王子が気に入られなかったので、茶菓子にお腹が痛くなる薬草を混ぜて食べされたら帰ってこなくなりました。

えるろって

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「今朝になっても、やはり戻ってこないそうだ」

静まり返った廊下を歩きながら、レナが小声でセレスに囁く。

「兵士たちも少しずつ動き始めてる。私が聞いた話だと、本当にマティアス王子はどこにもいないんだって」

「そんな……」

セレスは心の奥底で抱いていた“不安”が現実になったことを、改めて痛感する。もしかして、本当に自分のせいで王子様が倒れてしまったのかもしれない。それとも、別の理由があるのか――考えれば考えるほど答えは見えてこない。

 

そのとき、廊下の突き当たりからバタバタと足音が近づいてくる。顔を上げると、焦った表情の給仕係の一人がこちらに駆け寄ってきた。

「セレス、ちょうど探してたんだ! リヒト王子が大広間に呼んでる。すぐに来てくれないか」

「わ、私を? どうして?」

「詳しいことは聞かされてないけど、なんでも“昨夜のことを知りたい”とか言ってたよ」

「……わかった、すぐ行く」

 

給仕係に案内され、大広間に入ると、そこには第二王子のリヒトが玉座の横に立っていた。王座は空っぽで、国王の姿はない。国王も王子の失踪で混乱しているのか、それとも別の場所にいるのか。いずれにせよ、普段とは違う緊迫感が漂っている。

「失礼いたします。セレスです」

セレスが戸惑いながら礼をすると、リヒトは手を軽く振って気軽に返した。

「固くならないでいいよ。ちょっと話を聞かせてほしいだけなんだ」

「話、ですか?」

「昨夜、兄上が食べたお菓子を作ったのは君だろう? あれを食べたあと、兄上はどんな様子だった?」

心臓がドキリと音を立てる。まるで“あの仕返し”を知られているのではと疑ってしまい、冷や汗が流れた。

「特に、いつもと変わらないか……いや、少し苦そうな表情をしたような気がします。あの……実は、昨日の菓子は私が初めて試してみたレシピで……」

なんとか言い訳を考えつつ、セレスはしゃべり続ける。リヒトは真剣な眼差しで耳を傾けていた。

「じゃあ、あれのせいで体調を崩したかもしれない、と?」

「そ、それはわかりません。もしかしたら、原因がほかにあるかもしれないですし……」

「ふうん、そうか。まぁ兄上は確かに頑丈な方だから、多少のことでは倒れないはずなんだけどね」

リヒトはそう言いながら、玉座の横に視線をやった。そこには誰も座っていない。国王もまた、この状況をどうしていいかわからず混乱しているのだろう。

 

「君は何か思い当たることはない? 兄上は時々、一人で外出する癖があるけど、こんなに帰ってこないのは珍しいから」

「……私は、本当に昨夜のことくらいしか思い当たることがないんです」

セレスは視線を落として答えた。リヒトは少し首を傾げてから、優しく微笑む。

「そうか。わかったよ、ありがとう。しばらく君には城の中で待機してもらうかもしれない。何かあったらすぐに報告してほしい」

「は、はい。承知しました」

セレスは礼をして大広間を出ると、思わず深いため息をついた。疑われているわけではない……けれど、このままだといずれ誰かに糾弾されるかもしれない。不安ばかりが募る。

 

「セレス、どうだった?」

廊下で待っていたレナが駆け寄る。セレスはリヒトとのやりとりを簡単に説明し、今度はレナの表情が曇った。

「王子様の外出はいつものことだとしても、このまま帰ってこないのは確かに不自然よね。周囲もザワザワしてるし、何か大きな事件に発展しなければいいけど……」

「私もそう思う。そっとしておいた方がいい、ってダリウス様は言ってたけど、やっぱりどうしても気になるの」

「……そうだね。ひとまず、様子を見ながら情報を集めるしかないか」

 

けれど、セレスの心の奥では、焦りと後悔が渦を巻いていた。王子が戻ってこない理由。もしもあの茶菓子のせいだとしたら。あるいは、それ以外の秘密があるのか――。想像するたびに胸が苦しくなる。

そんなセレスの動揺をよそに、王城の空気はどんどん張り詰めていく。マティアス王子の失踪は、ただの腹痛騒ぎでは終わりそうになかった。
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