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第469話 幼い頃の記憶

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「お、お兄ちゃん……」
「ノ、ノア……えっと……ハンカチ、ある?」
「……いだだい(いらない)。兄ちゃんにハグは?」
「う、うん!」

 エリザベスだけじゃない。ジョーはアリスの本当の兄なのだ。アリスはジョーの腕の中に飛び込んで声を上げて泣いた。これは完全にジョーにつられたのだと思う。

 どれぐらい二人して泣いていたのか、ふと気づけば回りには人だかりが出来ていた。そんなアリス達を見かねて連れ出してくれたのはアーロだ。

「ここの設営の続きは俺たちがしておく。あちらのノアには話をつけたから、後はバセット家で話せ」

 そう言ってアーロが顎でバセット家に続く道を指すと、そこにはノアが困ったような顔をしてこちらに向かって手招きしている。

「兄さま……」

 何だかノアを見ても泣きそうになるアリスの肩をジョーが撫でてくれた。その時、ふとジョーが何かを思い出したかのように言う。

「俺さ、本当の事言うと小さい頃の記憶が少しだけあるんだ」
「え!? でもあなた何も覚えてないって……」
「そりゃ母さんと父さんには言えないでしょ。俺に妹居た? なんてさ」
「……ノア……」
「それにさ、俺のミドルネーム、ジョーじゃん。でもいつの間にか皆、俺の事ジョーって呼ばなくなったよなって」

 まるでジョーと呼んではいけないかのように、ある日から突然ノアと呼ばれるようになった。グランに引っ越してすぐの頃は何かに怯えるようにビクビクしていたエリザベスを子どもながらに心配していたジョーだ。

「あと何か定期的に支援金みたいなのも入るしさ、子供の頃はうちの両親は一体何をしでかしたんだって思ってたんだよ」

 父親が病気になったときもありえないぐらいの資金が届いたけれど、父親はそれを使うことを許さなかった。そして死の淵に立った時にジョーに言ったのだ。

『あのお金はある人の後悔と善意が詰まった金なんだ。僕なんかに使っていい金じゃない。ジョー、母さんを頼んだよ。君にはどう見えていたかは分らないけど、僕は……僕は、とても幸せだった……とても良い人生だったんだよ。だからどうか、母さんが早く僕を忘れて次の幸せを掴むよう、見守ってやってくれないか? 僕の代わりに』と。

 父親はすべてを知っていたのだ。最後にジョーと呼んでくれたのも二人きりだったからなのだろう。外に知られてはいけない自分の名前。それが何を意味するのか分からなかったが、あの時言った父親の言葉の意味が、アリスが妹だと分かった時にようやく理解出来た。

「そ、そんなに前から気づいてたの?」
「ああ。まぁ変だなって思うことはいっぱいあったしね。でも決定的だったのはアリスに初めて会った時だよ」
「わ、私!? 私なにかしたっけ!?」
「ははは! 俺の事、お兄ちゃんって呼んだだろ? あの時にさ、何か小さい女の子がずっと自分の後をついてくるやけにリアルな映像が頭の中に浮かんでさ。あれ? そう言えば昔こんな子が居たなって。あれは妹だったのか親戚だったのかって。そっから何か色々思い出し始めてさ。そういや男の子が二人、家に引き取られてきた気がする、とか、坊ちゃまって呼ばれてたような気がする、とか、名前がそもそもジョーからノアに変わったな、とかさ」

 まるで洪水のように溢れ出した記憶は今でもどれが本当の事でどれが嘘か分らないけれど、アリスに「お兄ちゃん」と呼ばれて咄嗟に懐かしいと思った事だけは間違っていなかったようだ。

「で、あっちが本物のノア、だよね?」
「そうよ……ノアの作戦だったの。巻き込んでごめんね……」

 俯いてエリザベスがポツリと言う。覚悟していたのはジョーの軽蔑の眼差しだったけれど、ジョーはそんなエリザベスをそっと抱き寄せてくれた。

「怒ってないよ。俺からしたら妹が戻ってきて二人も兄弟が増えた。それだけの事だよ。それに、父さんとの約束もちゃんと果たせたし、良い事しか起こってない」
「ジョー……」
「はは! 母さんが俺の事そう呼ぶの久しぶりだ! うん、やっぱりこっちのがしっくりくるよ!」

 そう言って笑ったジョーの目にはうっすらと涙が浮かぶ。それを見たアーロがすかさずハンカチを貸してくれた。

 新しい父親は時として何を考えているのかよく分らないが、とてもよく気が回る。ジョーはそんなアーロのハンカチを受け取って涙を拭うと、ニカッと笑った。そこへいい加減痺れを切らしたかのようにノアがやってくる。

「いつまでそこで立ち話してるの? 僕はいつまで手招きしてればいいのかな?」
「ノア! 思い出した。まだあの時のポーカーの勝負がついてない!」

 面と向かってノアを見た事でまた記憶が溢れかえったジョーが言うと、ノアはそれを聞いておかしそうに笑う。

「また懐かしい話だね。いいよ、今度勝負しよう」
「ああ。キリは? もちろん参加するよな?」
「するんじゃなくてさせるんでしょ? あの時もキリは嫌がってたのに無理やり参加させたんだ、ジョーは」
「そうだったか? それは覚えてないな」
「全く。自分に都合の悪い事はすぐに忘れるんだ。流石バセット家の長男だよ。アリスそっくり」
「ははは! だな」
「どうする? バセット家返そうか? 今なら爵位は伯爵家だから割と何でもしたい放題だよ」

 幼い頃、エリザベスが出ていくまでのほんの僅かな時間、ジョーは突然現れたノアとキリをまるで本当の弟かのようにすぐさま受け入れてくれた。そんなところはジョーとアリスはとてもよく似ている。

 ノアの言葉にジョーはすぐさま首を振った。

「冗談言わないでくれ! 俺がこの領地の人間と動物をまとめられる訳ないだろ!?」
「あはは! やっぱりジョーはジョーだなぁ。あの頃から何も変わってない」
「あの頃?」
「うん。ポーカーが結局決着つかなくてそのまま皆で雑魚寝した時、ジョーはアリスの頭を撫でながら言ったんだよ。

「こいつってば本当にお転婆で何ていうか動物みたいな勘の良さで生き抜いていくと思うんだ。だから僕はバセット家はアリスが継げばいいと思う」ってさ」
「そんな事言ったっけ?」

 あの頃から自分に領主は向いていないと分かっていたのか、などとジョーが考えていると、後ろからぬっとキリが現れた。

「言ってました。何故? と聞くと、あなたは「僕はそんな器じゃないから」と断言していました。あの時にお嬢様にジョー様の欠片でも謙虚さがあればいいのに、と思ったものです」

 懐かしげなキリの言葉にジョーが噴き出した。この二人も全く変わらない。

「でも、バセット領の領主はもう君たちだ。ここは何ていうか……色々斜め上の方にどんどん進化しているし、それを制御できるのはもう君たちしか居ないと思うんだ。俺は大人しくピザ屋をやってるのが性に合ってるよ、うん」
「そう言えばジョーの冷凍ピザ大好評なんだよ。新しい海鮮のやつとか早く商品にならないのかって問い合わせが凄いんだけど」
「海鮮! あれ今うちでもめっちゃ評判良いんだ! ていうかそもそもピザがこんなにも当たるなんて思ってもなかったから、今後に向けて事業拡大しようかどうしようかっていってるんだけど先立つものがなぁ……」
「お金の問題? うちが融資しようか。身内だし今更遠慮する事もないよ」

 何気なく言ったノアの一言にジョーは目を丸くして次の瞬間、満面のアリスそっくりの笑顔を浮かべた。

「はは、何かノアにそう言われるの変な感じだな。ありがとう。それじゃあ全部終わったら改めてこの話持ってくるよ」
「うん。あ、たとえ身内でも僕書類にはうるさいから、そこはちゃんとしといてね。契約書を後で渡すよ」
「ジョー様もバカですね。ノア様に頼み事するなんて……たとえ身内であってもこの人はきっちり貸した分は回収しますよ。それならまだルイス様に借りた方がはるかにマシです。あの方は貸した事すら忘れてしまう残念なお花畑なので」
「そ、それは不敬罪になるんじゃ……え、早まったかな?」

 真顔のキリの言葉に不安になったジョーが青ざめると、キリはやっぱり真顔で頷く。

 そんな三人をアリスとエリザベスはこっそりと涙を拭いながら見ていた。
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