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第3章

第3話、スライムの木

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 夕焼け時、カラスによく似た黒い鳥が羽ばたきながらカーカー鳴いていく。
 塀に腰掛ける俺は隣で身を寄せて座るアズの手を、誰にも気づかれないよう僅かに二、三度引っ張る。
 そこでこちらへ顔を向けたアズは、俺と顔を見合わせるとコクリと静かに頷いた。

 敵の襲撃、それは想定内の事態である。
 もし仮にそうなれば、予めこうしようと考えていたのだ。
 俺たちは無言で立ち上がると、予定通りこちらへ視線を送る者をおびき出すために路地裏へ入っていく。
 しかしそれから暫く進んで歩いたのだけど、一向に誰も姿を現さない。

 少し露骨すぎたかな?
 そんな事を考えていると手を繋ぐアズが急に足を止める。
 そのため気づくのが遅れた俺は顎が上がり首がグキッとなる。
 アタタッと痛めた首を手でさすっていると、俺の腰にアズの腕が両サイドから回され抱きつかれたため、俺の胸にアズの顔が埋もれる形に。

「ちょっ、なんで!? 」

 身を揺らし離れようとする俺に対してアズはガッチリ抱きついているため、不意によろけてしまい俺は背中から路地の壁に当たってしまった。
 そしてギュッと抱きしめてくるアズが顔を見上げる形でその小さな顎を俺の肩に乗せたため、俺の耳が間近で暖かい吐息を感じ始める。

「演技をするわよ」

 耳元で囁かれた突然のその言葉に思考が追いつかない。

「えっ、演技? 」

「そうよ」

「なっ、なんのぉおっ! 」

 俺の質問が終わる前に、アズの柔らかな唇が俺の首筋に当てられた。

「こいびぃと」

 そして遅れてきた返答は、俺の首をハムハムしながらのためくぐもっていた。
 こっ、これは全くの想定外の展開である。

『ガタタッ』

 そこで物音。
 そして物音がした方を見れば、路地の物陰からフードを目深に被った、どことなくネズミを連想させるような小柄で痩せ細ったシルエットの男が立っていた。
 小男は何かを探すように首を左右に振ったのちにこちらを見据える。

「抱きつきあってなにしてんですかね?
 それよりあのバカ強い戦闘メイドはいねぇようですね」

 そこで俺から引き離されたアズが頬っぺたを膨らませる中こちらも他に気配がないかさぐってみる。
 しかし小男以外どこにも違和感を感じない。
 今回はこの男一人のようだ。
 やっぱりお礼参りとか、復讐とか、人間相手ではよくあるその手の要件で現れたのだろうけど、それならなぜここに一人で現れたのだろうか?
 そうこう考えていると、突然小男がキヒヒヒッと甲高い声で笑い出す。

「しかし呑気に街中を歩いてるだなんて、探す手間がはぶけやしたよ」

 今回は対話のために現れたのかな?
 そしてこの癖のありそうな男、この人との因縁を語るには、昨日のダンジョン攻略直後、ヴィクトリアさんと別れてからの話をしなくてはいけないだろう。


 ◆


 ぷはー、生き返る!

 両手で掬った心地よい冷たさの水で口を潤した俺は、手持ちの水筒で小川の水を汲む。
 そして一人では動けないでいる真琴が休んでいる、目と鼻の先にある岩場まで足を向けた。

 俺たちは現在、日本で一番有名なスタジオが製作した、犬の化け物に育てられた姫様が出る作品の中で首が小刻みに震える精霊たちが住んでいる、屋久島のような深い森の中に来ていた。
 その森の中には緩やかに流れる小川があり、現在そのほとりで小休憩をしているのだ。

 しかしこんなに走ったのは生まれて初めてかもしれない。
 ヴィクトリアさんが『老紳士の仲間がくるから、ダンジョンからすぐに離れたほうがよろしいかと』と提案してきた時は焦ったけど、アズの専属メイドさんであるクロさんに先導され知る人ぞ知る獣道を進んで来たおかげで、追っ手をうまくまけたのではないかなと思う。

「真琴、口開けて」

「うん」

 真琴の口元に水筒を押し当て、真琴の反応を見ながら僅かに傾けては戻すを繰り返していく。

「役立たずでごめんね」

 真琴が唐突に、俺を見上げながらに言った。

「なに言ってるんだよ?
 真琴がいたからあの屍主《しかばねぬし》を撃破出来たんだから、全然気にする必要ないよ」

「うぅん、ボクがもっと強ければ——」

「真琴には助けて貰ってばかりだから、俺の方こそもっと役に立てるように頑張るよ!
 だから元気だして! 」

「……うん、ありがと」

 それから真琴の喉が完全に潤ったのを見計らい、予備用のために再度小川へ脚を運ぶ。
 そして水を水筒に補給していると、近くで同じく腰を曲げ水を汲んでいるアズと目があった。

「ヴィクトリアさんは大丈夫かな? 」

 何気無しにふと出た俺の言葉に対して、アズは長い銀髪を耳にかけながらやれやれと言った表情を浮かべる。

「ほんとあんたはなにもわかってないわね。
 あのヴィクトリアが大丈夫じゃない事なんて、想像出来るの? 」

「まぁ、たしかにそうなんだけど」

 全力の真琴とアズの戦いを涼しい顔で止めてしまうヴィクトリアさんだから、なにかが起こるなんてあり得ないのは理解出来ている。
 でも走ってる最中にこけてしまい泥だらけになったヴィクトリアさんの姿が変に頭に残ってしまっており、それからずっと胸騒ぎがおさまらないでいたりもする。

「どうせいつものように、ひょっこり現れるに決まってるわ」

「お嬢様、ユウトさん! 」

 両耳を黒髪の中からピンと上に立てているクロさんが、木々の先を見据えながらアズと俺の名を呼んだ。

「ほらみなさい」

 こちらへ向かう人影を確認したアズが、腰に手を当て小さな胸を張ると誇らしげに言った。
 そう、こちらへスタスタ歩いてきているのは、いつものヴィクトリアさんであった。
 ただいつもと違うのは、俺の白濁球ぐらいの大きさの青く透き通った球体を、胸のあたりまで掲げ手の平上にプカプカ浮かせているぐらいである。

 そんなヴィクトリアさんは俺と目が合うと、青い球体を一瞬で消し去りいつものように黒縁メガネをクイクイ上げ下げしだした。

「ユウト様、ただいま戻りました」

「なんか、今生の別れみたいな感じがしてならなかったんですけど、また会えてよかったです」

「ユウト様は大袈裟ですね」

 そう言って苦笑するヴィクトリアさん。
 でもなんだろう?
 なぜか不安な気持ちは依然、心の奥底に引っかかったままだったりする。
 でも現にヴィクトリアさんはここにいるわけだから、この気持ちは気の所為なんだろうけど。

 あれ?
 俺の意思とは裏腹に、大胆な切れ目の入ったスカートから覗く細く長い脚部についつい目がいってしまっていたのだけど、そこでなにか違和感を。

 ……これは!?
 それによくよく見れば首や鎖骨とかにも。

「ヴィクトリアさん、日焼けしました? 」

 自分で言っておかしい事に気がつく。
 こんな短期間で日焼けするわけはなく……、まっまさか!?

「いえ、日焼けではありません。
 列席者、あの老紳士と同質の存在を排除してきたのですが、その時に断罪の縛りが私に発動しまして」

「えっ、てことは!? 」

「はい、いまの私は人間です」

 ヴィクトリアさんは衝撃の事実をさらりと述べた。
 そしてようは、陰で俺たちを助けてくれた事になるわけで——

「ヴィクトリアさん、その怪我とかは大丈夫ですか? 」

「はい、問題ありません。ただ今晩までにユウト様の白濁液を、塗り込みして頂ければ」

「わかりました、今晩ですね!
 ……それと俺たちの知らないところで助けて下さったんですよね?
 ありがとうございました! 」

 でもこれが先程から感じていた不安の正体だったのか。
 ヴィクトリアさんが人間になってしまったのは一大事ではあるのだけど、それより無事帰ってきてくれた事に対しての安心した気持ちが多くを占める。

「もしかして、いえ、こんな事が!? 」

 とそこで、なんの脈略もなくすぐ近くで声が上がった。
 声を発したのはクロさんであったのだが、その疑うような口ぶり、しかしそれでいて何かを期待するかのようなうわずんだ声色は、自ずと皆んなの視線を集める事に。

 そんな視線を浴びる中、彼女は先程から川の流れへ視線を向けたままで微動だにしない。
 そしてクロさんの視線が川の流れと一緒に奥から手前へ移動していき、真下付近に来た時に川へと素早く手が伸びた!

『パシャッ』

 その手に掴まれていたのは一枚の花びらであった。クロさんはその花を顔に近づけると鼻をクンクン鳴らす。

「クロさん、それは? 」

「……上流にスライムの木があるかもしれません! 」

「えっ? 」

 聞き間違い?
 とにかく想像の範疇を超えた言葉のため、全然頭に入ってこないです。

「スライムの木、ですか? 」

「はい、スライムの木です」

 聞き違いではなかった。
 しかしスライムの木とは、まんまスライムで出来た木なのかな?
 それともスライムが好む匂いとかがするため、沢山のスライムが集まる木とか?

「皆さん、ちょっと確かめてきます」

 そう言い一人川の上流へ向かい進み出すクロさん。
 俺はというと、好奇心がまさり自然とクロさんの後を追っていた。

 川に沿って移動していると、途中から地面の草木が岩肌に変わり、川の傾斜もかなりきつくなってきた。
 そして段差を上がり滝になっているところをクロさんの手をかり登っていくと、それはそこにあった。

 岩肌の切れ目から伸びていたのは、俺の背丈より少し高い二メートル弱の一本の若い木であった。
 枝が三本生えており、その内の二本には花が各々一輪づつ咲いている。
 そして上を向く花の真ん中には黄色いゼリー状の液体があり、それはまるで花のお皿に乗せられたデザートのようでもあった。

 同じくそれを目の当たりにしたクロさんは、固唾を飲んだあと遠い目をする。
 そしてナレーションのような語り口で語り始める。

「その木には、スライムの実が生るという。
 豊かな養分を含んだ大地が硬い岩盤を突き破る力となり、透き通る程の硬水がデリケートな味を作り出す決めてのスパイスとなる」

 説明を続けるクロさんの瞳は輝いている。

「五大高級食材の一つに数えられるスライムの木は、『等価交換の美食王フラントビュア』のフルコースのデザートに選ばれた事で、その存在を周知に知らしめる事に。
 噛めば噛むほど弾力性を増すと共に多種多様な甘みに変化をし、気に入った甘みですするようにして喉に通せば、その甘みとほのかな香りが鼻孔を抜けると同時に旨味成分が身体中を駆け巡る。
 そのためスライムの木に生る実を一口食べれば、その変幻自在な味にたちまち虜になると言われるが、限られた人しか食べられない一級品であるため値が釣り上がることはよくある事である」

 クロさんの説明はまだまだ続きそうです。

「また取り込んだ物を溶かすスライムの特性も備わっており、口内の歯間《しかん》や歯茎に残る歯垢《しこう》、歯石だけを溶かし清潔な状態にしてしまう。
 さらに滋養強壮にも効き催淫薬としても優秀なため、時の王はこれを惚れ薬として使用していた事も有名である。
 ……実に素晴らしい」

 そこでクロさんの目の焦点が定まってきたため、こちら側へと戻ってきたようです。

「スライムの木ってここらを探せばたくさんあるのですか? 」

「いえ、現在このスライムの木が育つのは迷いの森の深部だとされているのですが、半世紀前から迷いの森の殆どが国立指定地域に指定されたため、一般人では調達する事が容易ではなくなっています。
 ……それが迷いの森が近くにあるとは言え、こんなところで」

「もしかしたら恵みの恩恵の影響ですか? 」

「なるほど、そうかもしれませんね!
 光の波が押し寄せた後、草木が一気に生えていきましたからね! 」

 そこでフツフツと疑問が湧いて出てきた。

「あの、食材ってことですけど、それはほっておいたらモンスターになるのですか? 」

「それはありません。
 スライムの名が付いてはいますが、厳密には雨降りの森とかに現れるスライムとは全くの別物で、これらがモンスターになることはないです」

「そうなんですねー」

 クロさんはスライムの木の前にひざまづくと、リュックから小瓶を取り出し蓋を開けた。
 そして同じくリュックから取り出したスプーンをにぎると、スライムをかき集め瓶の中に入れ始める。

「それ持ってかえるんですよね?
 どうするのですか? 」

「売ります!
 これはお金が生る木なのです! 」

「それなら木ごと持って帰ったらダメなのですか? 」

「はい、土ごと運んだとしてもすぐに枯れてしまいますし、お花は触るとすぐ散ってしまうので、継続して採取出来ないので一輪から取れるスライムの量はほんの僅かになっちゃうのです」

 そうして二瓶分のスライムを採取した俺たちは真琴たちと合流、そこでスライムの木についての報告を行なう。
 そこからは先ほどと同じように真琴をおんぶしながら森を抜け、目的地を変更してクルサスの街へと辿り着いていた。

 冒険者たるもの、街に着けば宿屋探し。
 と言う事で大通りを進む俺たちは、目に付いた一軒の宿屋へ入りチェックインを行なっている。

「真琴は俺と、一緒なんだよね? 」

「当たり前じゃないか! 」

「……わかった」

 平静を保つため深呼吸を何度かした。
 しかし背中に引っ付いている真琴もドキドキしているようで、それが伝播して俺の心臓の鼓動のペースを早めている。

「えーと、アズはクロさんと一緒の部屋で良いとして、ヴィクトリアさんは個室の方がいいですか? 」

「はい、お願いします」

「ユウトさん」

 そこでクロさんから声がかかる。

「どうされました? 」

「例の物を売りに行くついでに、少し早目に出て買い物もしようと思うのですけど、ユウトさんはどうされます? この街なら来たことがあるので、だいたいのお店は案内出来ると思います」

「そうですね、そしたら俺もクロさんのような大きなリュックとか探してみたいんで、ご一緒してもいいですか? 」

「もちろんです! でしたら用意が出来たらロビーに集合と言う事で」

「わかりました」

 そこで何故だかふと気になり、ヴィクトリアさんをチラ見してみる。
 すると彼女が尻餅をつくちょうどその時であった。

「ヴィクトリアさん、大丈夫ですか!? 」

 俺はロビーの床に正座を崩した、所謂女の子座りをして俯いているヴィクトリアさんを覗き込む。すると彼女は口を結び苦しさに耐えていた。
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