王子が気に入られなかったので、茶菓子にお腹が痛くなる薬草を混ぜて食べされたら帰ってこなくなりました。

えるろって

文字の大きさ
3 / 30

3

しおりを挟む
「やあ、給仕係のセレスじゃないか」

セレスが廊下を歩いていると、どこか嫌味な響きを含んだ貴族の声が聞こえてきた。声の主はユリウス公爵。王宮の貴族筆頭ともいわれる大物で、政権にも強い影響力を持っている。

「お疲れ様です、ユリウス公爵様」

セレスは慌てて一礼する。普段なら滅多に話しかけられることのない相手だが、なぜか彼は興味深そうにセレスを見つめていた。

「聞いたぞ。お前が第一王子のために新しいお菓子を作ったとか。ほほう、それを食したのち、王子は行方をくらましたらしいな」

「そ、それは……私にはよくわかりません。ただ、私は給仕として仕事をしただけで……」

公爵の鋭い視線がセレスを射抜く。まるで彼女の弱みを探るかのようだ。セレスは胸の鼓動が早くなるのを抑えきれない。

 

「セレス、何かあったの?」

いつの間にかレナがやって来て、セレスの肩を支えるように立ってくれた。そんなレナの姿を見ても、公爵の表情はまるで爬虫類のように冷たい。

「おやおや、侍女のレナか。これまた珍しい組み合わせだな。平民出身と貴族出身が同じ仕事をしているとは、王宮も随分と寛大になったものだ」

公爵は鼻で笑うと、わざとらしく周囲を見回した。レナはムッとした表情を浮かべるが、セレスの手前、ぐっと耐える。

 

「まぁ、もしもマティアス王子が戻ってこない場合、この国の行く末は大きく変わるやもしれん。何事も起こらないことを願うばかりだよ」

それだけ言い残すと、公爵は足早に去っていった。彼の背中を見送るセレスの胸には、嫌な予感がますます大きくなる。

「貴族って感じ、まる出しだね。ああいう人は、王位継承争いにすぐ首を突っ込みたがるんだから」

レナが吐き捨てるように言うと、セレスもうなずく。

 

「でも、あの人の言い方……なんだか私が“怪しい”みたいな空気を出してなかった?」

「セレスが王子様をどうにかするわけがない、って私は信じてるよ。でも世間はそうは思わないかもね。もしも本当に何かあったんだとしたら、一番近くで給仕していたセレスに矛先が向くかもしれない」

「……やっぱりそうか」

セレスは大きくため息をつく。自分の軽率な行動が取り返しのつかない事態を招いているのだろうか、という罪悪感で胸がいっぱいになる。

 

すると、背後から軽い足取りの音がした。振り向くと、そこには第二王子のリヒトが立っていた。いつも通りの柔和な表情ではあるが、その瞳にはどこか焦燥が感じられる。

「セレス、レナ。話がある。ちょっとついてきてもらえないかな」

「リヒト王子様……はい、わかりました」

レナと顔を見合わせつつ、セレスはリヒトのあとを追う。リヒトは人目を避けるように廊下の端から小さな扉を開き、部屋に案内した。そこは使用されていない一室らしく、埃っぽさが漂っている。

「少し騒がしいところですまないけど……あまり人に聞かれたくない話なんだ」

リヒトは部屋の奥で立ち止まり、二人を振り返る。セレスとレナは緊張しながら、彼の言葉を待った。

 

「兄上のことで、ちょっと気になる話を聞いたんだ。兄上が城を出た理由は、どうやら体調不良だけじゃない可能性があるらしい」

「それって……一体?」

思わずセレスが問いかけると、リヒトは少し視線を落として続ける。

「兄上は昔から、王位を継ぐことにあまり積極的じゃなかった。だが父上や周囲の期待は大きくて、それが負担になっていたみたいだ。今回、何かをきっかけに本気で逃げようとしたんじゃないか……そんな噂がある」

「逃げる……?」

セレスの胸が痛む。もしもそれが本当なら、もしかしたらあの薬草入りのお菓子は単なる“きっかけ”にすぎなかったのかもしれない。

 

「まだ確証はないけど、ユリウス公爵の一派は“マティアス王子は戻らない”と早合点して、俺に王位を継がせようと動き始めている。正直、気分が良い話じゃないな」

リヒトの言葉には、どこか寂しさと苛立ちが混じっていた。王子という立場でありながら、兄の不在を歓迎されるような雰囲気に複雑な思いを抱えているのだろう。

 

「兄上を見つけるためにも、しばらく二人に協力してほしい。変な噂が広がる前に、何があったのか確かめたいんだ」

「私……はい、わかりました。できることがあればなんでも」

セレスは戸惑いながらも、王子の言葉に力強く頷く。一方で、もしも本当に王子が自分の意思で姿を消したのだとしたら、探し出すのは容易ではない。それに、薬草入りのお菓子が原因だと自ら名乗り出る勇気もまだ持てない。

 

部屋を出る前に、リヒトはぽつりと呟いた。

「兄上は俺にとっても大切な家族だ。冷たいようでいて、時々優しさが垣間見える人で……決してこんな形でいなくなるような男じゃないと思うんだ」

セレスもまた、王子の表面的な厳しさの裏にある繊細さを少しだけ感じ取った記憶がある。だからこそ、罪悪感が大きくなるばかりだった。

「もしも本当に俺たちの手で兄上を連れ戻せたら、そのときはセレス、お前も一緒に謝ってやれよ?」

「……はい」

リヒトの言葉にセレスは小さく頷くしかなかった。だが、胸の中には“何か大きな流れに巻き込まれている”という不安が、ますます大きく膨らんでいくばかりだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ

ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます! 貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。 前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?

悪役令嬢は調理場に左遷されましたが、激ウマご飯で氷の魔公爵様を餌付けしてしまったようです~「もう離さない」って、胃袋の話ですか?~

咲月ねむと
恋愛
「君のような地味な女は、王太子妃にふさわしくない。辺境の『魔公爵』のもとへ嫁げ!」 卒業パーティーで婚約破棄を突きつけられた悪役令嬢レティシア。 しかし、前世で日本人調理師だった彼女にとって、堅苦しい王妃教育から解放されることはご褒美でしかなかった。 ​「これで好きな料理が作れる!」 ウキウキで辺境へ向かった彼女を待っていたのは、荒れ果てた別邸と「氷の魔公爵」と恐れられるジルベール公爵。 冷酷無慈悲と噂される彼だったが――その正体は、ただの「極度の偏食家で、常に空腹で不機嫌なだけ」だった!? ​レティシアが作る『肉汁溢れるハンバーグ』『とろとろオムライス』『伝説のプリン』に公爵の胃袋は即陥落。 「君の料理なしでは生きられない」 「一生そばにいてくれ」 と求愛されるが、色気より食い気のレティシアは「最高の就職先ゲット!」と勘違いして……? ​一方、レティシアを追放した王太子たちは、王宮の食事が不味くなりすぎて絶望の淵に。今さら「戻ってきてくれ」と言われても、もう遅いです! ​美味しいご飯で幸せを掴む、空腹厳禁の異世界クッキング・ファンタジー!

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。

古森真朝
ファンタジー
 「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。  俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」  新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは―― ※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました

ゆっこ
恋愛
 ――あの日、私は確かに笑われた。 「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」  王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。  その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。  ――婚約破棄。

処理中です...