42 / 60
42話 五十路、震える
しおりを挟む
「今日は、真昼姉さんがご帰宅されるので」
【GARDEN】で準備を始めていると、紫苑からそんな事を言われました。
「そうなんですね。お久しぶりのお帰りですね」
「ええ、本当はもっと頻繁に『ご帰宅』されたかったみたいですが、部活が忙しかったようで」
「競技ダンス部ですもんね」
大学の競技ダンス部に所属されている真昼お嬢様は、本当にダンスがお上手で驚きました。
「そんな真昼をリードできる白銀はもっと驚くべき存在ですからね」
「いえいえ、ご一緒にダンスさせていただきましたが、私なんてまだまだです」
「うわーん、千金楽さん~。白銀が怖い事言ってます~」
「おー、よしよし、紫苑。あのお爺さんは無自覚チートの極みですからねー。気にしちゃ負けですよー」
紫苑が、千金楽の元に駆けより泣きつくと、千金楽が紫苑を慰めながらこちらを見て小馬鹿にしたように笑っています。隣で緋田も頷いています。
何故?
あと、無自覚チート調べましたよ。誰が無自覚チートですか。
私は自覚未熟者です。
「まあ、ともかく。真昼、お嬢様がご帰宅されますので、白銀、よろしくお願いします」
何事もなかったかのように、ケロッとした紫苑が私に話しかけてきます。
「かしこまりました。ですが、紫苑の方が良いのでは?」
「いやいやいや! 何を言ってるんですか!?」
紫苑は、驚いたように大声をあげ、小さく溜息を吐きながら笑うと、こちらに近づいてきます。おや?
「いいですか、白銀。真昼姉さん、ずっと白銀に……」
「ここの執事は、お嬢様の情報を簡単に流出させるのかしら……?」
「ね、ねえさ……」
「お嬢様」
真昼お嬢様が、強張った微笑みで紫苑の肩を強く握っています。
それに気付いた紫苑もまた、顔を強張らせながら精一杯の微笑みを浮かべます。
「真昼お嬢様、お早いご帰宅で……」
「元気いっぱいのちびっこ執事の大声が聞こえてきたから、ちょっと小走りで来ちゃったわ。ねえ、紫苑? お水貰える?」
「は、はい……直ちに……!」
紫苑が去って行きそれを見送る真昼お嬢様と私の目が合います。
「お帰りなさいませ、真昼お嬢様」
「……あ、う、う~」
「真昼お嬢様?」
「ストップ! 今は、そこで止まって、あの、汗かいてるかもだし……た、ただいま、白銀」
そうですね。女性はご自身の匂いを気にされます。
偶然でもジジイに嗅がれたらいやでしょうから。
私は、立ち止まり、その場で真昼お嬢様に笑顔でご挨拶させていただきます。
「はい、ご帰宅お待ちしておりました。真昼お嬢様」
しっかりと礼をし、顔を上げると、真昼お嬢様は服の裾を握りしめ、なにやら口を動かしてらっしゃいます。
「真昼お嬢様?」
「ご、ごめんなさい、今噛みしめ……じゃなくて! 私のテーブルはどこ?」
「こちらでございますよ」
真昼お嬢様は一定の距離を保ちつつも、競技ダンス部らしいしっかりとした一定間隔の歩幅、いつも通り美しい歩き方でついてこられます。
そして、テーブルにつくと、誰もが見惚れるような微笑みを浮かべながら、
「ありがとう」
そう仰ってくださいました。
ひとまず、紫苑もお水を持ってくるでしょうから、私達はテーブルを離れます。
ホール外のキッチンに辿り着くと、緋田さんが驚いたような声で呟きます。
「真昼お嬢様って、美形ですよね」
「ま、今まではキツイお嬢様っていうイメージと眉間にずっと皺寄せてたからなあ。普通に美人だよ」
いつの間にか千金楽さんがいらっしゃいます。
お料理を受け取りに来たのでしょう。それだけ言うと、すぐに別テーブルの方へ向かってしまいました。
「千金楽さん……千金楽さんも大分、日本人離れした顔っすよね、あの、金髪めっちゃ似合いますもんね。いや、にしても、真昼お嬢様はアイドルって言われてもわかんな」
「緋田さん……! 姉さんに手を出したらゆるしませんよ……!」
またまたいつの間にか、お水を持った紫苑君が千金楽さんばりの圧ある微笑みで緋田さんを見ています。
「わ、分かってるよ」
「白銀はどんどん出してくださいね」
「わ、わかり、ました?」
どういう事でしょうか? ああ、おじいちゃんだと思われてるから、気にせず接してあげて下さいということでしょうか。おじいちゃんっ子だったんですね。
であれば、納得です。
「絶対、違う納得の仕方してると思うっすけど、突っ込みませんからね」
最近、緋田も千金楽みたいなやり方で私を置いてけぼりにしたりします。
何が原因なのでしょうか……?
「あ、また、お嬢様のご帰宅ですよ。……え、うわ、俺、初めて見るお嬢様です。なんか、小動物みたいでかわいらしいお嬢様っすね。行って来ます」
「あ、緋田。あの方は」
【GARDEN】で過ごすひと時に少しでも不快がないよう尽くすのが執事です。
私は、緋田のあとを早歩きで追いかけます。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「あ、は、はい……ただ今、かえりました」
黒髪を顔の横だけ垂らし、後ろ髪は綺麗に纏めていらっしゃり、服装は、とてもシンプルながらスレンダーなお嬢様に似合う淡い黄色のワンピースとカーディガン。
可愛らしいお嬢様に緋田が挨拶すると、お嬢様はびくりと肩を揺らし右手をあげかけたものの、すぐに相変わらずの美しい姿勢に戻り、微笑みます。
「お嬢様、あの、はじ」
「朝日お嬢様、お帰りお待ちしておりましたよ」
「え……?」
緋田が私を見ようとしますが、すぐに緋田の前に出たために、顔は前を向き私を見て固まってしました。
そのせいで、思った以上に近い距離で私と朝日お嬢様は向かい合います。
「あ、白銀……ただいま、帰りました」
「はい」
私と朝日お嬢様が微笑みあっていると、緋田も背後から現れ挨拶を
「ちょ、ちょっとちょっと! 何してるのよ!」
しようとしたところで、真昼お嬢様が何故か飛び込んできて遮られます。
「え?」
「あなた、そんな距離で、手にキ、キスでお出迎えとか聞いてないんだけど」
「キス? ああ、違いますよ。少し距離感を間違えて近づいてしまっただけで、こちらの屋敷ではそのような風習はありません」
「そう、なんだ……別にしてくれても……むしろ、され」
「え? なんでございますか?」
真昼お嬢様がごにょごにょと何か仰るのですが、年寄りには厳しいボリュームでした。
「な、なんでもないわよ!」
「あれ? 日中さん?」
「え……もしかして、下柳先輩?」
ひょいと真昼お嬢様の方を覗き込んだ朝日お嬢様が呼びかけられると、真昼お嬢様も驚いたような声で朝日お嬢様のお名前を。
「お知り合いですか?」
「ええ、あのアルバイト先のアニメイ……」
「『本屋』でね、先輩後輩なんですよね? しも、朝日先輩?」
「……うん! そうなんです、アルバイト先の『本屋』で」
「そうでしたか」
なるほど。アルバイト先がご一緒でしたか。
縁というものは不思議なものですね。
アニメイというのが本屋の名前でしょうか。ジジイの物覚えが悪いので、本屋に言い直して下さったんでしょうね。有難いことです。
「……あー、先輩? よければ、ご一緒しません?」
「え? 嬉しい! いいの?」
「お、おおう……私もその方が安心なので……」
思った以上の勢いで迫る朝日お嬢様に仰け反りながらも真昼お嬢様は私共に目配せをし、テーブルの手配を指示されました。
私は、その場を緋田に任せ、千金楽と共に席を動かします。
「あ、あの! 素敵ですね、朝日お嬢様」
「あ、ありがとぅござぃます……」
緋田が、あの時あんな事を言っていた緋田があそこまで驚き、大声で褒めていると私も嬉しくなってしまいます。だからといって、千金楽さんそんな変な顔で私を笑わないでください。
「ほんとに……そんなコンタクトにメイク、服も……先輩、いつの間に……」
「ありがとう、日中さん。あの、白銀さんに会いたいから、がん、ばったの……!」
「かわいすぎか」
「え?」
「いえいえ、なんでも? おほほ~。」
緋田が何やらお話をしているお二人をエスコートしながらこちらに来られます。
朝日お嬢様は、椅子を引いた私をじっと見つめ口を開きました。
「あの、白銀、わたし、どうですか」
「とても、お美しく、可愛らしいですよ。淡い黄色も素敵です」
「~~~! あ、ありがとう……!」
朝日お嬢様は、そのまますとんと座り拳を握りしめ、自身の成長を噛みしめていらっしゃるようでした。
そして、それをほほえましく見ながらお料理の配膳をすべくキッチンへ向かおうとすると、不意にズボンを掴まれます。
真昼お嬢様です。
「白銀、私は?」
真昼お嬢様はこちらを向かずにテーブルを見つめたまま聞いてこられます。
「ピンクの差し色が可愛らしい真昼お嬢様にぴったりで素敵です。良くお似合いですよ。」
「……そ。ありがと」
真昼お嬢様はテーブルを見つめたままズボンを放して下さいました。
「お水、お持ちしました」
紫苑がお水を持ってきます。
まだ、ぎこちないところはありますが……
「紫苑」
「は、はい、いかがなされましたか? 真昼お嬢様?」
「かっこいいわよ」
「……! ありがとうございます。真昼お嬢様も今日も素敵です」
「ありがとう」
真昼お嬢様が素直に紫苑をお褒めになり、紫苑もまた。
二人の間に合った、二人が作り出してしまっていた存在しないはずの靄はすっかり見えなくなったようで、目頭が熱くなってしまいます。年寄りなもので。
「……真昼お嬢様、白銀はいかがですか?」
「は?」
「私はお褒め頂きましたが……白銀は? いかがですか?」
「は? え? は?」
紫苑さんが態々私にもお褒めの言葉を、と真昼お嬢様を促します。
真昼お嬢様も困っていらっしゃるので、あまり『無茶ブリ』はしないで欲しいのですが。
「いかがですか? 白銀? かっこいいと思いませんか?」
「か……かっこいい、わよ! 何? 態々口にいう程の事?」
真昼お嬢様が紫苑に屈し、呻くようにお褒めの言葉を仰ってくださります。
最近気づいたのですが、紫苑は自信を取り戻してから、本来の性格なのか、強かな甘え上手でありながら少し辛口な印象があります。
勿論、一生懸命さは変わらないのですが、中々侮れない執事に成長しつつあります。
例えるなら、千金楽さんに近い気がします。
うまく相手のツボを突いて、言葉を引き出させる。
それでいて幼い、若い印象があるので、嫌味っぽくならない。
向こうで金髪を揺らしながら言葉巧みにお嬢様を楽しませる千金楽が目に入ります。
やはり、凄い。
(お前が言うな)
なんでしょう。一瞬、こちらを見た千金楽の心の声が聞こえた気がします。
「真昼お嬢様、他に何かいう事はないんですか?」
「し、え、ん~……! お嬢様を揶揄う執事っていう新しいジャンルを開拓したいならヨソでやってくれるかしら~?」
周りのお嬢様達がほほえましくその様子をご覧になってします。
朝日お嬢様も。そして、私の視線に気づくと一瞬俯いたものの小さく手を振ってくださいます。
その強くなられた様子にまた目が少し潤んでしまいます。
「あー、おじーちゃーん!」
入り口から飛んできた声に振り向くと、そこには、赤みがかった茶の髪色と青みのあるシルバーというんでしょうか二人の女子高校生がこちらを見ていらっしゃいます。
「お、おじいちゃん?!」
ガタガタガタといくつかのテーブルが揺れます。
何かあったのでしょうか?
「白銀、あなた、おじいちゃんって……!?」
「孫いるなんて聞いてない! 結婚して子供、孫!?」
真昼お嬢様の言葉をリレーするように南さんが叫びます。
勘違いです。
というか、皆さん忘れていませんか? 私まだ五十なんですけど。
「あ、いえいえ。この方はカルムで……」
「おじーちゃーん!」
私の言葉を遮るように赤みがかった茶色髪のお嬢様が飛び込んでいらっしゃいます。
なんでしょうか、気温が上がった気はするのですが、ゾクッと寒いです。
自律神経がおかしくなっているんでしょうか。
「えへへ! ただいま!」
なんでしょう、寒気が止まりません。
加齢による冷えでしょうか。
【GARDEN】で準備を始めていると、紫苑からそんな事を言われました。
「そうなんですね。お久しぶりのお帰りですね」
「ええ、本当はもっと頻繁に『ご帰宅』されたかったみたいですが、部活が忙しかったようで」
「競技ダンス部ですもんね」
大学の競技ダンス部に所属されている真昼お嬢様は、本当にダンスがお上手で驚きました。
「そんな真昼をリードできる白銀はもっと驚くべき存在ですからね」
「いえいえ、ご一緒にダンスさせていただきましたが、私なんてまだまだです」
「うわーん、千金楽さん~。白銀が怖い事言ってます~」
「おー、よしよし、紫苑。あのお爺さんは無自覚チートの極みですからねー。気にしちゃ負けですよー」
紫苑が、千金楽の元に駆けより泣きつくと、千金楽が紫苑を慰めながらこちらを見て小馬鹿にしたように笑っています。隣で緋田も頷いています。
何故?
あと、無自覚チート調べましたよ。誰が無自覚チートですか。
私は自覚未熟者です。
「まあ、ともかく。真昼、お嬢様がご帰宅されますので、白銀、よろしくお願いします」
何事もなかったかのように、ケロッとした紫苑が私に話しかけてきます。
「かしこまりました。ですが、紫苑の方が良いのでは?」
「いやいやいや! 何を言ってるんですか!?」
紫苑は、驚いたように大声をあげ、小さく溜息を吐きながら笑うと、こちらに近づいてきます。おや?
「いいですか、白銀。真昼姉さん、ずっと白銀に……」
「ここの執事は、お嬢様の情報を簡単に流出させるのかしら……?」
「ね、ねえさ……」
「お嬢様」
真昼お嬢様が、強張った微笑みで紫苑の肩を強く握っています。
それに気付いた紫苑もまた、顔を強張らせながら精一杯の微笑みを浮かべます。
「真昼お嬢様、お早いご帰宅で……」
「元気いっぱいのちびっこ執事の大声が聞こえてきたから、ちょっと小走りで来ちゃったわ。ねえ、紫苑? お水貰える?」
「は、はい……直ちに……!」
紫苑が去って行きそれを見送る真昼お嬢様と私の目が合います。
「お帰りなさいませ、真昼お嬢様」
「……あ、う、う~」
「真昼お嬢様?」
「ストップ! 今は、そこで止まって、あの、汗かいてるかもだし……た、ただいま、白銀」
そうですね。女性はご自身の匂いを気にされます。
偶然でもジジイに嗅がれたらいやでしょうから。
私は、立ち止まり、その場で真昼お嬢様に笑顔でご挨拶させていただきます。
「はい、ご帰宅お待ちしておりました。真昼お嬢様」
しっかりと礼をし、顔を上げると、真昼お嬢様は服の裾を握りしめ、なにやら口を動かしてらっしゃいます。
「真昼お嬢様?」
「ご、ごめんなさい、今噛みしめ……じゃなくて! 私のテーブルはどこ?」
「こちらでございますよ」
真昼お嬢様は一定の距離を保ちつつも、競技ダンス部らしいしっかりとした一定間隔の歩幅、いつも通り美しい歩き方でついてこられます。
そして、テーブルにつくと、誰もが見惚れるような微笑みを浮かべながら、
「ありがとう」
そう仰ってくださいました。
ひとまず、紫苑もお水を持ってくるでしょうから、私達はテーブルを離れます。
ホール外のキッチンに辿り着くと、緋田さんが驚いたような声で呟きます。
「真昼お嬢様って、美形ですよね」
「ま、今まではキツイお嬢様っていうイメージと眉間にずっと皺寄せてたからなあ。普通に美人だよ」
いつの間にか千金楽さんがいらっしゃいます。
お料理を受け取りに来たのでしょう。それだけ言うと、すぐに別テーブルの方へ向かってしまいました。
「千金楽さん……千金楽さんも大分、日本人離れした顔っすよね、あの、金髪めっちゃ似合いますもんね。いや、にしても、真昼お嬢様はアイドルって言われてもわかんな」
「緋田さん……! 姉さんに手を出したらゆるしませんよ……!」
またまたいつの間にか、お水を持った紫苑君が千金楽さんばりの圧ある微笑みで緋田さんを見ています。
「わ、分かってるよ」
「白銀はどんどん出してくださいね」
「わ、わかり、ました?」
どういう事でしょうか? ああ、おじいちゃんだと思われてるから、気にせず接してあげて下さいということでしょうか。おじいちゃんっ子だったんですね。
であれば、納得です。
「絶対、違う納得の仕方してると思うっすけど、突っ込みませんからね」
最近、緋田も千金楽みたいなやり方で私を置いてけぼりにしたりします。
何が原因なのでしょうか……?
「あ、また、お嬢様のご帰宅ですよ。……え、うわ、俺、初めて見るお嬢様です。なんか、小動物みたいでかわいらしいお嬢様っすね。行って来ます」
「あ、緋田。あの方は」
【GARDEN】で過ごすひと時に少しでも不快がないよう尽くすのが執事です。
私は、緋田のあとを早歩きで追いかけます。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「あ、は、はい……ただ今、かえりました」
黒髪を顔の横だけ垂らし、後ろ髪は綺麗に纏めていらっしゃり、服装は、とてもシンプルながらスレンダーなお嬢様に似合う淡い黄色のワンピースとカーディガン。
可愛らしいお嬢様に緋田が挨拶すると、お嬢様はびくりと肩を揺らし右手をあげかけたものの、すぐに相変わらずの美しい姿勢に戻り、微笑みます。
「お嬢様、あの、はじ」
「朝日お嬢様、お帰りお待ちしておりましたよ」
「え……?」
緋田が私を見ようとしますが、すぐに緋田の前に出たために、顔は前を向き私を見て固まってしました。
そのせいで、思った以上に近い距離で私と朝日お嬢様は向かい合います。
「あ、白銀……ただいま、帰りました」
「はい」
私と朝日お嬢様が微笑みあっていると、緋田も背後から現れ挨拶を
「ちょ、ちょっとちょっと! 何してるのよ!」
しようとしたところで、真昼お嬢様が何故か飛び込んできて遮られます。
「え?」
「あなた、そんな距離で、手にキ、キスでお出迎えとか聞いてないんだけど」
「キス? ああ、違いますよ。少し距離感を間違えて近づいてしまっただけで、こちらの屋敷ではそのような風習はありません」
「そう、なんだ……別にしてくれても……むしろ、され」
「え? なんでございますか?」
真昼お嬢様がごにょごにょと何か仰るのですが、年寄りには厳しいボリュームでした。
「な、なんでもないわよ!」
「あれ? 日中さん?」
「え……もしかして、下柳先輩?」
ひょいと真昼お嬢様の方を覗き込んだ朝日お嬢様が呼びかけられると、真昼お嬢様も驚いたような声で朝日お嬢様のお名前を。
「お知り合いですか?」
「ええ、あのアルバイト先のアニメイ……」
「『本屋』でね、先輩後輩なんですよね? しも、朝日先輩?」
「……うん! そうなんです、アルバイト先の『本屋』で」
「そうでしたか」
なるほど。アルバイト先がご一緒でしたか。
縁というものは不思議なものですね。
アニメイというのが本屋の名前でしょうか。ジジイの物覚えが悪いので、本屋に言い直して下さったんでしょうね。有難いことです。
「……あー、先輩? よければ、ご一緒しません?」
「え? 嬉しい! いいの?」
「お、おおう……私もその方が安心なので……」
思った以上の勢いで迫る朝日お嬢様に仰け反りながらも真昼お嬢様は私共に目配せをし、テーブルの手配を指示されました。
私は、その場を緋田に任せ、千金楽と共に席を動かします。
「あ、あの! 素敵ですね、朝日お嬢様」
「あ、ありがとぅござぃます……」
緋田が、あの時あんな事を言っていた緋田があそこまで驚き、大声で褒めていると私も嬉しくなってしまいます。だからといって、千金楽さんそんな変な顔で私を笑わないでください。
「ほんとに……そんなコンタクトにメイク、服も……先輩、いつの間に……」
「ありがとう、日中さん。あの、白銀さんに会いたいから、がん、ばったの……!」
「かわいすぎか」
「え?」
「いえいえ、なんでも? おほほ~。」
緋田が何やらお話をしているお二人をエスコートしながらこちらに来られます。
朝日お嬢様は、椅子を引いた私をじっと見つめ口を開きました。
「あの、白銀、わたし、どうですか」
「とても、お美しく、可愛らしいですよ。淡い黄色も素敵です」
「~~~! あ、ありがとう……!」
朝日お嬢様は、そのまますとんと座り拳を握りしめ、自身の成長を噛みしめていらっしゃるようでした。
そして、それをほほえましく見ながらお料理の配膳をすべくキッチンへ向かおうとすると、不意にズボンを掴まれます。
真昼お嬢様です。
「白銀、私は?」
真昼お嬢様はこちらを向かずにテーブルを見つめたまま聞いてこられます。
「ピンクの差し色が可愛らしい真昼お嬢様にぴったりで素敵です。良くお似合いですよ。」
「……そ。ありがと」
真昼お嬢様はテーブルを見つめたままズボンを放して下さいました。
「お水、お持ちしました」
紫苑がお水を持ってきます。
まだ、ぎこちないところはありますが……
「紫苑」
「は、はい、いかがなされましたか? 真昼お嬢様?」
「かっこいいわよ」
「……! ありがとうございます。真昼お嬢様も今日も素敵です」
「ありがとう」
真昼お嬢様が素直に紫苑をお褒めになり、紫苑もまた。
二人の間に合った、二人が作り出してしまっていた存在しないはずの靄はすっかり見えなくなったようで、目頭が熱くなってしまいます。年寄りなもので。
「……真昼お嬢様、白銀はいかがですか?」
「は?」
「私はお褒め頂きましたが……白銀は? いかがですか?」
「は? え? は?」
紫苑さんが態々私にもお褒めの言葉を、と真昼お嬢様を促します。
真昼お嬢様も困っていらっしゃるので、あまり『無茶ブリ』はしないで欲しいのですが。
「いかがですか? 白銀? かっこいいと思いませんか?」
「か……かっこいい、わよ! 何? 態々口にいう程の事?」
真昼お嬢様が紫苑に屈し、呻くようにお褒めの言葉を仰ってくださります。
最近気づいたのですが、紫苑は自信を取り戻してから、本来の性格なのか、強かな甘え上手でありながら少し辛口な印象があります。
勿論、一生懸命さは変わらないのですが、中々侮れない執事に成長しつつあります。
例えるなら、千金楽さんに近い気がします。
うまく相手のツボを突いて、言葉を引き出させる。
それでいて幼い、若い印象があるので、嫌味っぽくならない。
向こうで金髪を揺らしながら言葉巧みにお嬢様を楽しませる千金楽が目に入ります。
やはり、凄い。
(お前が言うな)
なんでしょう。一瞬、こちらを見た千金楽の心の声が聞こえた気がします。
「真昼お嬢様、他に何かいう事はないんですか?」
「し、え、ん~……! お嬢様を揶揄う執事っていう新しいジャンルを開拓したいならヨソでやってくれるかしら~?」
周りのお嬢様達がほほえましくその様子をご覧になってします。
朝日お嬢様も。そして、私の視線に気づくと一瞬俯いたものの小さく手を振ってくださいます。
その強くなられた様子にまた目が少し潤んでしまいます。
「あー、おじーちゃーん!」
入り口から飛んできた声に振り向くと、そこには、赤みがかった茶の髪色と青みのあるシルバーというんでしょうか二人の女子高校生がこちらを見ていらっしゃいます。
「お、おじいちゃん?!」
ガタガタガタといくつかのテーブルが揺れます。
何かあったのでしょうか?
「白銀、あなた、おじいちゃんって……!?」
「孫いるなんて聞いてない! 結婚して子供、孫!?」
真昼お嬢様の言葉をリレーするように南さんが叫びます。
勘違いです。
というか、皆さん忘れていませんか? 私まだ五十なんですけど。
「あ、いえいえ。この方はカルムで……」
「おじーちゃーん!」
私の言葉を遮るように赤みがかった茶色髪のお嬢様が飛び込んでいらっしゃいます。
なんでしょうか、気温が上がった気はするのですが、ゾクッと寒いです。
自律神経がおかしくなっているんでしょうか。
「えへへ! ただいま!」
なんでしょう、寒気が止まりません。
加齢による冷えでしょうか。
10
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ツンデレ王子とヤンデレ執事 (旧 安息を求めた婚約破棄(連載版))
あみにあ
恋愛
公爵家の長女として生まれたシャーロット。
学ぶことが好きで、気が付けば皆の手本となる令嬢へ成長した。
だけど突然妹であるシンシアに嫌われ、そしてなぜか自分を嫌っている第一王子マーティンとの婚約が決まってしまった。
窮屈で居心地の悪い世界で、これが自分のあるべき姿だと言い聞かせるレールにそった人生を歩んでいく。
そんなときある夜会で騎士と出会った。
その騎士との出会いに、新たな想いが芽生え始めるが、彼女に選択できる自由はない。
そして思い悩んだ末、シャーロットが導きだした答えとは……。
表紙イラスト:San+様(Twitterアカウント@San_plus_)
※以前、短編にて投稿しておりました「安息を求めた婚約破棄」の連載版となります。短編を読んでいない方にもわかるようになっておりますので、ご安心下さい。
結末は短編と違いがございますので、最後まで楽しんで頂ければ幸いです。
※毎日更新、全3部構成 全81話。(2020年3月7日21時完結)
★おまけ投稿中★
※小説家になろう様でも掲載しております。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件
ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。
スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。
しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。
一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。
「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。
これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる