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本編
母の亡霊
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「⋯⋯姫様、うちの、ヒースとミスティが、お邪魔していると、聞いたのですが⋯⋯。」
荒く息を切らしたジェームズさんが、ノックもせずに入室してきた。
「ジェームズ!」
「ああ、サリもいたね。良かった。」
見知った大人の登場で、クララベルの声の調子が一瞬あがる。
しかし、先程の会話を思い出したのか、クララベルはがっくりと肩を落とす。
「⋯⋯いえ、ジェームズもヒースと同じなのよね。」
「はい?姫様、何の事ですか?」
カヤロナ家と何事かやり取りをしてきたのだろう、ジェームズさんの機嫌は良いとは言えなさそうだ。
「ジェームズ、もういいの。いろいろと分かったから。
金輪際、私の我儘に付き合う必要は無いわ。
⋯⋯この忌々しい赤毛と同じ色彩の妻が大大大好きなんですってね?!
私に付き合わされ、家に帰れずに、さぞ迷惑だったでしょうね。」
クララベルはむくれている。
明らかに除け者にされたときのむくれ方だ。
ジェームズさんは顔に不自然な笑みを浮かべたまま、首だけを動かしてミスティの方を向く。
「⋯⋯ミスティ、姫様に何を言ったんだい?」
「父さんの家でのだらしない様子を赤裸々に暴露したまでだけど?
いつまでも理想の父親像だとかカッコ付けてないで、姫様に現実を教えてやったほうがいいよ。」
今度は完全にいつものジェームズさんの感じで、甲高くミスティに声を荒げる。
「ええ?!膝枕してもらって本読んでる事とか?」
「⋯⋯父さん、まだそんなことしてるの?」
ミスティも若干引き気味だ。
「⋯⋯ああ、なんだ、それは言ってないんだ?」
今バレましたけどね。
何を思って姫様の前で格好良く取り繕っていたのか、その方が気になるわ。
「だいたい、ジェームズは私にバロッキー家の話はおろか、妻や息子の話もろくにした事が無いじゃない!」
「姫様がそういう話はお好きではないのだと思いまして。
それに、私はもともと、取り澄まさなければ外での活動が困難な性分で。」
「外でだけカッコつけてるから、うちに帰ってきてだらけるんじゃないの?」
息子の的確な突っ込みに、大人げなく口を尖らす。
「ミスティは黙っててよ。
僕はね、お仕事している間ぐらいはちゃんとかっこいいお父さん役を務めることにしてるんだから!」
なるほど、家族に恵まれないクララベルにお父さん役を買って出た、というような所だろう。
「⋯⋯もう、そういうのは結構よ。」
クララベルもジェームズの意図が理解できたのだろう。
複雑そうに眉をひそめている。
「私、もう、そんな子どもじゃないわ。」
幼い頃のクララベルは、それはもう愛らしかったに違いない。
竜が美しく不憫な子どもに、庇護欲をくすぐられないはずがない。
クララベルは我儘に育った、しかし人として大切な最後の一線は越えない。
それは周りからきちんと愛され育ったということだ。
だから、血の繋がらない妹にだって愛を向けられる。
クララベルは権力を振りかざして、自分だけが得をする、より良い結婚を望んでいたわけではない。
ヒースを本気で奪うつもりなら、もっとずるくて酷いやり方だってあったはずなのに。
無礼なミスティの振る舞いを告げ口して問題にすれば、もっと自分に有利な交渉だってできたのだ。
我儘が目立つので大人たちに咎められがちだが、私はクララベルが敢えてやらなかったことの方が彼女の本質をよく表しているように思う。
「安心して、父さんがお守りしなくても、俺がこのアホ女と結婚することにするから。」
ミスティが言うとクララベルが続ける。
「父には私から伝えます。
ジェームズはトムズにミスティを私に寄越すように言って頂戴。
誰もミスティなんて欲しがらないから、犬の仔みたいに寄越してくれると思うわ。」
二人とも言葉の端々に棘がある。
ジェームズさんは、とっさにどんな顔をしていいのか判断できなかったようで、たいへん不自然な表情で固まっている。
「な⋯⋯今、なんて?ハハハ、聞き間違いかなぁ⋯⋯。」
いいえ、聞き間違いではないのよ。
「王家に誰か婿に行くなら、俺が行くって話だよ。」
「何でそんなことになってんのぉ?!
決めたって、ミスティが?
僕、やだし!!」
美貌の主の甲高い悲鳴って、割と不快ね。
二人を焚きつけたのは私ですけど。
「やだし、じゃないよ。
父さんの好き嫌いの問題じゃないし。
さっき、クララベルとちょっと利害が一致したんだ。
カヤロナ家からの要求も通るし、俺もサリに斡旋されなくても結婚相手が決まる。
どう?万事丸く治るだろ。」
しかし、ジェームズの心配事はそこではなかったようだ。
「全然僕の好き嫌いの問題じゃないし!
王家と姻戚関係なんて面倒なことやってらんないよ。
それって、イヴが王家の子の姑になるってことだよ!
イヴがストレスで丸くなったらどうしてくれる?!
いや、丸くなったらなったで可愛いけど⋯⋯いや、そういう問題じゃない!」
なるほど、竜はいくつになっても世界の中心は番を中心にまわっているのね。
「そこは、ほら、母さんには迷惑かけないし。」
「あたりまえだよ!!だいたい、カヤロナ家になんて言ったらいいのさ?
利害が一致したので、姫とうちの息子が結婚します、なんて言えるわけないんだよ。
その子の父親、ちょっとズレてるけど、その子を溺愛してるんだから。
姫様がヒースがいいってゴネて、ようやくうちに遊びに来れた所なんだよ?!
最低の最低でも、ミスティが姫様にメロメロです、とかじゃないと無理なんだからね。
それがどうだい、君たち、仲が悪過ぎじゃないか!!」
ジェームズさんは身振り手振りを大きくして、ミスティに抗議する。
王は王で、クララベルを気にかけているようで安心した。
うまくやれば、ミスティとの話もすんなり通るだろう。
「そんなの、クララベルが贔屓の画家に恋をしました、とかなんとか、でっちあげればいいよ。」
ふふん、とミスティが腕を組む。
城に上がるのに、身支度を整えてから来たのか、落ち着いた色の仕立ての良い上着を着ている。
後ろできつく髪を束ねていて、これなら文句がつけようもなく完璧な美少年だ。
クララベルに娘だと言われたのが堪えたのだろう。健気なものだ。
「私に横恋慕してきた画家がしつこく口説くから絆された、くらいのほうがいいんじゃない?」
クララベルも負けずに返すが、正直、どっちでもいい。
「俺の美貌に惚れたことにしろよ。
俺の方が明らかに美しいのに、逆はおかしいだろ。
あんたの我儘に振り回される感じの方が、あんたの親父が口を挟みにくくなるんじゃないの?」
「嫌よ!振りでも嫌!!」
ヒースが変なこと言うから、クララベルに対するミスティの減らず口が、口説き文句のようにしか聞こえないわ。
ちらりとヒースを見ると、ため息をついている。
「ジェームズさん、クララベルの肖像画をミスティに描かせたことがありましたよね。」
「⋯⋯あった。あったね、そういえば。
誕生日の贈り物にねだられたんだ。
⋯⋯バロッキーの竜が描いた絵をね。」
覗き見て描いた肖像画だったようだが、それがミスティの初恋となってしまったのだろう。
今の絵と似ているのだとしたら、それはよほど良い出来だったのだろう。
ミスティの描く絵は、どの絵も素晴らしいが、殊に最近の作品は色彩が瑞々しい。
「クララベルは、その絵と似ていると思って、ミスティの絵を手元に置いたようです。」
ミスティは眉を寄せて、つんとそっぽを向いた。
あら⋯⋯恥ずかしいのかしら?
「だから何だっていうの?ミスティの絵だと知ってたら、そんな事しなかったわ!」
クララベルも居たたまれない様子で頬を染める。
二人の様子を見たジェームズさんは腕を組んで天井を睨む。
「⋯⋯なるほど。しまったなぁ、そういうことか。
でもさ、あの時、姫様喜んでたし、同い年の子どもが描いた絵です、とは言えなくてさ。」
「⋯⋯余計なことは言うなよ。こいつには関係無いことだ。」
ミスティがジェームズさんに釘を刺す。
頭の上で交わされる竜同士のやり取りを、クララベルが分かるはずがない。
「もとはといえば、姫様がつまらない我儘を言わなきゃよかったんだよ。」
怒りの矛先をクララベルに向けるミスティは、今後も大きな回り道をしそうな予感だ。
「何よ、どうしてそこに拘るのよ?」
「馬鹿にはわかんねぇよ。」
ミスティ、照れ隠しにしたって、もう少し言い方があると思うわ。
ジェームズさんがガシガシと頭を掻き毟る。
「いいよ。ミスティ、この件は僕がトムズさんに話してくる。
なんで忙しい時に後から後からこういう事ばかり持ち込むかなぁ⋯⋯。」
ジェームズさんもヒースも、ミスティの中で起きつつある何事かが「分かった」のだろう。
それは私にもクララベルにも見えない、竜の秘密なのだ。
「それはそうと、サリは大丈夫だったのかい?
サリが拉致されたって聞いたときは、ついに姫様がやらかしたのかと、ぞっとしたよ。」
猫をかぶるのをやめたらしいジェームズさんは、いきなり辛辣だ。
「いえ、私が自分からレトさんについてきたのです。
私は姫様が私の叔母を拉致してきたのかと心配しました。
事故物件をミスティの妻に据えてしまうところでした。」
私も、もうクララベルに遠慮するのはやめることにする。
「拉致してきたわけじゃないって言っているじゃない!」
クララベルも大事になってはと、必死に弁解する。
「サリ、あれが、例の叔母さんかい?」
ジェームズさんに聞かれて、やっと椅子に縛られた体で座らされている叔母に意識が行く。
叔母と聞いて、私に寄り添っていたヒースが身を硬らせるのが伝わる。
ヒースの緊張にジェームズさんも気がついたようで、やれやれ、と笑う。
「ああ、ヒースはそのままで。
サリには苦労かけるけど、この頃って、こうなっちゃう時期なんだ。
もう少ししたら落ち着くはずだからさ、待ってあげてよ。」
本当におちつくのか疑わしいけど、ジェームズさんがそうだというなら仕方がない。
「了見が狭いかもしれないが、俺はサリに苦痛を与えたその人が、サリと同じ空気を吸うのも我慢ならない。」
まぁ、怖い。
「わかったわよ。だけど、もう少しだけ時間を頂戴。」
私はレトさんと一緒に城の門をくぐったので問題なかったが、その後、ヒースとミスティが城に乗り込んできたのはジェームズさんが何かとりなしてくれたようだ。
姫様の所業も今回特に罪に問われたりはしないはずだ。
あとは、この叔母だ。
「⋯⋯レトさん、そろそろ叔母の縛を解いていただけませんか?」
レトさんは結び目さえゆるゆるの紐をさっと取り去る。
ヒースは私が叔母と話すのも嫌なようで、神経を尖らせている。
「初めまして、おばさま、サリです。
来て頂いてなんですが、私を探し出してどうするつもりだったのですか?」
叔母は目を逸らし、もじもじと手を組み替えながらしばらく黙っていた。
私が叔母の前で首をくくろうと画策していたことは分かっているはずだ。
自分を恨んでいるであろう姪に、何を話すことがあってここにいるのだろうか。
誰も声を発さずに叔母の一声を待つ。
その状況に耐えられなくなったようで、気まずそうに話し始めた。
「あの、私⋯⋯怖くて。」
「何か身に迫る危険があったのですか?」
それでうちに助けを求める必要があったのだろうか?
「いいえ、そうではないのだけれど⋯⋯。」
どうにも歯切れが悪い。
「夜になると⋯⋯ヘレネが私を殺しにくるの。
眠っているのに、朝方になると必ずヘレネがあの銅色の目で私をずっと見るの。
それが恐ろしくて、恐ろしくて⋯⋯。」
勝手に逃げたくせに罪悪感など持つから、ありもしない事に苛まれるのだろう。
「ええと、母の夢を見るのですね。」
纏まりのない話に相槌を打つのは億劫だ。
「今まで姉や実家がどうなったのか、気になってはいたのだけど⋯⋯遠くまで逃げたから、一度も調べたことがなくて。
サリの行方が知れて⋯⋯お姫様が安全は保証すると言うから⋯⋯勇気を出して来てみたのよ。」
のろのろと自信なさげに説明は続く。
実家に聞きに行くのは怖いから、会ったこともない私に家がどうなったのか様子を聞きにきた、という事だろうか。
自分で行き渋っていたカヤロナに??
自分で捨てた家の末路を??
なんだろう、あまりにも理屈に合わない話だ。
「何というか、それは、ご苦労なことでしたね。」
「⋯⋯でも、ヘレネは死んだのね。」
安心したように微笑みを浮かべ、母の死を口にする。
「ええ、死にました。だから母はたとえ夢だとしても、あなたに何もできるはずありません。」
この人は私の母が死んだ事に安堵して笑っている。
母の死に安堵してしまった私と、大して変わらない。
痛み出そうとする胸の音を聴いたのか、固く握っていた拳を開けてヒースが指を絡めてくる。
そうだ、この人に傷つけられている場合ではない。
大丈夫だと、手を握り返す。
「サリ、お前はヘレネにそっくりね。
可哀想に、そんな禍々しい色でどうやって生き延びてきたの?」
憐れむように私の名を呼ぶ。
叔母は意図せずに私を切り刻む言葉を無限に持っているようだ。
シュロでは髪の色は様々だけれど、瞳の色は濃い褐色から黒くらいの色の者がほとんどだ。
母は、とある商会が政略結婚で父に差し出した娘だった。
商会の養女とされていたが、政略の手駒に使うために養われていたのだろう。
どこの生まれかも知らないのだという。
叔母は禍々しい色と言ったが、実際は私たちの瞳の色は、変態が群がるほど尊ばれた。
まぁ、過度な賞賛は差別と変わらないのだが。
「なっ、ちょっと、なんなの?!
サリ、本当にこの女は身内で間違いないの?
いくら何でもあんまりだわ!!」
クララベルが熱り立つ。
クララベルには死んだ母を貶めるような言い方をする叔母が許せないのだ。
自分と重ねて、私の気持ちを「分かって」しまうから。
クララベルが水差しを掴もうとしているのをミスティが止める。
私より強い感情で先に怒ってくれる人がいると、割と短気な私でも冷静になるものだ。
やっぱり私、クララベルを嫌いになれないわ。
小さく笑う。
「叔母様、このような瞳でも、死ねない理由があればどのようにでも生きられるものです。」
「そう。ヘレネは⋯⋯サリも、さぞ苦労したんでしょうね。」
この人のねぎらいの言葉は、私には何も響いてこない。
だって、この人は私と母がどの様に生きてきたか、どれほど慈しまれて育ったか、何も知らないのだから。
私だってこの人がどう生きてきたのか、全く知らないからお相子だけれど。
「貴方が私の人生を哀れむとしたら、それは幻です。
だって、私とあなたには何の繋がりもないのですから。」
言ってみて、私は唖然とする。
私と母にだって死んだ後も縛り続けるような繋がりなんて、無かったのかも知れない。
私と母が共にした愛しい時間は、あの時に確かに終わってしまったのだから。
それは寂しいことだけれど、私たちはもう、すっかり別れが済んでいた。
そこから先は私一人の感情によるもので⋯⋯。
叔母が母の亡霊を夢で見るのも、私が母の無念を晴らそうとするのも、どちらも母とは関係のない事だ。
私が頼りにしていた「母の無念」という幻が、自ら叔母にかけた言葉によって急速に色褪せ始める。
母様は無念だとか憎いとか、そんな事は一言も言っていなかった。
⋯⋯じゃぁ、母様はなんと言っていた?
私は背筋を伸ばして叔母の前に立つ。
にっこりと笑って。
「こちらがおばさまが嫁ぐはずだったジェームズさんですよ。
恐ろしい程の美貌でしょう?
しかも大変な資産家なのですよ。
今は愛する奥様と子どもたちに囲まれて幸せに暮らしています。
叔母様が来なくても、バロッキー家は何も困る事はなかったのですよ。
逃げ出して損をしましたね、おばさまも幸せに暮らせたかも知れないのに。」
幻想は取り払ってしまおう。
だって、ここには叔母が恐れていたものも、私が思い描いていた地獄も何もなかったのだから。
「それから、こちらが私の恋人で婚約者です。
私がここに来る権利を叔母さまが譲ってくれたので、私は今、とても幸せです。
たいへん仲睦まじくしておりますので、何も気にして頂く事はありません。
父も妹たちも元気にしていますわ。
おばさまも、お元気で。さようなら。」
そうして私の悪い夢は終わるのだ。
「レトさん、叔母を元の場所まで送って頂けますか?」
「⋯⋯その、それだけで気が晴れますか?
この方、借金を担わずに逃げたのでしょう?」
「叔母だって借金の返済の駒となることを拒否する、大きな理由があったのかもしれませんし。」
こそこそと下を向くくらいには気が咎めるのだろう。
ただ、私にとってはどうでもいい人だ。
そんな人に一秒だって心を砕くわけにはいかない。
私の心は今はもう自分だけのものでは無い。
私が叔母に傷つけられる事を気に病む人がいるのだから、不用意に傷つけられてなんかやるものか。
この人は、私を慈しんでくれた人でもないし、直接害してきた人でもない。
つまらない感傷の為に、この人に時間を使うくらいなら、愛しい人のために激痛に耐えるような時間の使い方をした方が有益だ。
「その人も、母やもう一人の叔母がもう居ないと分かって、ぐっすり眠れるようになるでしょう。
私はもう言うだけ言ったので、いいのです。」
今は、母のあたたかい思い出だけが心に残っている。
「竜と違って、ヒトの血の繋がりなんて、いい加減なものなんですよ。」
荒く息を切らしたジェームズさんが、ノックもせずに入室してきた。
「ジェームズ!」
「ああ、サリもいたね。良かった。」
見知った大人の登場で、クララベルの声の調子が一瞬あがる。
しかし、先程の会話を思い出したのか、クララベルはがっくりと肩を落とす。
「⋯⋯いえ、ジェームズもヒースと同じなのよね。」
「はい?姫様、何の事ですか?」
カヤロナ家と何事かやり取りをしてきたのだろう、ジェームズさんの機嫌は良いとは言えなさそうだ。
「ジェームズ、もういいの。いろいろと分かったから。
金輪際、私の我儘に付き合う必要は無いわ。
⋯⋯この忌々しい赤毛と同じ色彩の妻が大大大好きなんですってね?!
私に付き合わされ、家に帰れずに、さぞ迷惑だったでしょうね。」
クララベルはむくれている。
明らかに除け者にされたときのむくれ方だ。
ジェームズさんは顔に不自然な笑みを浮かべたまま、首だけを動かしてミスティの方を向く。
「⋯⋯ミスティ、姫様に何を言ったんだい?」
「父さんの家でのだらしない様子を赤裸々に暴露したまでだけど?
いつまでも理想の父親像だとかカッコ付けてないで、姫様に現実を教えてやったほうがいいよ。」
今度は完全にいつものジェームズさんの感じで、甲高くミスティに声を荒げる。
「ええ?!膝枕してもらって本読んでる事とか?」
「⋯⋯父さん、まだそんなことしてるの?」
ミスティも若干引き気味だ。
「⋯⋯ああ、なんだ、それは言ってないんだ?」
今バレましたけどね。
何を思って姫様の前で格好良く取り繕っていたのか、その方が気になるわ。
「だいたい、ジェームズは私にバロッキー家の話はおろか、妻や息子の話もろくにした事が無いじゃない!」
「姫様がそういう話はお好きではないのだと思いまして。
それに、私はもともと、取り澄まさなければ外での活動が困難な性分で。」
「外でだけカッコつけてるから、うちに帰ってきてだらけるんじゃないの?」
息子の的確な突っ込みに、大人げなく口を尖らす。
「ミスティは黙っててよ。
僕はね、お仕事している間ぐらいはちゃんとかっこいいお父さん役を務めることにしてるんだから!」
なるほど、家族に恵まれないクララベルにお父さん役を買って出た、というような所だろう。
「⋯⋯もう、そういうのは結構よ。」
クララベルもジェームズの意図が理解できたのだろう。
複雑そうに眉をひそめている。
「私、もう、そんな子どもじゃないわ。」
幼い頃のクララベルは、それはもう愛らしかったに違いない。
竜が美しく不憫な子どもに、庇護欲をくすぐられないはずがない。
クララベルは我儘に育った、しかし人として大切な最後の一線は越えない。
それは周りからきちんと愛され育ったということだ。
だから、血の繋がらない妹にだって愛を向けられる。
クララベルは権力を振りかざして、自分だけが得をする、より良い結婚を望んでいたわけではない。
ヒースを本気で奪うつもりなら、もっとずるくて酷いやり方だってあったはずなのに。
無礼なミスティの振る舞いを告げ口して問題にすれば、もっと自分に有利な交渉だってできたのだ。
我儘が目立つので大人たちに咎められがちだが、私はクララベルが敢えてやらなかったことの方が彼女の本質をよく表しているように思う。
「安心して、父さんがお守りしなくても、俺がこのアホ女と結婚することにするから。」
ミスティが言うとクララベルが続ける。
「父には私から伝えます。
ジェームズはトムズにミスティを私に寄越すように言って頂戴。
誰もミスティなんて欲しがらないから、犬の仔みたいに寄越してくれると思うわ。」
二人とも言葉の端々に棘がある。
ジェームズさんは、とっさにどんな顔をしていいのか判断できなかったようで、たいへん不自然な表情で固まっている。
「な⋯⋯今、なんて?ハハハ、聞き間違いかなぁ⋯⋯。」
いいえ、聞き間違いではないのよ。
「王家に誰か婿に行くなら、俺が行くって話だよ。」
「何でそんなことになってんのぉ?!
決めたって、ミスティが?
僕、やだし!!」
美貌の主の甲高い悲鳴って、割と不快ね。
二人を焚きつけたのは私ですけど。
「やだし、じゃないよ。
父さんの好き嫌いの問題じゃないし。
さっき、クララベルとちょっと利害が一致したんだ。
カヤロナ家からの要求も通るし、俺もサリに斡旋されなくても結婚相手が決まる。
どう?万事丸く治るだろ。」
しかし、ジェームズの心配事はそこではなかったようだ。
「全然僕の好き嫌いの問題じゃないし!
王家と姻戚関係なんて面倒なことやってらんないよ。
それって、イヴが王家の子の姑になるってことだよ!
イヴがストレスで丸くなったらどうしてくれる?!
いや、丸くなったらなったで可愛いけど⋯⋯いや、そういう問題じゃない!」
なるほど、竜はいくつになっても世界の中心は番を中心にまわっているのね。
「そこは、ほら、母さんには迷惑かけないし。」
「あたりまえだよ!!だいたい、カヤロナ家になんて言ったらいいのさ?
利害が一致したので、姫とうちの息子が結婚します、なんて言えるわけないんだよ。
その子の父親、ちょっとズレてるけど、その子を溺愛してるんだから。
姫様がヒースがいいってゴネて、ようやくうちに遊びに来れた所なんだよ?!
最低の最低でも、ミスティが姫様にメロメロです、とかじゃないと無理なんだからね。
それがどうだい、君たち、仲が悪過ぎじゃないか!!」
ジェームズさんは身振り手振りを大きくして、ミスティに抗議する。
王は王で、クララベルを気にかけているようで安心した。
うまくやれば、ミスティとの話もすんなり通るだろう。
「そんなの、クララベルが贔屓の画家に恋をしました、とかなんとか、でっちあげればいいよ。」
ふふん、とミスティが腕を組む。
城に上がるのに、身支度を整えてから来たのか、落ち着いた色の仕立ての良い上着を着ている。
後ろできつく髪を束ねていて、これなら文句がつけようもなく完璧な美少年だ。
クララベルに娘だと言われたのが堪えたのだろう。健気なものだ。
「私に横恋慕してきた画家がしつこく口説くから絆された、くらいのほうがいいんじゃない?」
クララベルも負けずに返すが、正直、どっちでもいい。
「俺の美貌に惚れたことにしろよ。
俺の方が明らかに美しいのに、逆はおかしいだろ。
あんたの我儘に振り回される感じの方が、あんたの親父が口を挟みにくくなるんじゃないの?」
「嫌よ!振りでも嫌!!」
ヒースが変なこと言うから、クララベルに対するミスティの減らず口が、口説き文句のようにしか聞こえないわ。
ちらりとヒースを見ると、ため息をついている。
「ジェームズさん、クララベルの肖像画をミスティに描かせたことがありましたよね。」
「⋯⋯あった。あったね、そういえば。
誕生日の贈り物にねだられたんだ。
⋯⋯バロッキーの竜が描いた絵をね。」
覗き見て描いた肖像画だったようだが、それがミスティの初恋となってしまったのだろう。
今の絵と似ているのだとしたら、それはよほど良い出来だったのだろう。
ミスティの描く絵は、どの絵も素晴らしいが、殊に最近の作品は色彩が瑞々しい。
「クララベルは、その絵と似ていると思って、ミスティの絵を手元に置いたようです。」
ミスティは眉を寄せて、つんとそっぽを向いた。
あら⋯⋯恥ずかしいのかしら?
「だから何だっていうの?ミスティの絵だと知ってたら、そんな事しなかったわ!」
クララベルも居たたまれない様子で頬を染める。
二人の様子を見たジェームズさんは腕を組んで天井を睨む。
「⋯⋯なるほど。しまったなぁ、そういうことか。
でもさ、あの時、姫様喜んでたし、同い年の子どもが描いた絵です、とは言えなくてさ。」
「⋯⋯余計なことは言うなよ。こいつには関係無いことだ。」
ミスティがジェームズさんに釘を刺す。
頭の上で交わされる竜同士のやり取りを、クララベルが分かるはずがない。
「もとはといえば、姫様がつまらない我儘を言わなきゃよかったんだよ。」
怒りの矛先をクララベルに向けるミスティは、今後も大きな回り道をしそうな予感だ。
「何よ、どうしてそこに拘るのよ?」
「馬鹿にはわかんねぇよ。」
ミスティ、照れ隠しにしたって、もう少し言い方があると思うわ。
ジェームズさんがガシガシと頭を掻き毟る。
「いいよ。ミスティ、この件は僕がトムズさんに話してくる。
なんで忙しい時に後から後からこういう事ばかり持ち込むかなぁ⋯⋯。」
ジェームズさんもヒースも、ミスティの中で起きつつある何事かが「分かった」のだろう。
それは私にもクララベルにも見えない、竜の秘密なのだ。
「それはそうと、サリは大丈夫だったのかい?
サリが拉致されたって聞いたときは、ついに姫様がやらかしたのかと、ぞっとしたよ。」
猫をかぶるのをやめたらしいジェームズさんは、いきなり辛辣だ。
「いえ、私が自分からレトさんについてきたのです。
私は姫様が私の叔母を拉致してきたのかと心配しました。
事故物件をミスティの妻に据えてしまうところでした。」
私も、もうクララベルに遠慮するのはやめることにする。
「拉致してきたわけじゃないって言っているじゃない!」
クララベルも大事になってはと、必死に弁解する。
「サリ、あれが、例の叔母さんかい?」
ジェームズさんに聞かれて、やっと椅子に縛られた体で座らされている叔母に意識が行く。
叔母と聞いて、私に寄り添っていたヒースが身を硬らせるのが伝わる。
ヒースの緊張にジェームズさんも気がついたようで、やれやれ、と笑う。
「ああ、ヒースはそのままで。
サリには苦労かけるけど、この頃って、こうなっちゃう時期なんだ。
もう少ししたら落ち着くはずだからさ、待ってあげてよ。」
本当におちつくのか疑わしいけど、ジェームズさんがそうだというなら仕方がない。
「了見が狭いかもしれないが、俺はサリに苦痛を与えたその人が、サリと同じ空気を吸うのも我慢ならない。」
まぁ、怖い。
「わかったわよ。だけど、もう少しだけ時間を頂戴。」
私はレトさんと一緒に城の門をくぐったので問題なかったが、その後、ヒースとミスティが城に乗り込んできたのはジェームズさんが何かとりなしてくれたようだ。
姫様の所業も今回特に罪に問われたりはしないはずだ。
あとは、この叔母だ。
「⋯⋯レトさん、そろそろ叔母の縛を解いていただけませんか?」
レトさんは結び目さえゆるゆるの紐をさっと取り去る。
ヒースは私が叔母と話すのも嫌なようで、神経を尖らせている。
「初めまして、おばさま、サリです。
来て頂いてなんですが、私を探し出してどうするつもりだったのですか?」
叔母は目を逸らし、もじもじと手を組み替えながらしばらく黙っていた。
私が叔母の前で首をくくろうと画策していたことは分かっているはずだ。
自分を恨んでいるであろう姪に、何を話すことがあってここにいるのだろうか。
誰も声を発さずに叔母の一声を待つ。
その状況に耐えられなくなったようで、気まずそうに話し始めた。
「あの、私⋯⋯怖くて。」
「何か身に迫る危険があったのですか?」
それでうちに助けを求める必要があったのだろうか?
「いいえ、そうではないのだけれど⋯⋯。」
どうにも歯切れが悪い。
「夜になると⋯⋯ヘレネが私を殺しにくるの。
眠っているのに、朝方になると必ずヘレネがあの銅色の目で私をずっと見るの。
それが恐ろしくて、恐ろしくて⋯⋯。」
勝手に逃げたくせに罪悪感など持つから、ありもしない事に苛まれるのだろう。
「ええと、母の夢を見るのですね。」
纏まりのない話に相槌を打つのは億劫だ。
「今まで姉や実家がどうなったのか、気になってはいたのだけど⋯⋯遠くまで逃げたから、一度も調べたことがなくて。
サリの行方が知れて⋯⋯お姫様が安全は保証すると言うから⋯⋯勇気を出して来てみたのよ。」
のろのろと自信なさげに説明は続く。
実家に聞きに行くのは怖いから、会ったこともない私に家がどうなったのか様子を聞きにきた、という事だろうか。
自分で行き渋っていたカヤロナに??
自分で捨てた家の末路を??
なんだろう、あまりにも理屈に合わない話だ。
「何というか、それは、ご苦労なことでしたね。」
「⋯⋯でも、ヘレネは死んだのね。」
安心したように微笑みを浮かべ、母の死を口にする。
「ええ、死にました。だから母はたとえ夢だとしても、あなたに何もできるはずありません。」
この人は私の母が死んだ事に安堵して笑っている。
母の死に安堵してしまった私と、大して変わらない。
痛み出そうとする胸の音を聴いたのか、固く握っていた拳を開けてヒースが指を絡めてくる。
そうだ、この人に傷つけられている場合ではない。
大丈夫だと、手を握り返す。
「サリ、お前はヘレネにそっくりね。
可哀想に、そんな禍々しい色でどうやって生き延びてきたの?」
憐れむように私の名を呼ぶ。
叔母は意図せずに私を切り刻む言葉を無限に持っているようだ。
シュロでは髪の色は様々だけれど、瞳の色は濃い褐色から黒くらいの色の者がほとんどだ。
母は、とある商会が政略結婚で父に差し出した娘だった。
商会の養女とされていたが、政略の手駒に使うために養われていたのだろう。
どこの生まれかも知らないのだという。
叔母は禍々しい色と言ったが、実際は私たちの瞳の色は、変態が群がるほど尊ばれた。
まぁ、過度な賞賛は差別と変わらないのだが。
「なっ、ちょっと、なんなの?!
サリ、本当にこの女は身内で間違いないの?
いくら何でもあんまりだわ!!」
クララベルが熱り立つ。
クララベルには死んだ母を貶めるような言い方をする叔母が許せないのだ。
自分と重ねて、私の気持ちを「分かって」しまうから。
クララベルが水差しを掴もうとしているのをミスティが止める。
私より強い感情で先に怒ってくれる人がいると、割と短気な私でも冷静になるものだ。
やっぱり私、クララベルを嫌いになれないわ。
小さく笑う。
「叔母様、このような瞳でも、死ねない理由があればどのようにでも生きられるものです。」
「そう。ヘレネは⋯⋯サリも、さぞ苦労したんでしょうね。」
この人のねぎらいの言葉は、私には何も響いてこない。
だって、この人は私と母がどの様に生きてきたか、どれほど慈しまれて育ったか、何も知らないのだから。
私だってこの人がどう生きてきたのか、全く知らないからお相子だけれど。
「貴方が私の人生を哀れむとしたら、それは幻です。
だって、私とあなたには何の繋がりもないのですから。」
言ってみて、私は唖然とする。
私と母にだって死んだ後も縛り続けるような繋がりなんて、無かったのかも知れない。
私と母が共にした愛しい時間は、あの時に確かに終わってしまったのだから。
それは寂しいことだけれど、私たちはもう、すっかり別れが済んでいた。
そこから先は私一人の感情によるもので⋯⋯。
叔母が母の亡霊を夢で見るのも、私が母の無念を晴らそうとするのも、どちらも母とは関係のない事だ。
私が頼りにしていた「母の無念」という幻が、自ら叔母にかけた言葉によって急速に色褪せ始める。
母様は無念だとか憎いとか、そんな事は一言も言っていなかった。
⋯⋯じゃぁ、母様はなんと言っていた?
私は背筋を伸ばして叔母の前に立つ。
にっこりと笑って。
「こちらがおばさまが嫁ぐはずだったジェームズさんですよ。
恐ろしい程の美貌でしょう?
しかも大変な資産家なのですよ。
今は愛する奥様と子どもたちに囲まれて幸せに暮らしています。
叔母様が来なくても、バロッキー家は何も困る事はなかったのですよ。
逃げ出して損をしましたね、おばさまも幸せに暮らせたかも知れないのに。」
幻想は取り払ってしまおう。
だって、ここには叔母が恐れていたものも、私が思い描いていた地獄も何もなかったのだから。
「それから、こちらが私の恋人で婚約者です。
私がここに来る権利を叔母さまが譲ってくれたので、私は今、とても幸せです。
たいへん仲睦まじくしておりますので、何も気にして頂く事はありません。
父も妹たちも元気にしていますわ。
おばさまも、お元気で。さようなら。」
そうして私の悪い夢は終わるのだ。
「レトさん、叔母を元の場所まで送って頂けますか?」
「⋯⋯その、それだけで気が晴れますか?
この方、借金を担わずに逃げたのでしょう?」
「叔母だって借金の返済の駒となることを拒否する、大きな理由があったのかもしれませんし。」
こそこそと下を向くくらいには気が咎めるのだろう。
ただ、私にとってはどうでもいい人だ。
そんな人に一秒だって心を砕くわけにはいかない。
私の心は今はもう自分だけのものでは無い。
私が叔母に傷つけられる事を気に病む人がいるのだから、不用意に傷つけられてなんかやるものか。
この人は、私を慈しんでくれた人でもないし、直接害してきた人でもない。
つまらない感傷の為に、この人に時間を使うくらいなら、愛しい人のために激痛に耐えるような時間の使い方をした方が有益だ。
「その人も、母やもう一人の叔母がもう居ないと分かって、ぐっすり眠れるようになるでしょう。
私はもう言うだけ言ったので、いいのです。」
今は、母のあたたかい思い出だけが心に残っている。
「竜と違って、ヒトの血の繋がりなんて、いい加減なものなんですよ。」
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