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アリス、学園に降り立つ

16 生ゴミを食むドラゴン

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 翌朝、アリスとノア、キリの三人はいつもよりも随分早くに部屋を出た。
 昨夜、ドンちゃんの食事をどうにかしなければ、という話になったのだ。とりあえず今朝の分は厨房に何かもらいに行こうという話でまとまった。
 すっかり朝食の準備を終えて、作った料理を全て隣の配膳部屋に運び込んだ厨房には相変わらずザカリーとスタンリーしか居なかった。二人は椅子に座って大きなため息を落として伸びをし、仕事の後のお茶を飲んでいた。
 チラリとゴミ箱を見ると、今日も大量に野菜の屑や果物のヘタなどが詰め込まれている。ここに食事が終わると貴族様の食べ残しが入るのだ。
「もったいないっスね~」
「まったくだ。こうなってくると毎日お嬢に生ごみ渡したくなるな!」
「あはは! 確かに!」
 そう言って袋に生ごみを入れて意気揚々と立ち去ったアリスの姿を思い出して笑った二人だったが、まさかこの後、もうこんな心配を一切しなくなる事をまだ知らない。
 お茶を飲みながら一息ついたら、すぐに昼食の準備にとりかからなければならない。自由に出来るのはこの隙間の時間だけなのだ。だからこそこの時間は二人の癒しであり、誰にも邪魔されたくない時間だと言うのに。
「おはようございま~す!」
 今日も勢いよく厨房のドアを開けたアリスを見て、ザカリーとスタンリーはもう驚く事もしなかった。噂をすれば何とやら、だ。そしてもう、立ち上がる事もしない。このお嬢様にはそんなものはどうやら不要だと二人は学んだのだ。
「はよーっス」
「おはよーさん。どうした? 生ゴミか? あるぜぇ~わんさか」
 そう言って生ゴミの入ったバケツを指さしたザカリーにアリスは飛び上がって喜んだ。生ゴミでこんなも喜んでくれるアリスには本当に好感が持てるが、近しい友人にはなりたくない。
「ありがとう、ザカリーさん!」
「いいってことよ。袋はいるか?」
「ううん、大丈夫。連れてきてるから!」
「随分用意がいいな……ん? 連れてきてる?」
 そこで気づいた。アリスの後ろ、ドアの外に居る従者のキリの手に何かが抱かれている事に。
「待て! お前、猫かなんかに餌やるつもりか?」
 猫や犬はこんな野菜屑は食べないだろ。そう言おうとしてザカリーは何かに気付いて後ずさった。そんなザカリーを不審に思ったのか、スタンリーも近寄ってきてドアの外に居るキリの腕の中に居る何かを見て、やはり顔を引きつらせながら後ずさる。
「待……って、お嬢、それ……なに?」
「犬……でもねぇ……な? ク、クマ? いや……え? お嬢……お前、何拾った……?」
「あのねー、ドラゴンの赤ちゃん拾った! 生ごみちょうだい」
「あ、これですね。ちょっとこのままお借りしますねー」
「……」
「……は?」
 待て。今何て言った? ドラゴンと言ったのか? あれは伝説の生き物だろう? それが何故、目の前にいるのだ?
 ザカリーとスタンリーはお互い顔を見合わせてゴクリと息を飲み、
「きやぁぁぁぁ!」
 絹を裂くような悲鳴を上げてその場に座り込んだ。二人が腰を抜かしていると、いつの間にかノアが生ごみの入ったバケツを持って廊下に出ている。貴族の坊ちゃんがバケツの中を漁って生ごみを訳の分からん生き物に与えている画はシュールすぎて笑えない。
「おれぇ、この修行が終わったら……」
「言うな! スタンリー、それ以上は言うな! お嬢! 訳の分からないモノは安易に拾っちゃ駄目でしょうが!」
「違うもん。石だと思って持って帰ったらドラゴンの卵だったんだもん」
「そんな事あるか! このバカチン!」
 もう貴族とかそんなもの関係ない。まずこの娘の常識がおかしい。どこの世界に、石拾って帰ったら中からドラゴン出てきちゃった~なんて言う令嬢が居るというのだ!
「もっと言ってやってください、ザカリーさん」
「ちょ、見て、ドンすごい食欲だよ。ザカリーさん、もう生ごみありませんか?」
「ええ? スタンリー、ちょっとあっちの持ってこいよ」
「は、はあ……え? ザカリーさん、もう慣れたんスか?」
「何か、バケツに頭突っ込んで尻尾振ってんの見てたら可愛い気がしてきた……」
「マジすか⁉ パネェ!」
 すぐに通常モードに戻ったザカリーをコック長としてだけでなく、男としても尊敬しつつスタンリーはもう一つのバケツを持ってきた。
「ほらドンちゃん、このお兄さん達がもう一個バケツ持ってきてくれたよ~」
 アリスが言うと、ドンはバケツから頭を出して、ザカリーとスタンリーに向かってニカっと口を開いた。
「お、おお……か、可愛い」
「ギャップやべぇ」
 ドンが二人に向けて笑ったのか威嚇したのかそれは分からないが、ちょっとだけキュンとしてしまったのは内緒だ。
 結局、ザカリーとスタンリーはその後恐る恐るドンを撫で、触り、顔をザラザラの舌で舐められて気を良くした。
「生ごみ置いとくから、昼時にまた来いよ。あ、味の濃いもんとかは止めた方がいいのか?」
「分かんない。アラン様に聞いてみる! ありがとう、二人とも! また後でねー」
「おう、またなー」
「ちーっス」
 つられて返した二人は、お互いの顔を見合わせて黙り込んだ。
「ふ……ドラゴンだって!」
「ね! いやぁ~びっくりっス」
 今しがた見たドラゴンを思い出して二人は笑った。そのまま椅子に座ってすっかり冷えたお茶を無言で飲む。
「……」
「……」
 じわじわと襲ってくる恐怖に沈黙が続く。
「「ぎやぁぁぁぁ!」」
 可愛くない。いや、可愛いかもしれない。可愛かった気がする。でも、ドラゴン。二人はしばらく、その場から動けないでいた。
 たらふく生ごみを食べたドンはキリの腕の中で満足そうに猫がするように顔をゴシゴシと洗っている。
「お腹いっぱいになったね~ドンちゃん」
「キュキュウ~」
「いい? ドン。あの二人はご飯をくれる人達だからね。よーく覚えとくんだよ?」
「キュウキュウ!」
 まるでノアの言葉を理解したみたいに頷いたドンはノアに頬ずりをしてペロリと舐めた。
「兄さま、私達も朝ごはん食べなきゃだよ!」
「そうだね。ドンは……」
 チラリとキリを見ると、キリは頷いてノアに張り付いたドンを抱えた。
「キリ一人で大丈夫?」
「大丈夫です。この時間ならミアさんが食堂に居ると思うので、彼女に預けます」
 昨日の様子からしてミアはよほどドンの事を気に入っているようなので、おそらく頼まなくても面倒を見ていてくれるに違いない。
「ああ、ミアさんか。なら大丈夫だね。それじゃあキリ、ドンは任せるよ。アリス、行こうか」
「うん! ドンちゃん、また後でね。ご飯終わったら探検行こうね!」
「キュイ!」
 ドンはキリの腕の中から肩に移動すると、小さな羽根をパタパタと動かした。どうやらアリスが手を振ったのを真似したらしい。やはりドラゴンの知能指数は計り知れない。
 食堂に入ると真ん中辺りにいつものメンバーが既に勢ぞろいしていた。食堂にやってきたアリスとノアを見つけてカインが物凄い笑顔で手を振ってくる。
 券売機で食券を買って注文を終えた二人は挨拶もそこそこに皆のいるテーブルについた。
「おはよう! で、ドンは?」
「おはよう、カイン。ドンは一足先に食事が終わって、今はあっち」
 そう言って指さしたのは従者食堂だ。それと同時に従者食堂から何やら悲鳴と歓声が入り混じったような声が聞こえてきた。
「なるほど。キリに任せたんだ?」
「そう。あっちにはミアさんも居るし、従者達は皆こっちとは違って一致団結してるみたいだから、きっと良くしてくれるでしょ?」
「確かに。こちらはまだギスギスしてるもんね」
「それはすぐには仕方ないよ。だからカイン、遠慮しないで教室に先に戻っていいよ?」
 にっこり笑うノアを見てカインは笑顔を返す。
「いやいや、ちゃんと最後まで居るよ? み~んなが食べ終わるまで。ところで、ドン何食べたの?」
 どうしてもドンに会いたいカインはいそいそとメモ帳を取り出した。
「生ごみ食べました!」
「ん?」
「だーかーらー生ごみ食べました! すっごい食欲旺盛ですよ!」
「ド、ドラゴンに生ごみ与えたの⁉」
 持っていたメモ帳を落としたカインは鬼でも見るような目でアリスを見つめてくる。その視線にたじろいだアリスがチラリとフードの男、アランに視線を移すと、アランは持っていたフォークをブルブルさせながら話し出した。
「え、えっと、理にか、適ってるとおも、思います、よ」
「鬱陶しい! フードを取れ、アラン!」
「ひいっ!」
 強引にルイスにフードを取られたアランは髪型を整えてゴホンと咳払いした。
「理には適っていますよ。ドラゴンには主食という主食が無いんです」
「どういう事なのかしら……」
「はい。ドラゴンはその巨体と高い魔力を保持するためにありとあらゆるものを体内に取り込みます。だから決まった主食というものが無いんです。それこそがドラゴンの知能が高いという事を裏付ける証拠でもあるんです」
「どういうことだ? どうしてそれが知能に結び付く?」
「簡単な事だよ、ルイス。もしもドラゴンの主食が魚だったとしようか。かつては沢山居たドラゴンが、好き放題に魚を食べていたら、どうなってたと思う?」
 ノアの問いにルイスが何かに気付いたようにハッとした顔をする。
「そうです。もしかしたら大昔はドラゴンにも好みの食べ物はあったのかもしれませんが、いつからかそれを食べ尽くしてしまうと、もう二度とそれが食べられないという事に気付いた。
その思考に至った訳です。だから彼らは主食を作らなかったんです。長い年月をかけて肉も野菜も魚も果物も木の実も虫も、何でも食べるようになりました。そうして過ごすうちにもう一つ大事な事に気づきます。バランス良く食事をすると、体の調子が良いという事に。生物の知能指数というのは人間を基準に考えられているので何とも言えませんが、そういう意味ではドラゴンはかなり人間的な行動をとる。つまり、知能指数が高いと言えるんです。だからカイン、生ごみと聞くとギョっとしますが、色んな食材を同時に沢山食べられるというのは、ドラゴンにとってはこの上なく理に適っているんですよ」
 珍しく早口でドラゴンについて語ったアランは、ふう、と息を吐き出してお茶を飲む。
「あ! そうだ、アランさま。逆にドラゴンが食べちゃ駄目なものってありますか?」
 突然アリスに話しかけられた事でアランはカップを震わせて顔を真っ赤にして首を振った。
「いえ、特には。例えば犬や猫などは人間の味付けをした食事などをすると肝臓を悪くしたりしますが、ドラゴンはそもそも自分に害があると判断したものは食べないようです。例えば毒草とか毒キノコとかですね。ただドラゴンは存在自体が伝説だと言われるぐらい、はるか昔に姿を消してしまったので、詳しい文献も無いんです。だから一度ドンちゃんに与えてみて、食べない食材をその都度書き出していくしかないですね」
「なるほどー。じゃあペッしたものをあげないようにすればいいのか」
「大方のものは食べると思いますよ。文献にもある通り、人とドラゴンは共存していた過去がある訳ですし、その時は狩りはドラゴンに任せて人は料理を彼らに提供していたようです。道具と知識を持つ人間と、狩猟に長けた種族同士が共に暮らしていたのですよ。それに、例えば調味料も元々は食べられる物から作られているんですから、きっと本当に何でも食べると思いますよ」
「言われてみれば……琴子の世界とは違うんだもんね……」
 同じ醤油をとっても琴子の時に使っていた醤油とは味が微妙に違う。塩も砂糖もだ。いわゆる化学の力を使わない調味料は、ドンにとってはさして害もないだろう。
「でも、そう考えるととても理想的な関係ね。今学園でも問題になっている食料廃棄があの子が居るだけで片付くかもしれないわね」
 突然のキャロラインの言葉に皆がハッとした顔をする。確かにそうだ。もったいない、が大嫌いなアリスからしてもこれは願っても無い事だ。
「もっと有益な情報がありますよ。かつてはドラゴンが出した排泄物は全てそのまま良質な肥料として使えたそうです。独特の匂いはあるようですが」
「肥料! 素敵!」
 そもそも肥料とは臭いものだ。という事は何か。ドンは生きた食品分解処理機という事か!
素晴らしい! 
 目を輝かせたアリスを見てノアは苦笑いを浮かべた。
「良かったね、アリス。これでもう微生物に頼らなくても済むね」
「うん!」
 微生物たちに生ごみを分解してもらうには相当な労力がいった。あの日の事を思い出してアリスはおでこに浮かんだ汗を拭う。ただ、そのおかげでスミスと仲良くなれたのだから決して無駄だったとは思わないが、もう一度やりたいかと言われれば、答えはいいえ、だ。
「ノア様、お嬢様、食器を片付けてもよろしいでしょうか?」
「キリ!」
 話をしながら食事をしていたからか、気づけばアリスの皿は空になっていた。アリスとしたことが、何と言う事だ。味わう暇もなく食事を終えていただなんて!
「キリじゃん、おはよう。で、ドンは?」
「お前はそればっかりだな!」
 呆れたようなルイスにカインは耳を赤くして笑った。こんなカインの反応はとても珍しい。いつもは飄々としているが、どうやらカインは相当に動物が好きなようだ。
「こちらに連れてくると騒ぎになると思いまして、ミアさんと既に仕事を終えた者達が中庭で遊ばせてくれています」
「そうなんだ! じゃ、俺達先に行くわ! 行こうぜ、オスカー」
「はい!」
 そう言ってカインは後ろでソワソワして待っていた従者と共に食堂からあっと言う間に姿を消した。さっきは皆が食べ終わるまで待っているなどと言っていたのに、調子の良い事だ。
 ちなみにカイン・ライトの連れてきている従者はオスカーと言う。カインとは乳兄弟だ。まるで兄弟のように仲が良く、運命のあの日、カインはこのオスカーを連れてはいかなかったが、それはオスカーを信用していないからではない。部屋のペット達の世話を頼んでいたのだ。そんな訳だからオスカーもループの事を知っている。そして何よりも、オスカーも動物が大好きだ。何ならカインの部屋に居る動物たちは全てこのオスカーが拾ってきたと言ってもいい。
 だから昨夜、カインからドラゴンの話を聞いた時、深夜にも関わらずノアの部屋へ押しかけようとしたほどドラゴンに会いたがっていた。
 朝からソワソワしていたカインとオスカーだったが、中庭につくとそこには従者たちの輪が出来ていた。その中心にはミアが居る。
「ほらドンちゃん、皆にご挨拶しましょうね~」
「キュウ!」
 皆にちやほやされてご機嫌のドンは、ミアがやったように腰を曲げてお辞儀をしている。
「おお~! すげぇ!」
「やだ、可愛すぎる……」
「ドラゴンって、もっと凶暴だと思ってた」 
 口々に称賛の声が降ってくるのでドンは気を良くしたようで、さっきからずっと鼻から黒い煙が出ている。
「カ、カイン様、わ、私もちょ、ちょっと行ってきていいですか⁉」
「おう、行ってこいよ」
 興奮のあまり震える声でそんな事を言うオスカーに苦笑いを浮かべつつ、輪の中に入って行くオスカーの後ろ姿を眺めていると、中庭に飼い主であるアリスとノアが姿を現した。
「キュキュ⁉ キュウゥゥ!」
 二人の匂いを感じ取ったのか、ドンは従者たちの足の間をテチテチと走り抜けて、ノアの足にへばりつき、器用にするするとよじ登りだした。ようやくノアの肩に上り詰めたドンを見てアリスが頬を膨らませている。
「どうして兄さまなの⁉」
「そんな事言われても……女の子なんじゃない?」
「キュキュ!」
「ほら。女の子だって。そっか、ドンは女の子か」
 それなのにドンだなんて名付けられてしまって、不憫である。
「ミアさん、皆さん、ありがとうございました」
「全然ですよ! いつでも言ってくださいね!」
「また昼になー、キリ!」
「手が足りない時はいつでも言ってくださいね~」
「じゃな! ドンちゃん」
 すっかり仲良くなった従者たちはそう言って散り散りに中庭を後にする。
 そしてこの後、職務に戻った従者たちは誰も彼もが主人にドラゴンの事を話したため、あっという間にドラゴンの噂は学園中に広まった。
「アリスちゃん、ノア、ちょっとうちのオスカーにドン抱かせてやってくんない?」
 結局ドンを一度も触る事が出来なかったオスカーはカインの後ろでしょんぼりと項垂れていた。そんなオスカーを見兼ねたカインがアリスに声をかけると、アリスはもちろん! と頷く。
「はい! オスカーさん、ドンちゃんです。女の子のドラゴンです。よろしくお願いします」
「はわぁぁぁぁぁ!」
 両手の中にポンとドンを渡されて、オスカーは堪えきれない興奮に体を震わせた。
「良かったな~オスカー。アリスちゃん、コイツもすっごい動物好きだから使ってやってね」
「あ、はい! 頼もしいです! よろしくお願いします、オスカーさん」
「あ、いえ、こちらこそ! はぁぁ……暖かい……可愛い……」
 ようやく念願がかなったオスカーはしっかりドンを堪能すると、やはり名残惜しそうに中庭を去って行く。
「さて、じゃあ僕も授業に行ってくるね。アリスはこの後は小屋に行くんだっけ?」
「うん。スミスさんの所に苗植えに行くの。それから川でエビ取らなきゃ! 明後日はいよいよ釣りだからね!」
 ドラゴン騒ぎですっかり忘れそうになっていたが、週末は待ちに待った釣りである。刺身である。
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