婚約破棄、ありがとう!二度近づかないでください!

鏡おもち

文字の大きさ
23 / 28

23

しおりを挟む
「お姉様! 見てくださいまし! このドレス、アシュクロフト領の新産品である『魔境シルク』をふんだんに使用した、お姉様のためだけの特別製ですわ!」


温泉宿の完成を祝う晩餐会の直前、マリアが興奮気味にリリアンの部屋へ飛び込んできた。
その後ろには、大きな箱を抱えた侍女たちが控えている。


「マリア様。ドレスアップに要する時間は、私の計算によれば四十五分。その間に、私は明日の宿泊予約リストの最終確認ができたはずですわ。……ですが、このシルクの光沢、光の反射率が非常に高い。夜会での『広告効果』を考えれば、四十五分の投資価値はあるかもしれませんわね」


リリアンは渋々といった様子で、山積みになった書類を置いた。


四十五分後。
会場となるパレスの大広間には、領地の主要な関係者、そして隣国の王子たちが集まっていた。
扉が開き、リリアンが姿を現した瞬間、会場の空気が一変した。


泥にまみれ、ツルハシを振るっていた姿はどこへやら。
深い紺碧のシルクを纏い、銀髪を精緻に編み上げたリリアンは、まさに「氷の令嬢」としての威厳と、それを凌駕する圧倒的な美しさを放っていた。


「……っ。お嬢様、それは反則ですよ。俺の視覚野が一時的にフリーズしました」


正装に着替えたギルバートが、珍しく呆然とした表情で彼女を迎えに歩み寄った。
彼の軍礼装姿もまた、隣国の女性たちが卒倒するほどの気品に満ちている。


「あら、ギルバート。あなたのその衣装も、筋肉のラインを強調するように設計されていますわね。ゲストの購買意欲、もとい注目を集めるための『フロントエンド・商品』としては満点ですわ」


「……褒めてるんですよね、それ。できれば今は、一人の男として見てほしいんですが」


「何を言っているのです。あなたは私の大事な資産ですわ。……さて、晩餐を始めましょう。一分遅れるごとに、料理の温度が零・三度下がり、幸福感という名の顧客満足度が低下しますわよ」


リリアンは、見惚れる人々を背景の壁紙か何かのように扱い、颯爽と上座へと歩みを進めた。


一方、広場の隅では、「猪の被り物」を脱ぐことを許可されたセドリックが、ひどく落ち込んだ様子で座っていた。


「……リリアン。あんなに綺麗なのに、なぜ口を開けば『購買意欲』とか『幸福感の低下』なんて言葉が出てくるんだ。私の知っている令嬢は、もっと『月が綺麗ですね』とか囁くものなのに……」


「殿下。月が綺麗なのは、大気の汚染率が低く、反射効率が良いからですわ。そんな当たり前のことを囁いて、何の意味がありますの?」


いつの間にか背後に立っていたマリアが、冷たく言い放つ。
マリアもまた、領地の特産品で着飾った見事な姿をしていたが、その手にはしっかりと「食材費計算用のメモ」が握られていた。


「さあ、お姉様の乾杯のお言葉ですわ! 皆様、静粛に!」


マリアの合図で、会場が静まり返る。
リリアンは、金貨数枚分はあろうかという高価な酒が入ったグラスを掲げた。


「皆様。本日の晩餐は、アシュクロフト領が『不採算部門』から『高収益モデル』へと転換したことを祝う儀式です。……あ、乾杯の挨拶は時間の無駄ですので、今すぐこの猪肉のグリルをお召し上がりなさい。この肉の脂身の融点は……」


「お嬢様! とりあえず『乾杯』って言ってください!」


ギルバートのツッコミにより、ようやく「乾杯!」の声が上がった。
宴が始まると、リリアンは周囲の期待を裏切り、猛烈な勢いで食事を口に運び始めた。


「……っ。お姉様、お食事が早すぎますわ! もっと優雅に、一口ずつ……」


「マリア様。噛む回数を三割増やせば、満腹中枢が刺激され、次の料理への期待値が下がります。私は今、最も効率的に栄養を補給し、後の経営戦略会議に備えているのです。……ふむ、この猪肉、昨日のものより熟成が二時間進んでいますわね。旨味成分のグルタミン酸が、一・二倍に増幅されていますわ!」


リリアンは、周囲の貴族たちがダンスに興じるのを尻目に、ナイフとフォークを精密機械のように動かし続けた。
彼女にとって、この晩餐会は社交の場ではなく、あくまで「燃料補給」の場に過ぎないのだ。


「……リリアン。君、私のために少しは踊って……」


セドリックが勇気を出して誘おうとしたが、リリアンは口いっぱいに肉を頬張ったまま、冷たい視線を向けた。


「殿下。ダンス一曲に費やす消費カロリーを、後の事務処理に回せば、領地の純利益が金貨一目分変わります。……踊りたいなら、そこの猪の剥製とでも踊っていなさい。重心移動の訓練にはなりますわよ」


「ひ、ひどすぎる……!」


ヴィクトール殿下は、その様子を横で眺めながら、満足げにワインを煽った。


「くくく……。やはり、この女を連れて帰らなくて正解だったかもしれんな。我が国の宮廷に放てば、三日で国費の無駄を全て削ぎ落とし、十日で俺を廃位して『効率的な共和国』でも作りかねん」


「兄上、笑い事じゃありません。俺は毎日、この『計算する嵐』に巻き込まれているんですから」


ギルバートは、リリアンの口元についたソースを、呆れながらも優しく拭った。
リリアンは、その時だけ一瞬手を止め、不思議そうに彼を見上げた。


「あら。ギルバート、今の拭い方、非常にスムーズでしたわ。無駄な摩擦抵抗を感じませんでしたわね。……時給、十円分アップを検討してあげてもよろしいわよ?」


「……ありがとうございます、お嬢様。でも、できれば給料じゃなくて、もっと別の……『非合理的なもの』がほしいんですけどね」


「非合理的なもの? ……ああ、故障した計算機のことかしら? 後で地下室から探しておきますわ」


「…………もういいです。肉、食べましょう」


華やかなドレス姿とは裏腹に、リリアンの頭の中は最後まで「数字」と「効率」で埋め尽くされていた。
アシュクロフト領の夜は更けていくが、彼女の野心という名の演算処理が止まることは、決してなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました

よどら文鳥
恋愛
 ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。  ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。  ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。  更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。  再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。  ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。  後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。  ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。

勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。 いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。 ただし、後のことはどうなっても知りませんよ? * 他サイトでも投稿 * ショートショートです。あっさり終わります

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

処理中です...