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「やあ、給仕係のセレスじゃないか」
セレスが廊下を歩いていると、どこか嫌味な響きを含んだ貴族の声が聞こえてきた。声の主はユリウス公爵。王宮の貴族筆頭ともいわれる大物で、政権にも強い影響力を持っている。
「お疲れ様です、ユリウス公爵様」
セレスは慌てて一礼する。普段なら滅多に話しかけられることのない相手だが、なぜか彼は興味深そうにセレスを見つめていた。
「聞いたぞ。お前が第一王子のために新しいお菓子を作ったとか。ほほう、それを食したのち、王子は行方をくらましたらしいな」
「そ、それは……私にはよくわかりません。ただ、私は給仕として仕事をしただけで……」
公爵の鋭い視線がセレスを射抜く。まるで彼女の弱みを探るかのようだ。セレスは胸の鼓動が早くなるのを抑えきれない。
「セレス、何かあったの?」
いつの間にかレナがやって来て、セレスの肩を支えるように立ってくれた。そんなレナの姿を見ても、公爵の表情はまるで爬虫類のように冷たい。
「おやおや、侍女のレナか。これまた珍しい組み合わせだな。平民出身と貴族出身が同じ仕事をしているとは、王宮も随分と寛大になったものだ」
公爵は鼻で笑うと、わざとらしく周囲を見回した。レナはムッとした表情を浮かべるが、セレスの手前、ぐっと耐える。
「まぁ、もしもマティアス王子が戻ってこない場合、この国の行く末は大きく変わるやもしれん。何事も起こらないことを願うばかりだよ」
それだけ言い残すと、公爵は足早に去っていった。彼の背中を見送るセレスの胸には、嫌な予感がますます大きくなる。
「貴族って感じ、まる出しだね。ああいう人は、王位継承争いにすぐ首を突っ込みたがるんだから」
レナが吐き捨てるように言うと、セレスもうなずく。
「でも、あの人の言い方……なんだか私が“怪しい”みたいな空気を出してなかった?」
「セレスが王子様をどうにかするわけがない、って私は信じてるよ。でも世間はそうは思わないかもね。もしも本当に何かあったんだとしたら、一番近くで給仕していたセレスに矛先が向くかもしれない」
「……やっぱりそうか」
セレスは大きくため息をつく。自分の軽率な行動が取り返しのつかない事態を招いているのだろうか、という罪悪感で胸がいっぱいになる。
すると、背後から軽い足取りの音がした。振り向くと、そこには第二王子のリヒトが立っていた。いつも通りの柔和な表情ではあるが、その瞳にはどこか焦燥が感じられる。
「セレス、レナ。話がある。ちょっとついてきてもらえないかな」
「リヒト王子様……はい、わかりました」
レナと顔を見合わせつつ、セレスはリヒトのあとを追う。リヒトは人目を避けるように廊下の端から小さな扉を開き、部屋に案内した。そこは使用されていない一室らしく、埃っぽさが漂っている。
「少し騒がしいところですまないけど……あまり人に聞かれたくない話なんだ」
リヒトは部屋の奥で立ち止まり、二人を振り返る。セレスとレナは緊張しながら、彼の言葉を待った。
「兄上のことで、ちょっと気になる話を聞いたんだ。兄上が城を出た理由は、どうやら体調不良だけじゃない可能性があるらしい」
「それって……一体?」
思わずセレスが問いかけると、リヒトは少し視線を落として続ける。
「兄上は昔から、王位を継ぐことにあまり積極的じゃなかった。だが父上や周囲の期待は大きくて、それが負担になっていたみたいだ。今回、何かをきっかけに本気で逃げようとしたんじゃないか……そんな噂がある」
「逃げる……?」
セレスの胸が痛む。もしもそれが本当なら、もしかしたらあの薬草入りのお菓子は単なる“きっかけ”にすぎなかったのかもしれない。
「まだ確証はないけど、ユリウス公爵の一派は“マティアス王子は戻らない”と早合点して、俺に王位を継がせようと動き始めている。正直、気分が良い話じゃないな」
リヒトの言葉には、どこか寂しさと苛立ちが混じっていた。王子という立場でありながら、兄の不在を歓迎されるような雰囲気に複雑な思いを抱えているのだろう。
「兄上を見つけるためにも、しばらく二人に協力してほしい。変な噂が広がる前に、何があったのか確かめたいんだ」
「私……はい、わかりました。できることがあればなんでも」
セレスは戸惑いながらも、王子の言葉に力強く頷く。一方で、もしも本当に王子が自分の意思で姿を消したのだとしたら、探し出すのは容易ではない。それに、薬草入りのお菓子が原因だと自ら名乗り出る勇気もまだ持てない。
部屋を出る前に、リヒトはぽつりと呟いた。
「兄上は俺にとっても大切な家族だ。冷たいようでいて、時々優しさが垣間見える人で……決してこんな形でいなくなるような男じゃないと思うんだ」
セレスもまた、王子の表面的な厳しさの裏にある繊細さを少しだけ感じ取った記憶がある。だからこそ、罪悪感が大きくなるばかりだった。
「もしも本当に俺たちの手で兄上を連れ戻せたら、そのときはセレス、お前も一緒に謝ってやれよ?」
「……はい」
リヒトの言葉にセレスは小さく頷くしかなかった。だが、胸の中には“何か大きな流れに巻き込まれている”という不安が、ますます大きく膨らんでいくばかりだ。
セレスが廊下を歩いていると、どこか嫌味な響きを含んだ貴族の声が聞こえてきた。声の主はユリウス公爵。王宮の貴族筆頭ともいわれる大物で、政権にも強い影響力を持っている。
「お疲れ様です、ユリウス公爵様」
セレスは慌てて一礼する。普段なら滅多に話しかけられることのない相手だが、なぜか彼は興味深そうにセレスを見つめていた。
「聞いたぞ。お前が第一王子のために新しいお菓子を作ったとか。ほほう、それを食したのち、王子は行方をくらましたらしいな」
「そ、それは……私にはよくわかりません。ただ、私は給仕として仕事をしただけで……」
公爵の鋭い視線がセレスを射抜く。まるで彼女の弱みを探るかのようだ。セレスは胸の鼓動が早くなるのを抑えきれない。
「セレス、何かあったの?」
いつの間にかレナがやって来て、セレスの肩を支えるように立ってくれた。そんなレナの姿を見ても、公爵の表情はまるで爬虫類のように冷たい。
「おやおや、侍女のレナか。これまた珍しい組み合わせだな。平民出身と貴族出身が同じ仕事をしているとは、王宮も随分と寛大になったものだ」
公爵は鼻で笑うと、わざとらしく周囲を見回した。レナはムッとした表情を浮かべるが、セレスの手前、ぐっと耐える。
「まぁ、もしもマティアス王子が戻ってこない場合、この国の行く末は大きく変わるやもしれん。何事も起こらないことを願うばかりだよ」
それだけ言い残すと、公爵は足早に去っていった。彼の背中を見送るセレスの胸には、嫌な予感がますます大きくなる。
「貴族って感じ、まる出しだね。ああいう人は、王位継承争いにすぐ首を突っ込みたがるんだから」
レナが吐き捨てるように言うと、セレスもうなずく。
「でも、あの人の言い方……なんだか私が“怪しい”みたいな空気を出してなかった?」
「セレスが王子様をどうにかするわけがない、って私は信じてるよ。でも世間はそうは思わないかもね。もしも本当に何かあったんだとしたら、一番近くで給仕していたセレスに矛先が向くかもしれない」
「……やっぱりそうか」
セレスは大きくため息をつく。自分の軽率な行動が取り返しのつかない事態を招いているのだろうか、という罪悪感で胸がいっぱいになる。
すると、背後から軽い足取りの音がした。振り向くと、そこには第二王子のリヒトが立っていた。いつも通りの柔和な表情ではあるが、その瞳にはどこか焦燥が感じられる。
「セレス、レナ。話がある。ちょっとついてきてもらえないかな」
「リヒト王子様……はい、わかりました」
レナと顔を見合わせつつ、セレスはリヒトのあとを追う。リヒトは人目を避けるように廊下の端から小さな扉を開き、部屋に案内した。そこは使用されていない一室らしく、埃っぽさが漂っている。
「少し騒がしいところですまないけど……あまり人に聞かれたくない話なんだ」
リヒトは部屋の奥で立ち止まり、二人を振り返る。セレスとレナは緊張しながら、彼の言葉を待った。
「兄上のことで、ちょっと気になる話を聞いたんだ。兄上が城を出た理由は、どうやら体調不良だけじゃない可能性があるらしい」
「それって……一体?」
思わずセレスが問いかけると、リヒトは少し視線を落として続ける。
「兄上は昔から、王位を継ぐことにあまり積極的じゃなかった。だが父上や周囲の期待は大きくて、それが負担になっていたみたいだ。今回、何かをきっかけに本気で逃げようとしたんじゃないか……そんな噂がある」
「逃げる……?」
セレスの胸が痛む。もしもそれが本当なら、もしかしたらあの薬草入りのお菓子は単なる“きっかけ”にすぎなかったのかもしれない。
「まだ確証はないけど、ユリウス公爵の一派は“マティアス王子は戻らない”と早合点して、俺に王位を継がせようと動き始めている。正直、気分が良い話じゃないな」
リヒトの言葉には、どこか寂しさと苛立ちが混じっていた。王子という立場でありながら、兄の不在を歓迎されるような雰囲気に複雑な思いを抱えているのだろう。
「兄上を見つけるためにも、しばらく二人に協力してほしい。変な噂が広がる前に、何があったのか確かめたいんだ」
「私……はい、わかりました。できることがあればなんでも」
セレスは戸惑いながらも、王子の言葉に力強く頷く。一方で、もしも本当に王子が自分の意思で姿を消したのだとしたら、探し出すのは容易ではない。それに、薬草入りのお菓子が原因だと自ら名乗り出る勇気もまだ持てない。
部屋を出る前に、リヒトはぽつりと呟いた。
「兄上は俺にとっても大切な家族だ。冷たいようでいて、時々優しさが垣間見える人で……決してこんな形でいなくなるような男じゃないと思うんだ」
セレスもまた、王子の表面的な厳しさの裏にある繊細さを少しだけ感じ取った記憶がある。だからこそ、罪悪感が大きくなるばかりだった。
「もしも本当に俺たちの手で兄上を連れ戻せたら、そのときはセレス、お前も一緒に謝ってやれよ?」
「……はい」
リヒトの言葉にセレスは小さく頷くしかなかった。だが、胸の中には“何か大きな流れに巻き込まれている”という不安が、ますます大きく膨らんでいくばかりだ。
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