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アリス、学園に降り立つ

17 おじいちゃんの昔話と畑仕事をするドラゴン

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 中庭を出て渡り廊下の所でノアと別れたアリスとキリは、そのまま真っすぐ森の小屋を目指した。アリスの腕にはドン。キリの腕には野菜の苗が抱えられている。
「スミスさ~ん! こ~んに~ちは~」
「おお、来たか! 茶と菓子を用意して待っとったぞ!」
 ドアを開けたスミスはアリスとキリを中に招き入れると、アリスの抱えているぬいぐるみらしきものを見て首を傾げた。
「お嬢、そりゃなんじゃ? ぬいぐるみかの?」
「ううん。昨日ね、森の中で拾ったの。ドラゴンの赤ちゃんドンちゃんです。女の子だよ」
「キュ~イ」
「ドンちゃん、この人はスミスさんだよ。綺麗なお花とか果物も作ってる凄い人だからね」
「キュキュ!」
「おお! 動いた! そうか、ドラゴンの……ドラゴン⁉」
 机の上にポンと置かれたぬいぐるみっぽいドラゴンを見てスミスは目を見張った。恐る恐るその頭を撫でてみると、ドンは金色の目を嬉しそうに細める。
「可愛いでしょう⁉」
「ほう、ドラゴンか……そう言えば昔、ワシは一度だけドラゴンを見た事があるのぅ」
 さほど驚いた様子もなく何かを懐かしむようにそんな事を言うスミスに、今度はアリスとキリが驚く番だった。流石、長く生きて来た人は違う。
「ほ、ほんとに⁉ 見た事あるの?」
「おお、本当じゃよ。ワシともう亡くなった婆さんと二人で見たんじゃ。誰も信じてはくれんかったが……そうか、もしかしたらワシらが見たのはお前さんの親だったのかもしれんなぁ」
「聞きたい! その話、詳しく教えて!」
「キュウキュウ!」
「そうか? じゃあ話そうか。とりあえずほれ、これでも食え。お嬢にキリ坊も、お前さんも」
「ありがとうございます」
「キュ!」
 そう言ってスミスは実家から送られてきたお菓子の山を机に置いて話し出した。
 
 まだスミスが裸足で野山を駆け回っていた頃の事だ。
 その日は幼馴染だったロージーといつものように秘密基地で遊んでいた。他の仲間はそれぞれ家の手伝いがあって、たまたまその日は二人だったのだ。とにかく残暑の厳しい日で、一しきり遊んだ二人は近くの小川で水浴びをして遊ぶことにした。川には半年ほど前に噴火した時に出来た軽石がまだ沢山落ちていて、ついでにそれも集める事にした。
『フィン(スミスの名前である)! あんまり上流に行っちゃ駄目よ!』
『大丈夫だって! こっちの方にもっと一杯軽石あるんだぜ!』
 軽石はスミスの村ではありふれた石だが、他所の街では高値で売れた。だからスミス達はこうやってお小遣いを稼いでいたのだ。
『もう、駄目だよぉ』
『怖いんなら俺が取って来てやるから、お前はそこにいろよ』
『い、嫌だよ! 置いていかないで』
 そんなやりとりを交わした二人は結局二人で川の上流に向かった。川の流れに逆らってザブザブ川を上っていると、ふとロージーがある事に気付いた。
『ね、ねえ、フィン、この辺の水、何だか暖かくない?』
『言われてみれば……あれ?』
 ふと足元を見ると、少量だが違うところから水が川に流れ込んできている。好奇心とは怖いものだ。二人は顔を見合わせて頷くと、暖かい水が流れてくる場所を突き止めようとした。
 いつもは秘密基地から奥にはあまり行かない。大人たちにそれ以上奥へ行ってはいけないと止められていたからだ。
 けれど、暖かい水の正体が気になる二人は背丈ほどもある藪をかき分けて進んだ。しばらく歩いていると、どこからか硫黄の匂いがしてきた。
『ねえ、臭いよ』
『でも、この匂いがするところには温泉があるって父ちゃんが言ってた!』
 大発見をしたと興奮していたスミスは、止めるロージーを無視してさらに奥へと進んだ。どれぐらい進んだのか、やがて藪が不自然に開け、辺り一面湯気で真っ白になった場所に出た。
『お、おいロージー! やっぱりこんな所に温泉が出来てるぞ!』
『ほんとだ! 真っ白で何にも見えないね!』
 興奮した二人がはしゃいで声を出した瞬間、湯気の中で何か大きなモノが動いた。
『え?』
『ね、ねえ……何かいるよ……』
 はっきりと見えた訳じゃない。けれど、確実に何かが居る。森の中で大きな生き物と言えばクマだ。あいつにやられたら一たまりもない。
 スミスはロージーを庇うようにしてジリジリと後ずさったが、ロージーが運悪く小枝を踏んだ。パキリ、と小さな音がして、あっと思った瞬間、湯気の中から突然空に届きそうなほどの火柱と、とてもクマとは思えない咆哮が鳴り響いた。
『グオォォォォォ』
 その声は喩えようのない声だった。声に共鳴したように足元の地面を揺らし、周りの木々は大きく揺れた。スミスとロージーはあまりの恐怖にその場に座り込み、そこからピクリとも動く事が出来なかった。
 突如物凄い突風が吹き荒れて、飛ばされそうになった二人は近くにあった大木にしがみついて目を凝らした。
 そして見たのだ。あんなにもあった湯気はなくなり、その中央に雄大に立つ真っ黒な何かを。金色の目はしっかりとこちらを見ていた。二人もまた声も出せずただの大きな生物を見ていた。
 次の瞬間、その大きな生物は体の倍もありそうな大きな翼を広げると、悠然と空に舞い上がり、巨体を左右に揺らしながら火山の方へと飛び去ってしまったのだ。
 二人は急いで山から下りて村に戻り今見た事を大人達に話したのだが、誰もそんな話は信じてくれなかった。ただ一人を除いては。
『そうかそうか、お前たちが見たのは、そりゃドラゴンじゃなぁ。運がいい運がいい。お前たちは幸せになるぞぉ。ふぉっふぉっふぉ』
『ドラゴン……』
 村の長老、村の生き字引とも呼ばれていたベルンの言葉にフィンとロージーは顔を見合わせて頷く。今日みた事は、もうこれ以上誰にも話さないようにしよう、と。そして藪の中で見つけたあの温泉の事も誰にも話さなかった。きっと、あの温泉はドラゴンの温泉なのだろう。
 あそこは、人間が勝手に行っていい場所ではないのだ。幼心にそう思った二人は、この事を墓場まで持っていこうと心に誓ったのだった――。

「と、言う訳じゃ」
「ふわぁぁぁ! 大人ドラゴン!」
「スミスさん、話し上手すぎませんか」
 大人ドラゴンに感動したアリスとは違い、キリはスミスの話し上手っぷりに感動していた。一緒になって聞いていたドンも両手にお菓子を持って尻尾を揺らしている。
「しかしのぅ、またこうやってドラゴンが見れるとはなぁ! しかも菓子を食うとる……婆さんが生きとったら、さぞかし喜んだじゃろうなぁ」
「キュキュ」
 よしよしと頭を撫でられたドンは目を細めてスミスの手の平に頭を押し付けると、口周りについた菓子屑を器用に舌で舐めとっている。
「しかしなんじゃな。こうして見たらドラゴンも体がデカイだけで何も恐ろしくないのぅ」
「いきなり大人ドラゴンに出くわしたら、私だってビックリすると思う。でも、どんな生き物も赤ちゃんの頃から知ってたら全然怖くないよね~? ドンちゃん」
「キュキュ!」
 尻尾を振って小さな耳をパタパタさせたドンはさらにお菓子を食べようとしてキリに手をペチリと叩かれた。
「ドン、お菓子の食べすぎはいけませんよ。もう少しで昼食ですから、それまで我慢しなさい」
「キュウ……」
 叱られたドンはアリスの膝に降りてくると、お腹に頭を埋めてそのまま丸くなってしまった。
「キリ、ドンちゃんにも厳しすぎない?」
「いいえ、ちゃんと躾ないと恥をかくのはドンですから。妥協はいけません」
「キリ坊は誰に対しても真面目じゃなぁ。さて、それじゃあそろそろ始めるとするかの。苗を植えるんじゃろう? まずは畝を作らんとな」
「うん! ドンちゃん、手伝ってね」
「キュイ?」
 膝の上で拗ねて丸くなっていたドンに声をかけると、ドンは顔を上げて首を傾げた。
 小屋の裏口から外に出ると、そこには以前には無かった、木の杭の柵が出来ている。
「こ、これ!」
「ああ、形だけでも、と思ってな。ちょっとずつ作っておいたんじゃ」
「スミスさん! ありがとう!」
 嬉しくて思わずスミスに抱き着いたアリスにスミスは嬉しそうに頷く。それを見てドンもアリスの真似をしてスミスの肩に飛び移って頬ずりしている。
「ふぉふぉ、モテモテじゃなぁ。さて、しかし大変なのはここからじゃぞ! これでここの土を全部耕さんとな」
 そう言ってスミスはアリスとキリに鍬を手渡す。普通の貴族ならば、こんなものを渡されてもどうすればいいか分からないだろうが、そこはバセット家の者達だ。鍬の使い方など朝飯前である。
「さあ、やるわよ~! 待ってろ野菜たち!」
「キュ~イ!」
 鍬を持って畑を耕していくアリスとキリ。それをスミスとドンはしばらく眺めていたのだが、不意にドンが自身の爪を使って畑を耕し始めた。
「ほお、ドラゴンは畑も耕すのか! 両手を使って器用なものじゃな!」
「ドンちゃん手伝ってくれるの?」
「キュキュ!」
「危ないですよ、ドン」
 感心したようなスミスと感動したアリスとは違い、キリはアリスが手元を狂わせてドンの頭を鍬でかち割りやしないかと内心ヒヤヒヤしながら、その後も畑を耕す事1時間。
 どうにか畝作りまでこぎつけて座り込んだアリス達に、スミスが冷たいお茶を用意してくれていた。
「ありがとう、スミスさん」
「キュキュ」
「ありがとうございます、いただきます」
 お茶を受け取った三人は一気に冷たいお茶を喉の奥に流し込むと、プハーっと息を吐いた。
「ふぃ~……食べ物を作るのは大変だわ……」
 だからこそ残してはいけない! 食べ物大事! アリスは持ってきた苗を横一列に並べて種類ごとに分け始めた。それを横から興味津々にドンとスミスが覗き込んでくる。
「ほう、良い苗じゃな。こんなのこの出島に売っとったか?」
「ううん、これはね、家から持ってきたの。すっごく美味しいんだよ! 出来たらスミスさんも食べようね!」
「それは楽しみじゃ。これドン、それはそのまま食うもんじゃないぞ」
「キュ?」
「ドン、これは苗と言って、野菜の赤ちゃんなんですよ。あなたと同じです。だから大切に扱わなければいけません」
「キュ!」
 キリの言葉を正しく理解したのかどうかは分からないが、ドンはコクリと頷くと葉っぱを食べるのを止めた。その代わりにベロベロと葉っぱを舐めている。どうやらドラゴンの可愛がるとは、他の動物と同じで舐める事のようだ。
「じゃあ植えますか! ドンちゃん、一個ずつ苗を持ってきてくれる?」
「キュキュ!」
 言われた通りに苗を一つずつ運ぶドラゴン……シュールの極みである。何とも言えない気持ちでそれを見ていたスミスとキリも、ハッとして動き出す。
「できた~~~!」
「キュウ~~~!」
 その場にゴロンと転がったアリスの真似をしてドンも転がったのを見て、キリは目を吊り上げた。
「お嬢様! ドンが真似するので行儀良く! ドンもいちいちお嬢様の真似をしない!」
「は、はい!」
「キュ!」
 怒鳴られた二人は慌てて起き上がると、出来上がったばかりの畑を見渡して満足げに息をついた。うまくいけば数カ月後には第一弾の野菜が取れるはずだ。アリスは畑を見渡して両手を掲げ、魔法を使う。
「早く大きくなぁ~れ!」
 イメージしたのは推しの握手会での熱気だ。冬でも汗をかきそうな程の元気一杯なイメージを野菜苗に送ると、キラキラが野菜苗に降り注いだ。それを見てドンは飛び跳ねて喜んでいる。
「さて! それじゃあ昼からは川でエビ取るぞ~!」
「なんじゃ、次は川か。お嬢は忙しいのぅ」
「勉強以外は、ですが」
 どうしてこの情熱を勉強に少しでも向けられないのか。
 そうして三人はスミスにお礼を言って小屋を後にした。
 一度寮に戻って体についた泥を落とすと、急いで昼食をとり川に移動して餌になりそうなエビが居そうな水草を探していたが、丁度良さそうな場所をすぐに発見する事が出来た。
 じつはアリス、釣りが趣味のザカリーからおおまかな場所をあらかじめ聞いていたのだ。どこまでもちゃっかりしているアリスである。
「で、どうするんです? 闇雲に借りて来た網突っ込むんですか?」
「そのつもりよ! はい、キリの分ね」
 頷いたアリスは膝まである長靴と川網をキリに手渡すと、自分も準備をした。さて、ドンはと言えば、既に川に浸かって泳いではしゃいでいるので、あれは放っておく事にする。
 準備が整った二人は作業を開始した。キリが川下に網を持ち、アリスが上流から網をガサガサと揺らしながら川下に獲物を追い込む至って単純な手だ。しかし、意外とこれが一番効率がいいのである。
 ガサガサと作業を始めたのを見て、それまで自由に泳ぎ回っていたドンが泳ぐのを止めてアリスの網を追うように泳ぎだした。
「ドンちゃん手伝ってくれるの?」
「キュキュ!」
「ありがと~。じゃあ、真ん中からドンちゃんは獲物を追い立ててきて。そのままキリの網の所に行ってくれる?」
「キュ!」
 本当に分かるのか? 半信半疑でそんな事を言ったアリスだったのだが、ドンは実にうまくやってくれた。アリスとドンがキリの所に到達してキリが網を持ち上げると、そこには藻や水草に混じって目当てだったエビも何種類か入っている。
「でかしたわドンちゃん! この調子でじゃんじゃんエビを取るわよ! 見て、これがエビよ、ドンちゃん。覚えた?」
「キュ!」
「よし! じゃあもう一回配置について!」
「……お嬢様が二人に増えた……」
 ザバザバと水しぶきを浴びてビショビショになっても気にせず配置につく二人を見て、キリが大きなため息を落としたのは言うまでもなかった。
 何度かそんな事を繰り返しているうちに、バケツは気づけば一杯になっていた。
「やったわ! すごいすごい! ほら見て、ドンちゃん、エビがこんなに!」
「キュキュキュ!」
 手を叩いて喜ぶ二人を見つつ、キリは持ってきた大きな網で出来た虫かごにエビを移していく。そしてそれを川に沈めると、エビ取りはようやく終了だ。これを明後日、釣りの前にまた取りに来るのである。
「さあ、部屋に戻りますよ。ドンはお風呂、お嬢様は着替えてください。そうしたらすぐに夕食です」
「ごはん~!」
「キュウゥ~!」
 同時に喜んだ二人はザバザバと川から上がり、まるでスキップでもしそうな程軽い足取りで歩き出す。
「はぁ……先が思いやられる……」
 ポツリと呟いたキリの声は、あいにく誰にも聞こえなかった。
 着替える為にまた寮に戻ると、丁度授業を終える鐘の音が鳴った。こんな時の為に早くお風呂の時間制限を解放してほしい。アリスはそんな事を考えながらも濡れたタオルで全身を拭くと、予備の制服に着替えた。洗面所ではキリがドンを洗っている。はしゃいでいるのか、時折ドンの奇声が聞こえて来る。
「キリ、変わろうか~」
「ええ。私も着替えます。後は流すだけなのでよろしくお願いします」
「は~い。ドンちゃんキレイキレイしようね~」
 昨夜と同じように泡にまみれたドンを丁寧にお湯で流していく。最後に頭からザバーっと水をかけて顔周りを洗ったら終わりだ。どうやらドラゴンはスミスにも聞いた通り、綺麗好きなようで、お風呂は大好きらしい。
「はい、終わり! 乾かしてブラッシングして耳掃除したらご飯行こうね!」
「キュ!」
「乾かしますよ。こっちに来てください」
 キリが呼ぶとドンはテチテチと水たまりを作りながら歩いていく。その後を拭いてまわるのはアリスの仕事だ。このまま放っておいたら、ノアに何て言われるか分かったものではない。
「ミアさんが少し分けてくれたんですよ」
 そう言って取り出したのは、あのラベンダーの精油だった。ドンもこれが気に入ったようで、キリがブラッシングした部分をクンクン嗅いではうっとりしている。やはり、女の子である。
「はい、終わりです。良い子でした」
 キリに頭をグリグリと撫でられたドンは嬉しそうに鼻から黒煙を噴いてキリの周りをグルグルと回りだした。どうやらこれは感謝の舞らしい。
「さて、それではお待ちかねの食事に行きましょうか。きっと、ミアさんが手をこまねいて待ってますよ」
「キュ!」
 キリの腕の中に飛び乗ったドンは、アリスに早く行こう! と目で訴えてくる。ペットは飼い主に似る、とはまさにこの事である。
 こんな事ならキャロラインにドンを預けた方が良かったのでは、などとキリが思ったのは内緒である。
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