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第一章 卯月(四月)
6.四月十六日 早朝 真宵
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毎日五時に起きる八早月にとって散歩と鍛錬は日々の日課ではあるが、その他に週四度は当番の日がある。まだ中学生とは言え本家の当主であるから、朝晩の見回りをやらないなどと許されるはずはないし不満もない。
もちろん当主を継いだ八歳のころから鍛錬は厳しくなると同時に、今と同じだけ当番もこなしてきたのですでに体は慣れている。だが本当にこれでいいのかという気持ちが湧いてきているのも事実だ。しかしその気持ちを内へと押し込んだ八早月は、顔を洗ってから担当地域の巡回へと向かう。
『行きましょうか、真宵さん。
今日もよろしくお願いします』
家の前で一人で立ち、しかしすぐそばに誰かがいることを確信し念じるように呟くと、傍らに美しい女性が現れた。年の頃は二十歳前後、長めの黒髪を後ろで束ね、半着に袴、つまり剣道着のようないでたちで腰には小太刀を差している。
彼女の名は真宵、櫛田家に伝わる神刃である『草薙剣 形代』を用いて八早月が作り出した霊体の剣士である。
八家の後継者は八歳になると八岐神社で八月八日に行われる大蛇舞祭で贄として八岐大蛇へと捧げられる。この儀式で神通力を授かり、神器である神刃から呼士と呼ばれる霊体の剣士を作り出せるようになるのだ。
八早月は八歳で父の跡を継ぎ櫛田家当主となったため、すでに四年は同じように巡回に出たり、妖討伐に参加したりしている。かと言って八家全ての後継者が八歳から実戦におもむくわけではなく、家督を継ぐまで数十年かけて鍛錬を積んで一人前となるのが通例だった。
しかし父である道八が病に倒れた際、医師とのすれ違いと自らの早とちりにより死期が近いと思い込み家督を譲ってしまったのだ。こうして継承の儀式を済ませてしまった元当主は今までの神通力を失い、一般人の鍛冶師として生きていくことになった。
どんな経緯であっても当主になったからには、八岐神社の影響下にあるこの地方一帯を守る責務が生じる。四十になったばかりと脂の乗った現役世代だったにもかかわらず当主を譲ってしまった父、そしてまだ幼い童女であったのに家督を継ぎ過酷な目に合う羽目になった八早月の双方にとって大変な出来事だったと言えよう。
そんなことも有り、八早月は父のことを死人だの幽霊だのと言って邪険にしているのだ。
「では八早月様、今朝も北から参りましょうか。
お手を失礼いたします」
「はい、お願いしますね。
西側に僅かですが不穏なな気配を感じます。
心して参りましょう」
「かしこまりました」
真宵が八早月の手を握り空へ向かって走り出すと、その両脚は宙を蹴って飛ぶように進んでいく。八早月も真宵の力を借りて同じように空へと歩みを進めていた。二人はいつものように担当範囲を回って行く。まずは北へ行き、次は左回りに西南東と回って中央の自宅へと戻るルートだ。
しかし今朝はすんなりと行きそうにない。それは出発前に真宵へ伝えた通り西になにやら妖の気配があったからである。
「真宵さん、あそこです、林が少し開けたところ。
人はいないようですが空間に乱れがありますね」
「かしこまりました、降りてみましょう。
念のため背中へお回り下さい」
言われた通り、八早月は真宵の背へと回って背負ってもらった。まるで赤子扱いだが、呼士にとっては十二歳も赤子も誤差の範囲と言えそうだ。
強い気配を探して辺りを見回していると、林の中に悪しき存在が確認できた。この気配を検知する力は八岐大蛇に贄として捧げられた女贄と呼ばれる巫の力によるものだ。そのため呼士である真宵に同じことは出来ない。
「ああ、ありました。
右手の奥の木に打ちこんでありますね、注意してくださいな」
「それではここでお待ちください。
恨みでしょうか?」
「わかりませんが、それほど強い念ではありません。
取り憑くものではなく邪魔をするタイプでしょう、失恋とか?」
「なるほど、それでは行って参ります」
真宵は腰の刀を抜いて対象へと近づいていく。確かにその木には釘が打ちこんであり、その釘はどこかの神社のお守りを貫いていた。真宵はその釘に手をかけ、まるで相手が糠床であるかのように簡単に引き抜いた。釘を手に持ったまま貫かれたお守りを静かに引き抜く。
その瞬間、風景が揺らいだように見えてから、もやもやした黒っぽい影のような何者かが真宵へと襲い掛かった。
「参る! お覚悟! はあっ!」
掛け声とともに垂直の剣筋一閃、もやのような妖は霧散して消えていった。
「さすが真宵さん、おつかれさまでした。
今回もかっこよかったですよ」
「いやはや、八早月様にそうおっしゃって頂くと照れてしまいます。
ではこちらを、やはり失恋だったかもしれません」
「そうですね、なんとなく逆恨みのような気配でした。
せっかくの恋愛成就のお守りがこんな姿になってかわいそうですね。
見回りの後にこのまま供養へ持っていきましょう」
「はい、それではお手を。
まだ肌寒いですから背に乗った方がよろしいかもしれません」
「それではお言葉に甘えさせていただきましょうか。
真宵さんのお背中は寝心地が良いですから眠ってしまうかもしれませんよ?」
「ふふふ、むしろ歓迎でございます。
八早月様は寺子屋通いでお疲れでしょうからね」
真宵はそう言うと、再び宙へと走り出していった。
もちろん当主を継いだ八歳のころから鍛錬は厳しくなると同時に、今と同じだけ当番もこなしてきたのですでに体は慣れている。だが本当にこれでいいのかという気持ちが湧いてきているのも事実だ。しかしその気持ちを内へと押し込んだ八早月は、顔を洗ってから担当地域の巡回へと向かう。
『行きましょうか、真宵さん。
今日もよろしくお願いします』
家の前で一人で立ち、しかしすぐそばに誰かがいることを確信し念じるように呟くと、傍らに美しい女性が現れた。年の頃は二十歳前後、長めの黒髪を後ろで束ね、半着に袴、つまり剣道着のようないでたちで腰には小太刀を差している。
彼女の名は真宵、櫛田家に伝わる神刃である『草薙剣 形代』を用いて八早月が作り出した霊体の剣士である。
八家の後継者は八歳になると八岐神社で八月八日に行われる大蛇舞祭で贄として八岐大蛇へと捧げられる。この儀式で神通力を授かり、神器である神刃から呼士と呼ばれる霊体の剣士を作り出せるようになるのだ。
八早月は八歳で父の跡を継ぎ櫛田家当主となったため、すでに四年は同じように巡回に出たり、妖討伐に参加したりしている。かと言って八家全ての後継者が八歳から実戦におもむくわけではなく、家督を継ぐまで数十年かけて鍛錬を積んで一人前となるのが通例だった。
しかし父である道八が病に倒れた際、医師とのすれ違いと自らの早とちりにより死期が近いと思い込み家督を譲ってしまったのだ。こうして継承の儀式を済ませてしまった元当主は今までの神通力を失い、一般人の鍛冶師として生きていくことになった。
どんな経緯であっても当主になったからには、八岐神社の影響下にあるこの地方一帯を守る責務が生じる。四十になったばかりと脂の乗った現役世代だったにもかかわらず当主を譲ってしまった父、そしてまだ幼い童女であったのに家督を継ぎ過酷な目に合う羽目になった八早月の双方にとって大変な出来事だったと言えよう。
そんなことも有り、八早月は父のことを死人だの幽霊だのと言って邪険にしているのだ。
「では八早月様、今朝も北から参りましょうか。
お手を失礼いたします」
「はい、お願いしますね。
西側に僅かですが不穏なな気配を感じます。
心して参りましょう」
「かしこまりました」
真宵が八早月の手を握り空へ向かって走り出すと、その両脚は宙を蹴って飛ぶように進んでいく。八早月も真宵の力を借りて同じように空へと歩みを進めていた。二人はいつものように担当範囲を回って行く。まずは北へ行き、次は左回りに西南東と回って中央の自宅へと戻るルートだ。
しかし今朝はすんなりと行きそうにない。それは出発前に真宵へ伝えた通り西になにやら妖の気配があったからである。
「真宵さん、あそこです、林が少し開けたところ。
人はいないようですが空間に乱れがありますね」
「かしこまりました、降りてみましょう。
念のため背中へお回り下さい」
言われた通り、八早月は真宵の背へと回って背負ってもらった。まるで赤子扱いだが、呼士にとっては十二歳も赤子も誤差の範囲と言えそうだ。
強い気配を探して辺りを見回していると、林の中に悪しき存在が確認できた。この気配を検知する力は八岐大蛇に贄として捧げられた女贄と呼ばれる巫の力によるものだ。そのため呼士である真宵に同じことは出来ない。
「ああ、ありました。
右手の奥の木に打ちこんでありますね、注意してくださいな」
「それではここでお待ちください。
恨みでしょうか?」
「わかりませんが、それほど強い念ではありません。
取り憑くものではなく邪魔をするタイプでしょう、失恋とか?」
「なるほど、それでは行って参ります」
真宵は腰の刀を抜いて対象へと近づいていく。確かにその木には釘が打ちこんであり、その釘はどこかの神社のお守りを貫いていた。真宵はその釘に手をかけ、まるで相手が糠床であるかのように簡単に引き抜いた。釘を手に持ったまま貫かれたお守りを静かに引き抜く。
その瞬間、風景が揺らいだように見えてから、もやもやした黒っぽい影のような何者かが真宵へと襲い掛かった。
「参る! お覚悟! はあっ!」
掛け声とともに垂直の剣筋一閃、もやのような妖は霧散して消えていった。
「さすが真宵さん、おつかれさまでした。
今回もかっこよかったですよ」
「いやはや、八早月様にそうおっしゃって頂くと照れてしまいます。
ではこちらを、やはり失恋だったかもしれません」
「そうですね、なんとなく逆恨みのような気配でした。
せっかくの恋愛成就のお守りがこんな姿になってかわいそうですね。
見回りの後にこのまま供養へ持っていきましょう」
「はい、それではお手を。
まだ肌寒いですから背に乗った方がよろしいかもしれません」
「それではお言葉に甘えさせていただきましょうか。
真宵さんのお背中は寝心地が良いですから眠ってしまうかもしれませんよ?」
「ふふふ、むしろ歓迎でございます。
八早月様は寺子屋通いでお疲れでしょうからね」
真宵はそう言うと、再び宙へと走り出していった。
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