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「お姉様! 見てくださいまし! このドレス、アシュクロフト領の新産品である『魔境シルク』をふんだんに使用した、お姉様のためだけの特別製ですわ!」
温泉宿の完成を祝う晩餐会の直前、マリアが興奮気味にリリアンの部屋へ飛び込んできた。
その後ろには、大きな箱を抱えた侍女たちが控えている。
「マリア様。ドレスアップに要する時間は、私の計算によれば四十五分。その間に、私は明日の宿泊予約リストの最終確認ができたはずですわ。……ですが、このシルクの光沢、光の反射率が非常に高い。夜会での『広告効果』を考えれば、四十五分の投資価値はあるかもしれませんわね」
リリアンは渋々といった様子で、山積みになった書類を置いた。
四十五分後。
会場となるパレスの大広間には、領地の主要な関係者、そして隣国の王子たちが集まっていた。
扉が開き、リリアンが姿を現した瞬間、会場の空気が一変した。
泥にまみれ、ツルハシを振るっていた姿はどこへやら。
深い紺碧のシルクを纏い、銀髪を精緻に編み上げたリリアンは、まさに「氷の令嬢」としての威厳と、それを凌駕する圧倒的な美しさを放っていた。
「……っ。お嬢様、それは反則ですよ。俺の視覚野が一時的にフリーズしました」
正装に着替えたギルバートが、珍しく呆然とした表情で彼女を迎えに歩み寄った。
彼の軍礼装姿もまた、隣国の女性たちが卒倒するほどの気品に満ちている。
「あら、ギルバート。あなたのその衣装も、筋肉のラインを強調するように設計されていますわね。ゲストの購買意欲、もとい注目を集めるための『フロントエンド・商品』としては満点ですわ」
「……褒めてるんですよね、それ。できれば今は、一人の男として見てほしいんですが」
「何を言っているのです。あなたは私の大事な資産ですわ。……さて、晩餐を始めましょう。一分遅れるごとに、料理の温度が零・三度下がり、幸福感という名の顧客満足度が低下しますわよ」
リリアンは、見惚れる人々を背景の壁紙か何かのように扱い、颯爽と上座へと歩みを進めた。
一方、広場の隅では、「猪の被り物」を脱ぐことを許可されたセドリックが、ひどく落ち込んだ様子で座っていた。
「……リリアン。あんなに綺麗なのに、なぜ口を開けば『購買意欲』とか『幸福感の低下』なんて言葉が出てくるんだ。私の知っている令嬢は、もっと『月が綺麗ですね』とか囁くものなのに……」
「殿下。月が綺麗なのは、大気の汚染率が低く、反射効率が良いからですわ。そんな当たり前のことを囁いて、何の意味がありますの?」
いつの間にか背後に立っていたマリアが、冷たく言い放つ。
マリアもまた、領地の特産品で着飾った見事な姿をしていたが、その手にはしっかりと「食材費計算用のメモ」が握られていた。
「さあ、お姉様の乾杯のお言葉ですわ! 皆様、静粛に!」
マリアの合図で、会場が静まり返る。
リリアンは、金貨数枚分はあろうかという高価な酒が入ったグラスを掲げた。
「皆様。本日の晩餐は、アシュクロフト領が『不採算部門』から『高収益モデル』へと転換したことを祝う儀式です。……あ、乾杯の挨拶は時間の無駄ですので、今すぐこの猪肉のグリルをお召し上がりなさい。この肉の脂身の融点は……」
「お嬢様! とりあえず『乾杯』って言ってください!」
ギルバートのツッコミにより、ようやく「乾杯!」の声が上がった。
宴が始まると、リリアンは周囲の期待を裏切り、猛烈な勢いで食事を口に運び始めた。
「……っ。お姉様、お食事が早すぎますわ! もっと優雅に、一口ずつ……」
「マリア様。噛む回数を三割増やせば、満腹中枢が刺激され、次の料理への期待値が下がります。私は今、最も効率的に栄養を補給し、後の経営戦略会議に備えているのです。……ふむ、この猪肉、昨日のものより熟成が二時間進んでいますわね。旨味成分のグルタミン酸が、一・二倍に増幅されていますわ!」
リリアンは、周囲の貴族たちがダンスに興じるのを尻目に、ナイフとフォークを精密機械のように動かし続けた。
彼女にとって、この晩餐会は社交の場ではなく、あくまで「燃料補給」の場に過ぎないのだ。
「……リリアン。君、私のために少しは踊って……」
セドリックが勇気を出して誘おうとしたが、リリアンは口いっぱいに肉を頬張ったまま、冷たい視線を向けた。
「殿下。ダンス一曲に費やす消費カロリーを、後の事務処理に回せば、領地の純利益が金貨一目分変わります。……踊りたいなら、そこの猪の剥製とでも踊っていなさい。重心移動の訓練にはなりますわよ」
「ひ、ひどすぎる……!」
ヴィクトール殿下は、その様子を横で眺めながら、満足げにワインを煽った。
「くくく……。やはり、この女を連れて帰らなくて正解だったかもしれんな。我が国の宮廷に放てば、三日で国費の無駄を全て削ぎ落とし、十日で俺を廃位して『効率的な共和国』でも作りかねん」
「兄上、笑い事じゃありません。俺は毎日、この『計算する嵐』に巻き込まれているんですから」
ギルバートは、リリアンの口元についたソースを、呆れながらも優しく拭った。
リリアンは、その時だけ一瞬手を止め、不思議そうに彼を見上げた。
「あら。ギルバート、今の拭い方、非常にスムーズでしたわ。無駄な摩擦抵抗を感じませんでしたわね。……時給、十円分アップを検討してあげてもよろしいわよ?」
「……ありがとうございます、お嬢様。でも、できれば給料じゃなくて、もっと別の……『非合理的なもの』がほしいんですけどね」
「非合理的なもの? ……ああ、故障した計算機のことかしら? 後で地下室から探しておきますわ」
「…………もういいです。肉、食べましょう」
華やかなドレス姿とは裏腹に、リリアンの頭の中は最後まで「数字」と「効率」で埋め尽くされていた。
アシュクロフト領の夜は更けていくが、彼女の野心という名の演算処理が止まることは、決してなかった。
温泉宿の完成を祝う晩餐会の直前、マリアが興奮気味にリリアンの部屋へ飛び込んできた。
その後ろには、大きな箱を抱えた侍女たちが控えている。
「マリア様。ドレスアップに要する時間は、私の計算によれば四十五分。その間に、私は明日の宿泊予約リストの最終確認ができたはずですわ。……ですが、このシルクの光沢、光の反射率が非常に高い。夜会での『広告効果』を考えれば、四十五分の投資価値はあるかもしれませんわね」
リリアンは渋々といった様子で、山積みになった書類を置いた。
四十五分後。
会場となるパレスの大広間には、領地の主要な関係者、そして隣国の王子たちが集まっていた。
扉が開き、リリアンが姿を現した瞬間、会場の空気が一変した。
泥にまみれ、ツルハシを振るっていた姿はどこへやら。
深い紺碧のシルクを纏い、銀髪を精緻に編み上げたリリアンは、まさに「氷の令嬢」としての威厳と、それを凌駕する圧倒的な美しさを放っていた。
「……っ。お嬢様、それは反則ですよ。俺の視覚野が一時的にフリーズしました」
正装に着替えたギルバートが、珍しく呆然とした表情で彼女を迎えに歩み寄った。
彼の軍礼装姿もまた、隣国の女性たちが卒倒するほどの気品に満ちている。
「あら、ギルバート。あなたのその衣装も、筋肉のラインを強調するように設計されていますわね。ゲストの購買意欲、もとい注目を集めるための『フロントエンド・商品』としては満点ですわ」
「……褒めてるんですよね、それ。できれば今は、一人の男として見てほしいんですが」
「何を言っているのです。あなたは私の大事な資産ですわ。……さて、晩餐を始めましょう。一分遅れるごとに、料理の温度が零・三度下がり、幸福感という名の顧客満足度が低下しますわよ」
リリアンは、見惚れる人々を背景の壁紙か何かのように扱い、颯爽と上座へと歩みを進めた。
一方、広場の隅では、「猪の被り物」を脱ぐことを許可されたセドリックが、ひどく落ち込んだ様子で座っていた。
「……リリアン。あんなに綺麗なのに、なぜ口を開けば『購買意欲』とか『幸福感の低下』なんて言葉が出てくるんだ。私の知っている令嬢は、もっと『月が綺麗ですね』とか囁くものなのに……」
「殿下。月が綺麗なのは、大気の汚染率が低く、反射効率が良いからですわ。そんな当たり前のことを囁いて、何の意味がありますの?」
いつの間にか背後に立っていたマリアが、冷たく言い放つ。
マリアもまた、領地の特産品で着飾った見事な姿をしていたが、その手にはしっかりと「食材費計算用のメモ」が握られていた。
「さあ、お姉様の乾杯のお言葉ですわ! 皆様、静粛に!」
マリアの合図で、会場が静まり返る。
リリアンは、金貨数枚分はあろうかという高価な酒が入ったグラスを掲げた。
「皆様。本日の晩餐は、アシュクロフト領が『不採算部門』から『高収益モデル』へと転換したことを祝う儀式です。……あ、乾杯の挨拶は時間の無駄ですので、今すぐこの猪肉のグリルをお召し上がりなさい。この肉の脂身の融点は……」
「お嬢様! とりあえず『乾杯』って言ってください!」
ギルバートのツッコミにより、ようやく「乾杯!」の声が上がった。
宴が始まると、リリアンは周囲の期待を裏切り、猛烈な勢いで食事を口に運び始めた。
「……っ。お姉様、お食事が早すぎますわ! もっと優雅に、一口ずつ……」
「マリア様。噛む回数を三割増やせば、満腹中枢が刺激され、次の料理への期待値が下がります。私は今、最も効率的に栄養を補給し、後の経営戦略会議に備えているのです。……ふむ、この猪肉、昨日のものより熟成が二時間進んでいますわね。旨味成分のグルタミン酸が、一・二倍に増幅されていますわ!」
リリアンは、周囲の貴族たちがダンスに興じるのを尻目に、ナイフとフォークを精密機械のように動かし続けた。
彼女にとって、この晩餐会は社交の場ではなく、あくまで「燃料補給」の場に過ぎないのだ。
「……リリアン。君、私のために少しは踊って……」
セドリックが勇気を出して誘おうとしたが、リリアンは口いっぱいに肉を頬張ったまま、冷たい視線を向けた。
「殿下。ダンス一曲に費やす消費カロリーを、後の事務処理に回せば、領地の純利益が金貨一目分変わります。……踊りたいなら、そこの猪の剥製とでも踊っていなさい。重心移動の訓練にはなりますわよ」
「ひ、ひどすぎる……!」
ヴィクトール殿下は、その様子を横で眺めながら、満足げにワインを煽った。
「くくく……。やはり、この女を連れて帰らなくて正解だったかもしれんな。我が国の宮廷に放てば、三日で国費の無駄を全て削ぎ落とし、十日で俺を廃位して『効率的な共和国』でも作りかねん」
「兄上、笑い事じゃありません。俺は毎日、この『計算する嵐』に巻き込まれているんですから」
ギルバートは、リリアンの口元についたソースを、呆れながらも優しく拭った。
リリアンは、その時だけ一瞬手を止め、不思議そうに彼を見上げた。
「あら。ギルバート、今の拭い方、非常にスムーズでしたわ。無駄な摩擦抵抗を感じませんでしたわね。……時給、十円分アップを検討してあげてもよろしいわよ?」
「……ありがとうございます、お嬢様。でも、できれば給料じゃなくて、もっと別の……『非合理的なもの』がほしいんですけどね」
「非合理的なもの? ……ああ、故障した計算機のことかしら? 後で地下室から探しておきますわ」
「…………もういいです。肉、食べましょう」
華やかなドレス姿とは裏腹に、リリアンの頭の中は最後まで「数字」と「効率」で埋め尽くされていた。
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