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第635話

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 それだけ言ってその場を立ち去ろうとしたセイの服を、フィルマメントががっちりと掴んだ。振り返るとそこには鬼のような形相をしたフィルマメントがこちらを見上げている。

「時間の無駄って言った? 今、時間の無駄って」
「言った。本当の事。出来ない人にいつまでも構ってられない」
「……やる。貸して!」

 フィルマメントはそう言ってセイの手から三人分の影を奪い取った。そしてそれを握りしめて妖精王がかけた魔力を辿る。

 すると、うっすらとだが妖精王の魔力が見えてきた。影アリスの方はオズワルドの魔力なのでよく見えないが、父である妖精王の魔力はそれよりも少し濃い。

 試行錯誤しながら歯抜けになった箇所を埋めて一枚の図案を書き上げていると、気づけばフィルマメントの後ろからティターニアを始めとする兄や姉達がじっとメモを覗き込んできていた。

「フィル、そこはパパらしくないわ。パパならきっとこうしてこうして――」
「……」
「いや、父さんはここをもっとこう――」
「……」
「お前たちは父さんの事を全く理解していないな。父さんは――」
「……」
「あなたも全っ然父さんの事を分かっていないわ! あと、母さまは趣味が悪いわ。どう見ても今の父さまの方が素敵なのに」
「……」
「あら、そんな事はないわ。あの小さな男の子の姿をしているあの人はとても可愛いのよ」
「……もう! うるさいうるさいうるさーーーーい!!!」

 人が真剣に妖精王の力を読み解こうとしているのに、どうして妖精というのはこうも自由なのだ! 

 憤慨するフィルマメントに正面で皆の言い分をじっと聞いていたセイが真顔で尋ねてきた。

「端から叩き切る?」
「い、いい。これでも私の家族だから。ありがとう」

 この人は相変わらず淡々としていて苦手だけれど、悪い人ではない。それが分かっているからこうして力になっているのだ。まぁ、上手いこと焚き付けられたとも言う。

「ここがこうだから、ここをこうして……だったらここもこうしちゃえ」

 影を分析しながら呟いた一言にセイの手がピクリと震えた。

「ねぇ、今こうしちゃえって言った? もしかして自我を出そうとしてる?」
「え? き、気の所為だヨ」
「嘘。カタコトになってる。やり直して。影とは言え嫁にあなたの自我まで入ったら目も当てられない」
「ひ、酷い」

 珍しく沢山喋ったと思ったらお説教だったセイの言葉にフィルマメントは大人しく従った。

 フィルマメントは父である妖精王の魔力を淡々と繋ぎ合わせる。そして全てを繋ぎ合わせ、皆と協力して影に魔力を注ぎ込んだ。

 すると今まで雑巾のようにぺたんこだった影達が、突然むくむくと動き出す。それを見て珍しくセイが目を輝かせた。

「やっぱり出来た。さすが妖精王の家族」

 素直なセイの賛辞にフィルマメントを始め全員が嬉しそうに笑う。セイは滅多に人を褒めない事を皆よく知っているのだ。

 やがて影は元通りのサイズまで膨らんで自由に動き出した。そんな影を捕まえてセイが自分のスマホを三人に見せる。

「三人とも、ノアから指令だよ。今すぐラルフ兄さん達の所へ行ってあちらに戻り、リゼを復活させてきて」

 コクリ。

 三人の影は真剣なセイの顔を見るなり頷いてその場を立ち去った。そんな三人の影を見送ったセイはようやく息をついてフィルマメントに向き直ると頭を下げる。

「先程は失礼しました。急ぎだったとは言え、ルーデリア宰相の奥様に大変失礼な事を申し上げました事を、どうかお許しください」
「い、いいよ! 気味が悪いから頭上げてヨ!」

 突然のセイの豹変ぶりにフィルマメントが慌てて言うと、その途端セイはパッと顔を上げて少しだけ微笑んだ。その顔を見てフィルマメントはおろか、家族達も驚いたような顔をしている。「この人、笑うのか!」と。

「そう? それじゃあ僕はこれで。ありがとう」

 そう言ってセイはクルリと踵を返して颯爽と立ち去ってしまった。そんなセイを唖然としてしばらく皆で見送る。

「え……もしかしてフィル、良いように使われた?」
「もしかしなくても使われたわね~。でも良かったじゃないの。私達も少しだけど貢献出来たわ」

 何か自分たちにも出来ることはないか。妖精王の家族の立場があるから表向きには動けないが、皆、心の中ではずっとそう思っていた。だからたとえ利用されたのだとしても、気分は良い。

 ニコニコするティターニアにフィルマメントは渋々頷いて、ようやく肩の力を抜いた。ティターニアの言う通りだ。もしもあの時セイがあんな風に焚き付けてくれなかったら、きっとフィルマメントは出来ないと勝手に決めつけて後悔していたに違いないのだ。

「あの人、変わってるけど良い人だよね」
「そうね。妖精もビックリするくらい変わってると思うけどね」

 ポツリと言ったフィルマメントにティターニアが答え、他の家族たちも口々に変わり者のセイの事を話していたが、そんな中、フィルマメントのすぐ上の姉だけがずっと無言だった。

「姉さま? どうかしたの?」

 あまりにも無言なので心配になってフィルマメントが尋ねると、姉のルーチェは薄く唇を開く。

「私……次はあの人にする」
「はあ!?」

 突然のルーチェの言葉にフィルマメントを始め家族も絶句した。ルーチェの悪い癖が出たようだ。

「駄目ダヨ! 姉さま、あの人は絶対に駄目! 分かってるノ!? あの人、ノアのお兄さんだよ!?」
「分かってる。でも、今度こそ本気になれそうな気がする……」
「そう言って今まで何百回別れたの!? 絶対に駄目! 駄目ったら駄目!」

 姉のルーチェは恋多き妖精で妖精界でも有名だった。何度も付き合っては別れてを繰り返し、いつまでも結婚しなかったフィルマメントとは対称的な人だった。

 そんな姉は別れる度に言うのだ。「やっぱり今回も本気にはなれなかった」と。
そういう意味ではフィルマメントのようにルーチェもまた人生を賭けて恋する事が出来る人を探しているのだろうが、それにしたって限度がある。そしてそんな姉の事を両親はおろか家族でさえも既に諦めている。

 唖然とするフィルマメントにティターニアが声を潜めてコソコソと呟いた。

「大丈夫よ、フィル。セイさんは相手にもしないと思うわよ」
「そうかな……? 姉さまの魅了使われたら……」
「大丈夫。そんな事しても無駄だってあの子が一番よく知ってるわ。それに、もしもあのセイさんが振り向いたとしたら、それはきっと運命よ」
「……運命……そうかなぁ?」
「そうよ。恋は生涯をかけてするものよ。あなたはそれを一番良く知っているでしょう?」

 少女のように微笑んだティターニアを見てフィルマメントは無理やり自分を納得させて頷いた。そしてセイに心の中でエールを送る。「どうにか姉さまから逃げて!」と。
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