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第七章 神無月(十月)
157.十月十七日 明け方 不穏な気配
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明日と明後日は中間テストである。妖討伐だの当主だのとやることの多い八早月であっても、現代に生きる中学生であることからは逃れられない。それでも日々のお役目は欠かすことが出来ず早朝から準備運動に精を出しているのは立派と言える。ただそれはテストと言う現実からの逃避行動とも言えた。
「八早月様、鍛錬はもちろん大切なのですが、明日からは中間考査がございます、
武芸同様とは行かずとも、多少は取り組んでおいた方がよろしいのではありませんか?」
「ですが真宵さん、付け焼刃では歯が立ちませんからね。
これまで重ねてきた成果を測ると共に、結果には素直に向き合うつもりです。
幸い英語以外はなんとかなるとの感触を得ているのですよ?」
「やはりドロシー殿に教わった方が良かったのではありませんか?
前回のように考査の結果を見て落ち込む八早月様を見たくはありませんから」
「心配してくれてありがとうございます。
ですが私は大丈夫、始めから出来ないことがわかっているのですからね。
英語ひとつ出来なくてもどうとでもなります、中間テストは五教科のみですから」
全然大丈夫ではないのだが、主にこうまで強く言われてしまっては真宵もこれ以上口出しは出来ない。きっと八早月にも考えがあるのだろうと思い込むことにして再び鍛錬の様子を眺めている。
ようやく空が白んで来た頃、八早月は木刀を立木へ立てかけて出発する素振りを見せた。それを受けて真宵が主へと歩み出ながら足元の運動靴を一瞥し安堵の表情である。もうだいぶ寒くなってきているはずで、足袋と草履では心配だとの進言が受け入れられて安心したのだ。
その八早月とて寒くないわけではなかったのだが、それよりも見栄えを重視したい年頃ではあった。いや、毎年のことなのだから年の頃とは無関係だ。とにかく幼きころからずっと一緒にいる真宵に少しでも近づきたくて、なにかと真似をしているのだから。
その結果、風邪でも引いてしまったら今よりもっと真宵にも心配を掛けてしまうし迷惑もかかってしまう。それくらいは理解できるからこそ今日からはスニーカーを履いて山歩きへ赴くことにしたと言うわけだ。
だが八早月が気付いていなかったことが一つあり、無病息災の力を持つ八岐大蛇の巫になったその時から、血縁全員がその加護を受けるため風邪をひくことは無くなった。とは言え暑さ寒さを感じなくなるわけではないので厚着が無意味などと言うことはない。
こうして体育の授業でしか履くことのないスニーカーの感触に戸惑いながら走りだす八早月、そして後に続く真宵が山道を下ってから二十分ほどのところで異変に気が付いた。
「真宵さん、気配を感じましたか? 先日とは別で明らかな妖ですね。
しかもこれは血の匂いでしょうか」
「はい、ですが殺気や敵意は感じません。
妖が怪我をして動けなくなっている? そんなことがあるのでしょうか」
「妖を初めとする常世の住人達は現世では霊体のはずですからありえませんね。
と言うことは何者かが怪我をしているところに妖もいるのでしょう。
それが人か獣かはわかりませんが、急を要する状況でないといいのですが」
同じ日の当番であるドロシーは単独行動となってしまうがいつもと同じ範囲の監視を継続してもらいつつ、気配を探る手が減るため十分注意するよう伝えた。今朝の監視当番を一人で任されたドロシーは信頼を勝ち取った気分になり大喜びである。
八早月にしてみればまだまだ頼りないドロシーだが、そうは言っても七草家当主であるからには相応の責任がついて回る。当主を束ねる者として妥協は出来ないものの、それでもドロシー本人が未熟であることを自認できていることについては評価していた。それでもこの程度のことを任せたくらいで喜ぶとは考えていなかったため少々戸惑ってもいたのだが……
次期筆頭としてなんでもできるようにと幼いころから厳しく育てられた八早月には、褒められて伸びる、任されて気持ちを強くする等の経験がない。そのため、根底には出来るまでやれば出来るはずという考えが有り、自分にも周囲にも厳しく接してきたのだ。
だが進学し中学生となって見聞が広がり新たな出会いを経て、今までにない価値観を知った。何より八岐大蛇より周囲を慮るよう諭されたことは大きかった。それらをふまえ、たまにはこうして任せてみるのも悪くない。
世間一般常識以外、すなわちお役目に関することなら完璧だと周囲に思わせている八早月であっても未だ成長途中なのである。
結果として行動の自由が叶った八早月と真宵は、迷わず血の匂いの出どこ、つまりは妖の気配へ向かって急ぐ。その場所に近くなってみると妖の気配は複数であることが分かった。それはごく微量の気配、人に悪さをするような者たちではなく自然神や森の民の類であると推察される。
では怪我をしているのは何者だろうか。怪我をした動物を介抱する自然神などあり得ないし人であるはずもない。自然物から産まれ出た彼らは自然の摂理を大切にし、怪我をした動物はおろか人にはむやみに近づかないからだ。
大体この珠に住まう数多の生物の中でただ一種、人類のみがその理から外れた存在なのは疑うべくもない。そしてその特異性こそが人類発展を推し進めたと言える。
だからこそ人間と自然の間には大きな溝があるのだが、今この場で起きている状況を整理して考えてみると怪我をした人間を救うべく自然神たちが奔走していると推察される。
万一それが事実だとしてもそれはそれでおかしな点もある。第一に八畑村がいくら山深いと言っても人里は存在するわけで、なにも自分たちで介抱や治療をする必要がない。
そしてもう一つ、ここ数日で行方不明になっている村人がいないことだ。日々八畑村や周辺の町村を見回りしている八家当主たちが行方不明の捜索に駆り出されることは珍しくない。
いつまでも足腰が達者だと思い込んでいる爺婆だけでなく、婿や嫁に来て日が浅く山道で迷ってしまった者が出ると八岐神社を通じて捜索依頼が届くのだ。過去には飼い犬や豚を捜すよう頼まれたこともあった。
では今向かっている先にいるのはどこの誰で、いったいどんな理由でやって来て怪我をしているのだろうか。空を駆ける二人がその理由を知るまであとわずか。
自然神と思われる気配がもし矮小な妖の場合には、その怪我人が迷子等ではなく喰われるためにさらわれてきた可能性もある。そう考えると猶予時間は少ないだろう。
先を急ごうと真宵の背へ乗っている八早月はじっと考え込みながら、その『あと数十秒』がとても長いと感じていた。
「八早月様、鍛錬はもちろん大切なのですが、明日からは中間考査がございます、
武芸同様とは行かずとも、多少は取り組んでおいた方がよろしいのではありませんか?」
「ですが真宵さん、付け焼刃では歯が立ちませんからね。
これまで重ねてきた成果を測ると共に、結果には素直に向き合うつもりです。
幸い英語以外はなんとかなるとの感触を得ているのですよ?」
「やはりドロシー殿に教わった方が良かったのではありませんか?
前回のように考査の結果を見て落ち込む八早月様を見たくはありませんから」
「心配してくれてありがとうございます。
ですが私は大丈夫、始めから出来ないことがわかっているのですからね。
英語ひとつ出来なくてもどうとでもなります、中間テストは五教科のみですから」
全然大丈夫ではないのだが、主にこうまで強く言われてしまっては真宵もこれ以上口出しは出来ない。きっと八早月にも考えがあるのだろうと思い込むことにして再び鍛錬の様子を眺めている。
ようやく空が白んで来た頃、八早月は木刀を立木へ立てかけて出発する素振りを見せた。それを受けて真宵が主へと歩み出ながら足元の運動靴を一瞥し安堵の表情である。もうだいぶ寒くなってきているはずで、足袋と草履では心配だとの進言が受け入れられて安心したのだ。
その八早月とて寒くないわけではなかったのだが、それよりも見栄えを重視したい年頃ではあった。いや、毎年のことなのだから年の頃とは無関係だ。とにかく幼きころからずっと一緒にいる真宵に少しでも近づきたくて、なにかと真似をしているのだから。
その結果、風邪でも引いてしまったら今よりもっと真宵にも心配を掛けてしまうし迷惑もかかってしまう。それくらいは理解できるからこそ今日からはスニーカーを履いて山歩きへ赴くことにしたと言うわけだ。
だが八早月が気付いていなかったことが一つあり、無病息災の力を持つ八岐大蛇の巫になったその時から、血縁全員がその加護を受けるため風邪をひくことは無くなった。とは言え暑さ寒さを感じなくなるわけではないので厚着が無意味などと言うことはない。
こうして体育の授業でしか履くことのないスニーカーの感触に戸惑いながら走りだす八早月、そして後に続く真宵が山道を下ってから二十分ほどのところで異変に気が付いた。
「真宵さん、気配を感じましたか? 先日とは別で明らかな妖ですね。
しかもこれは血の匂いでしょうか」
「はい、ですが殺気や敵意は感じません。
妖が怪我をして動けなくなっている? そんなことがあるのでしょうか」
「妖を初めとする常世の住人達は現世では霊体のはずですからありえませんね。
と言うことは何者かが怪我をしているところに妖もいるのでしょう。
それが人か獣かはわかりませんが、急を要する状況でないといいのですが」
同じ日の当番であるドロシーは単独行動となってしまうがいつもと同じ範囲の監視を継続してもらいつつ、気配を探る手が減るため十分注意するよう伝えた。今朝の監視当番を一人で任されたドロシーは信頼を勝ち取った気分になり大喜びである。
八早月にしてみればまだまだ頼りないドロシーだが、そうは言っても七草家当主であるからには相応の責任がついて回る。当主を束ねる者として妥協は出来ないものの、それでもドロシー本人が未熟であることを自認できていることについては評価していた。それでもこの程度のことを任せたくらいで喜ぶとは考えていなかったため少々戸惑ってもいたのだが……
次期筆頭としてなんでもできるようにと幼いころから厳しく育てられた八早月には、褒められて伸びる、任されて気持ちを強くする等の経験がない。そのため、根底には出来るまでやれば出来るはずという考えが有り、自分にも周囲にも厳しく接してきたのだ。
だが進学し中学生となって見聞が広がり新たな出会いを経て、今までにない価値観を知った。何より八岐大蛇より周囲を慮るよう諭されたことは大きかった。それらをふまえ、たまにはこうして任せてみるのも悪くない。
世間一般常識以外、すなわちお役目に関することなら完璧だと周囲に思わせている八早月であっても未だ成長途中なのである。
結果として行動の自由が叶った八早月と真宵は、迷わず血の匂いの出どこ、つまりは妖の気配へ向かって急ぐ。その場所に近くなってみると妖の気配は複数であることが分かった。それはごく微量の気配、人に悪さをするような者たちではなく自然神や森の民の類であると推察される。
では怪我をしているのは何者だろうか。怪我をした動物を介抱する自然神などあり得ないし人であるはずもない。自然物から産まれ出た彼らは自然の摂理を大切にし、怪我をした動物はおろか人にはむやみに近づかないからだ。
大体この珠に住まう数多の生物の中でただ一種、人類のみがその理から外れた存在なのは疑うべくもない。そしてその特異性こそが人類発展を推し進めたと言える。
だからこそ人間と自然の間には大きな溝があるのだが、今この場で起きている状況を整理して考えてみると怪我をした人間を救うべく自然神たちが奔走していると推察される。
万一それが事実だとしてもそれはそれでおかしな点もある。第一に八畑村がいくら山深いと言っても人里は存在するわけで、なにも自分たちで介抱や治療をする必要がない。
そしてもう一つ、ここ数日で行方不明になっている村人がいないことだ。日々八畑村や周辺の町村を見回りしている八家当主たちが行方不明の捜索に駆り出されることは珍しくない。
いつまでも足腰が達者だと思い込んでいる爺婆だけでなく、婿や嫁に来て日が浅く山道で迷ってしまった者が出ると八岐神社を通じて捜索依頼が届くのだ。過去には飼い犬や豚を捜すよう頼まれたこともあった。
では今向かっている先にいるのはどこの誰で、いったいどんな理由でやって来て怪我をしているのだろうか。空を駆ける二人がその理由を知るまであとわずか。
自然神と思われる気配がもし矮小な妖の場合には、その怪我人が迷子等ではなく喰われるためにさらわれてきた可能性もある。そう考えると猶予時間は少ないだろう。
先を急ごうと真宵の背へ乗っている八早月はじっと考え込みながら、その『あと数十秒』がとても長いと感じていた。
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