ナユタ…」
「お母さん……?」
「ナユタ、こっちにいらっしゃい」
「お母さん!」
 走り寄るナユタの姿が、変わって行く。成人男性から、九歳の少年へと。みるみる縮んで、セシリアに抱き留められた。
「僕は、僕は、お母さんに、もう一度会いたかっただけなんだ!」
「ナユタ、ごめんね。これで最後よ。周りの人を大事に、真っ直ぐ生きていってね」
「お母さん?」
 セシリアはナユタから離れると、立位のまま、動かなくなった。
 なけなしの残留思念が底をついたのだ。
「これを、おまえに、やる」
 ナユタの元へ歩み寄ったイリヤは、逆十字のペンダントをナユタの首にかけてやった。
「それから、この、『同胞』をおまえに譲渡する。名は、『ニユクス』という。セシリアの姿をしてはいるが、中身は、別の人格が、宿っている。さびしいときに呼び出して、慰めてもらえば、いい」
『我が、主よ』
 うやうやしく、『夜』はナユタに頭を垂れた。ナユタは泣きついた。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
 ナユタはしきりに誰かに向かって謝っていた。贖罪の言葉なのだろうか。
 夜が明けきって、空は明るい。村を焼いていた炎は収まり、自然鎮火し始めていた。
「ナユタ。ユジュンを返してくれるか」
 イリヤが優しく訊くと、
「うん」
 ナユタは素直に頷いた。
「ナユタ、ナユター!」
 セラフィータがイリヤの肩から離れ、ナユタの腕の中へと飛び込んだ。
「セラフィ……」
「おかえりなさい」
 セラフィータはえづきながら、泣きじゃくっていた。
「うん、ただいま」
 ナユタは弱々しく笑った。
「行くぞ」
 イリヤはナユタの手を引いて、ヒースたちのもとへ戻った。
 ユジュンは目を閉じたまま、ヒースの膝の上で、ぴくりとも動かない。
「あ」
 テンがユジュンの身体が発光していることに気付いた。
 光の正体は、清明だった。
 ユジュンの身体から離れて、その場に立ち上がった。
『賢者の石の移動は、我がやろう。一つになった魂も分離させねばならん』
 作業は清明によって、粛々と行われた。
 まず、目を閉じたナユタの胸から、ユジュンの賢者の石を抽出し、それを移動させてユジュンの胸の上から、体内に埋め込む。
 賢者の石の形状は見てもよく分からなかった。液体のようでもあり、固体のようでもある、赤い何か、だった。
 簡単なように見えて、繊細さが求められる儀式だった。
 イリヤたちにとっては、イリュージョンを見せられているようなものだった。
 万国ビックリショーだ。
『いつ何時、暴れ出すか分からぬから、応急手当だが、アザゼルの封印を施しておこう』
 そう言って、清明はナユタの腹に、臍を中心とした簡易的な魔方陣を描くと、封印を行った。
 あとは、ユジュンが息を吹き返すかどうかだ。
 こんなときでも、ユーリは喫煙を止められないらしく、少し離れた場所で煙草をぷかぷか吹かしていた。
 吸い殻を足で踏み潰すのが、三本目を数えたとき、
「う、ううっ……!」
 ドクンと鼓動が打って、ユジュンが呼吸を取り戻した。再起動リブートしたのだ。
 ゆっくり、まぶたを開ける。
『よくぞ、黄泉帰ったな、ユジュン』
「おじ、さん……?」
「そうだぜ、ユジュン。クーガーが死んで、こんな立派な青年に若返ったんだぜ」
 ひざまくらをしていたヒースは、涙声だった。
「ユッちゃん、良かったぁ。どこも痛いとこ、ない?」
 テンはぼろぼろ涙を流している。
「うん、たぶん」
 ユジュンは身体を起こした。
「ユジュン……!」
 イリヤは思いの丈を込めて、ユジュンを抱き締めた。
「イリヤ……」
 ユジュンは涙を薄く浮かべて、抱き返してきた。その動作が力強かったので、イリヤは心底安堵した。
 ユジュンは温かい。確かに、生きている。
 イリヤの目尻に一滴の涙が浮いて、美しく線を描いて頬を流れたのだった。
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