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第七章 神無月(十月)

156.十月十五日 早朝 儀式場での秘め事

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 前日に宿の口車に乗り道八をお役目へ駆り出してしまったことを、八早月は今更悔いていた。元は八家を納めていた筆頭当主であった父も今では妖の気配がわかるだけでなんの力もないただの鍛冶師である。

 気配を感じたらその地点を記録するだけなので危険性はないのだが、元は妖討伐を行っていた身、妖を見つけた場合に黙って引き下がることができるだろうか。あんな男でも父であり母の愛する人なのだからどうなっても良いなどとは当然思っていない。

 だからと言って、幼い凪と求にも手伝わせている手前、妖と対峙した経験のある中年男を遊ばせているのは癪である。そしてこの心配を解決するために八早月には一つの案があり、お役目の途中にこっそりこの場へやって来ていた。

『本当によろしいのですじゃ?
 お呼び立てしたくらいでお怒りになることはないと思いますじゃが……』

『構いませんよ、お叱りなら私が受けますから問題ありません。
 それに彼にまだ力が眠っていると言ったのはあなた方ではありませんか』

『それを申し上げたのはわらわではございませぬのじゃ!
 神通力を量れるのはみくず殿だけなのじゃ!
 だからわらわには何の責もないのじゃ!』

『誰もみいさんのことを責めたりはしませんから安心してください。
 ただ八岐大蛇様を呼べるのはあなただけなのですからお願いです。
 いらっしゃった後は私が全てお話しますから問題ないでしょう?』

 自分の為には畏れもせずに神を呼びだした巳女みめだったが、さすがに今回は渋っている。それもそのはずで、八早月は元八岐贄である道八へ藻の力を授けるべく許可を取ろうとしているのだ。

 地球史原初まで遡れば、藻だけでなく全ての神使は最初の神の一人である八岐大蛇へたどり着くのかもしれないが、それでもこの願いは神の使いとしての立場を鞍替えをするようなもの。巳女はそんな畏れ多いことに関わって許されるのか不安を感じていた。

『八岐大蛇様はきっと許してくださいますよ?
 相当心の広い方でなければこんな小さな村落、とうに見捨てたでしょうに。
 それともこの八畑村に残りたい理由でもあったのかしら。
 例えば初代様を好いていたとか?』

『ひええええ、畏れ多すぎますのじゃ。
 始祖神である八岐大蛇様が人間如きに恋情を持つなど考えられないのじゃ。
 やはりわらわは恐ろしくてお声掛けできぬの蛇』

 巳女は今にも泡を吹いて倒れそうな勢いで声を震わせている。八早月にしてみれば、夢路から最近借りた少女漫画で人と獣人とが恋に落ちる話を読んだばかりで影響を受けている真っ最中なだけと言う単純な理由だ。

『八早月様、私もさすがに今のは下品な発言だったと考えます。
 その…… 確かに漫画と言うものは刺激的で楽しいのですが……』

『ふふふ、真宵さんも意外に夢中になっていましたものね。
 夢路さん曰く、少女漫画は乙女のたしなみらしいですよ?
 巳さんも今度一緒に読んでみましょう』

『それはそれ、これはこれ、今は今ですのじゃ。
 ううう、わらわは蛇だと言うのに鳥肌が立つ思いですじゃ』

 その時話に割り込んでくる追加の参加者が現れた。

『さて謀り事相談はいつまで続くなり?
 いま待ちこうじ待ち疲れてに帰らむやなづめれどぞ悩んでいるのだがな
 我もかく見えこう見えて暇ならぬぞ?』

『ひええええ! わらわはお止めしておるのですじゃ。
 大蛇様に失礼の無いようにと主様へ進言しているところですのでお待ちを……』

『かまはぬ、やむごとなき大切な我の贄たる少女の願ひ。
 まづは聞ある聞いてみることにせずや。
 すべてははばかりなく遠慮なく申すべし』

 思いがけぬ八岐大蛇の登場に巳女は畏れおののいたが八早月は大喜びである。そう言えば以前会った時には願えば夢枕へ立つとも言っていたことを思い出す。もしかしたら巳女の力を頼らずとも夢の中で願うことが出来たかもしれないとも考えた。

 八岐大蛇にしてみれば、頭上で配下が騒いでいれば気付くのも当然。それにどうやら自分に用があるとの話し声まで聞こえてくるのだ。だが最大の理由は八早月が発した一つの言葉にあった。

 話の中でたまたま出たこととはいえ、初代の贄について触れるとは驚くべきことであり警戒すべきことだった。別に危ないと言うわけではなく、事あるごとに子孫に会いたがっている初代の『お櫛』が現在の当主である八早月との結び付きを得たら一体何をしでかすかわからない。

 悪さをすることはないだろうが、それはもう好き勝手に遊び呆けるに違いないと大蛇は心配していた。もしも八早月がその存在を意識し、初代と精神の繋がりを得てしまったら大ごとである。

 お櫛が没して祀られてから二千年以上が経ち、すでに土着神として力を得ているわけだが、あくまで八岐大蛇に仕える立場であることは変わっていない。そのため自由に地上へ出ることを許さず、地域の結界を保つためにその力を使わせているのだ。

 それが解き放たれていなくなってしまったら、結界の維持が今まで通りとはいかなくなるだろう。その穴埋めをするのは間違いなく八岐大蛇であり、これ以上力を使うことになったら地上の様子を知ることも難しくなる。

 そう、結局は八岐大蛇もお櫛も娯楽を求めているに等しい。大層なことを考えているようでその実似た者同士なのであった。だがそんな俗な一面があることを現世の人間が知るはずもなく、皆は懸命に崇めていると言うわけだ。

 そしてそのなにも知らない一族の代表である八早月は本題を切り出した。

「八岐大蛇様、再びこうしてお目にかかれたこと嬉しく存じます。
 実は現在正体不明の輩が当地方を伺っている気配がございます。
 何とか正体を突き止めようと考えておるのですが人手が足りません。
 そこで私の父で前筆頭当主である道八へ再び力を授けられないかと考えました」

『げに、そはをかしき案面白い考えになありそ。
 されど我が尾はいまさながら全て使ひたれば使っているから何も授けられず。
 さればいかなる案があひて我呼びいだしけり我を呼び出したのだ?』

「はい、畏れながら申し上げます。
 以前お許しいただきましたように私には二柱ふたはしらの神使が宿っております。
 そのどちらかの力を使うことは出来ないかと考えました。
 ですが私めは八岐大蛇様の贄、勝手は許されないとご相談に参った次第です」

『ふむ、そはよき心がけなり。
 されどされど、そなたに宿りし神使どもは意思を以は従ふらむ?
 なんの気兼ねもせず自在好きにすべきなり、それを無礼とは考へず』

「そのようなお言葉、ありがたき幸せにございます。
 本来なら八岐大蛇様のお役に立つのが筋、力不足申し訳ございません。
 そうだ、ついでで申し訳ないのですが他にもお願いがございます」

『我呼び出しおきてたよりありついであるとはいとをかし。
 そなたはやむごとなき我が贄、なになりと申すべし』

「畏れながら申し上げます。
 私に仕えてくれているこの巳女ですが、一人だけ蛇の姿でございます。
 当人は不満を感じていませんが、仲間外れにしているように感じてしまうのです。
 人の形を持たせることは出来ないでしょうか。
 それともう一つ、先日牛頭天王の遣いに会いました。
 彼はもはや役目を果たしたので常世へ帰りたいと申しております。
 浄化させれば願いが叶うのかお教えください」

『ふむ、まづは牛の子につくとも、かの場の邪気はとうに消えたり。
 あらましごと希望通りにをさをさきちんと魂抜きすることなり。
 さるほどに、問ひは巳女の体につくとも……
 正直言ひて我に人を作る力はあらぬなり、この土地の人どもは貰ひものにぞ。
 ゼウスと言ひきや? 人を作りし神と換へしぞ。
 あやつめ、我が作りし蛇に手足なしとぞ興じて面白がってな
 おのれの住まひへぐして連れて帰りゆききよ』

「それではどうすればいいのでしょうか。
 まさか日本に人間が元々いなかったことにも驚きました」

『よきや、人は別の神が作りたれど我は気付かなり。
 多少の違ひはあれどほぼ同じさまなりしぞ。
 そやつに頼むとするや、伊邪那岐イザナギ伊邪那美イザナミと言ふ夫婦神なり』

「ですが八岐大蛇様、その二柱の神々はすでに離縁なされているのでは?
 現代に伝わる神話ではそのように残されております」

『なに? あやつら袂を別やおりし。
 ではせむかたなき、そなたがつちくれあたりより作るべし。
 形だにあらばあとは我がなにともせむなんとでもしてやろう

 こうして道八へ力を授ける件だけでなく、牛塚の魂抜きの許可も取れた。しかし巳女の体についてはおかしなことになってしまい困惑する八早月であった。
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