夜明けを待つ鳥

世夜美沢よよ子

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揺れ動くこころ

進歩

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それでも、手を伸ばした

初めて会った日からいつのまにかが過ぎていた。

季節が一つ、確実に入れ替わるだけの時間。
傅にとっては、数え切れないほど同じ夜を繰り返した時間でもあった。

連絡は相変わらず簡潔で、
金額と日時と場所だけが並ぶ。
感情の入り込む余白は、最初から最後まで与えられなかった。

それでも、鷹宮幸雄は

行為は、いつも通りだった。
言葉は少なく、余計な視線は交わさない。
互いに慣れた身体の距離だけが、淡々と進行していく。

終わったあとも、変わらない。
傅は背を向け、幸雄は身支度をする。
その繰り返し。

――今日も、何事もなく終わるはずだった。

「……傅くん」

呼ばれて、わずかに肩が揺れる。
名前を呼ばれること自体は、珍しくない。
だが、声の調子が少し違った。

「その腕」

幸雄の視線が、傅の左腕に向いていた。

傅は一瞬、意味が分からず、
それから遅れて気づく。

シャツを羽織る前、
無意識に袖をまくったままだった。

細い白い腕。
そこに、消えきらない線リストカットの跡が幾重にも残っている。

空気が止まる。

幸雄は、確認するように一歩近づいた。
そして、ためらうように手を伸ばし、
指先で、そっと触れた。

触れられた瞬間、傅の喉が鳴る。

「……何?」

責める声音ではなかった。
本当に、ただの疑問。

傅は、少し困ったように笑った。

「ああ……これ」

隠す気は、なぜか起きなかった。

。ごめんね」

あまりにも自然に出た言葉だった。
何度も、何度も言われてきた言葉。
言われる前に、先回りして差し出すための言葉。

幸雄は、そのまましばらく黙っていた。

傅は、次に来る反応を待つ。
視線を逸らされるか、
軽く謝られて、話題を変えられるか。

――そういうものだ。

だが、幸雄は違った。

「……気持ち悪い、なんて」

低く、噛みしめるような声だった。

「そんなこと、思わなかった」

傅は、ゆっくり顔を上げる。

幸雄の表情は、困惑に近い。
嫌悪ではなく、戸惑い。
そして、その奥にあるのは――心配だった。

「何を抱えているんだろう、って思っただけだ」

「大丈夫なのかって」

その言葉に、傅は一瞬、息の仕方を忘れた。

心配。
その感情を向けられたのは、いつぶりだろう。

幸雄は、視線を傅の腕から外し、
少しだけ遠くを見るようにして続けた。

「……私にはね」

静かな告白だった。

「君と同じ歳のがいる」

傅の胸が、きゅっと縮む。

「もう大人だが……それでも、な」

幸雄は小さく笑った。

「こういう傷を見ると、どうしても重ねてしまう」

「守れなかったのは私が弱かったからだとか……余計なことを考える」

言い訳のようでもあり、
それ以上に、正直な言葉だった。

「だから、ただ……少し、心配しただけさ」

部屋に、静寂が落ちる。

傅は、何も言えなかった。
代わりに、胸の奥がじんわりと熱くなる。

――この人は、
――俺を「問題」だと思わなかった。

汚れでも、異物でもなく。
ただ、心配した。

それだけで、十分だった。

「……

気づいたら、そう口にしていた。

「そう言ってもらえるの、久しぶりで」

幸雄は、驚いたように傅を見る。

傅は、目を逸らしながら、続けた。

「俺……たぶん」

言葉を探す。

「誰かに、受け入れてもらえるって思ったこと、あんまりなくて」

声が、少し震えた。

「でも……」

幸雄は、何も言わずに聞いていた。
遮らず、評価せず。

そして、少し間を置いてから、静かに言った。

「……

傅は、顔を上げる。

「ここじゃない何処かところで、」

「ただ……一緒に飯でも食って、休めばいい」

提案だった。
命令でも、施しでもない。

傅は、驚くほど迷わなかった。

考える前に、答えが出ていた。

「行きます」

即答だった。

幸雄は、わずかに目を見開き、
それから、ゆっくりと頷いた。

その仕草を見て、傅は確信する。

――ああ、ここからだ。

金の客でも、
何も求めない関係でもない。

名前を呼び、
傷に触れ、
心配してくれる人との関係。

彼らの恋は、
この夜、この静かな選択から始まるのだ。
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