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アリス、学園に降り立つ

11 リアル鬼ごっこ

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 教室に入ると皆、既に制服から探査服に着替えていた。いわゆる体操服のようなものかとアリスが納得していると、ライラがアリスに探査服を一着差し出してくる。
「サイズはこれで大丈夫かしら? さっき先生が来て渡しておいてって。探査服は毎回貸し出しなの。誰のか分からなくなるから皆こっそり自分の着てるものにサインとか入れてあるの。アリスも何か刺繍しておくといいよ」
「ありがとう! し、刺繍かぁ……できるかな……」
 令嬢の平均的な嗜みというものが一切出来ないアリスにとって、刺繍はなかなかにハードルが高い。木を削るナイフは器用に使えるが、糸と針とはすこぶる相性が悪いのだ。
「大丈夫だよ。とりあえず自分のだって分かればそれでいいんだから」
「そ、そっかぁ」
 アリスほどの下手くそも居ないだろうから、違う意味で良く分かるかもしれない。そんな事を考えながら教室の隣に併設された更衣室で探索服に着替え、ライラと共に移動した。
 ゾロゾロと先生に促されるままに列に並んでいると、後ろからやってきたイザベラがスイとアリス達の前に割り込んできて意地悪く笑う。
「あ~ら、下々の者達が何故こんな前に居るのかしら?」
「あ、イザベラさんだ。おはよう~」
「ちょ、ア、アリス!」
「あ、相変わらず生意気な子ね! ここは公爵、侯爵、伯爵家の列なの! あんたたちの列はあちらでしてよ?」
 そう言ってイザベラは遥か後ろの方を指さして笑った。
「そうなの? ライラ」
 アリスがライラに問うと、ライラは怯えながらも小さく首を振る。
「ふ~ん。じゃ、嘘か。イザベラさんって、随分しょうもない嘘つくんだね」
「な、何ですって⁉」
「ア、アリス、行こ!」
 ライラは急いでアリスの腕を引っ張って列の後方に並びなおした。そこは従者達の列だったのだが、ライラにはその列の方がはるかに居心地がいい。
「お嬢様、なぜここに?」
「キリ! なんかねーあんたたちの列はあっちよーって言われたの。でもいいや。キリが居るんならこっちの方が楽しそう!」
「あのクルクルに言われたんですか?」
「クルクルって……イザベラさんね」
 巻き毛が特徴のイザベラである。そんなキリの言葉に流石のアリスもヒヤヒヤしながら答えていると、さらに後ろから叫び声のような声が聞こえてきた。
「お嬢様―! 何してらっしゃるんですか! またですか⁉ またアイツですか⁉」
 そのあまりの声の大きさに皆がギョっとして振り返ると、恰幅の良い年配の女の人が物凄い形相で走ってくるのが見えた。それを見たライラがオロオロしながら服を握りしめてポツリと呟く。
「ア、アリス……」
「へ?」
「あ、ごめんね。うちのメイドもアリスって言うのよ。ややこしいよね」
「そうなんだ! アリスさーん! こっちこっちー」
 申し訳なさそうなライラを無視してアリスはメイドアリスに向かって手を振った。
「ライラお嬢様! その方はお、お友達ですか?」
 メイドアリスは息を切らせながらアリス達の前までやってくるとゼェゼェと肩で息をしながらアリスとキリを交互に見た。随分見目の良い二人にメイドアリスはしばらく訝し気だったが、すぐにポンと手を打つ。
「もしかしてあなたがアリスさま?」
「はい! よろしくです、アリスさん。へへ、変な感じ」
「まぁ! まぁまぁ! ライラお嬢様からお話は伺っております! 私と同じ名前の友人が出来たのだと! そうですか、あなたがアリスさまですか。随分お可愛らしい!」
「えっへへ~それほどでも。もっと言っていいですよ!」
 面と向かって褒められるのは悪い気はしない。照れ照れと頭をかいたアリスを見てライラとメイドアリスは顔を見合わせて同時に噴き出す。
「お嬢様、失礼ながら今のは完全に社交辞令ですよ」
「しゃ、社交辞令でも嬉しいの!」
「そうですか? 放っておくとお嬢様はすぐに調子に乗るので」
「し、失礼な! 私ほど謙虚な人間も居ないよ⁉」
「すみません、一体どの口が言うんですか?」
「きぃぃぃ!」
「二人とも本当に仲が良いのね!」
「仲が良い⁉ どこが⁉」
「申し訳ありません、どの辺がでしょうか?」
 全く同じタイミングでそんな事を言う二人がライラとメイドアリスには面白く映ったようで、すっかり仲良くなった四人は結局このまま森に入る事になった。
 森での実地訓練とは、つまりは大がかりな鬼ごっこだった。クジを引いて鬼と狩人を決め、鬼は背中に貼られたゼッケンを取られたら負け。狩人も背中のゼッケンを取られたら鬼の捕虜となる。捕虜は一か所に集められ、仲間の狩人に助けてもらわなければ外には出られない。武器や魔法の使用は一切認められず、ガチンコ勝負。結果的に鬼が居なくなったら鬼の負け。狩人が全員捕まれば狩人の負けだ。制限時間内に終わらなかった場合は、残り少ない方が負けとなる。ちなみに、従者達は全員主と一心同体。運命共同体となるらしい。
 低学年の間は実地訓練中に魔法が使えない事を知った何人かの生徒は不満を述べていたが、高学年になればこの実地訓練にも魔法を使用していいそうだ。
「これは……燃える!」
「お嬢様の得意分野ですね」
「任せて! 罠作らなきゃ、罠!」
 話を聞いて急に張り切りだしたアリスを見てキリが白い目で見ているが、ライラとメイドアリスはとても不安そうだ。
「ライラ様、アリスさん、先に言っておきます。お嬢様は多分、引くほど動くと思うので、決してついて行こうとはしないでくださいね」
 絶対に、賭けてもいい。アリスはとんでもない事をしでかす。そんなアリスに純粋培養代表のようなライラとメイドアリスはおそらくついては来られないだろう。
 真剣なキリの顔に無言で頷いたライラは、はぁはぁと肩で息をするアリスを見て何だかレースに出る前の馬のようだ、などと失礼な事を考えていた。
「ライラ! がんばろうね!」
「う、うん。でもアリス、気を付けてね。無茶しないでね?」
「うん! 私あっちのスタート地点だから、また後でね!」
 ライラと別れてキリと共に鬼用ゼッケンをつけてスタート地点に辿り着くと、そこには既に何人かの鬼がこちらを見てヒソヒソと話していた。
 森での実地訓練は一学年が全員参加するのだが、既にアリスの噂は他のクラスにまで知れ渡っているようだ。
「居心地悪いなぁ、もう」
「まあ、仕方ありませんよ。ノア様には私のような存在も居なかったのですから、それを思えばお嬢様はまだマシでしょう?」
「そうだよね。兄さまも強かったんだろうなぁ、このゲーム」
「でしょうね。ノア様もああ見えてお嬢様について回れる方ですから」
「……どういう意味?」
「あ、褒めてませんよ。先に言っておきます」
「……」
 失礼なキリは置いておいて、アリスはまず周りを見渡した。森というだけあって周りは木ばかりだ。とりあえず登れそうな木は沢山ある。後方には川があるので、後で水深を見てみよう。
 スタートの鐘が鳴るまでアリスはキョロキョロしていたが、やがて鐘が鳴ると同時にアリスは駆け出した。仲間の鬼はアリスのあまりのスピードに一瞬驚いたように固まっていたが、やがてノロノロと動き出す。
 アリスは走ったそのままの勢いで手近な木にスルスル登ると、一気にてっぺんに辿り着いた。
「まずは様子見、ですか?」
「うん。狩人のスタートがどこかなと思って」
 日差しを遮るようにして手をおでこに翳すと、右上と左上は鬼仲間だと言う事が分かった。そしてその中央に狩人は集められているようで、これだけ見れば完全に狩人は不利だ。
 けれど復活出来る事を考えるとそれぐらいのハンデは妥当なのかもしれない。
「キリ、私が囮になるからキリは狩人のゼッケン取って回って」
「了解です。では、降りますね」
「さぁて、誰からいこっかなぁ~」
 鼻歌交じりにそんな事を言いながら木から降りる猿、もといアリスは、かつてのノアと全く同じことをしている事など露知らず、手近な狩人探しに勤しんだ。
「おい! こっちに鬼が居るぞ! 女だ! 捕まえろ!」
 木を降りてしばらく歩いていると、狩人の男三人に出くわした。それを見つけてアリスはわざとらしく怯えた振りをして走り出す。
 もちろん鬼たちはアリスを追いかけてくるが、不思議な事に全然アリスに追いつけない。それどころか三人居たうちの二人は既に後ろから音もなく追いかけていたキリによってゼッケンを取られていた。
「く、くそ! な、何なんだよ、おま、え!」
 足が早すぎないか? 全くアリスに追いつけなくて思わず立ち止まった所で、後ろに気配を感じて振り返ると、端正な顔をした美青年がこちらを見下ろして薄く笑う。
「ひ、ひぃ!」
 思わず逃げようとした所で背中に衝撃が走り、自分のゼッケンが取られた事を悟った。
「キリ! でかしたわ」
「これぐらい当然です」
「……」
 コイツら怖い。男はがっくりと項垂れてトボトボと狩人小屋へと向かった。そこには先に捕まった二人が膝を抱えて落ち込んでいる。
「よ」
「おう」
「アイツにやられた?」
 誰が、とは言わなかった。多分、同じ奴だろうから。
「あの妙にセクシーな男だろ?」
「そう」
「……なあ、男もだけどさ、あの女、足の速さヤバくね?」
「……」
「……」
 そうなのだ。女だからと言って油断した、とかではない。本気で走っても全く追いつけなくて、余計に後ろから追ってきていた男に気づけなかった。というか、音すらしなかった。
「本物の鬼……とか?」
「いやいや、それは流石に……」
「……」
 こうして真っ先に捕まった男子三人はこのゲームが終わるまで、ずっと居もしない鬼の存在に怯えるはめになり、後からあの少女こそが噂の男爵家、アリスだったのだと知る事になる。
「キリ、右後方に二人分の足音」
「左にも居ますね。ああ、こちらは鬼のようです。あの二人はあの鬼を狙っているようです」
「じゃ、そこを狙いますか!」
 足音を消す為に靴を脱いだアリスは、野生の狼よろしく地面に四つん這いになって、鬼を狙う狩人の背後に回り込んだ。
 そんな様子をキリは少し離れて見ていたのだが、その目の鋭さとギラつきは完全に獲物を狙うそれで、まるで本物の狼のようだ。
 アリスは手だけでキリに待ての合図をして狩人が動き出した瞬間、体を起こして走り出した。
 狩人たちはもちろんすぐ後ろからアリスが迫っている事など気づきもせずに、目の前に居る鬼に意識を集中させている。一方、追い詰められた鬼はその場から動けずにいるようで、その場に蹲ってしまう。そこに二人がかりで襲い掛かろうとした所で、背中に軽やかな衝撃が走り振り向くと、そこには天使のような笑顔を浮かべた葉っぱだらけの少女が二枚のゼッケンを手にして立っていた。
「二枚ゲーット」
「は? え?」
「え? ……ええ⁉」
「お見事でした、お嬢様」
「えっへへ~。さて、次いこ、次!」
「……」
「……」
「……」
 次行こ! と言い残した少女と青年はそのまま木にスルスルと登りだし、あっという間に見えない所まで登って行ってしまった。
 その光景はまるで夢を見ていたかのようだったと後に二人の狩人と鬼は語ったという。
 同じ時刻、とある洞穴で一人の少年が膝に顎を置いて母親譲りの銀色の髪を弄りながら時間を潰していた。どれぐらいの時間が経ったのだろう。鬼ごっこなどくだらない。何も走り回らなくてもこうやって時間一杯まで隠れていればいい話だ。
 聞いた所によると今回のクジには細工されていて、騎士の家系の者達はあらかじめ狩人の方に入れられていると聞いた。結局、学校行事なんて全て家柄がいい者が優遇されるのだ。
 この鬼ごっこだってそう。騎士の家の者達の力試しと自尊心を満たす為と言った所なのだろう。だからこんな風に子爵家と男爵家ばかりが鬼になっているのだ。
 薄暗い洞窟の中でそんな事を考えていると、まだ半時間も経っていないのにゲーム終了の鐘が鳴った。
「え? なんで? まだ鬼居るのに」
 そう、少年は鬼だった。このゲームは鬼が全員捕まるか狩人が全員捕まるかで決着がつく。
 けれどまだ鬼の自分はここに居る。少年はとりあえず洞窟から這い出すと、狩人が捕まっている檻の所までやってきて息を飲んだ。
「ゲーム終了です。狩人が全員捕らえられました! このゲーム、鬼の勝ちとなります!」
 このゲームで鬼が勝つなんて……。滅多にない事に思わず息を飲んで捕らえられた面々を見た実技(実地)教師のイーサンは眉をしかめた。
 騎士の家系の者達が意気消沈した様子でガックリと項垂れている。耳を澄ますと彼らの話声が聞こえてきて、教師だというのに思わず聞き耳を立ててしまった。
「おい、お前誰に捕まった?」
「俺? 女だよ。なんか、葉っぱいっぱいつけた女」
「あ、一緒だ。顔は可愛いかったけど」
「え? お前ら女の方に捕まったの? 俺めっちゃセクシーな男だったわ」
「あれ、セットだろ? 司令塔女の方だよな?」
「そうなの? 俺ら捕まえて風のように走り去ってったんだけど。裸足で」
「俺、もうちょっとで捕まえられそうだったんだよ……それなのに……それなのに……」
「な、なんだよ? 逃げられたのか?」
「バック転で逃げられたんだ……で、唖然としてる内に木に登って隣の木に飛び移って消えてった……」
「え? 猿? お前、猿捕まえようとしてたの?」
「人間! だと思う……多分」
「……」
 そこまで聞いてイーサンはそっと檻から離れ、鬼の一団に目を向けその中に一人だけ服が異様に汚れている少女を見つけ、近寄り不躾に聞いた。
「君、名前は?」
「え? アリス・バセットですけど」
 その答えにイーサンは目を見開いた。
「バセット! お前、ノア・バセットの妹か!」
「あ、はい。兄をご存知なんですか?」
「ああ。あいつが入学したての頃のゲームも鬼が勝ったからな。なるほど、合点がいったよ」
 なるほど。あのノア・バセットの妹か。兄も相当変わっているが、どうやら妹はそれに輪をかけて変わっているようだ。流石のノアも裸足で走り回らなかったし、木から木に飛び移る事はなかった。
 何だかおかしくて声を出して笑いだしたイーサンに、アリスは怪訝な顔をしている。
「ああ、すまんな。ノアが言ってたのはこの事だったんだな、と」
「兄さまが何か言ってたんですか?」
「ああ。あまりにも見た目に反して動きが俊敏だから何か習っているのかと聞いたら、これぐらい動けないと妹は捕まえられないので、とな。しかもその後に、これだけ動けても妹は更に上を行く、とも言っていたから一度会いたいと思っていたんだが……なるほどな! 今あの時のノアの言葉を実感したよ」
 イーサンはアリスの頭についた葉っぱを取ってやると、楽しそうに肩を揺らしながら戻った。
「お前たち、相手が悪かったな! 次はがんばれ!」
 檻の中にイーサンが声を掛けると、プライドがぼろ雑巾のようになった少年たちは力なく返事をしてきた。
 ノアの代はルイスやカインが居たので初めの一度目こそノアは鬼になったが、それ以降はただの一度も鬼になっていない。それは理事会で決まった事で、流石に次期王子のプライドをへし折るのはいかがなものか、という協議がなされたからだ。
 このゲームは言わば上流貴族の為のお遊びのようなもので、彼らの為にあるような授業だった。
 けれどイーサンにはそれが貴族の狩りの風習をまるで人間でしているように見えて気味が悪かった。強者が弱者をいたぶって楽しむなど、見ていて何が楽しいというのだ。そういうイーサンは伯爵家の出身で、そんな事を考える自身は変わり者だという認識があるが、嫌なものは嫌なのだ。
 アリスという少女に負けた事をあの少年達がどんな風に捉えるのか。悔しくて次は勝とうとするのか、それともこのまま潰れてしまうのか。ルイスの時は王家に気を使ってノアを狩人にしたが、幸いにもこの学年に王家に与する者は居ない。つまり、アリスはこれからも鬼だ。
「楽しくなってきたなぁ~。がんばれよ、皆」
 そしていつか兄妹対決を見たい。そんな風に思ったのは、もちろん誰にも内緒だった。
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