あなたが遺した花の名は

きまま

文字の大きさ
3 / 14

3.

しおりを挟む
翌日、私は社交の茶会に顔を出していた。
春の陽がレース越しに差し込み、銀のティーポットが柔らかく光を散らす。
笑い声と香水と焼き菓子の匂い——それらすべてが、この場の雰囲気を調和している。

夫人たちの話題はいつもと変わらない。
誰と誰がどこの舞踏会で踊ったとか、どんな宝石を新調したとか、そういう噂話ばかりだ。
けれど、その中にふと混じった一つの種が心に鋭く刺さった。

「そういえばねえ、ご存知?辺境伯の跡取りのこと。グレイブ殿下、最近公務にも顔を出されないそうよ」

「まぁ、やはり……」

「リシェル様も公務にも出ない殿下が相手だと大変でしょう」

夫人たちの視線が一斉にこちらに向いた。彼女たちの興味への探究心とやらは測りきれない。私は平常心を装って、微笑みだけを返した。

「……彼は少しお疲れなだけです。お優しい方ですから、ご心配なさらず」

それでも、緊張か怯えからか、手は震えていた。それを隠すようにカップを置こうとするが、その瞬間、カップが大きく揺れ、紅茶を盛大にこぼしてしまった。

「あっ、すみません……」

「あらら、リシェル様もお疲れなのかしら」

頭を下げながら、テーブルを拭くが、どこか上の空だった。
それは単に、彼の話題が原因だ。

——彼が公務に出ていないのは、私を避けているから?それとも、もう飽きられたのだろうか。

胸の奥で、恋慕が歪む。
昨日の沈黙が、やはり優しさとか疲れとかではなく、それは単なる拒絶であることが明確になってしまった。

こぼされた紅茶に自分の影が映る。
私の恋情もこの紅茶のように溢れさせれば良いのだろうか。彼が自分から話す、その時まで。
——それはどうにもできそうになかった。



夕暮れの帰り道、屋敷の前で風が吹いた。
白い花が一輪、茎ごと折れて宙に舞う。
まるで誰かのため息のように静かに、そして、ゆっくりと。

思わず手を伸ばし、花弁を受け止めた。
薄い花弁が掌の上で揺れ、指先にふわりとした感触を残す。
なぜだろう。重さはほとんどないはずなのに、胸が酷く痛くなるほど、それは重たく胸に残った。

「この花、きっと冷たい人の好む花なのですね……」

呟いた声が、風に溶けていく。
それは冷たいどころか、かすかに陽のぬくもりを残している。その温もりが、かえって痛かった。

彼を嫌いになれたら楽なのだろうか。
この痛みを無くすのには、きっとそれが一番楽だ。
けれど——
どうして、こんなにも愛おしいのだろう。
どうして、あの人の沈黙の奥をまだ信じてしまうのだろう。

沈む陽の中で、花弁の白がわずかに金を帯びた。
それはまるで、彼の沈黙の奥に隠れた少しの優しさみたいだった。
遠くで鳥の声がして、どこかで扉が閉まる音が響く。
日が沈むとともに、世界の色がひとつずつ黒へと失われていく。

馬車へと歩き出すと、砂利の上に残る足音が小さく続いた。
その音だけが、私の心を確かに現実へ繋ぎとめていた。

——沈黙の中に、まだ希望はある。
そう信じる心は酷く小さな炎だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

伯爵令嬢の婚約解消理由

七宮 ゆえ
恋愛
私には、小さい頃から親に決められていた婚約者がいます。 婚約者は容姿端麗、文武両道、金枝玉葉という世のご令嬢方が黄色い悲鳴をあげること間違い無しなお方です。 そんな彼と私の関係は、婚約者としても友人としても比較的良好でありました。 しかしある日、彼から婚約を解消しようという提案を受けました。勿論私達の仲が不仲になったとか、そういう話ではありません。それにはやむを得ない事情があったのです。主に、国とか国とか国とか。 一体何があったのかというと、それは…… これは、そんな私たちの少しだけ複雑な婚約についてのお話。 *本編は8話+番外編を載せる予定です。 *小説家になろうに同時掲載しております。 *なろうの方でも、アルファポリスの方でも色んな方に続編を読みたいとのお言葉を貰ったので、続きを只今執筆しております。

最近彼氏の様子がおかしい!私を溺愛し大切にしてくれる幼馴染の彼氏が急に冷たくなった衝撃の理由。

佐藤 美奈
恋愛
ソフィア・フランチェスカ男爵令嬢はロナウド・オスバッカス子爵令息に結婚を申し込まれた。 幼馴染で恋人の二人は学園を卒業したら夫婦になる永遠の愛を誓う。超名門校のフォージャー学園に入学し恋愛と楽しい学園生活を送っていたが、学年が上がると愛する彼女の様子がおかしい事に気がつきました。 一緒に下校している時ロナウドにはソフィアが不安そうな顔をしているように見えて、心配そうな視線を向けて話しかけた。 ソフィアは彼を心配させないように無理に笑顔を作って、何でもないと答えますが本当は学園の経営者である理事長の娘アイリーン・クロフォード公爵令嬢に精神的に追い詰められていた。

彼女よりも幼馴染を溺愛して優先の彼と結婚するか悩む

佐藤 美奈
恋愛
公爵家の広大な庭園。その奥まった一角に佇む白いガゼボで、私はひとり思い悩んでいた。 私の名はニーナ・フォン・ローゼンベルク。名門ローゼンベルク家の令嬢として、若き騎士アンドレ・フォン・ヴァルシュタインとの婚約がすでに決まっている。けれど、その婚約に心からの喜びを感じることができずにいた。 理由はただ一つ。彼の幼馴染であるキャンディ・フォン・リエーヌ子爵令嬢の存在。 アンドレは、彼女がすべてであるかのように振る舞い、いついかなる時も彼女の望みを最優先にする。婚約者である私の気持ちなど、まるで見えていないかのように。 そして、アンドレはようやく自分の至らなさに気づくこととなった。 失われたニーナの心を取り戻すため、彼は様々なイベントであらゆる方法を試みることを決意する。その思いは、ただ一つ、彼女の笑顔を再び見ることに他ならなかった。

身代わりーダイヤモンドのように

Rj
恋愛
恋人のライアンには想い人がいる。その想い人に似ているから私を恋人にした。身代わりは本物にはなれない。 恋人のミッシェルが身代わりではいられないと自分のもとを去っていった。彼女の心に好きという言葉がとどかない。 お互い好きあっていたが破れた恋の話。 一話完結でしたが二話を加え全三話になりました。(6/24変更)

【完結】理想の人に恋をするとは限らない

miniko
恋愛
ナディアは、婚約者との初顔合わせの際に「容姿が好みじゃない」と明言されてしまう。 ほほぅ、そうですか。 「私も貴方は好みではありません」と言い返すと、この言い争いが逆に良かったのか、変な遠慮が無くなって、政略のパートナーとしては意外と良好な関係となる。 しかし、共に過ごす内に、少しづつ互いを異性として意識し始めた二人。 相手にとって自分が〝理想とは違う〟という事実が重くのしかかって・・・ (彼は私を好きにはならない) (彼女は僕を好きにはならない) そう思い込んでいる二人の仲はどう変化するのか。 ※最後が男性側の視点で終わる、少し変則的な形式です。 ※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしておりません。本編未読の方はご注意下さい。

不機嫌な侯爵様に、その献身は届かない

翠月 瑠々奈
恋愛
サルコベリア侯爵夫人は、夫の言動に違和感を覚え始める。 始めは夜会での振る舞いからだった。 それがさらに明らかになっていく。 機嫌が悪ければ、それを周りに隠さず察して動いてもらおうとし、愚痴を言ったら同調してもらおうとするのは、まるで子どものよう。 おまけに自分より格下だと思えば強気に出る。 そんな夫から、とある仕事を押し付けられたところ──?

月夜に散る白百合は、君を想う

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。 彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。 しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。 一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。 家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。 しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。 偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。

処理中です...